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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
バレエ『コッペリア』(6/26,27,28,29,30)
新国立劇場には、まず演劇から、次にオペラ、そしてこの作品で初めてバレエを鑑賞するに至りました。
この道程の意外に長かったこと。

新国立劇場以外で観ることのあったバレエですが、今回は「ローラン・プティの振付」がカギとなりました。
演目は『コッペリア』。
新国立劇場のサイトには、この作品をローラン・プティが画期的な新演出と新振付で創り出し、1976年に国立マルセイユ・バレエ団に誕生したことが記されています。

さて、観る日を決めるのにも、オペラとは勝手が違いました。
まず主役のダンサーを誰で観るか選択しなくてはなりません。
新国立劇場のバレエは、メインキャストに海外で活躍する外国人のダンサーと、そして新国立劇場のバレエ団に所属する日本人のダンサーが複数います。
(ダンサーに関しては、こちら

コッペリア』に関しては、主役のスワニルダフランツだけでも、それぞれ4人のキャストの中から観る日を選ぶことになりました。
今回は新国立劇場だからという信頼の元、都合のいい日で決めました。

スワニルダは、本島美和。フランツは江本拓
そしてコッペリウスには、ルイジ・ボニーノのいうキャストでした。

本島のスワニルダは、表情豊かな踊りで観客を魅了します。
遠目でも、全身で表現するその姿に愛嬌が感じられ、茶目っ気のあるスワニルダそのものでした。

江本フランツは、女の子たちの羨望の的である役柄を、颯爽と演じています。そして、確かな技術と安定した踊りに魅力を感じました。

コッペリウスの役どころとして、スワニルダに寄せても叶わぬ想いを人形に託す滑稽さがありますが、ベテランのルイジ・ボニーノは見事に円熟した踊りでその儚さまでも見せてくれました。

バレエの場合は、オペラと異なり、上演中に字幕があるわけではありません。
ダンサーの表現力が全てです。
より興味深く鑑賞するためには、事前に物語を理解して臨む必要があると思いました。

それにしても、バレエのフォーメーションの美しさは格別です。
さらに、チケット代金がオペラほど高額ではないので、キャストを「見比べ」て「見定める」という楽しみがあるかもしれません。

振付・ローラン・プティ、音楽・レオ・ドリーブ
キャスト・
【スワニルダ】
 タマラ・ロホ、本島美和、寺島ひろみ、小野絢子
【フランツ】
 ホセ・カレーニョ、山本隆之、江本拓、八幡顕光 
【コッペリウス】
 ルイジ・ボニーノ、ゲンナーディ・イリイン

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 オペラパレスにて)


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オペラ『修禅寺物語』(6/25,26,27,28)
オペラの上演ですが、今回は新国立劇場の中劇場で行われました。

作詞、作曲も日本の音楽家による日本語のオペラは初めてでした。
演出は、歌舞伎俳優の坂田藤十郎です。

名人と言われる面作師・夜叉王に依頼した面がなかなか出来ないことにしびれを切らした源頼家が、自ら催促をしに夜叉王の家を訪ねることに端を発する執念と悲劇の物語。

観客の勝手な思い込みですが、さすがに歌舞伎俳優による演出だと思ったのは、源頼家を暗殺しようとする追手を倒した下田五郎景安の幕前の見え
そしてこれも最後の幕前になりますが、瀕死の娘の顔を写し取ろうと夜叉王が筆を取って描こうとするところの幕切れです。

そこから先の場面を、観客の想像力に任せる試みなのでしょうか。
日本の情景の舞台で、その幕切れが潔く美しいと感じさせる演出でした。

12月には、半蔵門の国立劇場で歌舞伎の『修禅寺物語』の上演もあります。
ジャンルを越えて作品を見比べる楽しみがあるのも、観客にとっての歓びだと思います。

日本語のオペラですが、歌にするとオペラの歌唱だと少々聞き取りにくいものです。
字幕が出たので、ストーリーを追いやすく、ゆったりと楽しめました。

原作・岡本綺堂、作曲・清水脩
指揮・外山雄三、演出・坂田藤十郎、美術・前田剛、衣装・宮永晃久、照明・沢田祐二

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 中劇場にて)

六月大歌舞伎『女殺油地獄』千穐楽
歌舞伎座さよなら公演、六月大歌舞伎昼の部

女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』の千穐楽です。

片岡仁左衛門河内屋与兵衛を演じる最後の姿を、瞼に焼き付けてきました。
前回は三階から、そして今回は大奮発して花道の真横からの観劇です。

与兵衛の登場に、観客は待ってましたの気持ちを込めて、割れんばかりの拍手を送ります。
三階席からは見ることのできなかった花道の与兵衛の表情に、油屋での惨劇が暗示されていたような、観客としてそんな深読みまでしてしまうほど舞台に引き込まれていました。

思えばこの作品、平成13年にえびす組のコンスタンツェに一幕見で連れて行ってもらったことがあります。
しかし、その時の与兵衛は市川染五郎でした。
なので、仁左衛門による与兵衛は、私にとっては今回が初めてです。
それがこの日の舞台で、「一世一代」最後になるとは、感慨深い。

観客は様々な想いを胸に観ていました。
だからこそ、花道を与兵衛が去って幕となってからも、誰一人として席を立ちません。
仁左衛門の役への想いから、舞台に戻って挨拶をすることは考えにくいのですが、それを承知で拍手が続けられました。
すると再び幕が上がります。
そこには先ほどの惨劇があった油まみれの店先と、倒れたまま動かないお吉(孝太郎)の姿が。
そして、幕。
観客の心の内に、逃亡する与兵衛の姿が甦ります。

その後、どんなに拍手をしても、二度とこの作品として幕が上がることはありませんでした。
歌舞伎座の、仁左衛門の、精一杯の感謝のような一コマでした。

※作品については、歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

『結婚』(6/20-7/5)
文学座のアトリエ公演です。

「アトリエに隣接する稽古場兼事務所(新モリヤビル)の建設期間中は吉祥寺シアターで行われていたアトリエ公演ですが、帰ってきたという印象以上に、やはりこの空間の自在感は凄いと思わせる舞台と作品作りがされていました。」

作品に、というよりもアトリエという空間が、観客の意識をも支配するようです。
先に述べたのは、作品については紹介しそびれてしまいましたが、4月に文学座アトリエ公演『』を観た時に感じたことです。

今回は、開演20分前から客席に座って、ずっと劇場=アトリエ内を眺めていました。
美しい空間です。
横長の対面式に設えられた客席に挟まれるように存在する舞台。
そこが湖畔の別荘という設定です。

入場時に、登場人物の詳細が書かれたチラシを渡されました。
そこには登場人物の名前とともに職業が記されています。

制作者、脚本家、俳優、批評家、そして演出家。

作品のタイトルこそ『結婚』ですが、この作品について言えば、それが「結び付き」という関係性のみを表している言葉ではないかと思いました。
上演時間1時間20分。
過去と現在と未来が、透き通った、あるいは見えない壁の隔たりだけで交錯しているかのように見えました。
ここで頼りになるのは、個々の人物の時の流れではなく、それを表す「言葉」。

登場人物に私たち「観客」が加わって、ここで語られる「言葉」が舞台の上で主張する、そんな想いをした作品です。
物語を追って、どれだけ、何を理解できるのでしょうか。
禅問答のような作品でしたが、このアトリエという空間だからこそ、「言葉」という存在が浮かび上がってきたように思いました。

文学座アトリエは、斬新でいて、心に深く刻まれる作品と出会わせてくれる稀有な劇場なのです。

作・松田正隆、演出・高瀬久男、美術・島次郎、照明・金英秀、音響効果・藤田赤目、衣裳・前田文子

※公演詳細は、文学座のサイトで。

(文学座アトリエにて)

『六月大歌舞伎』(6/3-27)
さすが、歌舞伎座さよなら公演です。

昼の部。
正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)』
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)角力場』
蝶の道行(ちょうのみちゆき)』
女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』

双蝶々曲輪日記』では、相撲取りの濡髪長五郎と放駒長吉を、松本幸四郎中村吉右衛門が、それぞれの芸で魅せる舞台となっています。
これまでに同作品を様々な役者で見ていますが、二人の間合いが作品に新たな味と解釈をもたらすことを知りました。
レパートリー制の歌舞伎の演目ならではの楽しみではないでしょうか。

そして『女殺油地獄』。
片岡仁左衛門が河内屋与兵衛を演じるのを、今回の歌舞伎座さよなら公演で最後と宣言しているので、その姿を瞼に焼き付けようと、連日贔屓が押し寄せて大盛況となっています。
与兵衛は若い放蕩息子という設定ですが、仁左衛門は役の若さを色香で魅せています。
そして最後は恩ある人に対して彼の弱さが狂気となって刃物を振り回す、美しさと残酷さの芸を堪能させてくれました。
この役を「一世一代」の演じ納めとして次の世代へと渡す、舞台の芸の限りある儚さが、いつまでも観客の心を捉えて放さない、そんな想いで見ていました。

27日に千穐楽を迎えるこの作品、観客として見納めに行きたいと思います。

※公演詳細は歌舞伎の公式ウェブサイトで。

夜の部。
門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)』『極付幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)「公平法問諍」』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)髪結新三』

門出祝寿連獅子
先日、朝日新聞の記事に「歌舞伎座の置き土産」と称されていた四代目 松本金太郎襲名披露で夜の部の幕が開きました。

2年前、金太郎は本名のまま2歳でお披露目と称して手を引かれながら舞台に登場しました。
その子が今度は役者として舞台に立つ記念すべき時です。
さらに襲名披露で口上までありました。

名だたる縁者が口々に立派な言葉で自分への祝の言葉を述べてくれる中、じっとしていられるのか、観客としてはそのことに気を取られてしまいました。
口上も終わり、いよいよ連獅子の舞になると、しっかり振りが体に入っている様子。
特に獅子の毛振りでは、一人前に毛を振る姿に、誰もが将来が楽しみに思い描いたことでしょう。
(初舞台に関する記事は、こちらの歌舞伎公式サイトで)

2階ロビーには、歴代の金太郎のデビューの写真が並んでいます。
それを見ると、お父さんの染五郎は6歳でデビュー、それより2歳も早く役者として舞台に立ちました。
さよなら公演期間中に、あとどれだけの役者が襲名するのでしょう。

髪結新三』は話が進むにつれ、新三(幸四郎)の悪者ぶりにだんだん気が滅入ってきたところ、新三の苦手とする家主長兵衛(坂東彌十郎)との駆け引きが、この作品の見所というだけあって、面白い。

※公演詳細は歌舞伎の公式サイトで。

(歌舞伎座にて)

『チェネレントラ』(6/7,10,12,14,17,20)
   

カサロヴァと言えば、ザルツブルグ音楽祭でも常連の、世界を舞台に活躍するメゾソプラノ歌手です。
初めてその歌声に魅せられたのは、オペラ『皇帝ティートの慈悲』(演出・Martin Kusej)。
セストという男性の役で出演していました。
過度に感情に流されることなく、毅然と歌い上げるその奥行きのある声に、多くの聴衆が魅了されました。

2007年に観たチューリッヒ歌劇場の来日公演の『ばらの騎士』では、こちらも少年の‘ばらの騎士’役。
メゾソプラノ歌手は、その音域から若い男性の役に配されることが多いようです。

メゾソプラノの女性役で有名なのはカルメンでしょうか。
どちらにせよ、力強さを感じさせる役となりますが、この『チェネレントラ』の(シンデレラに該当する)アンジェリーナも、その要素を充分に含んでいます。

2007年2月に行われたヴェッセリーナ・カサロヴァのリサイタル
その時のプログラムに、カサロヴァはロッシーニ作品を得意のレパートリーにしていることが記されていました。
この『チェネレントラ』もロッシーニの作曲によるものです。

これは灰かぶり、すなわちシンデレラ(ここではアンジェリーナ)の物語です。
継母ではなく、継父が二人の姉とともに登場します。
しかし、魔法使いやガラスの靴は存在しません。
王子は教育係の助言で、アンジェリーナの住む屋敷に、従者と衣裳を取り替えて様子を見にやってきます。
そこで互いに惹かれ合う二人。
継父は姉たちだけを連れて、舞踏会に出かけてしまいます。
王子の教育係の助けにより舞踏会に行くことのできたアンジェリーナは、真の姿に戻った王子と出会いますが、ここからが現実的。
自らブレスレットの片方を王子に渡し、もう片方のブレスレットが目印だから、自分を捜し出して本当の姿を見て欲しいと言い残して去るのです。

オペラの中でも「喜歌劇」とされるこの作品。
継父と姉たちの自信たっぷりな歌では、特に継父役のブルーノ・デ・シモーネが、そして王子の姿になった従者ダンディーニ役ロベルト・デ・カンディアの、時々の心情を表す歌の楽しいこと。

それにも増して、王子役のアントニーノ・シラグーザの歌声は絶品で、途中、ショーストップでアンコールが入るほど聴衆を魅了しました。
アンジェリーナ役でヴェッセリーナ・カサロヴァは言うに及ばず、彼女がこの新国立劇場のオペラパレスに登場したという喜びとともに、その歌声に酔いしれたのです。
アンジェリーナの姉クロリンダに幸田浩子が配されているのも贅沢で、見所満載のオペラとなりました。

演出・美術・衣裳を手がける「ジャン=ピエール・ポネルによるバイエルン州立歌劇場の名プロダクションの上演」は、美しさの中に斬新さがキラリと見える、素敵な舞台作品です。


作曲・ジョアキーノ・ロッシーニ、台本・ジャコモ・フェレッティ
指揮・デイヴィッド・サイラス、演出・美術・衣裳・ジャン=ピエール・ポネル

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 オペラパレスにて)

☆モーツァルト:歌劇『皇帝ティートの慈悲』(全曲)
録音:2006年2月26日、ミュンヘン放送管弦楽団、演奏会形式上演のライヴ・レコーディング
 

☆ロッシーニ:歌劇『チェネレントラ』(全曲)来日記念・最新盤
録音:2005年11月27日、ミュンヘン放送管弦楽団、演奏会形式上演のライヴ・レコーディング
 

☆マジック・オブ・カサロヴァ『オペラ・アリア・ベスト』
 

現代版『桜姫』(6/7-30)
2005年、コクーン歌舞伎で初めて観た演目が『桜姫』でした。
歌舞伎を観始めたばかりの自分にとって、
・イヤホンガイド無しで歌舞伎が観られる。
・斬新な舞台。
・歌舞伎への固定観念を覆すように豊かな感情表現。
これらの作品への身近な興味が、コクーン歌舞伎を毎年観ようと思うきっかけとなりました。

その同じ作品が、Bunkamura20周年記念企画として、6月は現代版、そして7月には再演で歌舞伎版がこのシアターコクーンで上演されるのです。
コクーン歌舞伎で魅了された観客は、同じ演出家による現代版の作品を観てみたい、という気持ちでチケットを買って劇場にやってきたのではないでしょうか。

その観客の感想を一言で述べると、「難しかった」。
これは、劇場のあちらこちらで観客の口から発せられていた言葉です。

コクーン歌舞伎のファンの多くは、先程述べた理由のように、わかりやすい作品に魅力を感じていたのだと思います。
しかしここで観たのは、人気の俳優を配し、奇抜な舞台機構で、歌舞伎版『桜姫』とは時代も場所も異なる設定の、誰が何に扮して、どのくらい時が経過したのかもわからない情景でした。

現世と前世の話が入り混じった物語ではあるのですが、コクーン歌舞伎ほどその違いが見えなかったことが、観客を混乱させてしまったようです。
串田色に染まったその舞台作りに統一感はあるものの、結果的にはストーリーはおろか、作品の主題を掴むことも困難な世界に観客を陥れたのです。
これがネライ、と言われてしまえば・・・。

もちろん、7月のコクーン歌舞伎桜姫』も楽しみに観に行きます。

原作・四世 鶴屋南北、脚本・長塚圭史、演出・串田和美、美術・松井るみ、照明・齋藤茂男、音響・市来邦比古、衣裳・大田雅公

※公演詳細は、Bunkamuraのサイトで。

(シアターコクーンにて)
『不条理コント傑作8~10篇!』(6/6-9)
企画・構成・藤原新平

私が初めて文学座の芝居を観たのは、作・別役実、演出・藤原新平の『ハイキング』です。
不条理劇というものがどんなものだかわからず、ただひたすらに真面目な主人公が煙に巻かれていく様に、言いようもない儚い魅力を感じていました。

今回は文学座の通常の本公演やアトリエ公演とは異なる、まったくの自主企画公演だそうです。
藤原新平と言えば、知る人ぞ知る、いや演劇界では大変高名な演出家です。
それでもこの劇団でコントを企画してしまうあたり、文学座というところは懐が深い。
さらに演劇界の重鎮であるにもかかわらず新企画に挑戦する方も凄い。

キャストは準座員の若手からいぶし銀の俳優まで、これも劇団の層の厚さが物言う舞台となりました。

コントの作者は、いとうせいこう、ブルースイカイ、別役実など、年齢に関係なくバラエティに富んでいます。

アンケートには、どれが面白かったか、なんていう項目まであるのですから、観客としては審査員のような気持ちで客席に座っていました。

ここで考えさせられたのは、コントとは何ぞや。
作品によっては、観ていて笑ってしまうもの、全部観て後味が面白かったと感じるもの、辛辣すぎて笑うに笑えないブラックユーモアもの、など、一口では表現できない奥深いものだということを痛感しました。

テレビでは、お笑い芸人のコントや、某局のサラリーマンなんたらみたいな番組も大流行りですが、舞台の上で演劇として上演されるコントからは、笑いだけではなく、作者の意図まで見え隠れしています。
特筆しなければいけないのは、これが「不条理コント」であることですが。

今回が初企画で、俳優陣も少々緊張気味。
企画が面白いという段階ですが、できることなら間を置かずに、第二弾、三弾と継続して見せて欲しいと思います。

この公演は9日まで。
日によっては終演後に〔新進劇作家+別役実〕×役者によるアフタートークもある画期的な企画です。
私の観劇回にはアフタートークはありませんでしたが、役者との交流会が催されており、個人的に知りたいあのコントのあんなこと、こんなことを聴くことができて、これまた実り多い観劇となりました。

(新モリヤビルにて)

新橋演舞場『NINAGAWA 十二夜』(6/7-28)
凱旋公演と銘打った『NINAGAWA 十二夜』の幕が、東京は新橋演舞場で開きました。

初演再演と上演されてきた今回は、ロンドンバージョンということで休憩も1回、二幕ものになります。
とは言え、ロンドンではなかった花道があるので、奥行きのある舞台で、たっぷりとセリフを聴くことができます。
劇中で聞かれる英語のセリフも、ほとんどがロンドン公演通りなので、お楽しみに。

機会があるごとに作品を鑑賞してきたわけですが、この新橋演舞場の公演で、私自身の中で作品を受ける印象が変わったことに驚きました。

初日の舞台。
印象的だったのは、織笛姫(中村時蔵)が獅子丸(尾上菊之助)に初めて恋をしたと気付く場面です。
兄の死を理由に、頑なに大篠左大臣(中村錦之助)の求愛を拒み続けていた織笛姫が、左大臣の使者獅子丸、実は琵琶姫が扮する男の姿なのですが、彼に恋をした瞬間の胸の高鳴りと喜び、我に返って状況を案じる切ない気持ちが、手に取るように胸に響いてきました。

傍から見ると、こう見えますか。
織笛の嬉しそうな振る舞いを見て、複雑な状況ではありますが、いつしか恋が成就することを願わずにはいられませんでした。

ここでさらにパワーアップした登場人物が、織笛姫の女中の麻阿(市川亀治郎)です。
頭脳明晰でありながら、女性として日常に見せる仕草がどうも気になります。リアル過ぎて、女性の立場では指を指して笑うわけにはいきません。
麻阿の所作から、性格までわかってしまうほどの役者の研究ぶりには頭が下がります。

琵琶姫、織笛姫、そして麻阿。
様式と、新しい発想の上に存在する歌舞伎の女性たち。
共感できる部分が多いのが、現代の歌舞伎なのだと受け止めました。

このロンドンバージョン、従来の三幕から二幕となり、会話の運びも軽快に、観ていて集中力が途切れることがありません。
菊五郎、菊之助による早変わりの芸は、異なる人物でありながら、その感情の切り替えも見所であると思います。
女形の、女性の華やかなパワー溢れる元気な舞台を存分にお楽しみください。

※公演詳細は、歌舞伎公式サイトで。

『NINAGAWA 十二夜』公式サイトには、ロンドン公演の写真が満載です。

(新橋演舞場にて)

『女信長』(6/5-21)
残念ながら、理解に苦しんだ舞台でした。
原作は分厚い小説。
これが舞台化されるとは、どんなものなのだろうかと案じていました。
芝居、というよりは、ショーと捉えた方がすっきりするかもしれません。

名だたる役者が芸を持ちよって披露する、そんな楽しみ方がありました。

しかしそれが仇となり、役者任せの統一感のない作品の印象を受けたことは否めません。
舞台の役者は一生懸命、だからこそ、作り手にその本意を問いたいと、観客の立場で思います。

信長は実は女だった。
扮する黒木メイサは踊りも殺陣も魅力的な、大きな可能性を見せています。
対する明智光秀役の中川晃教が脇から歌で応戦します。
舞台いっぱいに動き回る若手の役者の奮闘ぶり。

だからこそ、の苦言です。

原作・佐藤賢一、構成・演出・岡村俊一、脚本・渡辺一徳、音楽・からさきしょういち、美術・川口夏江、照明・松本克明、音響・山本能久、殺陣・清家利一、衣裳・山下和美

※公演詳細は、公式サイトで。

(青山劇場にて)

☆作・佐藤賢一「女信長」毎日新聞社刊
 この舞台の原作です。