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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『どん底』(4/6-27)
最近は歌舞伎の話題を多かったですが、そればかりではありません。
シアターコクーンで本日まで上演されていた作品を紹介します。

ゴーリキーの「どん底」。
小説は似たような名前の人々が一度にしゃべることに混乱しつつ、酒びたりになりながら喧嘩腰に話す彼らのセリフを遠巻きにして読みました。

演出・ケラリーノ・サンドロビッチのこの舞台は、小説よりも理解しやすく感じられました。
なんと言っても、誰が何をして、何を言っているかは一目瞭然です。
しかし、明らかに何かが違う。
小説にはいない人物が存在しています。
その人物の存在は、観客にこの世で彼らが生きている位置を明確に示しているように思いました。

貧民窟という「どん底」の場所で寝起きをしているけれども、ここにいる彼らは彼らなりの誇りを持って生きています。
(こんなにも「どん底」の彼らは、気高かかったでしょうか?)
そして、誰もが今の自分とは違う理想を抱いています。
その理想が存在することを信じて。

登場人物の誰もが人間の弱さを一つずつ象徴しているようで、憎めない。
そんな弱さを補うように登場するのが、ある巡礼の老人(段田安則)です。
彼は作品を通じて、私たちに弱い心を持つ人々への振る舞い方を教えてくれているようです。

この芝居のラストから、叶わなくても理想をただ信じている方が、人にとっては幸せなのではないか、そんなことを実感しました。
それでよしとせず、現実を見つめて乗り越える強さを身につけたいとも。
でないと、追い求めるものを見失った時、この作品の結末と同じことになりかねません。
その結末を伝える人物を小説と変えたことが、その怖さを暗示しているように思いました。

作・マキシム・ゴリキー、上演台本・演出・ケラリーノ・サンドロビッチ、美術・松井るみ、照明・小川幾雄、衣裳・黒須はな子

(シアターコクーンにて)

☆作・マキシム・ゴーリキー、訳・中村白葉「どん底」岩波文庫
 

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『四月大歌舞伎』夜の部千穐楽
四月夜の部の演目は、「将軍江戸を去る」「勧進帳」「浮かれ心中」。

仁玉勘」で沸き立った歌舞伎座で、夜の部をようやく観ることのできたこの日は千穐楽でした。
この四月の最終公演を1階で観ようと思っていても、チケット争奪戦においては無理な話。
せめて「勧進帳」で弁慶の飛び六方の引っ込みが観られれば、ということで手を打ったのは3階の東側でした。
舞台上手側がほとんど見えないという難点はありますが、花道がたっぷりと見渡せるこの席で、初めての観劇です。

将軍江戸を去る
大政奉還後の徳川最後の将軍慶喜(三津五郎)に、予定通り江戸を離れるように促す山岡鉄太郎(橋之助)。
江戸を去る最後の日、水戸へ向かう慶喜が千住大橋で感慨深く一歩を踏み出すその姿を泣きながら見送る山岡鉄太郎。
全ては新しい日本の未来のためにと願う両者の熱い想いが伝わる作品です。

勧進帳
弁慶に仁左衛門、義経に玉三郎、そして富樫は勘三郎という豪華な配役の作品です。
能の舞台の様式で、そのシンプルな背景に関所の場面が映えています。
こんなに大きく見える仁左衛門は初めてでしたが、主人に対する自責の念を背負った弁慶、一目で高貴さと都を落ちる儚さが伝わる義経、「武士の情け」とはこういうものかと感慨深く見た富樫。
それぞれが厳かに展開する様式の美しさの中で想いが行き交う「勧進帳」に、場内は厳粛な雰囲気に包まれていました。
幕外の弁慶には場内から「たっぷり!」の声がかかる中、大きな拍手で飛び六方の引っ込みを見送りました。

浮かれ心中
最後は、勘三郎の宙乗りが評判を呼んでいる、作・井上ひさし(「手鎖心中」より)、脚本・演出・小幡欣治の作品です。
絵草紙作者として名を馳せたい栄次郎(勘三郎)と太助(三津五郎)。
特に人を笑わせるためなら骨身を惜しまない栄次郎の、茶番を逆手にとった奮闘ぶりが潔い話です。
最後はネズミに乗った宙乗り=チュー乗りは、今年の干支にちなんでいるとかいないとか。
栄次郎の願いどおり、観客は最後まで笑いっぱなしでした。
そんな栄次郎を心から好いて協力を惜しまない女房のおすず(時蔵)の一途さにはホロリとさせられます。
三津五郎と勘三郎の名?迷?コンビぶりが冴え渡っていました。
次回、同じ舞台に二人が立つのは、納涼歌舞伎となりそうです。
最後に宙乗りから連日の記録的な大入りに感謝を述べる勘三郎。
「観にきてくれた人の幸せと、観に来なかった人の不幸せを願って!」なんていう一言に、またまた観にきた観客は大喜びするのでした。
そして、お祭りのように華やかな四月の歌舞伎座に幕が下りました。

(歌舞伎座にて)

☆作・井上ひさし「手鎖心中」文春文庫

☆作・井上ひさし「手鎖心中」文芸春秋楽天ダウンロード版
一幕見『刺青奇偶』(4/2-26)
四月大歌舞伎、昼の部の『刺青奇偶』一幕だけ。
波止場の灯籠に寄りかかるお仲(玉三郎)の後ろ姿が忘れられなくて、一幕見で観に来ました。
さすがに「仁玉勘」の4月です。
平日の昼間だというのに、昼の部最後の演目に長蛇の列ができていました。
一つ前の演目「熊野」にも仁左衛門と玉三郎が出ていたからでしょうか。通しで買う観客がいれば、席は空きません。立ち見での観劇となりました。

舞台を見渡すと、江戸の情緒たっぷりの舞台を背景に、世を儚んでいるお仲を演じる玉三郎の仕草が映えています。
頬から顎にあてる手の置き方、首のかしげ方には、遠く4階席から眺めても、お仲がこの世でどうやって生きて行こうか思案する辛さが見えます。
どう見せるか、役者の工夫に観客は魅せられていることを実感しました。

前回は1階の1列目ということで、役者の表情はよくわかりました。
今回は、こんなに遠くからでも、例えば鮫の政五郎(仁左衛門)の立ち方、座り方に賭場の親分としての風格が見えます。
ここに様式としての歌舞伎の代々継がれて研究され、洗練された凄さを感じました。
登場する人物は、まるで鏑木清方の日本画のように美しい。
お仲に心底惚れられる半太郎に扮する勘三郎のいい男っぷりも見事なものです。
どこから見ても、こんなにも観客を喜ばせてくれる歌舞伎に、役者と観客の目に見えない強い絆を感じました。
久しぶりの立ち見でしたが、観に来てよかった。

※一幕見の情報は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

※写真は、幕見に入場中の列。ようやく入り口が見えた、というところです。

『四月大歌舞伎』昼の部(4/2-26)
ここ最近、坂東玉三郎のインタビューをテレビで見る機会が多く、彼の役者としての生き方、人としての生き方を知るにつけ、舞台に立つその姿により関心を持ちました。
残念ながら2月の「坂東玉三郎特別舞踏公演」(大阪・松竹座)と 3月の「中国昆劇合同公演」(京都・南座)を観ることはできませんでしたが、ようやく今月の歌舞伎座でその姿が見られます。
待ち望んだ甲斐があってか、1階席では初めて1列目を取ることができました。

四月昼の部の演目は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」「熊野(ゆや)」「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」です。


本朝廿四孝
切腹したと伝えられた武田勝頼の菩提を、許婚であった八重垣姫(時蔵)が弔っていると、勝頼と瓜二つの男(橋之助)が現れました。その男を目前にして、八重垣姫の振る舞いと仕草が意地らしい様式美あふれる作品です。

熊野(やゆ)」
能をベースとした長唄舞踊。
母が病の床にあることを知らされて、一時でも早く帰りたいと願う平宗盛(仁左衛門)の愛妾・熊野(玉三郎)。宗盛は、熊野を愛するがゆえに、ここで彼女と別れたらいつ会えるかわからない不安から帰すことを許しません。
熊野を誘い、花見に出かけます。悲しみの面持ちで舞う熊野を見て、宗盛はついには帰国を許します。
二人の表に出さない心情が痛々しくも儚く美しく映ります。
伏し目がちな玉三郎の視線が、遠く心を母の元に馳せている、そんな想いが観客に伝わる姿を堪能しました。

そして最後は「刺青奇偶」。
幕が開くと、そこには波止場の灯籠に寄りかかるお仲(玉三郎)の後ろ姿。
ただそれだけで、お仲の世を儚んでいる様が伺えました。
お仲は酌婦でしたが、店を逃げ出しました。追っ手が迫り、ついには身投げをするのですが、通りがかりの半太郎(勘三郎)に助けられます。
男に愛想をつかしていたお仲ですが、助けた恩を着せることもせず、ただ立ち去る半太郎に、心底惚れてしまいました。
半太郎と所帯を持って間もなく、お仲は治る見込みのない重い病を患います。賭け事から足を洗えない半太郎に、見る度に思い止どまるようにと、お仲は半太郎の腕に采サイコロの入れ墨を入れるのでした。

前半は、生きる支えを見つけて生きていこうと思う幸せそうなお仲の姿に、胸を打たれました。
傍らで入れ墨を彫るお仲と、黙って腕を差し出す半太郎の寄り添う姿の美しいこと。
極め付けは、それでも半太郎は賭場でもめごとを起こしてしまいますが、その賭場の親分・鮫の政五郎(仁左衛門)の貫禄ある物言いです。
先月のぼんぼん二枚目半の伊左衛門役とは全く別人の風格に、歌舞伎における役者の奥深さを思い知りました。

江戸の庶民の情緒と合わせて、玉三郎の美しさと演技をたっぷりと、そして競演が楽しみな昼の部です。

余談ですが、今月の歌舞伎座のチケットは争奪戦の状態でした。
えびす組のコンスタンツェ曰く、「仁玉勘を揃えるのは、やめて欲しい」。
本当は嬉しいのですが、希望の席が取りにくかったものですから。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

著・坂田藤十郎「坂田藤十郎 ~歌舞伎の真髄を生きる~」世界文化社
 上方の歌舞伎役者・坂田藤十郎の著書を読んで、歌舞伎座で今回観た「本朝廿四孝」は
 江戸歌舞伎の様式だということを知りました。
 本書の第五章「歌舞伎の真髄」に上方歌舞伎の上演との違いが書かれていて
 興味深かったので、紹介します。
 

『ダウト-DOUBT-疑いをめぐる寓話-』(4/12-22)
吉祥寺シアターでの文学座アトリエ公演です。

1964年、ニューヨーク・ブロンクス地区にあるカトリック系の教会学校。
その校長であるシスター(寺田路恵)に、あるクラスの若い担任のシスター・ジェームス(渋谷はるか)から、気になる出来事を告げられます。
フリン神父(清水明彦)に呼び出されて戻った生徒が泣いていた、そして彼からアルコールの匂いがした。
校長は神父に対して執拗に、その生徒との間で何があったのかを追求します。
その生徒の母親(山本道子)さえ問題にしない、証拠もない中で・・・。

タイトルの「ダウト」、そして事の行方は、トランプのゲームを連想します。
あなたは、どんな時に「ダウト!」と発して相手のプレーを止めますか?
この作品では、確たる証拠や証言は一切出てきません。
厳格な校長、彼女がとった行動は、まさに神聖な賭けのようでした。

「ダウト」の声で一旦プレーが終わっても、実は相手のカードが増えるだけでプレーは続く・・・この芝居の結末には、そんな怖さが映ります。

登場人物4人。意外な展開に、手に汗握る心理舞台劇。
彼らの言動に、観客も知らないうちに自ずとジャッジを下しているという緊張感がありました。
若い教師のシスター・ジェームス役の渋谷はるかは、昨夏の『若草物語』のメグとは異なるキャラクターに、彼女の演技の大きな可能性を見ました。
そして、最初は反発していたシスター・ジェームスが本当の意味で尊敬する校長役の寺田路恵。自らの信念と経験を頼りに突き進む彼女の存在感に疑いの余地はありません。

ブロードウェイでロングラン上演されたこの作品は、作家自らの脚本で映画化が進められているということです。(文学座のサイト情報より)

作・ジョン・パトリック・シャンリィ、演出・望月純吉、翻訳・鈴木小百合・井澤眞知子、美術・衣裳・朝倉摂、照明・沢田祐二

※公演詳細は文学座のサイトで。

(吉祥寺シアターにて)

☆作・ジョン・パトリック・シャンリィ、訳・鈴木小百合「ダウト -疑いをめぐる寓話-」白水社
 

『チープスリル~佐世保北高新聞部の夏~』(4/11-13)
「1969年、東大の入試が中止になり
安田講堂が陥落したあの年。」(チラシの文面より)

明らかに年齢の近い世代の若者の主張とその結末を、高校生である彼らはどのような視点で見つめていたのでしょう。
そんなことを念頭に置いて観ていました。
芝居の舞台は長崎県の佐世保のある高校の新聞部。
東京から遠く離れた佐世保の人々が、当時のベトナム戦争を身近に感じていたことを知りました。
米軍の基地のあるこの街の港が、ベトナム戦争では補給基地となっていることを目の当たりにしている街の人々。
そんな背景を土台に、ある新聞部員の起こした行動が引き金となります。

高校の屋上にバリケードを作り、垂れ幕を掲げ、ビラを撒く・・・

その事実が、新聞部の学生たちの意識を大きく変えようとしていました。
傍観者である自分たちがすべきこと、そして当事者の想い、それぞれの立場で1969年の夏の経験が、確かに彼らの考え方や生き方を変えていきます。

教師と学生たちの主張だけでなく、上演時間2時間に、大人になった私たちが忘れてしまった甘酸っぱくてほろ苦い想いが凝縮されていて、懐かしい気持ちを抱きながら彼らの成長を見守りました。
この芝居のタイトルの意味も、胸にチクッと刺さります。
暗転を夜の校内として変貌を遂げる舞台の見せ方には、インパクトがありました。

作・演出・河本瑞貴、プロデューサー・田中晶

※スリーデイズ・プラス公演の詳細はこちら


(川崎市アートセンター アルテリオ小劇場にて)

☆作・村上龍『69(シックスティナイン sixtynine)』文春文庫
 配布された資料に「ご挨拶」として掲載されていたのは、『チープスリル』作者の河本瑞貴が村上龍と同じ高校の新聞部で一年後輩であったこと。
 この小説は、村上龍の自伝的小説と言われているそうです。
 

☆映画『69(シックスティナイン sixtynine)』DVD
 

『トライアンフ・オブ・ラヴ~愛の勝利』(4/4-14)
18世紀のヨーロッパが舞台。
レオニード姫(朝海ひかる)が統治しているスパルタという国。
彼女の父親が先代の国王を殺害し,王位を奪いました。
その時、幼い王子アジス(武田真治)を秘密の園に連れて逃げた叔父(藤木たかし)と叔母(杜けあき)。
正当な王継承者は先代の王子だとして、レオニードはアジスを訪ねてやってきますが、彼らが自分を暗殺しようとしていることを知ってしまいます。
しかし、アジスを一目見てレオニードは恋に堕ちてしまいました。
侍女のコリーン(瀬戸カトリーヌ)を従え、アジスに近づこうと女人禁制の秘密の園に男装して忍び込み、その甲斐あってアジスと堅い友情の誓いを交わすまでに至りますが、正体や性別がバレそうになる度に愛のためだとウソを重ねるので、しまいにはアジス、その叔父と叔母からも愛を告白される始末。
どう解決するものやら・・・。

と言うような、ロマンティックな‘ミュージカル・コメディ’です。
王子と王女の恋の成就の行方を本筋に、厳格な王子の叔父と叔母の心の変化が微笑ましくもあります。
そして何よりも、主人の恋の手助けをしようと奔走する侍女、王子の庭師(右近健一)、屋敷の道化師アルルカン(tekkan)の3人の働きとその歌は現実を直視しており、共感できる部分がたくさんありました。
いつも変わらぬ明るい表情で愛想を振りまき、修羅場をかいくぐるコリーンの姿は、観ていて頼もしく痛快です。
そんな豊かなキャストの中で、武田真治の純朴な王子のぶりには心が癒されるようでした。

さて、この作品は、18世紀のフランスの喜劇作家マリヴォーの原作を1997年にブロードウェイで舞台化し、好評を博したのだそうです。
なるほど、登場人物の微妙なすれ違い、歌うメロディに込められた心の変化など、絶妙です。

台本・ジェームズ・マグルーダー、作曲・ジェフリー・ストック、作詞・スーザン・パークンヘッド、修辞・訳詞・演出・小池修一郎
美術・二村周作、照明・笠原俊幸、衣裳・前田文子


※公演詳細はホリプロのサイトで。

(天王洲銀河劇場にて)

※この後、兵庫県立芸術文化センター 中ホールで上演されます。(4/17-18)

☆映画「愛の勝利」DVD、監督・クレア・ペプロー
 



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