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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『血は立ったまま眠っている』
2月に観た作品です。
戯曲とは、肉体を通して語られてこそ初めて作品として骨格を成すものだと考えさせられた舞台でした。

目を覆いたくなるような状況の下で語られる猥雑な言葉。
舞台の上のその佇まいには、言葉を発する俳優自身、一人ひとりの生きてきた過程が見えるような気がしました。
そして言葉の奥に潜む彼らの「魂」の呟きとして、その言葉が聞こえてくるように思いました。

ユニークな登場人物たち。
血だらけの理髪師の白衣、汚れた便器、掃除されないほったらかしの公衆便所。
ただそこにいるだけで、それらと同じ目で見て判断する他人の目。
最初から目を覆って見ないふりをしていたは、こちらの方かもしれません。
それを偏見と呼ぶならば、心の目で見る鍛練が必要です。

また、言葉と肉体の関係を強く感じた作品でした。
窪塚洋介、彼のジョニー・デップのような彼の容貌が、灰男という壊れそうに儚い男のロマンを漂わせています。
寺島しのぶ扮する、灰男の前に突如として現れる夏美。
「夏美は不賛成」「賛成しない」と、決して反対とは言わない彼女からは底知れない強さを感じました。
江口のりこ茂手木桜子蘭妖子、彼女たちの扮する男に翻弄されているようで自由な心を持つ女性たち。

どんなに薄汚れた汚い場所にいようと、最後には「自分」という志を持った者たちが神々しく感じられました。

戯曲・寺山修司、演出・蜷川幸雄

※公演詳細は、Bunkamuraシアターコクーンのサイトで。

(シアターコクーンにて)

東京公演は、1/18-2/16まで Bunkamuraシアターコクーンにて、
大阪公演は、2/20-2/27まで シアターBRAVA!にて上演されました。

☆戯曲「毛皮のマリー、血は立ったまま眠っている」角川文庫
 

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『THE 39 STEPS』(2/6-3/4)
ヒッチコック監督作品の邦題「三十九夜」。
この映画そのままの舞台作品だと前説で語られていました。
物語のテンポも、場面転換も、4人の俳優による人物の演じ分けも小気味良く、映画さながらにミステリーのどんどん奥深くに誘われて行きました。

この作品は、既にロンドンのウェストエンドやニューヨークのブロードウェイで人気を博した作品の演出そのままの日本版だそうです。
なるほど、作品のテンポが『TALK LIKE SINGING』を思い起こさせます。
あちらがこちら風に洒落を利かせて、なるほどというところです。

それにしてもこの舞台、観客のイマジネーションを誘導する演出には恐れ入りました。
俳優の力量が際立つ作品です。
主演の石丸幹二の最近の活躍ぶりには目を見張ります。
特に歌わない、芝居のみの彼の役づくりは、役に彼自身を融合させた彼独自の世界が観客にも見えてきます。
作品が大人びてステキな感覚を味わえるのが魅力です。
そしてヒロインの高岡早紀、彼女は舞台一作ごとに舞台の間を掴んでいくようですね。
思い切りの良さが彼女の魅力になりました。
舞台、立ち振舞いの美しさが光ります。
浅野和之今村ねずみの何十役かの検討ぶりも見所のひとつです。

左上の写真にあるDVDは、劇場で販売しています。

※詳細は東宝のサイトで。

演出・マライア・エイトキン、美術&衣裳・ピーター・マッキントッシュ、
日本語演出・デイヴィッド・ニューマン、
翻訳・小田島恒志、照明・黒尾芳昭、音響・ミック・ブール

☆監督・アルフレッド・ヒッチコック「三十九夜」DVD
 この舞台の原作映画です。
 舞台を観てから映画を見るのも面白いですね。
 なんと言っても、この映画の登場人物を舞台では4人だけで演じているのですから。


☆作・ジョン・バカン、訳・小西宏「三十九階段」創元推理文庫
 この舞台の原作本です。
 随所に合致するエピソードはあるものの、男女の設定が舞台版とは違ったり、こうやって小説が脚色されるんだ…と感慨深く読みました。
『放浪記』公演中止
今年の5月、6月に上演が予定されていた『放浪記』の公演中止が、本日東宝から発表されました。

2008年、シアタークリエでの2ヶ月に及ぶ公演のチケットが取れず、昨年5月に帝国劇場という大きな劇場公演のチケットを、ようやく手に入れることができました。
大劇場ながら2000回も重ねた作品の演出は流石!舞台の広さと客席との距離感を、初めて『放浪記』を観た観客に感じさせませんでした。
むしろ4時間出ずっぱりの森光子の、彼女が演じる林芙美子の年齢と経験の変化、この表現力に大きな感銘を受けました。
この大劇場で、一階席の後方にいる観客にまで届く彼女の想い。
何歳で何回目の舞台かなんていうことは、もはや私の頭からは消え去っていました。
しかし芝居の最後には、拍手をしながらそれらを思い出さないわけにはいきませんでした。

何回同じ作品、同じ役を務めても、観客にとってはその回限りということもあります。
舞台は一期一会であるという気迫が伝わってきました。
そしてそれが舞台の素晴らしさだと改めて教えられたのです。

ところで、今回の公演中止の理由は「4時間にも及ぶこの大作に出演することは、ご本人のお身体に差しさわりが生じるおそれがある」(「公演中止のお知らせとお詫び」より)ということです。
放浪記』が封印されたわけではないし、まだまだその表現力を様々な作品でも見せて欲しいと思います。
その願いをこめて、次回、森光子が立つ舞台を楽しみに待っていようと思います。

※右の写真は、昨年の帝国劇場。

『TALK LIKE SINGING』(1/23-3/7)
三谷幸喜のオリジナル作品が、香取慎吾主演で、オフ・ブロードウェイの凱旋公演

この作品には、そんな話題性以上に様々な想いがこめられているのを感じました。

物語の主人公は、会話が全て歌になる、言葉をメロディに乗せないとしゃべれない日本人の青年ターロウ(香取慎吾)。
社会に適応できない彼を見て、なんとかしようとドクター・ダイソン(川平慈英)が名乗りをあげました。
あの手この手で、ドクター・ニモイ(堀内敬子)と手を尽くしますが、やがて彼女はそのやり方に疑問を抱くのでした・・・。

ところで、私は一度だけニューヨークを訪れたことがあります。
オフかオフオフだったか定かではありませんが、観客を巻き込んで劇場が一体になった作品を体験しました。
そういうノリがこの作品にはあります。
しかも脚本は独創的で唯一無二、キャストは歌もダンスも芝居も、プラス曲芸(!)もできる強者揃いでターロウの生い立ちから係わる人物全てを演じ、歌い踊ります。

ニューヨーク公演を意識しただけあり、日英の言葉もコメディの演出に一役買っているのがニクいところ。
日本にいる私たちには、まるで作品を輸入したかのようなアメリカナイズされた表現に洒落っ気を感じました。
真っ向から純日本で乗り込まないところが三谷作品らしいというか、それっぽく見せていることを観客が承知の上でのコメディセンスが笑いを誘います。

さらに、役者の身体が言葉以上のコミュニケーションを担っています。
ターロウを取り巻く人々を一人で演じる新納慎也、彼の抜群の身体能力による表現は、まるでコミックのように一目で状況を言い当てることができます。
そして、温かく透明な歌声以上にコメディエンヌぶりが頼もしい堀内敬子
自在に操れるのは日英の言語だけでないことをアピールした川平慈英
彼らの存在が黒を基調にした舞台からくっきりと浮かび上がっていました。
これを個性、キャラクターと言うのでしょうか。

もしかしたら作者は、日本にこんなにユニーク(他にはないという意味で)で素敵な俳優が存在することをアメリカで知らしめたかったのでしょうか?
英語も流暢に聴こえるし、彼らがオフ・ブロードウェイの舞台に立ったなんて誇らしい気がします。

最後になりましたが、ターロウくん、香取慎吾は持ち前の演技力で、心と頭と体が一つにならないもどかしさを寂しげに、でも幸せそうに彼自身として存在する意味を見せてくれました。
心を語る彼の声が、歌声が、また魅力的です。

作・演出・三谷幸喜、作曲・音楽監督・小西康陽、
振付・原田薫、美術・堀尾幸男、照明・服部基、音響・井上正弘、衣裳・黒須はな子、
歌唱指導・山口正義、英語翻訳・山本伸、英語指導・クリスチャン・ストームズ

(赤坂ACTシアターにて)

※公演詳細は赤坂ACTシアターのサイトで。
 公式サイトもあります。

左上の写真、オフ・ブロードウェイの劇場には、こんな風に看板がかかっていたのでしょうか。
そんなことを思わせる写真が、赤坂駅からサカスへ行くまでの階段の壁に見られます。
『ジークフリート』(2/11,14,17,20,23)
2001年3月、新国立劇場で初演された『ラインの黄金』。
この年から一年に一作品、丁寧に「ニーベルングの指輪」四部作の全てが上演されてきました。
好評だったため、昨年から2シーズンに渡っているものの、連続して2作品ずつ再演されています。

序夜『ラインの黄金』1幕、約2時間40分(休憩なし)
第1日『ワルキューレ』全3幕、約5時間15分(休憩2回含む)
第2日『ジークフリート』全3幕、5時間55分(休憩2回含む)
第3日『神々の黄昏』上演予定時間は、6時間

台本・作曲リヒャルト・ワーグナー の「ニーベルングの指輪」全作品を一貫した構成と演出で観ることのできる機会は、めったにないことだと思います。
日曜日の公演ということもあり、あの大きなオペラパレスは満席でした。
かくいう私も序夜『ラインの黄金』から鑑賞してきましたが、こちらで紹介していませんでしたね。
ここまで観て、ようやく壮大な物語の一端を理解することが面白くなってきたような気がします。

さらに新国立劇場版は、歌手の技量はもちろんのこと、舞台美術の斬新さとスケールの大きさが、この目で作品を観たいと思わせる人気の要素の一つではないかと思っています。
抽象的で近未来感のある舞台や衣裳には、作品のヒントや洒落が散りばめられていて、オペラ通はもとより、字幕で筋を追うビギナーにもクスッと笑みを浮かべさせてくれるのですから。

さて、ジークフリートは『ワルキューレ』に登場していたジークムントとジークリンデの息子ですが、彼は命からがら逃れてきたジークリンデが亡くなる間際に産み落とした子供です。
しかし出生の秘密も、恐れも知らずに森の中で育ったジークフリートは、その背景を知る観客にとっては哀れにも無謀にも映ります。
そんな彼の成長を描いたこの作品は、ストーリーを追う楽しさもありました。

指揮は、2004年新国立劇場の『ファルスタッフ』で日本デビューを果たしたという、今やこの劇場のオペラファンからの信頼も厚いダン・エッティンガー
「歌手陣は、バイロイト音楽祭でも活躍している世界的なワーグナー歌手を招聘」(新国立劇場のサイトより)ということ。道理で聴き応えも充分なはずです。

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 オペラパレスにて)
『監視カメラが忘れたアリア』(2/5-21)
第三舞台を観たことがなく、鴻上作品ですらもしかすると初めての観劇です。
虚構の劇団、旗揚げ三部作の第一弾の再演がこの作品。
座・高円寺という劇場も初めてでした。
まるで初めて訪れる友人宅のようにドキドキしながら劇場へ向かいました。

舞台の上で「監視カメラ監視中」と書かれた看板を大学構内のカメラの前に設置し、仁王立ちでアピールするサークルのメンバーたち。
防犯”なのか”監視”なのか。

・・・この作品を観るにあたって、最近、意識してそのカメラの存在を確かめてみました。
東京駅の新幹線の、とある小さな改札口には、集中して6個はカメラが取り付けられているのを見て、これは監視だという意識を持ちました。
そして有楽町駅付近では、「監視カメラ警戒中」という劇中の文章のような張り紙を発見。
こちらは監視カメラがこのエリアを警戒、観察してるという意味でしょうけど、追跡される所以のない者にとっては誰かに見られることに憤りを感じるのもわかるような気がします。

しかし逆に人通りの少ない道路では、その存在に見守られているような気になるのですから、見られる側も勝手なものです。

さて、話を虚構の劇団に戻しましょう。
初めて出会う彼らは、瑞々しかった!
放つパワーも爽やかに、私たちの目の前を軽やかに、時には立ち止まりながら駆け抜けていきました。
そんな劇団のカラーに、今回、一石を投じられるように姫岡役(古河耕史)が客演しています。
これから2月に観たい―とこの作品を紹介した時に記しましたが、外と内の心の変化の緊張を、彼は感じさせるのです。

実は読み始めた戯曲を途中で読むのを止めました。
登場人物に見られる展開を、その心情を察した時に感じる緊張を舞台で味わいたいと思ったためです。
階段のように設えられた真っ白な舞台の上では、彼らの心情がカラフルに浮かび上がっています。
そこで起きる表には見えない一人ひとりの想いは、まるで鏡のように私たちの気持ちを映し出していました。
端的でストレートな作品ですが、その中でも全てをさらけ出せない過去の重さを痛いほど心に感じました。

作・演出・鴻上尚史、美術・池田ともゆき、音楽・HIROSHI WATANABE、照明・伊賀康、音響・堀江潤、振付・安達桂子、衣裳・森川雅代

※公演詳細は、虚構の劇団の公式サイトで。
 公式blogもあります。

☆ 戯曲集「グローブ・ジャングル
 読売文学賞を受賞しました。「監視カメラが忘れたアリア」も収録。
 劇場では、鴻上尚史のサイン入り書籍が販売されています。
 

『飛龍伝 2010ラストプリンセス』(2/3-21)
古い話で恐縮ですが、初めて『飛龍伝』を観たのは1994年『飛龍伝 '94いつの日か白き翼にのって』、セゾン劇場(現在のルテアトル銀座でした。
ヒロインの神林美智子には石田ひかり
つか作品での彼女は、初々しい中にも彼女自身のカリスマ性を発揮し、そして囲むキャストとの相性もぴたりと合って、私の中では生涯忘れることのできない神林美智子像として観劇の記憶に留まっています。
2003年広末涼子の清涼感あふれる神林美智子も記憶に新しいところです。

さて、今回は劇場も広く大きく、キャストの動きも大きくなります。
その舞台いっぱいに存在を示すのは、黒木メイサ
アクションも得意とする彼女は神林美智子となり、あっという間に奉りあげられた学生運動のリーダーとして、強さを誇示していきます。

残念なのは、作品の流れの中で、神林美智子がどれだけ学生たちの中で尊い立場であったのかを示す彼女への期待が伝わりにくかったことです。

ストーリーには、黒木メイサの出身の沖縄について、その地の目線で描かれたエピソードを盛り込み、安保条約とはどういうものかを提言する今の時代にタイムリーな内容となっています。
学生運動があったのは過去の出来事ですが、問題はずっとそのまましこりとなって残っていることに気づかされました。
今回のキャストには、ヒロインだけでなく彼女を取り巻く主要な人物にも新しい顔が並びます。

自論ですが、つか作品の大舞台に抜擢される俳優の息は長いと思います。
ある時期アイドルであっても、ずっとこの世界で俳優としての地位を保っているのは、つか作品で鍛えられるのか、または逸材が抜擢されているのか・・・今後もヒーロー、ヒロインの活動に注目したいと思います。

作・演出・つかこうへい、装置・中村知子、照明・酒井明、作曲・編曲・からさきしょういち

※公演詳細は、松竹のサイトで。

☆「つかこうへい傑作選(6)」メディアファクトリー
 「飛龍伝」を収録。

3日は節分。
劇場では出演者による豆まきがありました。
3階席での観劇でしたがちゃんと撒きにきてくれて、思いがけないお土産ができました。
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