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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『NINAGAWA 十二夜』千穐楽
この作品の初演の観劇は、歌舞伎を見始めて間もない頃だったため、作品としてその美しい情景をただただ驚きをもって見ているだけでした。
あれから2年。
作品にも、観客にも、余裕が出てきました。

そんな観客の心を捉えたのは、女形の「女性の様式」についてです。
最近観た作品(『お気に召すまま』『THE BEE ロンドンバージョン』)でも、男性が女性を演じるその女性像に、強く関心を持ちました。

菊之助の演じる琵琶姫については、再演初日の観劇で述べたので、今回は新たな歌舞伎界の女形キャラクター、麻阿をご紹介しましょう。
扮するのは、市川亀治郎。
NHK大河ドラマで武田晴信(信玄)を演じている役者、と言えば、おわかりいただけるでしょうか。
踊りの名手である亀治郎の女形の所作には、柔らかな美しさが感じられます。

さて、今回の麻阿というキャラクター、その存在は憎めません。
むしろ多くの女性の共感を得たのではないでしょうか。
麻阿は頭の回転が早く、常識も備えています。
そして身近に感じられるその姿は、菓子をほおばる様に始まり、気もそぞろに人の話を聞き流す様、うっとうしい相手をかわす様、してやったりと罪のない策略を喜ぶ様、高笑いの数々、おだてを自慢げに遠慮する手つきまで、本当に見ていて恥ずかしくなってしまうほど、現実の女性の猥雑な部分を表現しつくしていました。

それを見る場内の笑いは、たいていは中年の女性から。
身につまされるようでしたが、高貴な美を追求する公家の織笛姫や琵琶姫の側で、仕える身として、麻阿の存在はひときわ作品を現実味のあるものにしていたのだと思います。

まだ歌舞伎観劇修業中の身で述べるのも恐縮ですが、『NINAGAWA 十二夜』で、歌舞伎の世界に新しい様式の「女性像」が誕生したと言っても過言ではないでしょう。

千穐楽。
出演者が、この最後の舞台を惜しむように丁寧に、かつ伸び伸びと作品を作り上げていたのが印象的でした。
そしてカーテンコールでは、スタンディングオベーションで観客が贈る終わらない拍手を、皆、晴れ晴れとした笑顔で受け止めていました。
役者、そして演出家・蜷川幸雄の満面の笑顔が、この作品の完成度を物語っているようでした。

(歌舞伎座にて)
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『THE BEE』ロンドンバージョン(7/12-29)
役者が変わって、ロンドンバージョンも残すところわずか29日までの上演です。
こちらも日本バージョン同様に、立ち見が出るほど盛況でした。

さて、脚本の大筋は同じですが、セットが大きく異なります。
日本のが隠し、壊すセットだとすると、ロンドンのは見える、見せるセットです。
人の出入りや壁の向こう側まで、時には透かして見せてしまいます。

このロンドンバージョンは全編英語のセリフで、ステージの両側に字幕が出ます。
自宅に脱獄犯が押し入った家の主人、男性の会社員ですが、演じるのは女性(キャサリン・ハンター)であり、逆に井戸に家を占拠される脱獄犯の妻には男性(野田秀樹)が扮しています。

言語も性別も、英語に長けていない観客にしてみれば、抽象的に物語が受け取れてしまうのですが、その分、聴覚、特に視覚に訴えるものが多く感じられました。
野田の扮するストリッパーの女性は、日本バージョンの秋山菜津子がさばさばと演じていたのとは異なる、「女性」を様式的に捉えた佇まいが印象的です。
体格はどう見ても‘そそられる’ことからはほど遠いはずなのですが、座り方、手の動き、目線、表情、それらが艶めかしく映ります。
例えるならば、歌舞伎の女形のような様式でしょうか。

多くを語らない野田のその姿から得たのは、女性の悲哀と母性。

一方、井戸に扮したキャサリン・ハンター。
犯人への報復のつもりが互いに仕返しをしあう状況となる哀しみを表情で見せる、その一瞬のインパクトの強さに胸が締め付けられるようでした。

この2作の上演に関連を持たせるならば、日本バージョンが暴力的な悪夢だとすると、ロンドンバージョンはそこから生じた哀しみの悪夢のようでした。

ロンドンバージョンの主演者は、キャサリン・ハンター、トニー・ベル、グリン・プリチャード、野田秀樹

NODA・MAP番外公演/世田谷パブリックシアター提携公演
原作・筒井康隆、脚本・野田秀樹&コリン・ティーバン、演出・野田秀樹
美術・衣裳・ミリアム・ブーター、照明・リック・フィッシャー、音響・ポール・アルデイッティ、制作協力・SOHO THEATRE

※公演詳細は、世田谷パブリックシアターのサイトで。

(シアター・トラムにて)※写真はシアタートラム概観

☆著者・筒井康隆「傾いた世界 」新潮文庫
 この作品の原作、「毟りあい」を収録。
 

☆「新潮 2007年7月号」、戯曲『THE BEE』を掲載。
 詳細はAmazonのサイトで。
 劇場ロビーで販売しています。

8月に観たい―『エレンディラ』
◎8月9日-9月2日、さいたま芸術劇場・大ホール
 (さいたま公演)
 9月7日-9日、愛知厚生年金会館
 (名古屋公演)
 9月14日-17日、イオン化粧品 シアターBRAVA
 (大阪公演)

演出・蜷川幸雄、原作・ガルシア・マルケス、脚本・坂手洋二のストレートプレイ。

タイトルロールに恋する青年ウリセス。
そのウリセスに、数々のミュージカルの主演を務めてきた中川晃教が配されています。

中川は秀でた歌声の持ち主ですが、『モーツァルト!』というミュージカル作品で、ヴォルフガングとして舞台上に存在している彼に魅了されたことが思い出されます。
(参考:えびす組劇場見聞録第21号

作品の登場人物が乗り移ったかのような彼の芝居には、説得力があります。
その力は彼の感情あふれる歌声にも反映されているわけですが、演技の部分を堪能できる土俵に、蜷川幸雄が彼を引っ張り出しました。

作品の音楽を担当するのは、マイケル・ナイマン
さらに楽しみなことは、劇中、ウリセスの想いが集約された「ウリセス・ソング」が、中川によって披露されるということです。
(昨年、その歌だけが、舞台に先駆けて披露されました。その様子はこちら。)

ここ、さいたま芸術劇場で、蜷川演出により、観客は多くの若い才能を目の当たりにしてきました。
一人の観客として、作品以上に、未知数の可能性を持つ中川に期待してやみません。


※公演詳細は彩の国さいたま芸術劇場の公式サイトで。

※日々の稽古の様子を伝える公式ブログも公開中です。(しばらく注目のページに掲示します)

☆作・ガルシア・マルケス「エレンディラ」筑摩書房

『YOU ARE HERE』(7/17-22)
一人の女性が、明らかに客席にいる観客を意識して舞台に現れます。
そして、置いてある椅子に腰掛け、誰かに向かって話し出しました。
手には彼女の思い出と同じくらい砂がつまったワインのボトルを持ったままで。

彼女の話から、大学時代のルームメイトの男性が飛び出してきました。
活気と希望に満ちた学生時代。

友人、教師、上司、・・・彼女を取り巻く人物が、彼女の回想とともに次々と登場します。
就職、仕事上の出会い、結婚、別れ、再会、そして・・・。
人は生きて行く中で、多くの人々と出会う一方、特定の人々との出会いと別れも繰り返しています。

彼女の名はアリスン(松本紀保)。
自らが語る赤裸々な人生。
彼女が注いだものが、知らないうちに破滅と背中合わせになっているその状況を、どうして本人だけがわからずにいるのでしょう。
客観的に見れば、危うい要素が積み重なったその結果。
しかし、彼女は孤独なまでに自分の足で歩き続けます。
結婚してパートナーを得た後も、ずっと独りで・・・。

最後にボトルの砂を自ら空にしてしまった彼女。
それは、短すぎる彼女の晩年の回想録でした。
彼女の人生が終わり、次に目を覚ました天上で、古い友人から、この天上界での彼女の居場所が告げられます。
あなたの行きたいところが、あなたの居場所であるのだと。
そして一緒に居たい人と居ればいいのだと。

2時間あまりのこのドラマは観客に、無くしてしまったもの、無くしたと気づいていないもの、このまま知らずに無くしてしまいそうなもの、全てに素直になって見つめ直すきっかけを与えてくれているように思います。
今、本当に自分がしたいことは何なのかも・・・。

アリスン、彼女が私たちのターニングポイントとなって。

作・演出協力・ダニエル・マカイバー、翻訳・吉原豊司、演出・木村建三
美術・シドニー・カバナー、照明・倉本泰史、衣裳・深瀬元喜

(シアターXにて)

※この公演は、カナダ現代演劇祭2007参加作品として上演されました。
『ピーターパン』(7/20-31)
こんな特典の席がありました。
7月21日以降の15時30分開演の回に限り、スカイシート(つまり3階席、3000円)の観客にはバックステージツアーに参加する権利があるというのです。

2年前に演出が文学座の松本祐子になったのを機に、久しぶりに『ピーターパン』の舞台を観に行きました。榊原郁恵のピーターパン以来の同作品の観劇でした。
原作に忠実で、子供向けでありながら登場人物の対話に重点が置かれている作品に共感を抱きました。

そして今年は8代目ピーターパンに高畑充希を据え、ウェンディに剱持たまき、フック船長の腹心の海賊スミーに植本潤を迎えた、演劇ファンにとっても食指が動くようなキャスティングです。

役者が変われば演出も変わるものだと、2年前の舞台を思い浮かべて感じました。
スミーに植本潤が?いったいどんな・・・と皆思うことでしょう。
ステレオタイプのスミーではありません。
海賊の中で、一人栗毛色の美しい人物がおりました。
名前が呼ばれるのをじっと耳を澄ませて聴いていたら、フック船長(鶴見辰吾)から「スミー!!」。
海賊たちと船長の間に立って、身のこなしも美しく立ち回り、よく働いています。

ちょっと頭の弱い海賊たち、というイメージがありましたが、このスミーを中心とした海賊たちは、「ちょっと心優しい臆病な」人物に見えました。
ピーターパンを筆頭にした孤児たち、タイガーリリーとインディアンたち、そしてフック船長を立てるスミーと海賊たちという、それぞれのグループが交流して築いていく関係を見守る楽しみが加わりました。

ピーターパンは、あどけない表情が観客の子供たちに受け入れられており、大人の目から見て、ピーターパンに導かれる子供として舞台を見つめている印象を受けました。
それを証拠に、自問するピーターの問いかけに返事をする子供がいたり、客席からウェンディにピーターの存在を口々に教えていたり・・・。

正当な手段で観客を巻き込む作品は、親(=大人の観客)をも満足させることは言うまでもありません。

冒頭で述べたバックステージ見学は、終演後、舞台にある海賊船のセットに上がり、舞台袖に控える子供部屋のセットや、舞台の裏を通りスタッフの操作するモニターを見学するなど、役者の目線で客席を眺められる貴重な体験となりました。(注:ヒールの高い靴では、舞台には上がれません

原作・ジェームズ・M・バリ、演出・潤色・訳詞・松本佑子、翻訳・秋島百合子、編曲・宮川彬、振付・玉野和紀、美術・堀尾幸男、照明・勝柴次朗、衣裳・前田文子

(東京国際フォーラム ホールCにて)

※公演詳細は公式サイトで。

☆作・J・M・バリ、訳・厨川圭子『ピーター・パン』新版 岩波書店


☆映画『ピーターパン』コレクターズ・エディションDVD 監督・P.J.ホーガン、出演・ジェレミー・サンプター(ピーター・パン)
 

☆ディズニーアニメ映画『ピーター・パン』プラチナ・エディション(期間限定生産)
 

☆ディズニーアニメ映画 ピーター・パン プラチナ・エディション ファンタジー・ボックス(期間限定生産)
「ピーター・パン プラチナ・エディション」、ウェンディの娘ジェーンが登場する「ピーター・パン2 ネバーランドの秘密」を収録


『ウィキッド』・・・どこから観よう
開幕直後のオリジナルのキャスティングに魅せられて、この配役が変わらないうちにと何度か劇場に足を運びました。
劇団四季ではロングラン作品の場合、常に一つの役に複数の俳優が配されています。
そして出演予定キャストは一週間ごとに、その週の前日に発表されます。
観客としては、開幕からじっくりと熟成されていくキャストを観るのも楽しみの一つなのですが、それだけではもったいない。

さて、本題です。
この作品の客席は、3列目から始まります。
最初の観劇では、劇場へ行ってから最前列だと知りました。
最前列という席は、作品全体を観た気がしないのが難点です。そのくせ、舞台袖など普段観られない舞台作りの一部が見えてしまいます。
舞台上の俳優の目線は遠く、そして何よりも舞台を縁取るように作られた装置のせっかくの仕掛けは真上にあって見えません。

次は、もう少し何列か後ろを、前日の予約で買い求めました。
関係者の席でも解放したのでしょうか?
華やかに紙テープが舞い降りてくる演出では、その真下となりました。
こういう演出では、客席も参加しているような気がするものです。
出演者と目が合いそうな距離にドキドキしながら観ていました。
舞台上部にある装置は見上げてようやく目にすることができました。
欲を言えば、一幕最後でエルファバが飛び立つ場面を、もう少し後ろから観てみたい・・・。

そして次は更に後ろ、一階後方のA席、20列くらいの席から。
ちなみに一階席は22列までです。
舞台全体が見渡せて、ダンスシーンに感動するほど、美しい光景が目に入ってきました。
群舞の中で、フィエロのダンスがこんなに魅力的だったとは!
役者と同じ目線の高さで、登場人物の物語る視線の行方も感じられます。
そして、エルファバが空中で歌う醍醐味を味わうことができました。
しかし・・・二階席に遮られて、両サイドのセットも含め舞台上部の装置は、全く見ることができません。

そんなに何度も観に来られるはずもないので、休憩時間に二階席へ行ってみました。
すると、舞台中央のてっぺんについた装置から見下ろすように舞台が見渡せます。
この二階席、前方がS席ですが、その両端はA席です。
舞台を縁取るように存在するセットのことを考えると、やはり中央の席の方が見やすいかもしれません。

こうして客席を漂流しながらも、回を重ねるごとに抱く舞台の印象について考えていました。
開幕直後、畳み掛けるように進行していた緊張感溢れる舞台は、客席の集中力と相俟って臨場感がありました。
開幕してひと月。
登場人物たちは、彼らの関係について表現の模索を始めたようです。
間合い、対話の反応、声の調子など・・・。
ただ、まだそれが作品の一環として完成されていないように感じました。
更にもうひと月、その後の舞台を楽しみにすることにします。俳優の力を信じているからこそ。
願わくば、この配役がしばらく続きますように。

※公演詳細は劇団四季のサイトで。

★オリジナル・プロダクション クリエイティヴチーム★
作詞・作曲・スティーヴン・シュワルツ、脚本・ウィニー・ホルツマン、原作・グレゴリー・マグワイア、演出・ジョー・マンテロ、装置デザイン・ユージン・リー、衣裳デザイン・スーザン・ヒルファティ、照明デザイン・ケネス・ポズナー、音響デザイン・トニー・メオラ

(電通四季劇場 海にて)

☆「ウィキッド」オリジナル・ブロードウェイ・キャストCD
 

☆ミュージカル「ウィキッド」スコア・ ピアノ&ボーカルセレクション


☆「【予約】 劇団四季ミュージカルBOOK「ウィキッド」のすべて

☆「ウィキッド」原作ペーパーバック
 

☆こちらは翻訳本。著者・ グレゴリー・マグワイア/広本和枝
オズの魔女記」DaiーX出版
「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」(7/13、19)
半蔵門にある国立劇場で、19時開演。
今回は、歌舞伎観劇初心者ならずとも今さら人には聞けない(?)歌舞伎の舞台用語の解説もあり、ますます歌舞伎の舞台に関心を持ちました。

歌舞伎の上演前にかかっている幕。あの黒、緑、橙3色の縦のストライプの幕は、定式幕と言うのだそうです。
そして男性の役者が演じる女形は、「女性らしさを強調した様式的な演技」だということを聞きました。
強調した様式的な演技、ということであれば、歌舞伎の舞台でのその存在の美しさも納得がいきます。

その他、十二支の登場する作品や小道具を実際に見せるなど、客席に居ながらバックステージを見せてもらったような気分でした。

今回の解説は、中村松江。穏やかで聡明な語り口が魅力の俳優です。
第二部で上演される『新版歌祭文』の「野崎村」では、油屋丁稚久松の役で登場します。
一幕のみの上演なので、その前はこんな話だったというスライドを用いた紹介がありました。(ナレーションは中村福助)
女性の髪形が意味を持つ、作品を見る上での解説もあり、知識を念頭に置いて観劇ができます。

上演の主な出演者は、中村福助(久作娘お光)、中村松江(油屋丁稚久松)、中村芝のぶ(油屋娘お染)、中村芝喜松(油屋後家お常)、中村東蔵(百姓久作)という充実した俳優陣も見所の一つです。

この教室、今月はもう一回、19日に同じ内容で開催されます。
解説、休憩を入れて2時間10分という上演時間、そしてなにより19時開演というのが、歌舞伎の学習意欲に火をつけました。

※公演詳細は国立劇場のサイトで。

(国立劇場 大劇場にて)

※写真手前の冊子は、入場時に配布される資料です。
 『新版歌祭文』の筋書、上演台本、歌舞伎用語などが掲載されています。

※「第13回稚魚の会・歌舞伎会合同公演」8/22(水) - 8/26(日)、国立劇場小劇場にて
 国立劇場歌舞伎俳優研修修了生・既成者研修発表会
 『新版歌祭文』に主演の中村芝のぶは、国立劇場第九期歌舞伎俳優研修の出身です。
『The Last Laugh』(7/11-22)
世田谷のシアタートラムでは、ちょうど本日(7/12)からNODA・MAP『THE BEE』のロンドンバージョンが上演となる中、渋谷のパルコ劇場では三谷幸喜の『笑の大学』を原作とする英語版の舞台が昨日から始まりました。

以前、『笑の大学』(作・三谷幸喜、演出・山田和也)を、このパルコ劇場で観たことがあります。(たぶん1998年の再演だったと思います。)
その時の出演者は、近藤芳正と西村雅彦。
戦争へと向かう昭和の日本で、喜劇を上演するためにどうにかして検閲をパスしたい作家と検閲官が、日々のやり取りの中で理解と関係を築いていく物語。
日本語での上演、そして彼らの個性が知名度とも言える俳優による上演は、キャストによるところの「笑い」も計算に入れられていたのかもしれません。

さて、『The Last Laugh』は、俳優もイギリス人。
既に1月にイギリスで上演されたUK版(仮にUK版と申しましょう)の公演は好評だったと言います。
前述の日本版の記憶はだいぶ薄れていますが、基本となる話は同じ。
何が違うのでしょうか。
簡単に言うと、自分の知らない外国人の俳優による上演で、セットも、もちろん日本のその雰囲気ではありません。
そして全編英語での上演です。(字幕が舞台両側に出ています)

UK版に敬意を込めて、『笑の大学』を覚えている人も、観たことのない人も、普段芝居を観ない人も、何もかも初めての作品に接する心構えで十分だと述べておきましょう。

この舞台では、新任の検閲官(ロジャー・ロイド・パック)が、自分は普段芝居を観ないから先入観なく検閲の仕事ができる、と言っています。
対する上演台本を持ち込んだ作家(マーティン・フリーマン)は、オリジナルの喜劇を劇団で上演するために、検閲官を説得しなければなりません。
台本を読むのも初めての検閲官。
説得一日目。結果は却下。作家は書き直しを命じられます。
外では日に日に爆撃音が激しくなっていくのです・・・。

この作品は、なぜ喜劇を上演する必要があるのか、という演劇の神髄に迫るような台詞が登場人物を通して語られます。
説得をするべく日々検閲官を訪れる作家。
日を追うごとに、二人のキャラクターが際立ち、彼らの思惑が見えてきます。英語ならではのストレートな語り口にも興味があります。

日本版と同じ内容なのに、なぜタイトルが『The Last Laugh』なのでしょう。
二人の俳優が、そのニュアンスを伝えています。
全てを日本語で理解するのとは異なる、国籍と背景の違う舞台上に立つ彼らの心の奥を推測しながら観ていました。

この作品は、どの国でも、知識のある無しにかかわらず受け入れられることでしょう・・・と思うのは、私だけではありませんでした。
日英両方の言語で書かれたプログラムによると、原作の『笑の大学』は「1994年のNHKのラジオドラマが始まり」だそうで、その後二人芝居の舞台版として練り上げられ、ロシア、カナダでも外国語上演された実績があるのです。

原作・三谷幸喜、脚色・リチャード・ハリス、演出・ボブ・トムソン、装置・マイケル・パフェルカ、照明デザイン・マーク・ヘンダーソン、作曲・ブライアン・スペンス

※公演詳細はパルコ劇場の公式サイトで。

(パルコ劇場にて)

☆映画版「笑の大学」スペシャル・エディションDVD
 監督・星護、出演・稲垣吾郎、役所広司、原作・脚本・三谷幸喜
 

☆映画版「笑の大学」スタンダード・エディションDVD
 

☆映画版「笑の大学」オリジナルサウンドトラックCD
 
『NINAGAWA十二夜』(7/7-29)
東京は今、蜷川&シェイクスピアの世界に包まれています!
さてこちらの作品は、博多座での公演を終え、ようやく歌舞伎座にやってきました。
NINAGAWA十二夜』2005年の再演です。
初演時よりもダイナミックに、そしてより洗練されたものとして姿を現しました。
そしてなにより、菊之助の芸に厚みが感じられたことが、観客として嬉しい限りです。

この作品は、シェイクスピアの「十二夜」を原作として、舞台を日本の歌舞伎の世界に置き換えたものです。
乗っていた船が難破し、互いの生死もわからないまま別れた双子の兄妹(菊之助の二役)。
妹の琵琶姫は、生きて浜に漂着したものの、行くあてもなく、その地の大篠左大臣(錦之助)に仕えるため、男姿の小姓に変装して、獅子丸と名乗ることにします。
そして琵琶姫=獅子丸は、大篠左大臣を一目で恋してしまいました。
そんな事情を知るはずもなく、大篠左大臣は、織笛姫(時蔵)へ自分の想いを伝える使者として獅子丸を遣わすのです。
一方、織笛姫は獅子丸を見た途端、その優しい姿に恋してしまいます。
そして迎えた終盤には、無事だった兄の斯波主膳之助(菊之助)が偶然、織笛姫の屋敷を訪れて・・・。

一目ぼれと片思いと思い違いと策略とがないまぜになった喜劇です。登場人物が皆、必死なのがこの作品の楽しいところ。
双子の兄妹の、一つの顔や声、そして二つの体は鏡に映ったよう・・・と象徴する舞台装置は全て鏡張り。
口うるさい執事役の丸尾坊太夫(菊五郎)をぎゃふんと言わせようと目論む腰元麻阿(亀治郎)など、彼らが物陰から伺う様子も、その姿が鏡を通して観客に知れるところとなり、幾重もの面白さを含んだ舞台です。

ここでは、男女二役を演じる菊之助について述べましょう。
男女の違い以上に、見かけは男でも実は女という外見の変装とは裏腹な女心、時には素に戻るそんな微妙なさじ加減を武器に、琵琶姫、いえ、獅子丸を魅力的に演じていました。
筋書きの彼の言葉を借りて言うと、「ボリュームのつまみを回すような」加減で、獅子丸がふと見せる女の素顔との行き来が、見所の一つになりました。

歩き方をとっても、琵琶姫扮する獅子丸がスタスタと歩く様、一方兄の斯波主膳之助が男として堂々と歩く様、観る者だけに直感的に思わせるこの違いには感心してしまいます。

歌舞伎が現代の様式と融合している、そんな世界。百聞は一見にしかず、です。

演出・蜷川幸雄、作・W・シェイクスピア、訳・小田島雄志、脚本・今井豊茂、装置・金井勇一郎、照明・原田保

(歌舞伎座にて)

※公演詳細はこちらの公式サイトで。

☆作・W・シェイクスピア、訳・小田島雄志「十二夜」白水Uブックス

☆著者・長谷部浩「菊五郎の色気」文春新書
 著者が『NINAGAWA十二夜』のプロダクションに関わっていたそうで、巻末にこの作品(初演)について想いのこもった記述があります。
 

尾上菊之助と成宮寛貴
昼に歌舞伎座で『NINAGAWA 十二夜』を、そして夜はシアターコクーンで『お気に召すまま』を観ました。
場所と様式は違えども、この2作品には共通点がたくさんあります。

原作は、言わずと知れたシェイクスピア。

演出は、蜷川幸雄。

男性の俳優ばかり。

それから・・・

主人公の女性が男性に変装するところ。
前者は琵琶姫が獅子丸という小姓に扮して、想いを寄せる男性の側に男として使えています。後者のロザリンドも羊飼いの青年に変装して、結局は恋する男性と友人関係を築いて近くにいることになります。
もちろん、両者がこうせざるを得ない経緯は異なりますが。

前者の琵琶姫が扮した獅子丸は、織笛姫から男性としての姿に恋心を抱かれ、後者の男装したロザリンドは羊飼いの娘から慕われてしまいます。

そして、前者ではイヤホンガイドの解説で述べられていたことなのですが、琵琶姫の兄・主膳之助を難破した船から救った海斗鳰兵衛(河原崎権十郎)が、同性愛的な気持ちで主膳之助に想いを寄せているのだということです。後者では、もしかするとジェイクイズ(高橋洋)が男性に扮したロザリンドに男として好意を持っていたのではないかと感じました。

両作品のヒロインについて。
NINAGAWA 十二夜』の琵琶姫には尾上菊之助が、『お気に召すまま』のロザリンドには成宮寛貴が扮しています。
彼らは男性でありながら女性の役に配されており、それも女性でありながら男性として振る舞う場面がほとんどの役柄です。
この二人は、作品の中で置かれる環境も芸風も異なりますが、恋する人に悟られまいと男性として振舞う意地らしさが、女性の共感を呼んでいます。
いつしか彼らが人気の役者だということを忘れ、舞台の上の恋が成就することを願うのでした。

さて、比べるのはこれくらいにしましょう。
でもあと一つ、前者は歌舞伎。菊之助は女性としての所作を美しく表現し、成宮はそれをか弱くかわいらしく表していました。
男性が女性を演じる場合は、現代においては’理想の女性像’に映るのですが、文学の世界では、これが女性なのでしょう。
歌舞伎の女形だった方から聞いた話ですが、女性が演じる女性よりも女性的に見えることについて尋ねたところ、「女性は自分が女性であることにあぐらをかいている」と厳しく言っておられました。
ある新派の女優は、化粧前に「自分は男だと思って、女の化粧をしていた」という話も伺いました。

お気に召すまま』では開演してすぐに、俳優が全員、素の本人の姿で舞台に勢揃いし、観客に素顔を見せます。
女性の役をやる役者は、ここから女性を作る、のかな?と、前の話から勝手に想像してしまいました。

男性にしろ、女性にしろ、丁寧な所作は、やはりがさつなものよりも美しいものです。
それぞれの作品については、また別の機会に。

(『NINAGAWA 十二夜』歌舞伎座、『お気に召すまま』シアターコクンにて)


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