FC2ブログ
カテゴリ

最新記事

QRコード

QR

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

プロフィール

kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『パパの色鉛筆』日本評論社
パパの色鉛筆―精神科医ヤマトのつぶやき、その他。パパの色鉛筆―精神科医ヤマトのつぶやき、その他。
(2008/10)
山登 敬之


久しぶりに、えびす組のご意見番ヘンリー・ヤマト六世の著書をご紹介します。
えびす組メンバーとヘンリーとの出会いは、ある劇評セミナーでした。
当時のヘンリーは、劇作家であり、演出家であり、評論家。
そして後に知ったのですが、精神科医でもありました。
この『パパの色鉛筆』は、私たちと出会う以前のヘンリーこと山登敬之の、こども病院時代の若手の頃から、現在のクリニック院長に至るまで、その時々の思いの丈が綴られたエッセイです。
私たちにとっては12年前に出会ってからのヘンリーの、もう一方の仕事ぶりを知る本となりました。
こころの科学』(日本評論社)他に掲載されたものがまとめられ、一冊の本になったそうです。

前回ご紹介した、現在は院長として活躍する立場で書かれた『芝居半分、病気半分』は、そんな多くの才能と肩書きを持つヘンリーの視点から、現代の社会に生きる人々を見つめた興味深い内容でした。
この『パパの色鉛筆』のタイトルにもなった章は、親であるならこんな目線で物事を見なくちゃいけないことを、心の底から痛感した内容です。
他人にも、本当はこんな眼差しで接することができれば…。
その他、心動かされる話に満ちています。

現在は東京えびすさまクリニックの院長に専念しているヘンリー。
時にはえびす組劇場見聞録にも、顔を出してくれることを願っています。
芝居半分、病気半分芝居半分、病気半分
(2007/05)
山登 敬之



スポンサーサイト
『七月大歌舞伎』昼の部(7/3-27)
五重塔(ごじゅうのとう)』『海神別荘(かいじんべっそう)』
昼の部は、この二作品が上演されています。

五重塔
この作品は、人望もあり腕も立つ大工源太(中村獅童)、腕はピカ一だけども職人仲間から馬鹿にされている大工十兵衛(中村勘太郎)。
この二人の職人が谷中感応時の五重塔建立の仕事に名乗りをあげたことから始まる深い精神の物語。

十兵衛は、「のっそり十兵衛」と呼ばれるほどに、職人気質で付き合いベタ、しっかりものの女房をハラハラさせています。
どこか『傾城反魂香』の浮世又平に似ていますが、このような性根の役を演じる勘太郎は上手い。
無言で黙々と仕事する、実直で言葉少ない人物が発するその言葉の重味を感じさせます。

作・幸田露伴、脚本・宇野信夫、演出・石川耕士、美術・中嶋正留、照明・池田智哉

海神別荘』作・泉鏡花。
夜の部の『天守物語』同様に、坂東玉三郎市川海老蔵が主演し、美女公子を演じます。
2006年、美しい海の底の物語に魅せられ、その美しさが再び観客を劇場へと誘いました。

前回は、美女(玉三郎)に投影された人間の欲望について考えさせられましたが、今回は掴み所がないと感じていた公子(海老蔵)の性根が気になりました。
公子は、信念と思慮深さを備えた、なんとも偉大な海の守り神のようです。
対する美女の発言に、美しさを糧に生きてきた人間の性が窺えます。
このくっきりとした対比がドラマを生み、両者の意識の理解が本当の意味での「美」なのではないかと思いました。
舞台の美しさ以上の「美」を、作品の中に見たような気がしました。

今回、海老蔵は、昼夜合計4作品中3作品で主演しています。
それらの登場人物一人ひとりの魂が、しっかりと観客に伝わってきました。
同じ時代を共に生きる観客として、彼の目覚ましい成長を見守ることができることを嬉しく思います。

作・泉鏡花、演出・戌井市郎、坂東玉三郎、美術・天野喜孝、装置・中嶋正留、照明・池田智哉

※公演詳細は、歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)
『外山啓介 ピアノ・リサイタル』 (7/21)
2007年のデビューから、その活動に関心があったのは、ピアニストの外山啓介
2008年9月から、ドイツのハノーファー音楽演劇大学に留学と聞いて、リサイタルを聴きに行く機会が遠のいたと思いきや、ドイツと日本を往復して精力的に演奏活動を行っていました。
ソロアルバムも三枚目をリリースするなど、レパートリーを広げています。

このリサイタルで、ようやく彼の生演奏に触れることができました。
あのサントリーホール大ホールが満席です。
前半は彼のデビューを飾ったショパンの曲を、そして後半は新しいアルバムに収録したラフマニノフの曲で構成されていました。

高い技術が今後の大きな可能性を予感させます。
複雑なリズムが、弾き手の感情を導くような、そんな瑞々しい演奏も楽しみました。

終盤、一旦舞台の袖に引っ込み、大きな拍手に迎えられ、鍵盤の前に座った途端に弾き始める姿が見られました。
それはもう、弾きたくてたまらない心が鍵盤に指を走らせているかのようです。
さらに彼独自の世界を創造し、聴衆を導いていきました。
25歳の外山が、瑞々しさからこれからどんなに熟れた果実のごとく演奏を聴かせてくれるのか、期待を込めて今後の活動も楽しみにしています。

写真は、この日のアンコール曲です。

※この公演の詳細は、チケットスペースのサイトで。
 (クリックすると、メッセージの音声が流れます)

 公式ホームページには、本人のメッセージ゙が掲載されています。

(サントリーホール 大ホールにて)

☆「CHOPIN:HEROIC」CD 視聴できます。
 外山啓介のデビューアルバム。
 写真のようにアンコール演奏された「英雄ポロネーズ」が収録されています。
 

☆「インプレッションズ Impressions」CD 視聴できます。
 

☆「ラフマニノフ」CD 視聴できます。
 3枚目のソロ・アルバム。
 

☆「ガーシュウィン&コープランド~アメリカン・アルバム!」CD 視聴できます。
 シエナ・ウインド・オーケストラ、指揮:金聖響
 「ラプソディー・イン・ブルー」(ピアノ・外山啓介
 

コクーン歌舞伎『桜姫』(7/-30)
2005年6月コクーン歌舞伎を初めて観た時の新鮮な衝撃は忘れられません。
それは今でも変わりませんが、今回は演出のみならず、役者の成長ぶりが楽しみに加わりました。

今回の桜姫中村七之助
左の掌が生まれつき開かないために縁談を破談にされた虚しさ、
盗賊に体を奪われ、子を産み落とすに至った悲しさ、
その男が忘れられない女の憐れな性、
姫という身分でありながら、彼女の身の上に次々と降りかかる災難とも言える出来事にも、世間を知らないが故に受け入れられる強さを感じました。

この『桜姫』は、先月は現代版としてキャストもほぼ入れ替えて上演されていました。

桜姫』の原作は、四世鶴屋南北
クドクドとした説明よりも、こうであった、そうなったと、舞台の上の情景を観客の方に受け入れられる土壌があるのが、歌舞伎作品の利点であり魅力なのでしょう。
客席が、桜姫の波乱に満ちた境遇を、驚きとともに楽しんでいる感がありました。
無意識のうちにそうあるものだと受け入れていたようです。

だからといって串田演出は、観客の理解に甘んじてはいません。
桜姫が、自身が置かれた境遇の中でどんな心持ちでいるのか、その様子を案じずにはいらませんでした。
世間知らずのお姫様が、最後に事の発端と全てを悟った時の描写が秀逸です。
どんな姿をしていようと、武家のお姫様としての性根がそこにあったことを思い知らされました。

演じる七之助の、桜姫が果たす役割が終わった後の無表情なその様は、観ているだけで涙を誘いました。
役の内面を捉えて役を生きる、成長した役者の姿を頼もしく見せてもらいました。

演出・串田和美、美術・松井るみ、照明・齋藤茂男、作調・田中傳左衛門、音響・市来邦比古

※作品の詳細は、Bunkamuraのサイトで。

(シアターコクーンにて)

『ガブリエル・シャネル』(7/3-27)
大地真央扮するガブリエル・シャネル
演出の宮田慶子によって、女性としての彼女の半生が描かれていました。

ある別荘で小説家(葛山信吾)に語る半生の中で、時折現れる昔の恋人アーサー・カペル(今井翼)の幻影。
その幻が、彼女に辛く、しかし活力に溢れていた頃の自分を思い出させます。

この美しい冒頭の場面に導かれるように、彼女の物語が鮮やかに始まりました。
劇中で彼女が語るように、それが真実なのか、嘘なのか、彼女自身もわからなくなってしまったという物語。
そこには確かに彼女が女性であるが故に受けた屈辱が、慶びよりも多く描かれていました。

この作品は、ミュージカルと呼ぶほど多くはありませんが、時折歌で心情が綴られています。
それでいて、的確だと思える人物の描写、物語や彼女の生き様が、観客を捉えて離しません。
そして何よりもシンプルで美しい舞台が、ガブリエル・シャネルの力強い美しさを際立たせています。

常に何かと闘っていたガブリエル・シャネル。
晩年、ようやく彼女が世間を受け入れたように見えた時、襲ってきたのは大きな哀しみだったのでしょうか。この場面が観客に問いかけ、心に深く残ります。

彼女の女性としての視点が生んだデザインの根本を、精神を知ろうというする意欲を観客に抱かせてくれました。

脚本・齋藤雅文、演出・宮田慶子、美術・妹尾河童、照明・中川隆一、衣裳・半田悦子、音楽・沢田完

※公演詳細は松竹のサイトで。

(新橋演舞場にて)
『ブラックバード』(7/17-8/9)
言葉を並べたてると薄っぺらになってしまいそうで怖いのですが、今まで味わったことのない緊張感、とでも言いましょうか。
もちろん上演時間2時間の観客の関心は、二人の登場人物の関係性に向けられていました。

突然訪れて来た若い女性(伊藤歩)、それを歓迎しない素振りの中年男性(内野聖陽)、そして舞台はオフィスビルの雑然としたロッカールーム。
幕が開いて、まずこの情景が観客の目に飛び込んできました。

この芝居を楽しむには、とにかく状況を把握しなくてはなりません。
ボールの投げ合いのような会話。
まるで関係の優位性を表すようなボールが、行ったり来たり。
時にはそのボールは逸れ、転がったり、そのうちどちらか一方が掴んで放さない、そんな状況が訪れます。

なかなか相手に渡らないボールの行方を傍観しながら、これはリーディングでも面白いのではないか、そんな想いが頭をもたげてきました。

そして…。

迎えるクライマックスの、この視覚的なインパクトといったら!!!
もう、ボールの行方なんかどうでもよくなりました。
今まで漏らすことなく聴いていた情報が伏線となり、この衝撃のためにあったのではないかとさえ思えます。
演劇の舞台ならではの趣向かもしれません。

膨大な量の会話劇ですが、ムダはありません。
ゆるめられていた緊張の糸が、キュッと引っ張られたような状況に、声も出ませんでした。

ブログラムによると、作者のデヴィッド・ハロワーは1966年生まれ、作品も約5年前にイギリスのグラスゴーで産声をあげたのだそうです。
今の時代を生きる作家の作品に、同世代の感性で触れられることに、これから先の観客の楽しみを得たような興奮すら覚えました。

若い女性を演じた伊藤歩の登場時には陶器のように美しく無表情だった顔が、終盤は人間味と言うより野生味を帯びています。
その顔が実は芝居の核なのではないのかと、舞台作品の醍醐味もたっぷりと味わいました。

作・デヴィッド・ハロワー、演出・栗山民也、
翻訳・小田島恒志、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、音響・山本浩一、衣裳・宇野善子

※公演詳細は、ホリプロのサイトで。

(世田谷パブリックシアターにて)

☆「悲劇喜劇 2009年 08月号」早川書房
 『ブラックバード』の戯曲が掲載されています。(劇場でも販売中)
 

『社会人のための歌舞伎鑑賞教室』(7/10,16)
国立劇場の楽しみの一つと言えば、
19時開演の、しかも若手歌舞伎俳優による「歌舞伎のみかた」の解説がある歌舞伎鑑賞教室です。
今月は10日と16日に限らず、全公演が歌舞伎鑑賞教室となっているので、まだまだご覧になれるチャンスはあります。

今回の解説は中村亀鶴
子どもから大人まで楽しめるような明るい口調で話し始めます。
毎回、観客が舞台に上がり、何かしら体験するのですが、今回は次に上演する『矢の根』と『藤娘』にちなみ、その衣裳の一部を身に付けるというものでした。
そして「この解説中限定」で、観客代表の勇姿の記念撮影が許されました。

 ↑↑↑
こちらの写真が三階席(二等席1500円)から見たその様子です。
国立劇場第19期の歌舞伎俳優研修生も登場して、華やかな立ち回りを見せてくれました。
中村亀鶴自身も、その卒業生(10期生)であるということです。

老若男女、全ての関心を舞台に集めて言うことには、一番のお願いは「楽しむこと!」
舞台と客席は一方通行ではないので、お客様の拍手でこの幕を開け、役者を盛りあげて欲しいという、大変説得力のある歌舞伎俳優の言葉でした。

大きな拍手とともに『矢の根』の幕が開きます。
私自身、歌舞伎を見始めた頃には結構あっと驚かされることが多かったのですが、驚くことはまだまだありあります。
感嘆の吐息が随所で漏れていました。

曽我五郎(市川男女蔵)が初夢に出てきた兄の十郎(中村亀鶴)の言葉を聞いて出陣しようと準備をするところ。
五郎が「仁王襷」と呼ばれる、羽根のように見える立派な襷をかけている勇ましい姿は見たことがありました。
この作品では、その工芸品のような襷を、一本のロープから、芝居の中で観客の目の前で結い上げてしまうという、後見の腕の見せどころが披露されています。
そしてその後の五郎の勇姿という様式美を堪能しました。

さらに最後まで、あっと言わせる舞台は続きます。

そして『藤娘』。
藤の精である藤娘。
21歳の中村梅枝が初役で、この踊りに挑みます。
女方の梅枝にとっては、これから先、踊る機会が多い作品だと思います。
観客として、その初演を目撃したという想いも強い作品となりました。

※公演詳細は、国立劇場のサイトで。24日まで。

(国立劇場 大劇場にて)
『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』(7/5-8/9)
邦題は、-日曜日にジョージと公園で-。
ジョージには、石丸幹二が扮しています。
彼の舞台作品は、今年に入って『イノック・アーデン』『ニュー・ブレイン』に続いて3本目の観劇となりました。

真っ白なカンバスを前に苦悩する画家、ジョージ。
彼の苦悩から発せられる言葉と、このスティーヴン・ソンドハイムの音楽が、またマッチしています。

さて「ジョージ」とは、写真のように作品の題材である「グランド・ジャット島の日曜日」を描いた画家のジョージ・スーラのこと。
宮本亜門演出のこの作品のオープニングは、白いキャンバスに浮かぶ黒い人影が。
このモノトーンが、妙に胸に突き刺さります。
物語の舞台は、1884年のパリ。
ジョージと彼の絵のモデルであり恋人のドット(戸田恵子)の関係を中心に描かれています。
点描という手法で光と影を表す彼の絵画は、発表された当初は賛否量論を呼ぶほど斬新なものであったようです。
しかしその手法よりも、どう描くか、どう表現するかが一大事であることは言うまでもありません。
画家にとっては、日曜日は休息を意味するのではなく、モデルの恋人を公園で描くことを意味しています。
幸か不幸か、美しく活発で聡明な恋人にとっては、この時間を何よりも大切にしたいところ。
本来は動けないモデルの胸の内、その表現を楽しみました。

一方、画家の仕事ぶりの表現も巧みです。
ジョージの描き方は、11色の筆先にのった絵の具を指揮するように、色彩に強弱をつけてキャンバスに叩きつけていきます。

この「グランド・ジャット島の日曜日」は、彼ら二人にとって人生の転機と呼ぶのにふさわしいものでした。
その影響は、後世の子孫にまで及びます。
一見、蛇足のように思った現代に生きるひ孫ジョージの物語。
彼が、いえ彼を愛していたドットの、彼らの娘が残したかったのは家族と芸術
過去と現在は点と点ではないことが、強い想いで描かれていたように思いました。
 
作曲・作詞・スティーヴン・ソンドハイム、台本・ジェームス・ラバイン、演出・宮本亜門、
翻訳・常田景子、訳詞・中條純子、美術・二村周作、衣裳・黒須はな子、照明・中山安孝

※公演詳細は、パルコ劇場のサイトで。

(パルコ劇場にて)

☆)『SONDHEIM SUNDAY IN THE PARK WITH GEORGE ORIGINAL CAST RECORDING』CD
 オリジナル・キャスト盤
 

『七月大歌舞伎』夜の部(7/3-27)
7月の歌舞伎座は、泉鏡花作品が昼夜上演されています。
夜の部は、『天守物語(てんしゅものがたり)』。

その演目の前に、市川海老蔵が団七九郎兵衛を演じる『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』があり、夏の夜を鮮やかに彩っています。
昨年6月のコクーン歌舞伎でも上演されたので、ご覧になった方は多いのではないでしょうか。

今回も徳兵衛女房のお辰を中村勘太郎が、気風のいい姉さんぶりで艶っぽく見せてくれました。

海老蔵は、ふとしたことから舅を殺めてしまう団七の驚きと衝撃を、最後の最後まで役の情感たっぷりに芝居と芸で観客を魅了します。

ところで、浴衣の格子で「団七柄」と「徳兵衛柄」があるようですが、それはこの作品で義兄弟の契りを結んだ団七と徳兵衛それぞれオレンジとブルーの色違いの浴衣から派生したのだそうです。
歌舞伎が日常に存在していた、羨ましい話。イヤホンガイドからの知識です。

そして作・泉鏡花『天守物語』。

2006年の観劇の折りに知ったのですが、この作品は泉鏡花の存命中にどんなに鏡花が切望しても上演が叶わなかったのだそうです。

前回は、舞台となる城の天守の遥か上、三階席から観ていました。
薄暗い劇場内に仄かに浮かび上がる舞台は怪しく美しかったのですが、今回は舞台と同じ目線で天守の様子を観てみたい、そんな衝動にかられました。

1階席から観る舞台は、まるで天守の世界を覗き見しているような、そんな錯覚を覚えます。
天守の窓から、下界に糸を垂らして花を釣る腰元たち。
空を飛ぶ輿で遊びに来た亀姫(中村勘太郎)を迎える天守夫人富姫(坂東玉三郎)など、その美しさに見とれても見つかってはいけない、そんな緊張感を抱いていました。
こうまで神々しい場所なのだから、仕方なく天守に足を踏み入れた姫川図書之助(市川海老蔵)の覚悟には、納得がいくというものです。

もうひとつ、歌舞伎座の木の温もりが、客席と舞台の隔たりを感じさせません。
花道のスッポンを階下から天守へと続く階段に見立てるその演出が、歌舞伎座そのものが天守へと続いているような心持ちにさせるのでした。
この作品も「歌舞伎座の置き土産」の一つに数えたいと思います。

作・泉鏡花、演出・戌井市郎、坂東玉三郎、美術・小川富美夫、照明・池田智哉

※公演詳細は、歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

☆作・泉鏡花「夜叉ケ池・天守物語」岩波文庫
 


『新宿ジャカジャカ』~その日、ギターは武器になったのか~(7/11-21)
椿組の公演。
東京の新宿西口広場で、歌声で世の中を良くしようと活動していた人々を中心に描いたお話です。
1969年、JRがまだ国鉄で、もちろん郵便局もですが、民営化の兆しなど微塵もなかった時代。
新宿にあった段ボールの家々なんて、まだ存在していなかったどころか、そんな時代が来ることさえ頭になかった時代。
同時に機械化時代の始まりでもあったようです。
人々が不安になり始め、一斉にどうにかしようという想いが沸き起こったエネルギー溢れる時代であったのかもしれません。

舞台は深夜の新宿駅のホーム。
終電後にホームに取り残された人々。
彼らは、過去に、未来に、そして現在に、言いようもない不安と不可解を抱えた人々でした。
そこに突然、広場で集会を行っていたフォークゲリラと呼ばれる何千という人々が警察に追われ、その一部の人々がホームに逃げ込んできます。フォークギターを手にして・・・。
その夜、ホームの上に居る彼らが見たものは・・・。

当時の社会的な活動が背景にありますが、それは大きく変わってしまった現在から、変わろうとしていた頃にタイムスリップしたのに過ぎないのではないかと思いました。
様々な疑問や不満が渦巻き、現在への分岐点のような時代だったのかもしれません。
まるで不思議の国のアリスのごとく、深夜の新宿駅で悩める人々の前を、様々な「生き様」が、走馬灯のように駆け抜けます。
それを目の当たりにした、フォークギターを手にした人々は、そして行き場を失った人々は、何を決意するのでしょう。

これは過去という時代を借りた、現在の物語のように見えました。
フォークギターを手に歌う声の歌詞は、夢物語のように聞こえます。
歌声にのせて届けたかった想いを探る物語。
劇場ではなく、屋外の神社の境内という、叫べばすぐ外に届くこの場所が、彼らの想いを告げる力になっているのかもしれません。
何をすれば世の中がいい方向へ向かうのか、皆が幸せになれるのか。
日本にとっては、永遠の課題なのでしょうか。

参加の歌手2人組「唄奴」の美しく豪快な歌声に、どこか懐かしさを覚えます。

作・演出・中島淳彦、照明・沖野隆一、美術・加藤ちか

※「新宿ジャカジャカ」公演詳細は椿組公式サイトで。

(新宿花園神社境内特設ステージにて)

※写真は、劇場テント入口です。遠目には縁日かと思うほど賑わっていました。

※悩めるリーダーを演じる浅野雅博さんの「産直あさの通信」に、この舞台ができるまで、そして役者としての想いが綴られています。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。