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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
作・有吉佐和子、演出・戌井市郎。

2007年12月に十二月歌舞伎で上演された演目が、シネマ歌舞伎として上映されました。
見逃していたので、これ幸いとばかり、早速、観に行きました。

初めて観るシネマ歌舞伎は、テレビで観る劇場中継とは全く違います。
劇団新感線で「ゲキシネ」という舞台作品を映画館で上演するシリーズがありますが、趣向としてはその歌舞伎版というところでしょうか。
登場人物の表情は作品の演出と相俟って捉えられ、映し出されます。

大写しにされるスクリーンで、歌舞伎の舞台の上でこんなにも細やかな演技が行われていることに感心することでしょう。
時代に翻弄される女たちの、そして玉三郎の人情あふれる芸者お園の一言ひと言に、その生き方を見ては笑い、涙することでしょう。

もちろん、生の舞台を観たいという欲求はありますが、特等席で作品に集中できる、この快適さは格別でした。

※公演詳細はシネマ歌舞伎のサイトで。
 上の写真は、プログラム(600円)

(東劇にて)

☆作・有吉佐和子ふるあめりかに袖はぬらさじ」中公文庫

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『オットーと呼ばれる日本人』(5/27-6/8)
1930年初頭、上海。
ジョンスンと呼ばれるドイツ人・リヒャルト・ゾルゲとオットーと呼ばれる日本人・尾崎秀実との出会いが全ての始まりなのでしょうか。
ここにも太平洋戦争開戦前の日本を知る作品がありました。

作・木下順二、演出・鵜山仁
この舞台では、「音」の存在が効果的です。
冒頭の爆撃音は、その音だけで背筋の凍るような不安を感じさせました。
そして舞台の上には、そこが上海のレストランであったり、日本の家の一室であったり、事務所であったり、その隔たりのないない家具のセットが回ります。
それはまるで、国境を越えた彼らの活動を象徴するように開け広げなものとして映りました。
世間では、今の日本という国を目覚めさせるには、一度崩壊しなければだめだと言われる中、ここではオットーと呼ばれる男、尾崎は民が血を流すことは避けなければいけないと、模索し、活動を続けていきます。

彼の活動の詳細は、ここでは明らかにされていません。
日本の民を守るためでありながら、諜報部の関係者以外は、まるで彼にとっては敵であるようなこの状況はなぜなのでしょうか。
この作品からは、ここでは描かれていない彼らの計画が思うように進まなかったその理由を私たち観客が探る作業が残されているように思いました。
まだそんなに遠くない昭和という時代に何があったのか、そしてどうやって現在の日本が出来上がったのか、近代の歴史を紐解くと、これからの日本の進む道が見えてくるのかもしれません。
年代と事件の名前しか覚えてこなかった子供時代のツケが、今回ってきたように思われる今日この頃です。

尾崎を演じた吉田栄作
2006年に『やわらかい服を着て』(作・演出・永井愛、新国立劇場 小劇場にて、観劇録はこちら)で初めて彼の舞台を観て以来、彼が培ってきた全てが役として発揮できる作品に巡り会ったように思います。
作品の中で尾崎の備える知性、感性、品性、それらの結集としての存在を感じることができたことは、観客としての幸せでもありました。
尾崎と関わる登場人物にしてもしかり、です。

作・木下順二、演出・鵜山仁、美術・加藤ちか、照明・服部基、音響・上田好生、衣裳・前田文子

(新国立劇場 中劇場にて)


☆「木下順二戯曲選(3)」 岩波文庫 「オットーと呼ばれる日本人」を収録
オットーと呼ばれる日本人―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)オットーと呼ばれる日本人―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)
(1982/09/16)
木下 順二

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『ウィーン・ミュージカル・コンサート』(5/21-28)
2007年に上演されたウィーン版ミュージカル『エリザベート』招聘1周年記念として行われているウィーンキャストによるコンサートです。

ウィーン・ミュージカルが日本人の心を捉えていることは、既に何作も日本語版が上演されていることからおわかりだと思います。
エリザベート』『モーツァルト!』『ダンス・オブ・ヴァンパイア』直近ではシアタークリエで演中の『レベッカ』。

これらの作品の楽曲はもちろんのこと、今回のコンサートでは、日本にまだ上陸していないフランス発のミュージカル『ロミオ&ジュリエット』のドイツ語版も披露されました。

さて、このコンサートの最大の魅力は、それぞれのミュージカル作品のメインキャストがここに集結していることではないでしょうか。
だからこそ、この作品にあの俳優があの役で出ていたら・・・というようなドリームキャストが、コンサートのプログラムごとに成り立ったのです。

例えば『モーツァルト!』では、 *()内はメインで演じていた役

ルカス・ペルマン(ドイツ語版『ロミオ&ジュリエット』ロミオ役、ウィーン版『エリザベート』ルドルフ役)のヴォルフガング

マジャーン・シャキ(ドイツ語版『ロミオ&ジュリエット』ジュリエット役)のコンスタンツェ

マテ・カマラス(ウィーン版『エリザベート』トート役)のコロレド大司教

マヤ・ハクフォート(ウィーン版「エリザベート」エリザベート役)のバルトシュテッテン男爵婦人

アンドレ・バウアーは日本では新顔ですが、既に『モーツァルト!』のレオポルト役、そして『エリザベート』のフランツ・ヨーゼフ役で実績のある彼が、ヴォルフガングの父親レオポルトとして登場します。

メンバーは5人。
こんな具合に、日本でも馴染みの深い作品が、次々と彼らによって披露されていきました。

彼らが歌い手だけではないことは、プログラムごとの役割で声や顔の表情が全く違うことから明らかです。
「誰が演じる何の役」というより、「何の役」が私たちの目の前に存在しているか、ということを観客に感じさせてくれます。
思えばこの驚きは、2007年1月にミュージカル『エリザベート』の日本での上演を記念したコンサートの時から感じていました。
その時は役の衣装もカツラもつけず、彼ら本来の姿で楽曲が披露されたのですが、相手を見て歌い出した途端にインタビューで見せた素の顔とは別人になっていました。

最近、リーディングを観ていたので思ったのですが、今回のミュージカル・コンサートもある意味でリーディングのようなものだなと。
マイクを握り締め、細かな演出もなく、そこで現れるのは、音楽と歌詞からくる感情です。

ウィーン・ミュージカルの魅力を存分に伝えていたことは、言うまでもありません。

音楽監督・カスパー・リヒター、指揮・アドリアン・マンツ、
構成協力・高島勲、制作・ウィーン劇場協会、企画・製作・主催・梅田芸術劇場

※上演プログラムなど、公演の詳細は梅田芸術劇場のサイトで。

 こちらは、イープラスの特集

(梅田芸術劇場 メインホールにて)

※このコンサートは、大阪の梅田芸術劇場でのみ上演されます。
 そこでは、ウィーンキャストと大阪の観客および劇場との一体感というものを感じました。
 同じことが東京では起こらないであろうと思うほどに、舞台と客席が相思相愛のような感覚です。
 これはきっと理屈ではない、と、エスカレーターの右側に立ちながら思いました。

☆ウィーン版「エリザベート」ウィーン・キャスト -Sammler Edition-(DVD)
 マヤ、マテ、アンドレ出演。
 

☆ウィーン版「レベッカ」CD
 アンドレが参加。
 オリジナル・ウィーン・キャスト(輸入CD)
 

 オリジナル・ウィーン・キャスト 実況ライブ(輸入2枚組CD)
 

☆ドイツ語版「ロミオ&ジュリエット」CD
 ルカス、マジャーンが参加。
 オリジナル・ウィーン・キャスト ハイライト版(CD)
 

 オリジナル・ウィーン・キャスト 完全版(CD)
 


日本語を読む『ぼくらが非情の大河をくだる時―新宿薔薇戦争―』
日本語、トラムで読んでます
本日の上演は、作・清水邦夫の『ぼくらが非情の大河をくだる時―新宿薔薇戦争―』。桐山知也が演出します。

俳優は、瑞木健太郎綱島郷太郎田山涼成内田淳子

「リーディング」と言っても、演出する人も、題材も違えば、表現方法もいろいろです。
先週のポストトークで、今回の上演にあたって制約があるのを知りました。
そして今回は、上演作品の中でもおそらく一番動きの少ない演出であろうことが、ポストトークで述べられていました。
作品の短さも、それを可能にしたのかもしれません。
上演時間は50分。

その桐山の演出は、
混乱しないで聞いていただけるものを見せたい。読むことにこだわりたい。」という趣旨にのっとったものだそうです。
そして、動きを入れないことで、観客に想像してもらいたいのだと。
これに関しては、まんまと思う壺にはまった感がありました。最後まで情景が頭を過るのを感じながら観ていたからです。

桐山は、まだ30を過ぎたばかり。彼の見つめるその先には、清水邦夫作品と言えば、蜷川幸雄という図式があるようです。「これらを乗り越えたい、自分のために」と語る彼の想いが、演出の創作意欲を刺激しているようでした。
この『ぼくらが非情の大河をくだる時―新宿薔薇戦争―』も、父と子、兄と弟の関係が作品の中心にあります。親のように大きな存在の演出家と若手の演出家、その姿が観客の目にもダブリます。

さて、ポストトークで客席からの質問です。
演出の桐山の考えるリーディングの位置付けとは?
やってみたい芝居をきちんとやるのに効果的」という言葉に、桐山の今後の作品作りに新しい可能性が見いだされたように思いました。

世田谷パブリックシアターの企画は、若手演出家の未知の可能性を引き出し、観客に俳優が何をもって「存在」するのかを知らしめ、一時代を築いた作家の後世に残る作品の普遍性について考えさせる。
劇場という箱と中身の役割について存分に示してくれました。

25日まで、日本語、トラムで読んでます

※公演詳細は世田谷パブリックシアターのサイトで。

(シアタートラムにて)

☆「清水邦夫全仕事(1958~1980)」河出書房新社
 「ぼくらが非情の大河をくだる時」「朝に死す」の他「わが魂は輝く水なり」「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」など多数収録
日本語を読む『城塞』
劇場ブログの「日本語、トラムで読んでます」のキャッチフレーズで始まる「日本語を読む」のリーディングは、今週で3週目となります。
(先週は作・別役実『不思議の国のアリス』を観に行きました)
いよいよ最終週は、阿部公房作品が登場します。

城塞
演出は演劇集団円の演出家、森新太郎
4人の登場人物とト書きを読むのは、吉見一豊久世星佳金内喜久夫杉山文雄内田慈、そして高田恵篤

終演後にポストトークがありました。
そこでの質問に「ラジオドラマとリーディングの違いは?」というものがあり、なるほど。
演出家の答えは、「リーディングは、セリフをしゃべる存在が目の前にいること」。
読むほどに俳優の内側から出て来る自然の動きも伴って、リーディングの作品が出来上がるように感じました。

そして演出家は、稽古初めに自らが文字から読み取っていた情景も、俳優の体を通して出てくる言葉に新たな発見があったことを喜んでいました。
冒頭で述べた俳優陣、彼らの発する声、自然に生じる動きのなんて魅力的なこと!

戯曲のト書きを全て読むことはせず、演出で伝えていこうと工夫したところもあるそうで、これからの演劇界を担おうとする若手演出家の頑張りも、戯曲とともに楽しめる試みです。

※公演詳細は世田谷パブリックシアターのサイトで。

(シアタートラムにて)

『五月大歌舞伎』夜の部(5/2-26)
歌舞伎座では『團菊祭五月大歌舞伎』()が行われ、そして、ここ新橋演舞場の『五月大歌舞伎』夜の部では、通し狂言『東海道四谷怪談』が上演されています。
四世鶴屋南北によるこの作品は、忠臣蔵のパロディであるのだとイヤホンガイドの解説で知りました。
お岩の夫となる伊右衛門は塩冶の家臣でありました。
この作品は2006年4月にコクーン歌舞伎として二種類、串田和美演出で観たことがあります。
初演と同じバージョンで上演された北版は、暗い劇場内でおどろおどろししい雰囲気で薄気味悪く、まるで墓場で肝試しをしているような心持ちで客席に座っていました。

さて、今回は純粋な歌舞伎として、厳かに時と場面が移り変わるのを感じました。
伊右衛門に吉右衛門、お岩に福助、両名の他にも大勢が初役で挑んでいます。
何が怖いかと言ったら、人間の気持ちです。
伊右衛門は、口数の多く無さそうに見える人物像ですが、人を人と思わないその態度が恐ろしく感じられました。
自分の身のかわいさで、こんなひどいことがよく言えるものかというようなセリフを言い放つ伊右衛門。鶴屋南北の描く人間の凄みが恐ろしいと思いました。

そしてお岩については、夫である伊右衛門にどうしてそこまでされるのかがわからない。ちょっとした他人の気遣いに手を合わせる健気さ、かわいさ、純粋さを福助が見せます。
この表情は、女の意地らしさからくるのでしょうか。
毒を飲まされて形相が変わる、そこには哀れさよりも儚さを感じました。
それでもなお、お岩を足蹴にする伊右衛門。
昔も今も、家庭内暴力という存在は変わらないものかと、人間の恐ろしさを感じるのです。

通し狂言とは言っても、この四幕十場は全体の6割程度なのだそうで、最後まで通すと16時半開演のこの芝居の終わるのは夜中になる、と解説で述べていました。
お岩の妹お袖(芝雀)と許婚の与茂七(染五郎)のその後も気になるところですが、お岩さんの恨みをはらすただ中で終わるのが、観客にとっても見届けたような気持ちでよろしいのではないでしょうか。

26日まで。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(新橋演舞場にて)

えびす組劇場見聞録第28号
えびす組劇場見聞録第28号が出来上がりました。
メンバー4人がそれぞれ選んだ作品と評をお楽しみください。

こちらをクリックすると、「えびす組」のホームページに跳んで、お読みいただくことができます。
また、「えびす組劇場見聞録」第28号は、下記の劇場に設置されています。
劇場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。

◆THEATER/TOPS◆タイニイ・アリス◆シアターサンモール◆駅前劇場
◆世田谷パブリックシアター◆シアタートラム◆こまばアゴラ劇場
◆テアトルフォンテ◆相鉄本多劇場◆ベニサン・ピット◆シアターX
◆銀座小劇場◆STスポット◆カメリアホール◆みどり会館
◆シンフォニア岩国◆山口情報芸術センター◆北九州芸術劇場
◆七ツ寺演劇情報センター◆文学座アトリエ('08はアトリエでの公演はないのでお休みします)
◆サイスタジオ◆山手ゲーテ座◆シアターZOO◆にしすがも創造舎◆横浜赤レンガ倉庫1号館
◆急な坂スタジオ◆まつもと市民芸術館◆画廊Full Moon
吉祥寺シアターnew!! (順不同)

「えびす組劇場見聞録」ホームページ掲載演劇作品一覧も、演劇に興味がありましたらご覧ください。過去に取り上げた作品を掲載しています。

劇場に置かせていただいているのは、B5サイズ縦書きの瓦版。
見かけたら、手に取ってみてください。

『團菊祭五月大歌舞伎』夜の部(5/2-26)
今月も連日人気の歌舞伎座です。
昼の部では、團十郎と海老蔵、それぞれの活躍、そして「幡随長兵衛」(作・河竹黙阿弥)では團十郎の長兵衛に菊五郎が旗本水野で相対し、坂田藤十郎をはじめとした豪華な顔ぶれに、円熟味を増した芸の競い合いを楽しませてくれました。
その勢いは夜の部にも続いています。
通し狂言「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」白浪五人男(作・河竹黙阿弥)、「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」

通し狂言「青砥稿花紅彩画白浪五人男
この白浪五人男は今までに二度観たことがありますが、いずれも二幕目の「浜松屋の場」からだったので、日本駄右衛門と弁天小僧菊之助、そして南郷力丸が実は知る間柄であったという普段は見えない関係が、ようやく理解できたというわけです。
休憩時間に聞こえてくるお客さんの話からもその話題が多かったのが、通し狂言ならではでしょう。

さて、弁天小僧に菊五郎、南郷力丸に左團次という豪華な顔合わせで、お馴染みの「知らざぁ言って、聞かせやしょう」の名ゼリフを堪能しました。

そして稲瀬川に勢揃いした白浪五人男のその後の、弁天小僧の壮絶な最期まで、しっかり上演されます。

歌舞伎の仕掛けとは、本当に観客をあっと言わせるものがあり、弁天小僧が極楽寺の山門の上で立腹を切って息絶える場面から次の展開まで、「がんどう返し」という役者の立つセットが90度後ろに倒れて変わるようになっています。
上に立つ役者は見栄をきって静止したまま、舞台が裏返る、最後まで緊張感がある転換でした。

すると次は山門の下の場面が競り上がってくる、クライマックスは息もつかせぬ展開です。

三升猿曲舞
小田春永に仕官した此下兵吉の、奴との腕試し。
松緑の所作ダテの舞踏を楽しんで、幕が降りました。

26日(月)まで。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

ミュージカル『李香蘭』千穐楽
劇団四季の「昭和の歴史3部作」は、『李香蘭』『異国の丘』『南十字星』のことですが、一作ずつそれぞれ時を経て発表されてきました。

私がこの『李香蘭』を観たのは、初演の頃(1991年)。
李香蘭は野村玲子、川島芳子に保坂知寿、そして愛蓮に志村幸美が扮していました。
その時以来の観劇となります。
再演が繰り返されていた作品ですが、今回の連続上演には、作品の意図するところを確かめるような気持ちで再び足を運びました。

久しぶりに観た『李香蘭』には、洗練された作品であるという印象を抱きました。
その歌はオペラのようにも感じられ、そして歌い踊り、形作る群舞は、歌舞伎の様式美に通じるものを感じました。

ところで、歴史の、特に戦争を扱う作品については、どんな視点に立って書かれているのかをつい身構えて考えてしまいます。
この作品では、清国の皇女でありながら日本人の川島家の養女となって日本名を名乗ることになった川島芳子、そして父の日中友好の夢を託され中国人の義理の娘となり李香蘭という名前で生きることになった日本人の女性・山口淑子。
2人の似ているようで全く異なる境遇の女性を中心に描かれています。

満州(中国東北部)の地で生きる李香蘭の半生を軸にしているものの、そこでは史実である事件が客観的に語られ、私たちは当時の日本が世界でどんな位置にあったのかを知ることになります。
日本の若者がどんな想いを胸に戦地に赴いたのか、その胸の内も。
次の2作品との関係を示唆するような、シベリアへ、そして南方の地へと赴く若者の姿もありました。

二人のヨシコ。
日本が敗戦へと向かう中、満州で生きる二人が辿る道は、彼女たちの力ではどうしようもないものでした。
しかしその後の裁判で、彼女たちの戸籍が明暗を分けることになろうとは。
いずれにせよ、この悲しい戦争がもたらしたものを、私たちには知る義務がある、その関心の糸口になるような作品です。

このミュージカル作品で、見終わってもなお耳に残るのは、

 中国と日本、日本と中国、
   二つの国を愛してほしい、黒い髪、黒い瞳


共通のものを持つことを喜ぶ二国の少女たちの歌声でした。

台本・浅利慶太、企画・構成・演出・浅利慶太、
作曲・三木たかし、作詞・浅利慶太、岩谷時子、高平哲郎、高橋由美子、
振付・山田卓、装置・土屋茂昭、照明・沢田祐二、衣裳・森英恵、李艶萍

ミュージカル『李香蘭』の公演は終わりましたが、作品については劇団四季のサイトで。

(四季劇場 秋にて)

※写真は「昭和の歴史3部作」が続々と上演される四季劇場 秋

☆劇団四季 ミュージカル『李香蘭』CD
 冒頭で述べた初演のキャストによるミュージカルCD。
 

☆著者:山口淑子・藤原作弥「李香蘭 私の半生」新潮社
 このミュージカルのもとになっている本です。
 
『團菊祭五月大歌舞伎』昼の部(5/2-26)
毎年この時期に行われる「團菊祭」。
何気なく観にいっていましたが、これは観客にとって大変ラッキーなことだということに気が付きました。

團菊祭」は、明治時代の名優、九代目團十郎、五代目菊五郎の没後に両名を偲んで始まったのだそうですが、後年、時代によってはどちらかその名を継ぐ役者が揃わぬ時もあったようで、今の時代に名実ともにタイトルロールとも言うべき二人の役者が揃っていることに大きな意味を感じます。
現在は、十二代目團十郎七代目菊五郎が、この團菊祭を背負っているというわけです。

その昼の部の演目は、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)-渡海屋・大物浦-」「六歌仙容彩 喜撰(きせん)」「幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)」。

義経千本桜」―渡海屋・大物浦―
この段は、西海に入水して死んだと思われていた新中納言知盛(海老蔵)が、世を忍ぶ仮の姿で生きていた、という設定のお話です。
大物浦の船問屋の主人・銀平が実は知盛であるとは知らず、弁慶ら義経主従一行はその漁師宅に宿を取ります。
そして大物浦から船路で西国を目指す彼らを、海で源氏を倒さんとする平家一族の者たちは、今が出航の時と、荒れ狂う海へと弁慶たちを促します。
しかし、そこでもなお平家方は敗れ、一族もろとも入水自殺を図り、知盛も崖の上から碇とともに海へと壮絶な最後を遂げるのでした。

大きな見どころは、知盛が瀕死の体で碇のロープを手繰り寄せ、体に巻きつけ、海に飛び込む場面です。
海老蔵が初役で挑むその姿は、無念を胸の内に秘め、たっぷりとした迫力がありました。
その時に脚をVの字にして、海に背中から飛び込むダイナミックさで、最後までその勇姿が観客を魅了します。

喜撰
坂東三津五郎が喜撰法師に扮しての舞踏です。
先月に引き続いての三津五郎の姿には、芸の広さ、深さを思い知らされるような楽しみがあります。

幡随長兵衛」公平法問諍
市川團十郎が威厳たっぷりに風格のある長兵衛を演じます。
最初は劇中劇の場面から始まるこの物語。
旗本奴の水野十郎左衛門(菊五郎)の家臣がつける難クセを、本物の客席から飛び出した長兵衛がなだめるそのやり取りが興味を引きます。
その後、水野から屋敷への招待を受けますが、殺されると察しながらも出掛ける長兵衛。
長兵衛の物静かな応対、そして水野が仕掛けた罠と知りながら、風呂場で大勢の刺客に囲まれる様は涙を誘います。
ちらりと登場する女房のお時に、よく観ると坂田藤十郎が扮しています。3月の公演の、團十郎に対するお礼の出演だとか。こういうところが粋ですね。
観客にとっては、嬉しいことです。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

5月5日に昼の部を観劇。
 休憩時間に歌舞伎座の入り口が賑やかだったので行ってみると、
 お神輿が歌舞伎座目掛けて行ったり来たりしているのに出くわしました。
 どうやら鐵砲洲稲荷神社の例大祭の一環のようです。
 歌舞伎公式ウェブサイトに、その様子が掲載されています。
 上の写真は、歌舞伎座側から見た様子になります。