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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
『この生命誰のもの』(9/16-10/7)
作・ブライアン・クラーク、潤色・演出・浅利慶太。
劇団四季では1979年に初演され、何度も再演を重ねていたようですが、個人的にはようやく観る機会を得たという感じです。
その後、舞台を日本の設定に移す潤色が行われたということも、今回プログラムを読んで初めて知りました。

この物語の主人公は、事故により脊髄を損傷し、首から下の自由を奪われた早田健という男性です。
この早田の役も、日下武史、石丸幹二を経て、今回は味方隆司が演じます。

物語は、彫刻を専門とする美術の教師が、若くして手足の自由もきかずに病院のベッドの上で一生を過ごすことを宣告され、病院側の措置に対して「自分の生命の尊厳」についてその考えを実行していく過程、そしてこの舞台の上で下される結論を描いたものです。
これは観客、そして世間への問題提起だと感じました。個々が「生命の尊厳」について考えるための。
ですので、その内容に触れることは、あえてせずにおこうと思います。

首から上の演技だけで、観客をも引き付けて止まなかった早田を演じる味方隆司
頭脳明晰な早田という男性が、どんな人物で、彼に係わる人々にどんな影響を与えていくか、脚本の世界だけでなく、扮する味方は、その言葉と表情で彼の心の内をよく伝えていました。
女性の担当医や看護婦に対して、少しふざけて発した言葉を恥じて詫びる時の理性と羞恥心を失わない彼の姿は、胸を打たれるほど切なく感じられました。

味方と言えば、市村正親が劇団に在籍していた頃に得意としていたミュージカルの役を次々に演じていた記憶があります。
それも遠い昔のこと。
再演をほとんど観る機会の無い自分にとっては、初めて観る彼のストレートプレイ主演作品でした。

この作品は背景に音楽が流れることもない、全くのストレートプレイです。
味方のように、感情を豊かにセリフで表現できる俳優もいるので否定はしませんが、辛口なことを承知で言うと、劇団四季のストレートプレイは、その独特の朗唱法をきちんと体現できないと、舞台の上で俳優が言葉を発しているだけ、という退屈な作品になってしまう印象が昨今の作品から拭えないでいました。
しかし今回は、半数以上を外部出身の俳優に支えられ、息を吹き返したように、その作品のメッセージを観客に伝えてくれています。
1980年に上演されたチェーホフの『かもめ』に惹かれてこの劇団の作品を観ようと思った、その時の感動が蘇るような尊い作品だと思います。

作・ブライアン・クラーク、訳・新庄哲夫、潤色・演出・浅利慶太、照明・吉井澄雄、美術・土屋茂昭

※医療関係の用語について、劇団の公式サイトに解説があります。

※公演詳細も、劇団の公式サイトで。

(劇団四季自由劇場にて)

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えびす組劇場見聞録第26号
えびす組劇場見聞録第26号が出来上がりました。
メンバー4人がそれぞれ選んだ作品と評をお楽しみください。

こちらをクリックすると、「えびす組」のホームページに跳んで、お読みいただくことができます。
また、「えびす組劇場見聞録」第26号は、下記の劇場に設置されています。
劇場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。

◆THEATER/TOPS◆タイニイ・アリス◆シアターサンモール◆駅前劇場
◆世田谷パブリックシアター◆シアタートラム◆こまばアゴラ劇場
◆テアトルフォンテ◆相鉄本多劇場◆ベニサン・ピット◆シアターX
◆銀座小劇場◆STスポット◆カメリアホール◆みどり会館
◆シンフォニア岩国◆山口情報芸術センター◆北九州芸術劇場
◆七ツ寺演劇情報センター◆文学座アトリエ◆サイスタジオ
◆山手ゲーテ座◆シアターZOO◆にしすがも創造舎◆横浜赤レンガ倉庫1号館
◆急な坂スタジオ◆まつもと市民芸術館
◆画廊Full Moon◆new!!
(順不同)

info.1
えびす組2007年前半の一本!を「あとがき」に掲載しています。

info.2
「えびす組劇場見聞録」ホームページ掲載演劇作品一覧も、演劇に興味がありましたらご覧ください。過去に取り上げた作品を掲載しています。

劇場に置かせていただいているのは、B5サイズ縦書きの瓦版。
見かけたら、手に取ってみてください。
『PIAF』(9/24-10/8)
作・パム・ジェムス、『PIAF』。
フランスの歌手、エディット・ピアフの物語。
彼女のことをどれだけ知っているでしょうか?
シャンソン歌手、「愛の賛歌」や「バラ色の人生(LA VIE EN ROSE)」で有名…今でも彼女の歌声は至るところで聞くような気がしますが、どんな生き方をしていたかを問われると、私には答えられません。
彼女の葬儀には4万人の人々が集ったなど、知るにつれ、その歌声の向こうにある姿への関心が募ります。
フランスではまだ人々の記憶に残るその人物像を、姿かたちをそっくりに描いた映画が大ヒットしているのだと言います。
映画の公式ブログはこちら

さて、この舞台でピアフを演じるのは、安奈淳
ピアフが街角に立ち、歌を歌って日々の生活費を稼いでいた頃から始まります。
せっかく歌声がクラブのオーナーに認められた矢先の彼女の殺人への嫌疑など、歌手として愛されるまで波乱に満ちて47歳でこの世を去るまでの彼女の生き様。

ピアフの姿を真似ることなく、歌も安奈淳が彼女自身の歌い方で、劇中のピアフの歌手としての存在と魅力を存分に観客に信じさせてくれます。
舞台には舞台の表現がある。
ページをめくるがごとく見せる手法が、ピアフが人生を一気に駆け抜けたことを印象づけていました。

それにしても、ピアフは名声を手に入れた後も、なんて寂しい生き方をしていたのでしょう。
彼女を取り巻く、彼女が必要とする愛情を満たすのに、若い男性が次々と登場します。オーディションで選ばれたという役者たちの魅力がピアフの生き方を浮き彫りにしていました。

柔らかなピアノの演奏(阿部篤志)にのせて、安奈淳の体の底から湧き上がる歌声で、数々のピアフの名曲が歌われます。

作・パム・ジェムス、訳・常田景子、演出・亘理裕子、音楽監督・後藤浩明、
美術・中根聡子、照明・笠原俊幸、衣裳・萩野緑

(ベニサン・ピットにて)
『秀山祭九月大歌舞伎』夜の部
バラエティに富んでいた昼の部、夜の部も秀作ばかりが並びます。
夜の部の演目は、『壇浦兜軍記 阿古屋』『身替座禅』『二條城の清正』。

壇浦兜軍記 阿古屋』は、平家滅亡の後、源頼朝の命を狙っている景清の潜伏先を白状しろと、秩父庄司次郎重忠(吉右衛門)は景清と恋仲だった花魁の阿古屋(玉三郎)を尋問していました。
しかし、その助役、岩永左衛門(段四郎)が、その尋問は手ぬるいと申し立て、阿古屋を面前に引っ張り出します。
知っていたら白状していると言い張る阿古屋の言葉に偽りがないか、重忠は彼女に琴、三味線、胡弓を演奏させて、その心に乱れがないか確かめる策を取りました・・・。

阿古屋を演じる玉三郎が、次々とそれらの楽器を奏でていくところが見所、聞き所です。
以前、『盲目物語』で玉三郎がお市の方として琴を奏でる姿に魅了されましたが、今度は花魁の華やかなカツラと衣裳をつけて演奏する姿は、実に美しい。

次なる『身替座禅』は、新年に浅草公会堂で、中村獅童が奥方の玉の井に扮して、浮気した夫をものすごい形相で追い回すのを観ました。
今度はその上をいくような配役です。
大名・山蔭右京に團十郎、その家来の太郎冠者に染五郎、そして奥方・玉の井に左團次。
左團次と言えば、迫力ある目ヂカラを備えた渋い役者です。もちろん、今まで立ち役としてしか観たことはありません。
家来はもちろん、その家の主も恐れる奥方です。
クワッと見開いたその瞳と言ったら・・・。

さて、最後は『二條城の清正』です。
幼いころに豊臣秀吉に引き取られて面倒をみてもらった加藤清正(吉右衛門)。
時代は家康により、豊臣から徳川に移りつつあります。
慶長16年。秀頼上洛の準備が、舞台上の張り詰めた緊張感の中で鎧や刀を身に着け進められていきます。

それから6年後。
徳川家康(左團次)との面会を二條城で行うため、秀頼(福助)について清正も城へ上がります。
出される食事に毒が盛られているかもしれない緊迫感の中、家康、秀頼、そして清正の静かな駆け引きが行われます。
始まりから終わりまで客席は静まりかえり、演奏もほとんどない静寂の中、役者の目だけが物語っていたのでした。
秀頼と清正の信頼関係が深く描かれている作品です。

(歌舞伎座にて)

※公演詳細は歌舞伎座のサイトで。公演は26日まで。
『エウメニデス』(9/14-23)
前日は、ギリシャ悲劇の三大作家の一人、エウリピデスが登場する舞台を観ました。
ボロを纏って異臭を放つ彼が観客に、系図を用いてわかりやすくゼウスからオレステースの世代までの解説をしてくれたのが、今日のこの作品を観るのに大いに役に立ちました。
エウリピデスが面白おかしく語る中で、「バスタブでアガメムノンは殺されたんだよ、これはホント」と言っていましたが、どうやらそれは正しかったようです。

さて、それはさて置き、この作品の演出はイスラエル人のルティ・カネル。
アイスキュロスの描くギリシャ悲劇は、他の二人、ソフォクレスやエウリピデスより美しいと、プログラム中で述べています。

その物語とは、クリュタイメストラ(平栗あつみ)の亡霊が呼び覚ましたエリーニュス(復讐の女神たち)と呼ばれる醜いものたち。それらが母親を殺したオレステース(瑞木健太郎)を執拗なまでに追い回します。
オレステースは、アポロン(真那胡敬二)の神託によってそうしたのだと主張し、アポロンに救いを求めます。ゼウスの頭から生まれたという女神アテナ(金子あい)はオレステースを庇護し、アテナは裁判を開くことにしました。
アテナによってオレステースの罪を問う裁判が行われる、その結果を私たち観客は劇中の‘市民’となり、アテナが下す判決を待つのです。
エリューニアスがエウメニデスに変わるその結末。
エウメニデスとは、‘慈しみの女神たち’

‘フラットな正方形の舞台設定。周り四方を囲む101席’(プログラムより)という特別な劇場空間の中で上演されました。
閉塞した舞台の中心で、恐ろしいほどの怨念を抱く亡霊のクリュタイメストラを演じる平栗あつみの激しさには、この作品を動かすほどの存在感がありました。
そして、輝くばかりの白髪と、純白の衣裳を纏って登場するアテナ。金子あいの真っ直ぐに見つめる視線と明瞭な声が、アテナがいかに聡明であるかを物語っており、その先の判断を女神アテナに託して解決を迎えるこの結末を見守ることができました。

作品のタイトルの前につくのが「21世紀ギリシア芝居」。
今この時代に上演される意味を考えてみなくては。

作・アイスキュロス、構成・演出・ルティ・カネル(イスラエル)、翻訳・谷川渥、
音楽・ミカ・ダニ(イスラエル)、衣裳・加納豊美、シルリ・ガル(イスラエル)、照明・清水義幸

※この作品は、9月23日に幕を降ろしました。

(シアターXにて)

『アルゴス坂の白い家』(9/20-10/7)
新国立劇場 開場10周年記念フェスティバル公演として、「三つの悲劇 ギリシャから」というテーマで三作品が上演されます。
その第一弾がこの作品。
ギリシャ悲劇の中で、今回の主人公はエレクトラとオレステスの母親クリュタイメストラ。佐久間良子が扮します。

稽古日直前、上演のため悲劇を書きたい、けど書けないと苦悩する作家・島岡(中村彰男)。
路上でギリシャ悲劇の三大作家の一人、ボロを纏ったエウリピデス(小林勝也)に出会い、「悲劇の書き方」を乞います。
なぜ、今、悲劇なのでしょう?
そこに、悲劇へと向かいつつある現代に対する警鐘なのか、という想いを抱きました。
ロープ』(作・野田秀樹)も、『エレンディラ』(脚本・坂手洋二)も、その要素を充分に含んでいました。
半世紀を生きてきた作家が鳴らす警鐘。
この作品の作は川村毅。

さて、舞台の上でその悲劇をどう表現しようかと、作家・島岡は試行錯誤しています。
ちょっと意外なオープニングの理由も(その手法は却下されましたが)、理解できる気がします。
そんなにまで悩んで書いた本は、エレクトラと母親クリュタイメストラの確執と悲劇の物語。
ただ、何か様子がおかしい。
現代を生きる悲劇の登場人物たちには、もうかつての殺意はありません。
どうやって名のある人々の生き方として決着をつけるのか。
そこに至るまでを川村毅は、もっとダイレクトに私たちの生きる日常をえぐって描きました。

正味2時間半の作品に、ギリシャ悲劇に端を発して様々な感情と情報が織り込まれ、正直なところ、その場の出来事を受け止めるのに精一杯でした。
そんな中、頭のフィルターを通して自分に残ったのがこれです。

『エレクトラ』というギリシャ悲劇の登場人物の関係を知って観たら、もしかしたらパロディに思えるところもあるかもしれません。
知らなくても、劇中のエレクトラ(小島聖)の叫びに耳を傾けていれば、現代に生きる彼らが何にこだわり、苦しんでいるのかを知ることができるでしょう。

今をときめく作家が次々と鳴らす警鐘に、私たちは何を考え、何をすれば・・・。

作・川村毅、演出・鵜山仁、美術・島次郎、照明・服部基、音楽・久米大作、衣裳・原まさみ


(新国立劇場 中劇場にて)

※公演詳細は、新国立劇場のサイトで。 

☆作・ソポクレス「ギリシア悲劇(2)」筑摩書房   「エレクトラ」を収録。
 

☆作・エウリピデス、訳・山形治江「オレステス」れんが書房新社
 劇中に登場するエウリピデスの書いた作品。
 

『秀山祭九月大歌舞伎』昼の部
昨年に引き続き、「秀山祭九月大歌舞伎」が行われています。
この「秀山」とは、初代中村吉右衛門の俳名だそうです。
その昼の部は『竜馬がゆく 立志篇』『一谷嫩軍記・熊谷陣屋』『村松風二人汐汲』と、興味深い演目ばかり。

さて、最初は『竜馬がゆく 立志篇』。
テレビの時代物でも竜馬を務めた市川染五郎が、日本を国というくくりで建て直そうという志しを抱き、勝海舟と出会うまでを爽やかに演じているのが魅力の舞台です。
三階席からオペラグラスで、竜馬を取り巻く土佐郷士を見回すと・・・先月「稚魚の会・歌舞伎会 合同公演」で活躍していた役者が何人も見えました。
大きな役で覚えた彼らの活躍に、注目する楽しみも増えました。

作・司馬遼太郎、脚本・演出・齋藤雅文。

そして『一谷嫩軍記・熊谷陣屋』。
二代目中村吉右衛門が、初代の当たり役であった熊谷直実を演じています。
直実の武士としての忠義と悲哀の物語。
「忠臣」として取るべき姿を吉右衛門が、そして寄り添う妻の哀しみを中村福助が、心の内に秘めたそれぞれの深い想いをしっとりと演じています。

そういえば歌舞伎を見始めて間もない頃、えびす組のコンスタンツェに、その月にどの演目を観たらいいか相談したことがありました。
『熊谷陣屋』は必見、との返答でした。(2005年11月昼の部を観劇
以来、直実の胸中を演じる俳優にも気を配って観るようになりました。
演出家のいない歌舞伎ならではの、俳優に対する関心です。

余談ですが・・・お香や和紙で有名な「鳩居堂」。
1663年に‘熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心(じきしん)が、京都寺町の本能寺門前にて、薬種商「鳩居堂」を始めました’(鳩居堂のサイトより)とあります。
舞台の熊谷直実の陣屋には「向かい鳩」の家紋も描かれています。
不思議とこの作品が身近に感じられてきました。

昼の部の最後を飾るのは、舞踏の『村松風二人汐汲』。
須磨の浦に流された在原行平という一人の男性好きになった、今は魂となった姉妹の踊りです。
その姉妹に玉三郎と福助が扮しています。
二人の登場に客席から「なんて可愛らしい・・・」という声が、ため息とともに聞こえてきました。
行平との出会いから、その恋の歓びまでを二人で想う、もの悲しくも美しい舞踏です。

振付・藤間勘吉郎

公演期間も残り少なくなりました。
古典の代表作もきちんと盛り込んだバラエティに富んだ9月の舞台を、歌舞伎が初めての方にも観ていただきたいと思います。
26日まで。

(歌舞伎座にて)

※写真のように2階ロビーには、初代中村吉右衛門ゆかりの品々が展示されています。
 9月の公演詳細は、歌舞伎座のサイトで。
『シャングリラ3』(-9/17)
この『シャングリラ3』の舞台裏の様子をニュース映像で見ました。
それはまだ7月、全国ツアーが始まって間もない頃のことでした。

ニュースでは、今までステージでダンサーが踊っていた場所が一瞬にしてプールとなり、今度は水しぶきをあげながら美しいシンクロのスイマーたちの登場となる。
そんな舞台の仕掛けができるまでを追っていました。
かれこれ20年以上も前から松任谷由実のコンサートを見続けてきた聴衆にとっても、初めて見る演出です。

幻想的にスモークが漂うその上を、松任谷由実が花束を持ってステージ中央のピアノへと向かいます。
そして気が付くと、彼女が歩いてきたステージをシンクロのスイマーが水中から取り囲んでいるのが見えてきました。
その光景の、なんて美しいことでしょう。
大きな期待を以上の感動を、静かに始まるオープニングから与えてくれました。

「これはコンサートであり、サーカスであり、シンクロであり、そしてそのどれでもない摩訶不思議なステージ」であると、そこで彼女が語りました。が、まさにそれをこれから本当に目の当たりにするとは思いもしませんでした。
彼女の歌に乗せてそのイメージする世界を観る、そんな贅沢な時間であったと思います。

このステージができあがるまでに、彼女は多くの年月とショーを積み上げてきたと言っても過言ではないでしょう。
その集大成は、全曲新作のアルバムを引っ提げてのコンサートとは、一味も二味も異なります。
聴衆の聴きたいものと、さらにその上をいく選曲により、必要以上にコーラスとバンドに頼ることのないシンプルな演奏で、ショーが繰り広げられていきます。
アクロバットの連続でありながら、そのパフォーマンスには物語がある。
それは、一つ一つを鑑賞しながら、最後にお気に入りの作品を覚えて帰ろうと思う美術鑑賞のようでもありました。

パフォーマンスの共演者を、松任谷由実はショーの最後に必ず一人一人の名前を呼んで紹介していきます。
それはこの『シャングリラ』が始まった当初から変わりません。
50名以上もの主にロシア系の名前を、そして日本の共演者に至るまで、何も見ずに一人一人丁寧に姓名を読み上げるその姿勢に、彼女の一緒に作品を作り上げた人々への敬意の表れだと感じ、聴衆の胸も熱くなります。

出演者の去ったそのステージに、彼女が再び花束を捧げます。
そして静かに水で満たされたステージを、マーメイドのように美しいスイマーが現われ舞ったその後は、いつの間にか花束とともにその姿は消えていました。

『シャングリラ3』のツアーも、ついに9月17日の公演で幕を降ろします。

※こちらの公式サイトで、コンサートのCM映像が見られます。

(国立代々木競技場 第一会場にて)

☆『松任谷由実/ユーミン・スペクタクル・シャングリラ1999』コンサートのDVD オリジナル盤

 『松任谷由実/SHANGRILA#1999』コンサートのDVD リニューアル盤

☆『シャングリラ2』コンサートのDVD
 

☆会場でも販売していた、9月5日発売の新曲CD「人魚姫の夢」
 (初回生産限定盤、DVD付)
 

『ヴェニスの商人』(8/17-9/30)
知っているようで、実は作品の本質を理解していなかったと思い知ったのが、この作品。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」と言えば、知恵と勇気のあるポーシャを賢人として、そして高利貸のシャイロックを悪人として、なんとなく物語を捉えていたような気になっていました。

本を読み返すと、目を覆うほどにユダヤ人が迫害される姿、そしてその嘆きと悲しみがありありと描かれていることに気が付きます。
そして賢人と思っていた人物の、非情なまでの判断に驚きました。

さて、今回の『ヴェニスの商人』は、ユダヤ人の高利貸シャイロック(市村正親)から金を借りるバサーニオ(藤原竜也)と、その保証人になるアントーニオ(西岡徳馬)の友情以上の信頼関係を描きつつ、原作の厳しいニュアンスまで伝えています。

ポーシャ(寺島しのぶ)扮する判事が、シャイロックがアントーニオに刃を向けることを防いだ、証文により1ポンドの肉を切り取るのに血を一滴も流してはいけない、というような名セリフの後も、借金の元本さえシャイロックの手に渡らないように言い渡すその判決には、随分な非情さを感じました。
が、その前に、恋する人の求婚に対して、父の遺言を頑なに守るポーシャの潔癖なまでの気質からすると、彼女ならやりかねない、と思うのです。
その性格の描写を思い浮かべると、彼女の性質は興味深くもあります。

ポーシャの婿選びは、シャイロックやバサーニオたちの物語とは別のものに思えるほど、浮世離れした場面です。
お金に対する執着や苦労を気にも留めない一国の姫のようなポーシャの振る舞いを包み隠さず描いているところが、この作品のもう一つの見所なのかもしれません。

演出は、グレゴリー・ドーラン。英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)のアソシエイト・ディレクターです。
藤原竜也が、あと二役、面白い役に全力で挑戦しています。
世の偏見に対する教訓的な部分を、笑い飛ばすような演出に、この作品の持つメッセージが集約されているように思いました。

なかなか奥が深い、この作品。
シャイロックのどこが悪いんだ!と叫びたくなります。「復讐」が「復讐」を呼んでもおかしくない理不尽な時代。シャイロックの無念が心に染みました。

作・ウィリアム・シェイクスピア、翻訳・河合祥一郎、演出・グレゴリー・ドーラン、
装置・マイケル・ヴェイル、音楽・ポール・イングリッシュビー、
照明・隅尾良一、衣裳・小峰リリー、通訳・演出助手・薛珠麗

(銀河劇場にて)

☆訳・河合祥一郎「新訳ヴェニスの商人」角川文庫 
 

☆「ヴェニスの商人」DVD
 アル・パチーノがシャイロックを演じています。
 

『ばらの騎士』(9/1-8)
今年日本のオペラ界では‘ばら戦争’と言われるように、大きなカンパニーによる『ばらの騎士』の上演が続きます。
新国立劇場に続く第2弾は、チューリッヒ歌劇場による来日公演です。

今回注目した歌手は、ヴェッセリーナ・カサロヴァ。
話がそれますが、シェイクスピアの時代は少年が女性の役を演じていましたが、オペラでは、少年(青年)の役にメゾソプラノの女性の歌手が配されます。(『フィガロの結婚』の少年ケルヴィーノなど)
これは音楽的なバランスからのようですが、メゾソプラノのカサロヴァは、その声とボーイッシュな容姿から、青年の役によく配されています。
『皇帝ティートの慈悲』でも、カサロヴァはセストという青年の役(こちらもメゾソプラノ歌手が常の役)を得意とし、ザルツブルク音楽祭の舞台にも何度か立っているほどです。

ストーリーについては、新国立劇場の方(演出・ジョナサン・ミラー)が理解し易いと思いましたが、チューリッヒのカンパニーは、斬新な演出の中、皆、表情豊かな演技を楽しませてくれました。
3幕での、オクタヴィアンとの別れを決意する元帥夫人、心はまだ彼女に残しつつもゾフィーを想う17歳の青年オクタヴィアン、二人の関係に驚きながらもオクタヴィアンを慕う町人の娘ゾフィー、彼らが歌う三重唱には切なさが募ります。

歌が中心のオペラとは言え、演出(作品の置かれる時代背景、人物の設定)により、主張されるものも随分変わるものだと、作品を見比べて改めて思いました。

この『ばらの騎士』という作品は、主要な登場人物それぞれの立場がよく描かれているので、演劇的にみても興味深い作品です。
‘ばら戦争’の最後を飾るのは、11月のドレスデン国立歌劇場による公演です。

作曲・リヒャルト・シュトラウス、台本・フーゴー・フォン・ホフマンスタール、
指揮・フランツ・ウェルザー=メスト、演奏・チューリヒ歌劇場管弦楽団、
演出・スヴェン=エリック・ベヒトルフ、装置・ロルフ・グリテンベルク、衣装・マリアンヌ・グリテンベルク、照明・ユルゲン・ホフマン

※ヴェルディの『椿姫』と交互に上演されました。

(オーチャードホールにて)

☆チューリッヒ歌劇場「ばらの騎士」DVD
 主要キャストは来日のメンバーと同じです。
 

☆ザルツブルク音楽祭(2003年) モーツァルト:歌劇「皇帝ティートの慈悲」DVD
 ジャケットの写真は、セスト役のカサロヴァ