FC2ブログ
カテゴリ

最新記事

QRコード

QR

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

プロフィール

kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『初春大歌舞伎』夜の部(1/2-26)
26日に千穐楽を迎えた演目です。

劇場に着くなり、一幕見に並ぶ大勢の人が目に入りました。
この日は千穐楽。この時間だと、「助六由縁江戸桜」目当ての観客でしょう。
場内に入ると、既に一幕見席は立ち見も出るほど満員となっていました。

夜の部は「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」「連獅子」「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の3作品が上演されました。

鶴寿千歳」は筋書きを見ると、‘「鶴は千年の寿命を保つ」と言う言い伝えに因んだ’のだそうで、新年の舞台に相応しいおめでたい演目でした。
若い松(歌昇)、竹(錦之助)、梅(孝太郎)の瑞々しい舞に始まり、そして芝翫と富十郎の白髪のかつらをつけての姥と尉の舞では、二人の人間国宝による(イヤホンガイドによると)’豊かな舞’を堪能しました。
‘歌舞伎座百二十年を祝うにふさわしい箏曲の舞踊’です。

連獅子」は、以前(2005年11月)、同じく狂言師右近、そして親獅子を松本幸四郎、狂言師左近、子の獅子を市川染五郎で観て、染五郎の仔獅子のかわいらしさ、無邪気さ、たくましく成長していく姿に、舞踏ながら感銘を受けました。
今回はそれにも増して親子の獅子が合わせて頭を回す‘毛振り’の息の合った様子に感動しました。
いつまでたっても、二人の調子は乱れません。
そして最後の決める見栄の美しさ。
どんなに体力的に大変なことか、しかし舞台には親子の獅子の息の合った美しさだけが存在していました。

助六由縁江戸桜」は、次回の教訓ですが・・・友人に3階席から見ると告げた時、「花道の芝居が多いのに、なぜ・・・」と絶句されました。
傾城の揚巻(福助)が酔って花道をゆったり歩く様子、そして助六登場の場面は、演じる團十郎曰く「かたる」様子(かたると言っても、足を踏み鳴らして歩く様のことだそうです)、それが全く見えないのです。
頼みの綱はイヤホンガイドの解説でした。
花道で何がどういうふうに行われているのか、丁寧に解説してくれるので、舞台に揃って並ぶ中村芝のぶや中村京紫らの美しい花魁姿を眺めていました。
もしかすると黙って並ぶ花魁達は、こんな観客へのサービスなのかもしれません。

さあ、場面が舞台へ移ってからは、喧嘩早くて乱暴ですがどこか愛嬌のある助六の魅力を存分に味わいました。
市川團十郎ならではのたっぷりと豪快に見せる助六です。
今度は一階席から観よう、と心に決めました。

浅草公会堂新橋演舞場国立劇場歌舞伎座と廻った新年の歌舞伎座三昧、観ているこちらも千穐楽となりました。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)
スポンサーサイト
『浅草歌舞伎』(1/2-27)
27日に千穐楽を迎えた演目です。

新年は、浅草寺のお参りと浅草公会堂での歌舞伎見物が、自分の中では恒例になりました。
浅草歌舞伎では、毎日、昼夜の公演の開幕前に、出演する俳優が日替わりで一人ずつ「お年玉」と称して新年の挨拶を行います。
10分程度ですが、それぞれ趣向を凝らした挨拶で、観客を巻き込んでの楽しいものでした。
役者の素顔を知ることができる、これもまたお正月ならではの催しです。

昼の部は「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」。

傾城反魂香」では、町絵師の又平(勘太郎)が師である土佐将監(男女蔵)に土佐の名字を許してくれるよう願い出ますが叶わず、二人三脚で生きてきた女房のおとく(亀治郎)と死を覚悟で手水鉢に描いた絵が、厚い石を通り抜け裏側に写るという奇跡を起こし、ついには師匠から名字を与えられるという執念が実を結ぶ夫婦愛の物語。
又平の勘太郎の心の奥底からの叫び、そして夫を見守り共に手を取る女房おとくの亀治郎の細やかな演技は、見応えがありました。

弁天娘女男白浪」は、普段は女形を演じることの多い七之助が弁天小僧菊之助に扮します。
初めは嫁入り前の武家のお嬢様の姿で登場しますが、それはユスリの手口。
バレてから男として開き直るのが、女形の役者を観るうえでの楽しみです。
2006年11月には尾上菊之助の弁天小僧を楽しみました)

そして今回は一気に盗賊五人・白浪五人男が揃いの着物で勢揃いする場面へと移ります。
まさに良いとこ取りの浅草歌舞伎。
若い役者が大役、老け役をこなすのも見所です。


そして、夜の部は「祗園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき) 金閣寺」「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」。

祗園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき) 金閣寺」では、亀治郎が昨年大河ドラマで見せたごっつい武田信玄からどうお姫様を演じるのか興味を持って観ていました。
・・・しなやかな所作のかわいらしい雪姫の登場に息を飲みます。
さすが、踊りを得意とする亀治郎。

合間を縫っての観劇で、残念ながら夜の部の観劇はここまで。
上方の片岡愛之助が片岡仁左衛門から教わったという「与話情浮名横櫛」を観られず、後ろ髪をひかれる思いで劇場を後にしました。

東西の若手花形役者が揃う浅草歌舞伎、来年も初詣と合わせて観たいと思います。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(浅草公会堂にて)

※写真はノボリが並ぶ浅草公会堂。

『新・雨月物語』(1/25-2/3)
「雨月物語」といえば、作者は上田秋成。
短編からなるその作品は、戦乱の時代に生きる人々の情念、怨念、愛憎の物語。
人間の怠惰で浅ましい心を戒めているようでもあると思いました。

さて、今回の『新・雨月物語』のベースは、川口松太郎(「鶴八鶴次郎」の作者)によって書かれた作品です。
それをベースに鐘下辰男が脚色して書き下ろし、1999年に演出・鵜山仁で上演された作品の再演となるそうです。
演劇企画集団THE・ガジラ20周年を記念しての第3弾として上演されています。

時は戦国時代。
人もモノも売り買いされる恐ろしい世の中。
天下統一を果たした豊臣秀吉が茶道を好む噂をきいて、藤兵衛(北村有起哉)は妻・阿濱(石村みか)の兄の源十郎(山本亨)に、自分たちが作る器を売って一儲けしようと話をもちかけます。
里へ向かう決心をした彼らですが、源十郎の妻の宮木(月影瞳)だけはどうしても残って帰りを待つと言うので、3人は宮木を残して山を後にしました。
しかしそこで彼らは地獄を見ることになるのです。
藤兵衛と阿濱とも死に別れ、妻もこんな状態では生きていないだろうと諦めていた数年後、やっとの思いで帰ってみると痩せこけた妻が源十郎を出迎えるのですが・・・。

歴史や伝説に精通した鐘下が描く世界が、光と影の中で、まるで運命の明暗、人の心の陰と陽のようにくっきりと舞台の上に存在しています。
原作の怪談じみた恐ろしさはありません。
その物語は人の情念を舞台に映し出しているようでした。
ぽっかりと浮かんだように見える舞台が、そこにあるのが奥深い山か幻か、この世のものとは思えない世界を作り出していました。

川口松太郎原作「雨月物語」より
脚本・構成・演出・鐘下辰男、美術・島次郎、照明・中川隆一

※公演詳細は、演劇企画集団THE・ガジラの公式サイトで。

(世田谷パブリックシアターにて)

※写真はTHE・ガジラ20周年の特集が掲載されたプログラム。

えびす組劇場見聞録第27号
えびす組劇場見聞録第27号が出来上がりました。
メンバー4人がそれぞれ選んだ作品と評をお楽しみください。

こちらをクリックすると、「えびす組」のホームページに跳んで、お読みいただくことができます。
また、「えびす組劇場見聞録」第27号は、下記の劇場に設置されています。
劇場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。

◆THEATER/TOPS◆タイニイ・アリス◆シアターサンモール◆駅前劇場
◆世田谷パブリックシアター◆シアタートラム◆こまばアゴラ劇場
◆テアトルフォンテ◆相鉄本多劇場◆ベニサン・ピット◆シアターX
◆銀座小劇場◆STスポット◆カメリアホール◆みどり会館
◆シンフォニア岩国◆山口情報芸術センター◆北九州芸術劇場
◆七ツ寺演劇情報センター◆文学座アトリエ◆サイスタジオ
◆山手ゲーテ座◆シアターZOO◆にしすがも創造舎◆横浜赤レンガ倉庫1号館
◆急な坂スタジオ◆まつもと市民芸術館◆画廊Full Moon◆(順不同)

「えびす組劇場見聞録」ホームページ掲載演劇作品一覧も、演劇に興味がありましたらご覧ください。過去に取り上げた作品を掲載しています。

劇場に置かせていただいているのは、B5サイズ縦書きの瓦版。
見かけたら、手に取ってみてください。

さようならモリヤ(1/19-20)
写真のように、文学座アトリエの脇に建つ第二稽古場(通称)モリヤの建替えによる最後の公演が行われました。
観客としてモリヤに初めて足を踏み入れたのは、2001年10月のこと。
文学座・座付作家を育てる会の‘勉強会’と称して、『龍の伝説』(作・演出・得丸伸二)公演を観に行きました。
終演後はそのまま客席で出演者を囲んで感想を語り合う場を設ける力の入れようです。
その後、この作品は文学座の本公演で上演されたのですから、いかに内容の濃い試みであったのか想像に難くないでしょう。
このような試みを知ってからは、勉強会が行われる度にできるだけ足を運んだものです。
時には無料、または1,000円~3,000円くらいの入場料だったと思います。
文学座準座員による試演会も行われ、門戸を広く開いているのを感じました。

そして昨日と今日、モリヤ最後の勉強会が行われました。
座談会のある日もあったようですが、20日の演目は以下の通り。
・ドラマ・リーディング『』(作・久保田万太郎)
・一人芝居『森の石松の最後』(二代・広澤虎三「清水次郎長伝」より、脚色・出演・早坂直家)
・女の一生誕生秘話『サイタ、サイタ、サクラガサイタ』(作・得丸伸二、演出・戌井市郎)

休憩時間には、建物内の散策をしました。
この場所には文芸部や映画放送部などもありましたが、既に引っ越しが行われており、二階の座敷では多くの蔵書、プログラム、台本などが、「ご自由にお持ちください」という案内の下に置かれていました。

昭和の建物がひとつ消え行く、そんな感慨を覚えました。
2月に取り壊され3月から新築工事が始まり、12月には完成予定だそうです。
今まで様々な作品と出会わせてくれた第二稽古場に観客として最後の別れを告げました。

※ひらがな、カタカナ、様々な呼び方があるようですが、ここでは表記をモリヤに統一しました。

(文学座第二稽古場モリヤにて)

『リア王』(1/19-2/5)
説明するまでもなく、シェイクスピア四大悲劇作品の一つです。
長女と次女に裏切られ、真に父親に対して誠実な娘コーディリア(内山理名)を失ったことに気づいてからのリア王(平幹二朗)が言いようのない後悔で狂人となる、その様に胸を打たれました。
狂気の中で、狂人を装うエドガー(高橋洋)への哀れみと慈しみの眼差し。
この時初めてリアは人として情のある、豊かな人間になったように思いました。
そういう人々の感情が交錯した物語。
憎しみも妬みも蔑みさえも。
だから掛け値なしの愛情が、尊く美しく見えるのかもしれません。
最後に愛しい娘コーディリアの死を悼み、自らも息絶える姿に、哀しみのうちに胸が張り裂けてしまうこともあるのかもしれないと、ただその姿を見守りました。

舞台は能を連想させるような大きな松を背景に、鼓や笛の音にのって登場人物が静々と歩く場面もあり、それが彼らの厳粛な心情を象徴しているように見えました。

作・ウィリアム・シェイクスピア、翻訳・松岡和子、演出・蜷川幸雄、
美術・中越司、照明・勝柴次朗、衣裳・小峰リリー、音響・井上正弘

※公演詳細は彩の国さいたま芸術劇場のサイトで。

(彩の国さいたま芸術劇場 大ホールにて)

☆作・ウィリアム・シェイクスピア、訳・松岡和子「リア王」ちくま文庫
 

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(1/18-30)
この作品で、私たちは戦争という名の下で行われている多くの矛盾と向き合うことになります。
しかしその中心にあるのは、常におっ母が子を案じる心。
これを芯にして観ると、何があっても怖くない気がしてきます。
息子たちが戦地に赴くまでは…。

17世紀のドイツ。「30年戦争」の最中、肝っ玉おっ母とその子どもたちは、戦火の中で商売をしてきました。
荷車で移動し、兵隊や戦地に住む人々を相手に、敵味方なく物を売る日々。
ある日、徴兵担当の甘い誘いが息子たちを誘惑します。それを止めようとするおっ母に浴びせられる言葉は「戦争でもうけても、自分の子供は戦争に出さないのか」。
そうだと答える母の願いも虚しく、二人の息子たちは兵隊を志願してしまいました。

「戦争の責任」とは?
子どもたちに食べさせるための商売とその矛盾は現実です。
戦争の渦中にあって、兵士が民家の家畜や食料を略奪して仲間に分け与えることが勇敢だと称賛される場面がありました。
そして停戦による束の間の平和。
同じことをして、その兵士は処刑されました。
その兵士はおっ母の息子でした。

既に失ったもう一人の息子のエピソード、そしてしゃべることのできない娘との生き方など、おっ母の常に現実を見据える言葉は、時代を越えて今なおこの作品が古めかしい文学にならないことを物語っています。

作品の舞台は1600年代。
しかし背景に近代の戦争の映像を映し出すことにより、いつまでも繰り返される戦争の悲劇が私たちの間近にあることを感じさせています。

ブレヒトの音楽劇。
登場人物が辛い悲惨な日々を笑い飛ばすように歌い上げる姿が哀しく心に響きます。

肝っ玉おっ母の草笛光子は、泥臭い生き方の中に子を思う気持ちが神々しくある母親の美しい精神を見せてくれました。

作・B・ブレヒト、音楽・P・デッサウ、訳・上演台本・岩淵達治、
演出・西川信廣、美術・朝倉摂、音楽監督・池辺晋一郎、照明・沢田祐二、衣裳・原まさみ

※公演詳細は、シアター1010のサイトで。

(シアター1010にて)

☆作・ブレヒト、訳・岩淵達治「肝っ玉おっ母とその子どもたち」岩波文庫
 

『フィガロの結婚』

写真は、2006年にザルツブルグ音楽祭で上演された『フィガロの結婚』全曲CD

昨年の日本のオペラ界は、華やかに‘ばら戦争’(『ばらの騎士』の上演多数)が行われていました。
今年はモーツァルトの『フィガロの結婚』の上演が多いようです。

2006年はモーツァルト・イヤーと称されて、ザルツブルグ音楽祭はオペラも演奏会もモーツァルト一色でした。
上演されたオペラ『フィガロの結婚』は、スザンナ役にアンナ・ネトレプコが配されたこともあり大盛況だったそうです。
翌年の2007年、指揮者とキャストも一部入れ変わり、ザルツブルグ音楽祭で再演が行われました。

私事ですが、オペラを観る時はストーリーと聞き所を押さえた文献を事前に読み、そして持参します。
歌舞伎で言えば筋書きを追いながら観るような感じです。
ザルツブルグの再演で初めて『フィガロの結婚』を観たのですが、文献にない登場人物の存在に最初から心を奪われてしまいました。

現代に時を移しています。
そして、羽をつけて欧米の寄宿学校の制服のようなセーターと短めのズボン履いた、少年と呼ぶには大人すぎる天使の存在。
彼は一言も言葉を発せず、結婚間近のフィガロとスザンナ、少年ケルビーノをはじめ登場人物の傍らに現れては消えてゆきます。
その天使の存在は登場人物には見えません。
次第に彼が愛の象徴だということがわかってきました。
それは「夏の夜の夢」の妖精パックの存在に似ています。
悪戯好きで、少々あまのじゃくな天使の時折見せる寂しそうな表情が、観る者を舞台に引き付けます。
このザルツブルグ音楽祭で見せた演出(演出はクラウス・グート)での公演が、今年の春に日本で上演されます。

さて、新年明けて、プラハ国立劇場オペラの『フィガロの結婚』を観ました。
衣裳や時代の設定は、伯爵がゴルフに興じる場面もあり、こちらもモーツァルトの時代とは大きく異なります。
日本で上演される際には、たいてい舞台の両端に設置される日本語の字幕を読みながら観劇できるので、ストーリーを知らなくてもまず大丈夫。
少々歌唱に物足りなさを感じましたが、演出を見比べる楽しみを見つけました。
(指揮・ヤン・ハルペツキー、演出・ヨゼフ・プルーデク、Bumkamuraオーチャードホールにて

オペラは形式の芸術、という勝手な思い込みをしていましたが、実は「音楽」を作品としてどう「見せる」のか、自由な世界感があるように思います。


※プラハ国立劇場オペラの公演詳細は、日本公演の公式サイトで。現在、地方公演中です。

※2008年4月に上演されるザルツブルグ音楽際版の『フィガロの結婚』の詳細はこちら

☆2006年にザルツブルグ音楽祭で上演された『フィガロの結婚』DVD
 演出・クラウス・グート、指揮・ニコラウス・アーノンクール、演奏・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 スザンナ役はアンナ・ネトレプコ。
 



『初春大歌舞伎』昼の部(1/2-26)
歌舞伎座昼の部は5演目が上演されるという、新年に相応しく賑やかな幕開きとなりました。
前日は夜の部の観劇だったから、というのは言い訳になりませんが、残念ながら1番目のご祝儀舞踏の「猩々(しょうじょう)」には間に合わず、「一條大蔵譚」からの観劇となりました。

一條大蔵譚
これは義経の母の常盤御前を妻に迎えた、公家の一條大蔵卿の館が舞台です。
主の大蔵卿(吉右衛門)は世間から阿呆と言われており、源氏の再興を目論む吉岡鬼次郎(梅玉)と妻のお京(魁春)は、常盤御前の本心を確かめるべく館に入り込みます。
大蔵卿は噂どおりの阿呆ぶり。
常盤御前(福助)も楊弓に興じている姿を目の当たりにします。
しかしその本心は・・・。

ベテランの芸を堪能しました。
女狂言師として大蔵卿の前で舞う魁春の粋な姿には目を奪われます。
そしてなんと言っても、吉右衛門の阿呆ぶり。
イヤホンガイドの解説でその阿呆の演じ方を述べていましたが、「公家の品格のある阿呆ぶり」が肝心なのだそうです。
それが吉右衛門の見せ所。
最後に明かされる真相と合わせて、その芸を楽しみました。

けいせい浜真砂
これはもう、豪華な一幕です。
南禅寺の山門が舞台。
実際に南禅寺の山門に昇ったことがあるのですが、かなりの高さがあります。
その眺めを、ここではサブタイトルにある女五右衛門の傾城真砂路(雀右衛門)が発する「絶景かな~」の名ゼリフが聞かれます。
山門の階下のセットとともにセリ上がり、登場するのは真柴久吉(吉右衛門)。
ダイナミックな歌舞伎の舞台の醍醐味には溜め息が出ました。
二人の見得で幕となる、上演時間10分に美しさと豪快さが凝縮された歌舞伎ならではの贅沢な舞台です。

魚屋宗五郎
作・河竹黙阿弥「新皿屋舗月雨暈」のうち、この「魚屋宗五郎」の場がよく上演されます。
妹のお蔦が手討ちにされ、悲しみにくれる宗五郎(幸四郎)。
禁酒の誓いを立てていましたが、お蔦の朋輩のおなぎ(高麗蔵)からお蔦が陥れられたことを聞き、たまらずに酒を一口飲んだのが騒ぎのモト。
それを止めようとする小奴の三吉(染五郎)との絡みが、悲しい中にも笑いを生んで、情緒ある作品となりました。

さて、昼の部最後は、市川團十郎による「お祭り」。
ほろ酔い気分の人望の厚い鳶頭を、團十郎が見るからに頼もしく見せてくれる舞踏です。

歌舞伎の様々な要素をたっぷりと見せる、初春の昼の部でした。

※公演詳細は歌舞伎公式ウェブサイトで。

(歌舞伎座にて)

通し狂言『雷神不動北山櫻』(1/2-27)
新橋演舞場の初春花形歌舞伎は、市川海老蔵が一人5役を務めることも話題となっている舞台です。
成田屋(市川海老蔵の屋号)にとって古くから縁の有る成田山開基1070年を記念する公演でもあるのです。
この通し狂言の中でも「鳴神」「毛抜」「不動」は歌舞伎十八番で、それだけでも一幕ものとして上演される機会が多い有名な作品です。

昨年5月に「鳴神」を観ました。
「鳴神」では鳴神上人が恨みから竜神を滝壷に閉じ込めて雨を降らせないようにしているのですが、この序幕では鳴神上人がなぜ恨みを抱くようになったのか、そこから始まります。
鳴神上人が恨みを持つ原因には早雲王子が関わっており、その後に安倍清行が早雲王子の悪を暴きます。
殺伐とした物語の中で、「毛抜」では粂寺弾正が早雲王子の企みを暴く様子がコミカルに描かれていました。
そして最後は不動明王が登場し早雲王子を退治するという、その全てを務める海老蔵の奮闘振りがみどころの作品です。
最初に海老蔵自らが簡単に解説をしてくれますが「殺し、殺され・・・」の役を一人で演じるところに面白さがあります。
そして前評判の高い不動明王が宙を舞う‘空中浮遊’には本当に驚きました。
3階席からはオペラグラスでどんなに目を凝らしてもその仕掛けはわかりません。

市川家のお家の芸に海老蔵が取り組むことは、観客に彼の心意気を披露することでもあると思います。
どの役を見ても作品として芝居を堪能できる、そんな舞台を楽しみました。
海老蔵演じる様々なキャラクターに対する共演者にも注目です。

※公演詳細は、歌舞伎公式ウェブサイトで。

(新橋演舞場にて)

※写真にあるように、2階のロビーでは成田山新勝寺の出開帳が行われています。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。