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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
ミュージカル『異国の丘』千穐楽
劇団四季の「昭和の歴史3部作」、『李香蘭』に続いての上演は『異国の丘』です。
『李香蘭』同様に初演を観て以来のことでした。
九重秀隆役には、今回は荒川務が扮します。

1937年、アメリカ。
日本の首相の息子である九重秀隆は、アメリカの大学に留学中、パーティーである娘と出会い、二人は恋に落ちました。
実は、欧米の諜報機関によって、二人の出会いは工作されたものでした。
秀隆の相手は、当時、日本の敵国であった中国の高官の娘、宗愛鈴(木村花代)。
その頃、日本が中国の上海を攻撃との一報が入り、秀隆は日本へ呼び戻され、愛鈴も上海へと帰国します。
しかし、中国との和平を望む秀隆の純粋な想いは、本人の知らないまま、またもや世の思惑に左右されるのでした。

この作品は、史実にもとづいたフィクションです。
シベリアに抑留されていた作曲家・吉田正の「異国の丘」の楽曲を中心に、そして世の中の動きを背景に、戦争で翻弄された人々の生きざまが描かれていました。

さて舞台は、日本の敗戦の末にシベリアに抑留された秀隆ら日本人兵士たちの辛い現実が秀隆のアメリカでの恋の行方と交錯して、物語は進行します。
時代としては、ちょうど『オットーと呼ばれる日本人』と背景をダブらせて観ていました。
近衛首相の傍らで日本を救おうと画策した尾崎秀実と、『異国の丘』で首相の息子の画策した和平工作。
大きな視野で日本を見つめた人々にとって、何が日本を破滅に導くのかは周知のことでした。

この作品では、戦時中の政治と報道のあり方が非難されています。
ミュージカルという枠の中で、もたらされた悲しい結果を象徴するようにその旋律が響き、日本人の忘れてしまった心と、繰り返されているように思える政のあり方を目の当たりにしているように思いました。

その事実に私たちは目を背けてはいけない。繰り返さないために。

作品からは、そんな叫びが聞こえてくるようです。

7月13日からは3部作最後の作品のミュージカル『南十字星』が始まります。

※ミュージカル『異国の丘』の公演は終わりましたが、作品については劇団四季のサイトで。

(四季劇場 秋にて)

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綾戸智恵デビュー10周年記念ツアー
場所は神奈川県民ホール。
綾戸智恵のLIVEに、総勢100名のゴスペルのバックコーラスが参加して、彼女のデビュー10周年記念のLIVEツアーを盛り上げています。
コーラスのメンバーは、会社員や主婦など、いわゆるゴスペルを自分たちの生活で楽しみながら歌っている方ばかりだそうで、参加している友人の晴れ舞台を見るためにホールへと向かいました。

綾戸智恵のライブも初めてでした。
とにかくステージと客席との距離を感じさせない、聴衆を自分に集中させる力に驚きました。
オープニングは、ゴスペルのコーラスをバックにピアノに向かう綾戸が歌いますが、常にその中心に彼女の存在を感じさせる、その歌唱に心地良ささえ感じます。
そして彼女を支えるバンドメンバーとの関係も。
曲を進めていくうちに、奏者を茶化しながら語りかけるのですが、その言葉には彼らを敬う姿勢が感じられ、温かい空気がステージを包んでいます。
彼女がいて、バンドがあり、そして彼女が歌い、聴きにくる聴衆がいる。
その相互の関係を、ステージの上の彼女も、聴衆も、互いが互いを盛り上げるLIVEの醍醐味として伝わってきました。

「四十路で始めて10周年」「私はレコードじゃなくてCDデビューなんですよー!」
と、恥ずかしそうに、そして得意げに語る彼女を見て、何をするにも諦める時なんてないことを聴衆は感じ、魅了する歌声は彼女の生き方そのもののようでした。
彼女の歌の表現は、「なりきる」と本人が言うとおり、この歌の時はこんな自分のつもり、この歌ではここにいるつもり、だそうで、客席に向かって「どこに行きましょう?」と言って、歌で私たちを様々な場所に誘ってくれました。
彼女の歌を聴いていると、なんでしょう、自然に体を動かしてリズムをとっている自分がいる。
オチのあるトークを聴く楽しみはもちろんのこと、音楽の心地良さを自然に感じさせてくれる歌唱が、そこにありました。

横浜では2日間のみ。
7月は25、26、27日の3日間、東京国際フォーラムの「一番大きいところですよー!」のホールAで行われます。

(神奈川県民ホール 大ホールにて)

※写真は、神奈川公演のチラシより。

☆綾戸智恵“LIVE! the BEST”CD(6/25発売)
 綾戸本人が、「私の歌が聴きたくなったら、便利なものがあるんです」と
 LIVEで言っていたCD。
 

『混じり合うこと、消えること』(6/27-7/6)
シリーズ同時代(新進作家と異世代の演出家のコラボレーションシリーズ)第2弾の作品です。

夜の公園。
葬式帰りの中年のサラリーマンの「男」が公園に足を踏み入れた時、そこに居たのは彼の妻のような「女」と息子のような「少年」。
そこから彼らの関係が始まりました
ぐるりと遊具のまわりに縄を置いて、その内側を「家」としたその光景は、誰が見ても「ごっこ」遊びです。
娘のような「少女」の存在も加わり、さらに彼らの作る状況がもどかしく、その罠のような会話に観ている私自身が抵抗しているのを感じていました。

しかし、突然、揺さぶられるような衝撃に襲われました。
この芝居は、不条理と呼ぶにはあまりに現実的で、身近なものに感じられます。
もしかすると、最近はどの家庭にも存在する「家族のテーマ」であるかもしれません。
登場人物たちは、漠然とですが、自分たちに「ある何か」が足りないことに気付いています。
そして、その「ある何か」を見つけようとしている空気がその場所を支配しているように感じてきました。
こんな感じか?これがそうなのか?
そんな努力をする彼らの姿は、健気に見えました。

舞台では一晩にも満たない時間の中で、揺り籠から墓場まで、人生における家族のかかわりの「要点」をかい摘まんで見せられたような、そんな衝撃を受けました。
芝居の上演時間にしても、たった1時間20分。
現代の日本の「あるテーマ」を模索したような作品に、心を大きく揺さぶられた想いです。
タイトルにこの芝居の意図が集約されているような、心憎い作品です。

どこにでも居そうな「男」を國村隼がリアルに描き、どこにも居そうにない透明感のある「女」を南果歩が見せることで、観客はその問題とだけ向き合えたような気がします。

作は、五反田団公演全ての作・演出を担当する前田司郎(プログラムの紹介より)。

作・前田司郎、演出・白井晃、美術・松井るみ、照明・齋藤茂男、衣裳・宮本まさ江

※公演の詳細は、新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 小劇場にて)

※この作品を含む、シリーズ作品の台本をロビーで販売しています。

 写真は、プログラム表紙。ここにも作品のヒントが。
『新薄雪物語』一幕見(6/3-27)
歌舞伎座昼の部、一幕見で観たのは『新薄雪物語』序幕の「新清水花見の場」。
幸崎家の息女の薄雪(芝雀)は、腰元を大勢従えて桜満開の清水寺に花見にやってきました。
このお姫さまが花見をそっちのけで想うのは、まだ見ぬ許婚のことばかり。
その想いを詠んだ短冊を、姫を案じる腰元・籬(福助)が、想い人の目に留まるようにと桜の枝に結びます。

舞台では腰元がずらりと左右に並び、渡りゼリフで状況を語ります。
そこへ野太い声が聞こえました。腰元ばかりの登場なのに、何事でしょう?
種明かしをすると、上手側に並ぶ腰元連中は、普段立役(女方でない男性の役)を専門とする役者が扮するのだそうで、ここではその武骨さが面白味のある、すなわち観客を笑わせる役どころとなっているのだそうです。
人違いをしたりと、何かと問題のある腰元連中ですが、誰がこの後に続く陰謀渦巻く展開を予想するでしょうか。

さて、互いの家臣(福助、染五郎)の苦労の甲斐あって、ようやく左衛門(錦之助)と恋仲になった薄雪姫、そして薄雪姫が送ったナゾかけの艶書。
しかし彼らの知らないところでは、左衛門を陥れる企てがこの時既に動き出していました。

さて、序幕の終わりには大きな見所があります。
左衛門の家臣の奴妻平(染五郎)を取り囲む大勢の柄杓を持った奴たち。
15分はあったでしょうか、美しい型を作りながらの迫力ある立廻りが、染五郎を中心に繰り広げられました。
そして幕外、花道の揚幕への引っ込みが、また凄いのです。

序幕は華やかにここで幕となりますが、お時間の許す方は、せっかくの通し狂言なので、最後まで観ていただきたいです。
歌舞伎に詳しい方に言われました。
この作品は、最終幕のために全てがあるようなものなのだと。
微笑ましい恋愛も、吹き出すほどに面白い腰元たちの登場も、華やかな立廻りも。
富十郎、芝翫、吉右衛門、幸四郎と役者が揃った贅沢だけではない深みのある舞台をどうか見届けてください。

27日まで。

※公演詳細は歌舞伎の公式サイトで。
 一幕見の情報はこちら

(歌舞伎座にて)

『かもめ』(6/20-7/12)
作・チェーホフによるこの作品は、喜劇四幕と戯曲に記されています。
登場人物の誰を見ても人生を悲観しているように思えることから、かねてより「喜劇」の意味を理解仕切れない自分を恥じ、作品の奥深さに感じ入っていたものです。
文学的には、流れるように進行するその日常にこそ喜劇的な意味が込められているのかもしれませんが、栗山演出では人々が発するその言葉、そのものに喜劇的な要素が込められていました。

トレープレフ(藤原竜也)が恋人のニーナ(美波)に演じさせた作品について笑ったのは、アルカージナ(麻実れい)だけではありませんでした。
茶化すアルカージナや、制する人々を見て、観客は笑います。
ちょっとした会話のすれ違いが滑稽に見える、と言った方がいいでしょうか。
その中でも、メドべジェンコ(たかお鷹)やマーシャ(小島聖)は、自由に生きることも、笑われることもない絶望と隣り合わせのその必死な生き方が辛辣に感じられました。
そしていつも冷静な医者ドルン(中嶋しゅう)、彼だけが人としての接し方を心得ているようにその眼差しに心打たれます。(2004年にtptで上演された「かもめ」でも中嶋しゅうが同役を演じていました)

ここでは美しい若者たちの愛だの恋だのという夢物語は、ほんの一瞬の出来事に過ぎません。
しかしその美しい瞬間でさえ、アルカージナが笑い、蹴散らしているように見えました。
まるでお金を持つアルカージナだけが強く、名声を持つトリゴーリンだけが自由に振る舞うことが許されているかのようです。

最愛の息子を失うことに気付かないアルカージナをあざ笑うかのように、現実に目をつぶって過ごすことが喜劇であり悲劇なのでしょうか。
流れるように過ぎる日常を題材にした作品は、実は奥底に潜む陰に感情が渦巻いているように思いました。

さて、『かもめ』という作品の舞台で密かに楽しみにしているのは、一幕でが舞台のどこに位置しているかということです。
ある舞台では、手前に広大な湖が水まで張って作られていました。
その次に観た舞台は、舞台の向こう側にあるという設定でした。
それはトレープレフの寸劇がどこで上演されるかということでもあります。
それぞれ意味があると思うので、演出家にその意図を尋ねてみたいという欲求にいつもかられるのです。

作・アントン・チェーホフ、演出・栗山民也、翻訳・沼野充義、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、衣裳・前田文子

※公演詳細は赤坂ACTシアターのサイトで。

(赤坂ACTシアターにて)

※この後、大阪、広島、愛知で上演されます。

☆「すばる 2008年 07月号」
 今回の舞台作品の訳・沼野充義の「チェーホフ かもめ」を掲載しています。
 

☆作・チェーホフ、訳・小田島雄志「かもめ」白水Uブックス
 

浅野孝巳×中川晃教『SHAMPOO』(6/17-18)
昨年は俳優としてその演技と歌声を楽しませてくれた(『TOMMY』『エレンディラ』『モーツァルト!』)中川晃教ですが、今年は音楽を中心に活動をしているようです。
六本木の片隅から発信する、たった2日間のLIVEをここで取り上げようと思ったのは、彼のその姿勢にありました。

ミュージカルの舞台に立つ彼を観たことがあれば、誰もがその類い稀なる美しい歌声を忘れることができないでしょう。
そんな中川のLIVEは、歌声を披露するだけでも聴衆は満足すると思うのですが、シンガーソング・ライターであることが根底にある中川からは、クリエイティブ=創造的な仕事で自身の考えを表現したい、という想いがひしひしと伝わってきました。
早熟な才能の持ち主であった彼は、これまでに自身の年齢を越えた大きな視野の、そして見つめる心を誠実に歌う楽曲を、数々と生み出してきました。
それを集めて披露するだけでも(例えば2005年12月の『WHITE LIE』と題したLIVEなど)、聴き応えのあるLIVEができると思うのですが、今回は全てを新曲と新しいスタイルの楽曲で臨んでいました。

LIVEで演奏する楽曲のリストをwebで事前に公開(アンコールって書いてあるのが彼の素直な人となりを象徴するようで面白い)、そして聴衆にとっては初めて耳にする楽曲が続きます。
中川は現在25歳。
彼が新しく出会う音楽のスタイルは、年齢を重ねた世代には懐かしく聞こえるところが皮肉に思えるのですが、この違和感が次のステージを作っていくのだなと、その姿を見守りたい心境になりました。

演出家のイメージ通りに役を生きる中川を先に知り、舞台に立つその姿をもっと観たいと思っていましたが、今日の彼からは、モノとはこういう気持ちで作るものなのだ、そういう気持ちが伝わってきます。
大勢の人々の共感を得るものではないかもしれませんが、その想いが聴く者の心を動かす、そんな感動もあるのだと思いました。

歌と演技の類い稀なる才能に甘んじず、いえ、それは彼にとっては既に備えるものだから、その先を見つめることができるのかもしれません。
好きも嫌いも聴衆にとっては複雑な想いのLIVEでしたが、自身の想いを表現しようと試みる彼の精神にエールを送ります。

※その発想の原動力を探れるかどうか、中川晃教による「終らないblog」。

(スイートベイジルにて)
『六月大歌舞伎』夜の部(6/3-27)
さて、新橋演舞場で『婦系図』を観たあとに向かった先は、歌舞伎座でした。
面白いもので、今月は銀座界隈で‘新派と旧派'が一度に観られます。
到着すると、先ほど演舞場で見かけた大向こうさんも、同じく歌舞伎座の3階にスタンバイしていました。

の部の演目は、『義経千本桜 -すし屋-』『新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)』『生きている小平次』『三人形(みつにんぎょう)』。

義経千本桜
この「すし屋」の段は、平家滅亡後に使用人の姿で身を隠す、実は平維盛の、使用人として、そして素性を知る人の間での品格のある立ち振る舞い、それが楽しみでもあります。
そして親に感動されている‘いがみの権太'の母親へのねだる様子の滑稽さは、吉右衛門ならではの憎めないやんちゃな大人ぶりが、後のぶっかえり(悪人が善人に戻るということ)という手法へうまく導かれていました。

身替座禅
一晩、座禅の修行をするから一人にしてくれ、と奥方に頼んだ主人が、座禅を家臣に任せて浮気に出掛けている時に、奥方が様子を見にきて浮気がバレる、という話をコミカルに描いた作品です。
先程まで新橋演舞場に出演していた片岡仁左衛門が山蔭右京を、市川段四郎が奥方を、そして中村錦之助が太郎冠者を演じます。
主人が浮気から戻って、その一夜の出来事をうっとりとして太郎冠者と思って実は奥方に語るところは、とても滑稽です。
そして、仁左衛門の一挙手一投足に場内からは笑いが起こります。
生き生きとした『身替座禅』に、観客の視線を一身に集める仁左衛門の人気のほどが伺えました。

生きている小平次
わずか31才で亡くなった鈴木泉三郎の怪談話です。
幕が上がると、霧の立ち込めた湖の上に浮かぶ舟。
そこでは太九郎(幸四郎)と小平次(染五郎)が糸を垂れて釣りをしています。
3階席から見下ろすその様の美しいこと。
友人同士のはずが、太九郎の妻を自分にくれと小平次が言い出したことから争いとなり、ついに太九郎は小平次を殴り殺してしまいました。
しかし家に帰ると血だらけの小平次治が太九郎の妻のおちか(福助)に、太九郎を殺してしまったから二人駆け落ちしようと持ちかけます。
そこへ帰った太九郎。もう一度、今度こそと小平次を殺しますが、どこに行っても彼の気配を感じるという、終わりのない恐怖のうちに幕。
ちょっと早い怪談話ですが、福助が演じる女の強さが笑いを誘って、それを見て我に返り、現実の女の怖さも感じました。

三人形
奴(歌昇)、傾城(芝雀)、若衆(錦之助)が扮する人形が踊りだします。
芝居と同じ白塗りでも、メイクと衣裳でこんなにかわいらしい人形になってしまうのですから。
ホッと一息癒されるような明るい舞踏で、幕となりました。

※公演詳細は歌舞伎の公式サイトで。

(歌舞伎座にて)

コクーン歌舞伎『夏祭浪花鑑』(6/10-29)
この渋谷で上演されるまでに、『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』は5月にドイツやルーマニアで上演されていたというのですから、平成中村座の打つコクーン歌舞伎の演目も国際的になったものです。
この作品は、2003年にコクーン歌舞伎として登場していますが(この時の再演もニューヨークで上演されたそうです)、演出にだいぶ‘進化'したところがあるようです。

さて、開演前に、もう出演者が客席内を練り歩き、ハッピを着てウチワを持った人々が2階、3階から顔を出して、祭りを目前にした気持ちの高ぶりを感じさせてくれました。

物語は、ようやく刑を終えて、家族の顔が見られると喜ぶ団七九郎兵衛(勘三郎)。
ひょんなことから固く兄弟の契りをかわす九郎兵衛と徳兵衛(橋之助)。
この二人を中心に、江戸の時代を粋に生き抜く人々の関係が見え隠れします。
恩ある人の好きな女を売り飛ばそうとする舅・義平次(笹野高史)を諌める九郎兵衛ですが、言うことを聞かぬ舅をついに殺めてしまい、逃亡の身となってしまいます。

夏祭りのだんじり囃子が鳴り響く中、そのダイナミックな逃亡が見所となるこの作品。
あっと言わせる演出はお手の物の平成中村座のコクーン歌舞伎ですが、今回の古典的な舞台の手法と新しい発想が融合した演出には、古典の歌舞伎ファンも思わず唸ることでしょう。

公演期間の中日の20日から、一部キャストが入れ替わります。
特に徳兵衛女房お辰の役は勘太郎七之助が入れ替わり、それぞれの芸の解釈を楽しむことができます。
私が観た勘太郎のお辰は、気風のいい姉さんの風情をしっとりと見せてくれました。 

演出・美術・串田和美

※公演詳細は、歌舞伎の公式サイトで。

※来月は、串田和美が芸術監督を務めるまつもと市民芸術館でも公演が行われます。(7/5-13)

(シアターコクーンにて)

※写真は、6月15日まで劇場入り口でお客様を迎えていた、今をときめく「くいだおれ太郎」。

6月歌舞伎鑑賞教室『神霊矢口渡』(6/1-24)
3月の歌舞伎鑑賞教室歌舞伎へのいざない以来の鑑賞教室です。
いつも楽しみにしているのは、19時開演となる「社会人のための・・・」で、この6月は13日と21日になります。
会社の帰りに充分間に合う時間帯、そしてチケットの価格も魅力的。
1、2階席は1等・3,800円、そして3階席の2等は1,500円。
解説の後、休憩をはさんで有名な一幕が上演されます。

まず、本日解説を務める坂東亀寿が、回る舞台の上を、上下するセリに乗って颯爽と登場します。
雷鳴のように賑やかな音、そしてこのダイナミックな仕掛けは、どこかで見たような・・・今年1月にこの劇場で、尾上菊五郎が風雲に乗って堂々とした姿を見せた通し狂言『小町村芝居正月』での一場面でした。
セリと回り舞台だけで、こんなにも幻想的な演出ができるのかと、改めて感心しました。

そして客席から選ばれた観客が二人、女方の歩き方、雷鳴や雪を表す大きな太鼓を打ち鳴らすなどの実演を行い、最後はセットの船に乗って花道を行くという、貴重な体験をして解説の亀寿とともに幕の向こうに消えて行きました。

そして次なる解説者は平賀源内(に扮した俳優)。
「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣も源内の発想によるものなら、今月の演目『心霊矢口渡』も彼の筆によるものです。
作者の福内鬼外とは、源内のペンネームなのだそうです。

そんな源内の作品は、「頓兵衛住家の場」一幕ではありますが見所が満載。
先程解説してくれた亀寿は、見目麗しい美男子の役そのままに毅然とした二枚目の新田義峰として登場。
2006年12月に菊之助が初役で演じたお舟という田舎の純粋で真っすぐな心の娘には片岡孝太郎が扮し、複雑な娘心の胸の内を情緒豊かに見せてくれました。
孝太郎のお舟、じっくりと心に刻まれるような感動がありました。

今回の舞台では、義太夫の語りが字幕で表示されるなど、短時間に歌舞伎の作品の構造を知ることができるようになっています。

※公演詳細は国立劇場のサイトで。

(国立劇場 大劇場にて)

『鳥瞰図』(6/11-22)
昔は辺りで美しい浜が見られたという、浦安の釣り船宿が舞台。
そこの女将(渡辺美佐子)と、今は息子の茂雄(浅野和之)が船長として切り盛りする家には、昔なじみの近所の人々が集います。
ちょうど息子の世代の彼らの話に耳を傾けると、浮気が奥さんにバレて夫婦仲が上手くいかないとか、両親亡き今は小学生の息子を置いてダンナと別れた姉と暮らす弟など、親しい間柄でしかできない話がここでは日常の会話となっていました。
当事者にとっては、それが彼らの日常です。
悩みは分かち合うことによって心の負担が軽くなるのかもしれません。
人と付き合うとはこういうことか、と彼らのご近所付き合いを見て思いました。

一人暮らしの老人の家に、食事はどうしているかとタッパーに夕飯を詰めて訪ね、また会社から帰った彼らにおかずの足しにと、心を配るのは女将の佐和子。
翌日には洗ったタッパーを返しに、彼らはまたその家にやってくる。
そういう関係は積み重ねなんだと実感している自分は、既に現代の病にかかってやしないかと心配になりました。

さて、そこに佐和子の孫のミオ(野村佑香)が突然現れます。
家を飛び出したきり音信不通だった長女の娘。佐和子の初めて見る二十歳の孫の顔に、何か過去がありそうな張り詰めた空気が流れます。

この作品には様々な人間関係が存在していますが、きちんと折り合いがついているものには、どんな関係であろうと前向きな結果があることに気付かされます。
これを‘向き合う’と言うのでしょうか。
新たに生じた関係と向き合うのには、誰かが勇気を出して踏み出さなければ始まらない。佐和子とミオ、果たしてどちらがそのきっかけを作るのでしょう。
この作品には、今の時代の人間関係における処方箋のような感銘を受けました。

さて、帰る途中、耳にした会話です。
「今の新劇は、変わったわね。
 本音がずばずば出ていて。
 そして主人公が独りよがりじゃないのよね。特に今日のは。」
とは、渡辺美佐子くらいの女性たちの談です。
本音が心に響いた、ということでしょうか。
常々作品ときちんと向き合っていると感じる松本祐子の演出です。

鳥瞰とは、鳥が空から見おろすように高い所から広範囲を見おろすことです。そして鳥瞰図とは空から見おろしたように描いた図のこと。
作者は、早船聡、37才。
きっと前述のおば様方も、作者の年齢にしてこの世界観に恐れ入ったことでしょう。
この本音は、作者の知る真実なのか、はたまた世の出来事を遠くからじっと見ていた彼の憧憬なのか。

この作品を筆頭に、写真のようにあと2作品が、シリーズ同時代(新進作家と異世代の演出家のコラボレーションシリーズ)として上演されます。

作・早船聡、演出・松本祐子、美術・島次郎、照明・小笠原純、衣裳・前田文子

※公演の詳細は、新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 小劇場にて)

※この作品の台本を劇場ロビーで販売しています。

☆この公演の出演者である浅野雅博さんのブログ「産直あさの通信」。
 舞台俳優のお仕事が気になって、日々読んでしまいます。
 よく行くページにブックマークしました。
 キャラメルボックス『俺たちは志士じゃない』(2006年)にも出演。