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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『キル』(12/7-1/31)
'94の初演、そして'97の再演を観ていましたが、今まで見えなかったものが見えてきた、そんな感想を抱きました。
初めて観た野田作品でもあり、当時は斬新な衣裳、そしてセリフに至っては‘言葉遊び’が面白く感じられたものでした。

今回は野田秀樹以外はキャスティングを一新した再々演となります。
深読みし過ぎかもしれませんが、ファッション界という身近で時の移り変わりの速い世界を舞台に、‘自由’をテーマにした壮大な構想の下に描かれた作品であると思いました。

言葉遊びだと思っていた「征服」と「制服」をかけたセリフには、(ちょっとネタバレになりますが)「みんなが自分の服を着てこそ、自分のブランドが世界を征服する」すなわち人々に着せる制服は権力の象徴であり、その手段が服なのだという表現に作り手の想いを感じました。
裏返すと自由とは何かを物語っているように思えないでしょうか。

そして憎しみが憎しみを生み続ける悲劇。
もしかしたらその悲劇は悪夢だったのか・・・?

壮大なモンゴルを舞台に、妻夫木聡が力強く「ファッション戦争」を戦い続ける洋服屋の息子テムジンを好演しています。

この作品は、NODA・MAP第1回公演で上演されました。
意味をたくさん含んだNODA・MAPの中でも、透明感のある美しい作品です。

作・演出・野田秀樹、美術・堀尾幸男、照明・服部基、衣裳・ひびのこづえ、選曲・効果・高都幸男、ステージング協力・謝珠栄

(シアターコクーンにて)

※公演詳細はNODA・MAPの公式サイトで。

2008年1月31日まで、まだまだ上演されています。

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『モーツァルト!』(11/19-12/25)
待望の二人のヴォルフガング・モーツァルト(中川晃教、井上芳雄のWキャスト)を観ました。
昼に中川ヴォルフガングを一階席で、そして夜は井上ヴォルフガングを二階席から観たのですが、これは面白い楽しみ方だと個人的には悦に入っています。

2002年の初演から時を経た再々演でした。
二人のヴォルフガングの個性の違いの他、今回は接する共演者の反応を興味深く観ることができました。

まず中川ヴォルフガング。
じっとしていない破天荒な生き方で周囲を翻弄していきます。
その才能を、自信を持って自ら開花させようと独自の想いで突き進んで行く生き方。
特に終盤の狂気を帯び始めてから死に至るまでの彼の生き方は、その世間から超越した姿に背筋が寒くなりました。

そして井上ヴォルフガング。
純朴な青年が、その才能ゆえに周囲の人とは違う扱われ方をして、もしかすると自分の意志とは反した人生の方向に流されてしまったのかもしれないかと思わせるものでした。

実はヴォルフガングの独り言(少年時代のアマデに接する場面など)が、二人とも少々言葉が異なるのです。

当然、家族や周囲の人間の接し方も変わってくるはずです。
まるで、「もし、成長したヴォルフガングがこういう性格だったなら」と、二通りの生き方を観たような気がしました。
ヴォルフガングの妻のコンスタンツェ(hiro)。
話す言葉の内容は同じですが、彼らを見るその眼差しに違いが見えました(二人のヴォルフガングの印象から、そう見えただけなのかもしれません。悪しからず)。
中川ヴォルフガングの突き進む姿には、自分の理解を越えて、どう接すればいいのか戸惑いの色が隠せません。
一方、井上ヴォルフガングには純朴な青年ゆえに微笑みかけて面倒をみようとする眼差しが見られます。

シカネーダー(吉野圭吾)にしても然り。
一歩下がって見上げるか、共に歩もうと肩を組み歩くのか、どちらにしても二人のヴォルフガングが招く結果は同じなのですからうまくできたダブルキャストです。

さて、二階から見下ろすと、舞台の上が楽譜や音符で描きつくされているのが見えます。
この作品は高い場所での演技も多いため、そこにいる人物の動きがよく見渡せるのです。

初演から同じメインキャストという作品はそうはないので、つい作品を別の角度から観てしまいましたが、これも「演劇」を楽しむ観客の楽しみ方の一つと言うことで。
早いもので、24日には中川ヴォルフガングが、そして25日には井上ヴォルフガングが千秋楽を迎えます。

脚本・歌詞・ミヒャエル・クンツェ、音楽・シルヴェスター・リーヴァイ、演出・訳詞・小池修一郎、音楽監督・甲斐正人、美術・堀尾幸男、照明・勝柴次朗、振付・前田清実、衣裳・有村淳

※公演詳細は東宝の公式サイトで。

(帝国劇場にて)
『続オールド・バンチ』(12/12-21)
昨年、うかうかしていたらパラダイス一座旗揚げ公演のチケットは完売。今年こそはと臨んだ舞台です。
案の定、当日券で入場した観客も含めて客席は満員。(それでも毎日当日券は出るようです)

さて、先日のフォーラムが伝統芸能の重鎮なら、この舞台は演劇界の重鎮ばかりが登場しています。
(先頃文学座アトリエ公演で『華々しき一族』を演出した)戌井市郎をはじめとした名立たる演出家たち、そして本多劇場の経営者も出演者として名を連ねています。
そして、「お客様へお願いです。携帯電話のスイッチをお切りください・・・」と客席で注意事項を伝えているのは、この作品を演出した流山児祥。
知る人ぞ知る贅沢な環境で芝居の幕が上がりました。

もちろん、観にくるのが「誰だか知っている」観客ばかりではない作品作りになっています。
そして昨年初演された舞台の再演ではなく、新作の上演であるところに、作り手の心意気が感じられました。
冒頭で述べたように、今回初めて観に行きましたが、前作の予備知識なしで楽しめるものです。

脚本は佃典彦。最近では、文学座で上演された『ぬけがら』が記憶に新しいところです。
芝居の設定も、44年ぶりに再会した「日本暗殺者協会」の仲間うちの話という、現実ではあり得ない話です。
しかし奇想天外でありながら伝えたいものがはっきりと見えた脚本に、出演者も活き活きと振舞っていました。
何を目的に観に行くかは、観客次第。

終演後に、パラダイス一座のオールド・バンチシリーズ次回予告がありました。
2009年2月、下北沢本多劇場という、このスズナリよりも大きな劇場です。
こちらもまた新作の上演となるようで、まだまだ彼らの邁進する姿が見られそうです。

脚本・佃典彦、演出・流山児祥、美術・妹尾河童、照明・沖野隆一、音響・藤田赤目、映像・工藤真路、振付・北村真実、衣裳・大野典子

(下北沢ザ・ズズナリにて)

※公演詳細は流山児★事務所のサイトで。

「伝統から、未来へ」竹本住大夫&中村吉右衛門
日本経済新聞社が主催した「伝統から、未来へ」と題したフォーラムがありました。
この内容は新春に同誌に掲載されるので、ここでは所感を述べようと思います。

この対談は、フォーラムの案内文の言葉を借りると、‘「文楽」の顔にして人間国宝の竹本住大夫と「歌舞伎」名門、二代目中村吉右衛門’の二人が江戸初期に生まれた舞台芸術の技と魅力を惜し気もなく披露して語るという大変贅沢なものでした。

文楽太夫の竹本住大夫は、さすがに語りの専門家。言葉に趣と、話題に面白味があります。
浄瑠璃は純粋の大阪弁で、大阪生まれの大阪育ちの師匠からみれば、東京の言葉は’訛っている’のだそうです。
その訛りの無い言葉で語る浄瑠璃の芸の難しさ、さらには語りのコツまで、わかりやすく実演を交えて説明する姿には、中村吉右衛門もメモを取りながら耳を傾けていました。

竹本住大夫は、1923年(大正13年)に生まれ、1989年(平成元年)に人間国宝となった伝統芸能の重鎮です。
文楽の世界に世襲制はないこと、そして自分は好きでやっているという言葉に、芸を極めようとする志、教わる心の大切さがひしひしと感じられました。
「習わんお経は読めん」と言い、経験者から学ぶことの大切さ、素直な心で教えを受ける姿勢に心を打たれました。
作品への取り組みの話だったでしょうか。「私たちのような若いもんが・・・」と、口をついて出るその気構え、そして弟弟子からも学ぼうという謙虚さが、芸を高めているのだと思いました。

一方、世襲の世界に生まれた中村吉右衛門は、歌舞伎役者になり、播磨屋を継ぐこと(兄の松本幸四郎は高麗屋)を当然と思う環境で育ってきたこと、その中で感じたコンプレックスについても若い時代を振り返り述べていました。
吉右衛門と言えば誰もが感嘆する品のある歌舞伎役者です。
若いころに抱えていた様々な苦労と苦悩の末、今の吉右衛門があるのだと思い知りました。
世襲制度の色が濃い歌舞伎の世界ですが(現在は名のある役者しか大きな役につけないという実情)、今後は芸の素質を持った人材がもっと活躍できるようにしていきたいと強く望んでいました。

夏に行われた国立の研修制度の発表会を観ましたが、そこで中村吉右衛門は指導にあたっていました。
優れた芸を観ることは観客の楽しみでもあるので、通常の歌舞伎公演でも彼らの活躍が待たれます。
ますます伝統芸能の世界から目が放せなくなりました。
これまで生で観たことのなかった「文楽」についても興味を抱いたことは言うまでもありません。

二人の偉大な伝統芸能の第一人者の話を伺いましたが、志と取り組む姿勢が自然と芸を高めているのを実感しました。

それでは、新春の日本経済新聞の誌面をお楽しみに。

(日経ホールにて)

※12月17日の日本経済新聞(夕刊)の「今年の収穫(上)」と題された記事に、中村吉右衛門『熊谷陣屋』の熊谷直実の役が挙げられていました。

※2008年2月に国立劇場で竹本住大夫が出演する文楽の公演があります。
 詳細は国立劇場のサイトで。
『失踪者』(11/15-12/8)
12月22日(土)まで地方公演が行われているので、東京での公演は終わっていますがご紹介します。
結末に少々ネタバレがあります。

世田谷パブリックシアター10周年記念の一貫として、カフカの『審判』と『失踪者』(構成・演出・松本修)が、シアタートラムで交互上演されるという試みがありました。
審判』の舞台セットを背景に、交互上演中の一日だけ『審判』をテキストとした文芸漫談(語りは、いとうせいこう、奥泉光)も、このシアタートラムで行われました。

さて、間を置かずして『失踪者』の公演を観に行くと、日々交互上演しているにもかかわらず、驚いたことに『審判』とはちょうど反対側に客席が設けられていました。
これが経験を積んだ劇場のなせる業なのでしょうか。
ちょうど入り口のある側をステージとしたその作りは、席に着くまでの道のりが舞台の一部のように感じられ、作品への期待が高まります。
「孤独の三部作」と呼ばれる作品の一つ『失踪者』については、実は小説(訳・池内 紀、白水社刊)を読む限りでは、どうも焦点が定まらないという気がしていました。
カールというドイツ人の17歳の少年が、不祥事から両親によって単身アメリカに送り出され、トラブルに巻き込まれた時に、偶然、議員である彼の伯父と巡り合うという幸運により特別な待遇を受けます。
しばらくするとその伯父から見放され、一人見知らぬアメリカの土地で出会う人々にそそのかされ、また運よく目をかけられた挙句、妬まれ放り出されてしまうなど、正に波乱万丈の生き方の軌跡の物語です。
運命に翻弄され続けたカールが、ようやく自身の意思で彼の人生を歩き始めた時、小説はそこで終わってしまいます。終わるというより、まだまだ続くことを予感させるのですが、舞台ではこの『失踪者』というタイトルにふさわしく、列車に乗せられ、観客である私たちが彼の行方を見失ってしまうこと自体、カールが、そして列車の同乗者が‘失踪者’となることを意味づけています。

この作品は、過去に2回、同じ演出家の手により『アメリカ』というタイトルで上演を重ねてきたそうです。残念ながら『アメリカ』は観ていないのですが、それに手が加えられたのが本作品というわけです。
カールが直面する人生の転機ごとにカールを演じる役者が変わって行く手法や、役者に対する時間の経過を感じさせる振付(振付・井出茂太)などは、大変緻密によく練られた無駄の無い作品という印象を受けました。
3時間40分という長い上演時間ではありましたが、何かこの不可思議な世界に浸る心地よさのようなものが感じられました。
 
2作品を同じ劇場で観た観客は、同じ役者による上演、そして客席の日々変わる配置に、カフカの主人公のように翻弄される感覚を味わったこととでしょう。
シアタートラムでの上演を終え、『失踪者』だけが各地で上演されているわけですが、時間をかけて作り上げられたこの作品には、作品の良き理解者を得たような、そんな満足感がありました。

原作・フランツ・カフカ、構成・演出・松本修、振付・井手茂太、美術・伊藤雅子、照明・大野道乃、音響・市来邦比古、衣裳・オルガ・カルピンスキー

(シアタートラムにて)

東京公演は、2007年11月15日(木)~12月08日(土)まで行われました。
※こちらは地方公演も継続中の公式ブログです。

[地方公演]
2007年 12月13日(木)まつもと市民芸術館、16日(日)仙南芸術文化センター(えずこホール)、18日(火)盛岡劇場、21日(金)・22日(土)札幌市教育文化会館

☆作・フランツ・カフカ、訳・池内紀「失踪者」白水社
 

『死ぬまでの短い時間』(12/4-30)
このタイトルと出演者(秋山菜津子、北村一輝、田中圭)から生じる‘何か’を期待していました。
作者にもそんな意気込みがあったのではないでしょうか。
意表を突いて登場する人物、そして「死」の世界。
背景の音楽は生バンドの歌と演奏。そしてダンス。
ダンスの振付は井手茂太。
いわゆる踊りとしての美しいダンスの振付とは異なり、コマ送りのような動きと繰り返される振りに特徴があります。
作品によっては効果的ですが、それを芝居に活かす演出の難しさも、観ていて痛感しました。

「崖っぷちまで行って欲しい」というお客が岸壁から身を投げたことから、そこまで乗せたタクシー運転手のシミズ(北村一輝)に、陰では自殺幇助の噂が立ちます。
シミズの行為を非難する父と反対意見の少年(田中圭)、そしてシミズのタクシーに乗ろうとする女(秋山菜津子)。その他に一組の男女のいざこざなどがもたらす物語。

関係の無い人物がどこかで交わるそのつなぎと前後の関係性が希薄に感じられ、登場人物が発する言葉に残念ながら私自身は意味を見出だせませんでした。
客席に座っているだけの自分の存在が、もどかしく感じられます。
観客は、作品を理解したいという潜在的な欲求を持っているものだと思いました。

懸命に演じる俳優たち。
なかでも秋山菜津子が彼女自身の表現で‘言葉’を伝えようとしているのが感じられます。
生バンドが入る他に、照明(沢田祐二)、美術(磯沼陽子)などもかなり贅沢なスタッフで構成されているのですが。

作・演出・岩松了

(ベニサン・ピットにて)

『恐れを知らぬ川上音二郎一座』(11/10-12/30)
11月7日にシアタークリエがオープンしてからちょうど一カ月を過ぎた頃に、もう一度観に行きました。
講談師に扮する堺正章が、この一カ月を振り返りしみじみと述べていたその気持ちが観客にも伝わってきました。
作・演出の三谷幸喜は、幕が開いて以来、毎日ダメ出しをし続けて、自分が書いたにもかかわらずココはオカシイと言っては直していた、などとホントかウソかわからないような話で観客の心を捉えていました。

三谷幸喜作品と言えば、役者への当て書きでも知られていますが、この作品は‘劇場への当て書き’のように見えます。
アメリカへ渡った川上音二郎一座が、ボストンの劇場で明日の初日のために舞台で稽古しているという設定です。
舞台となるのは、まるごと実際の劇場です。
そのため、外からやってくる役者たちは、客席を通って舞台に上がるのです。
この劇場(シアタークリエ)が回り舞台を備えていることも、芝居の流れで見せてくれます。
ここでは観客はもちろん存在していないわけですが、悪戦苦闘の末に幕を開けた芝居の場面では、「参加型」と称して劇中劇を鑑賞する観客として私たちは存在することになりました。
劇中劇もあり、上演時間がプレビュー初日には休憩含め4時間近くありましたが(現在は3時間20分ほど)、テンポも良く、話の内容も芝居に集中しているので、その過程を楽しむような作品になっています。

座ったのは最後列から2列目でしたが、舞台との距離をそんなに感じず、舞台を見る高さは前方の席よりも逆にちょうど良いくらいの見やすい席だと感じました。
前列の観客の頭が気にならない傾斜が気に入りました。
そしてこの作品にとっては、この辺りの方が数倍も楽しめるのです。
と言うのは、前方の席からは全く見えなかったボックス席にも種が仕掛けられているからです。

さて、ここからは劇場そのものについて述べましょう。
プレビュー初日に抱いた劇場への懸念は、一つひとつ解決されていたことをお伝えしなければなりません。
リピーターが多かったのか、一階にあるロッカー(無料)へ直行する利用者が目立ちました。
そして大変な混雑を見せていたホワイエは、今回は広々として見えます。
中央に置いてあった大きなソファーが全て取り払われていて、人の往来も楽になりました。
そうなると、奥にある売店のカウンターでコーヒーでも買おうかしらという気になります。
テレビで見かけた名物のスイーツを購入するお客が結構いました。
女性用トイレへの誘導も、ホワイエが広く使えることにより、並ぶのもそう気にならなくなってきました。
さて、あの大きなソファーはどこへ行ったのかと言うと・・・一階の入場エリアの壁沿いに置いてありました。
待ち合わせや、荷物を置いてコートを着るのに、ちょうど良い場所です。

試行錯誤の末、それぞれの役目を果たし始めた劇場の、今度は使い勝手の良さを見つけるのは、観客の楽しみでもあると思います。

作・演出・三谷幸喜 、美術 ・堀尾幸男、照明・服部基、衣裳・黒須はな子

※公演詳細は東宝の公式サイトで。

(シアタークリエにて)
『ライト・イン・ザ・ピアッツァ』(12/7-16)
劇場に入って目に飛び込んできたのは、フィレンツェの広場(ピアッツァ)の風景です。
中央にオーケストラピットを作った舞台の、その周囲をプールサイドのごとく登場人物が歩き回り、物語が始まります。

1953年夏、イタリアのフィレンツェが舞台。
アメリカ人のマーガレット(島田歌穂)と娘のクララ(新妻聖子)が美術館巡りを楽しんでいます。
帽子を拾ったことから、イタリア人の青年ファブリーツィオ(小西遼生)とクララは互いに恋に落ちました。
彼の家族とも会い、クララは気に入られますが、この急な展開にマーガレットは気が気ではありません。
彼女の両親が躊躇するのは、クララの抱えるある障害ためなのです。
そのことを言い出せずにいるうちに、ついには婚礼の話にまで進み・・・。

演出は、ミュージカルの演出が『OUR HOUSE』に続いて2度目となるG2
作品が象徴するのは、クララの素直で純粋な心です。
それを素直に受け止めた人々との関係で、彼女が人間として成長して行く姿を‘愛’を通して描かれています。特別な手法で。

ファブリーツィオと家族がこのフィレンツェで交わす会話はイタリア語。
そして登場人物の家族は皆、イタリア語で普通に話しています。
プログラムの解説を読むと、観客にもクララたちが異国の地で味わうような言葉の通じないもどかしさを感じて欲しいからという演出なのだそうです。
言葉が通じないとわかった時、相手の意志を全身で理解しようとする経験は誰でも持ったことはあるでしょう。
その感覚です。
誠意を伝えたい、そして理解したい。これがクララのことを理解する人々の全てだと思いました。

さらにこの作品の優れているところは、複雑な心の葛藤、愛であったり、不安であったり、それらが乗せられている旋律にあります。
一度で覚えられるような簡単なフレーズではありませんが、歌という表現に長けた役者により、伝えられることに魅力を感じました。

母の心配、クララとファブリーツィオの愛の喜び、そしてファブリーツィオの父親の鈴木綜馬、母親の寿ひずる、兄嫁のシルビア・グラブ、それぞれが不安も喜びも感情の全てを旋律に乗せた高度な楽曲の魅力を存分に聴かせてくれました。
ミュージカルであることを忘れさせるミュージカルとでも言いましょうか。
新妻の透明感ある存在と小西の技量にも勝る真っ直ぐな歌声が、この作品を愛おしいものにしています。

アメリカのミュージカル作品としての存在は知っていましたが、楽曲や作品の内容までは知りませんでした。
輝かしい受賞歴もありますが、まずは自身の目で耳でそして心で感じて欲しい作品です。

演出・翻訳・G2、音楽監督・島健、振付・前田清実、美術・松井るみ、照明・高見和義、衣裳・原まさみ

(ルテアトル銀座にて)

☆洋書「The Light in the Piazza 」
 

☆作・エリザベス・スペサー、訳・青木秀夫「天使たちの広場」早川書房
 この作品の原作の邦題です。

『カルメン』(11/25,28,12/1,4,6,9)
新国立劇場オペラ劇場での公演です。
演出は、文学座の鵜山仁。この劇場の演劇芸術監督でもあります。

芝居の『カルメン』は過去に2作品観たことがありますが、オペラでの観劇は初めてでした。
そうはい言っても、ビゼーの有名な楽曲は、どの場面でも聴いたことがあるものばかり。
リフレインされる曲の、その場面の状況によってアレンジされているところを興味深く聴いていました。

煙草工場で働く町の男性の憧れの的、カルメン(マリア・ホセ・モンティエル)の愛憎の物語。
カルメンの満更でもない態度に、伍長のドン・ホセ(ゾラン・トドロヴィッチ)は見境なく彼女に溺れていきます。
そこに颯爽と現われた闘牛士のエスカミーリョ(アレキサンダー・フィノグラードフ)。彼はカルメンを一目で気に入り、彼女もエスカミーリョに心が傾き始めます。
次第に人生を転落していくホセ。
タロットカードの占いは、カルメンの「死」と出ますが、果たしてその行方は・・・。

小説の戯曲化よりも、オペラでは登場人物のインパクトの強さが人物の相関関係を浮き彫りにしており、より演劇的に作品を鑑賞することができました。
ふと、舞台の貴婦人に目が止まりました。そして、エスカミーリョが従えている闘牛士にも。
文学座の松岡依都美松角洋平です。
異国の地で知人と出会った感覚で、舞台の彼らの役割を眺めていました。
プログラムを読むと、この作品では、登場人物を演じるオペラ歌手、群衆を演じる合唱の歌い手(子役として少年少女合唱団も参加しています)、そして舞台の人物により深みを見せる俳優、ダンサーと、様々な分野の人々が参加しているのがわかります。

主役のカルメン以外に聴衆に指示されていたのは、ホセに想いを寄せるミカエラ(大村博美)。
バリトンの闘牛士エスカミーリョ役アレキサンダー・フィノグラードフもなかなか魅力的です。
彼の舞台写真は売り切れるほどで、女性の観客の休憩時間の話題は、新国立劇場初登場の彼の話で持ちきりでした。

チケット代金は海外から招聘して上演される作品より安価に設定されているので、しばらくはここ新国立で作品の知識をつけたいと思います。

作曲・ジョルジュ・ビゼー、台本・アンリ・メイヤック、リュドヴィック・アレヴィ、原作・プロスペル・メリメ
指揮・ジャック・デコラート、演出・鵜山仁、美術・島次郎、衣裳・緒方規矩子、照明・沢田祐二

(新国立劇場 オペラパレスにて)

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。
『かどで/華々しき一族』(11/29-12/13)
上演に先駆けて行われた「森本薫の世界」のシンポジウムでは、出演者が口々にこれらが昭和10年に森本が23歳の時に相次いで発表された作品であることを尊敬と驚きの念を持って述べていました。
特に女優陣が、あの若さでの女心の描き方に驚嘆していました。
本日正にその世界を目の当たりにしたわけです。
二人の演出家による文字にされていない部分の人物の描写も大変興味深いものでした。

かどで』では、その家の主である若い経済学者・外彦(浅野雅彦)の、潜在的な欲求とでも言うべき、家政婦(添田園子)に対して彼の想いが突き動かされるような行動とその表情に胸を打たれました。
外彦は、世間に対して、そして娘婿としての立場と役割をきちんと務める常識そのもののような人物に見て取れます。
その彼の静かな表情に、言葉には表われていない「男心」が描かれているように感じました。
一方、言葉に表われるところに、お金を無心に来る実弟と病床の娘の母であるやす子(倉野章子)の外彦への気遣いと、この家を支えているプライドとも言うべき女の強さを感じていました。
前者は演出の、そして後者には作者と演じる役者の想いが伝わるようでした。
登場人物の誰に関しても詳細な紹介の無い脚本に、作者・森本薫と芝居の作り手との信頼関係を感じました。

演出・森さゆ里、美術・石井強司、照明・古川幸夫、音響効果・秦大介、衣裳・伊藤早苗

さて、同じ舞台装置で、異なるタイプの作品の上演です。
二本目の『華々しき一族』は、対称的なほど登場人物の背景がセリフの中に描かれています。
映画監督と女優の互いに子供を連れての再婚。
華々しい親たちの下、のうのうと生きているようで、実は振り回されているように見える3人の子供たちの姿が面白く感じられました。
子供、と言っても、お酒を嗜む20代の兄(高橋克明)と姉妹(石井麗子、高橋礼恵)です。
映画監督の父親(飯沼慧)の弟子である男性(押切英希)を巡る姉妹と兄の想い、思惑、そして女優である母親(稲野和子)の存在、意外な展開など、一筋縄ではいかない「恋心」のような物語です。
何より驚かされたのは、物語の大きな展開の前のプレイバックです。
舞台でこんなことがあり得るとは!

演出・戌井市郎、美術・石井強司、音楽・池辺晋一郎、照明・古川幸夫、音響効果・秦和夫

両作品とも森本薫の23歳の時の作品であることは、作品の斬新さが物語っているのかもしれません。
観客は、もっともっと、この作家の作品を観たくなることでしょう。

(文学座アトリエにて)

※『華々しき一族/かどで』公演の詳細は、文学座のサイトで。
 写真はアトリエ内で販売している文学座の会報誌(100円)。公演について参考になる内容が掲載されています。


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