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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
『THE BEE』日本バージョン(6/22-7/9)
とうとう野田秀樹が直球を投げてきました。
『オイル』以来作者の訴えを感じ、『ロープ』で観客として考えなければならない事柄をつきつけられ、そして今回、ついに目をそらすことができない状況になりました・・・。
・・・などと一人で息巻いていたら、原作は筒井康隆の「毟りあい」で、しかも1976年に書かれた作品だそうです。

共同脚本は野田秀樹&コリン・ティーバン。
日本語による日本バージョンと、ロンドンバージョンという英語上演の公演があり、野田は両方の演出を手がけます。

シンプルな舞台。
創意工夫の感じられるセットと俳優4人だけの世界。
ある一人のサラリーマンが、帰宅すると脱獄犯が妻と息子を人質に家に立て籠もっているという状態でした。
メディアの取材攻勢を受け、「被害者」という立場から彼は警察に訴えかけます。
果たして警察は何をしてくれるのでしょうか。
説得するよう、犯人の妻に頼みに行きますが断られ、そこで彼は怒りに任せて意外な行動に出ます。
結局、犯人にも思い知らせようと、その妻と息子を人質に、自らが犯人に電話で脅しにかかるのです。

一人の一般市民が、被害者となった途端に加害者となり、標的に攻撃をしかけていく。
そこで犠牲になるのは女性と子供。
犠牲者はますます傷つけられ、両者の攻撃はエスカレートしていきます。
悲しいことに、攻撃と犠牲が日常化されて、犠牲者自らがその苦しみから逃れる意思までもが麻痺してしまいました。

ここまでストレートに野田秀樹は描きました。
目前の、いわゆる終わりのない戦争の縮図。その結末に救いを求めながら観ていましたが、そんな末路には崩壊しかないのでしょうか。
作品は、戦いが導くものを訴えつつ、もしかすると今ならまだそんな悲惨な状況にはならないからなんとかすべき、と警鐘を鳴らしているようにも見えます。
途中から頭を殴られたような衝撃を受けながら、訴えるものを考えずにはいられなくなりました。

7月12日からは、演出内容とキャストを一新したロンドンバージョンの同作品が上演されます。
日本バージョンを観た観客として、もう一方の作品を見届けずにはいられない心境です。

プログラム冒頭に野田が記していた「後に引きずるのは悪い夢の方」という言葉。そんな悪夢のような作品を意図したようです。
そして観客に「なんでこんな夢を見てしまったのか考えることになると思う」ということも記されていました。

日本バージョンの主演者は、野田秀樹、秋山菜津子、近藤良平、浅野和之

NODA・MAP番外公演/世田谷パブリックシアター提携公演
原作・筒井康隆、脚本・野田秀樹&コリン・ティーバン、演出・野田秀樹
美術・堀尾幸男、照明・小川幾雄、音響・効果・高都幸男、映像・奥秀太郎

※公演詳細は、世田谷パブリックシアターのサイトで。

(シアタートラムにて)

☆著者・筒井康隆「傾いた世界 」新潮文庫
 「毟りあい」を収録。
 

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『三人吉三』追加公演楽日
6月7日から上演されている公演の追加公演。
中村勘三郎曰く、江戸時代は追加、追加ばかりで、いったいいつ終わるのかという状態だったそうです。
だからなのかわかりませんが、楽日の後、最後の最後に一公演が追加されました。

さて、こんな観方をしました、というお話です。
プログラムに「歌舞伎を観る場所」(酒井順子著)という文があります。
半蔵門の国立劇場でもなく、銀座に近い歌舞伎座でもなく、渋谷にあるシアターコクーンという劇場。
『三人吉三』という作品において、著者はこの劇場の界隈までもが舞台装置の延長のように感じられたそうです。

追加公演のこの日、いつもは人混みの喧噪を避けるように地下から向かっていたのですが、駅前の交差点を渡り、センター街の脇の道から人の間を縫うように劇場へ向かいました。
飲んだり食べたりしながら歩く学生風の女性たちや、店先のお客を呼び込む声に大衆の街を実感しながら歩いていきます。
劇場のロビーでは、通常の公演時と異なり、「お弁当、席で食べられます!」の呼び声や、関連グッズの販売など、なるほど、街の延長。こちらもごったがえしていました。

劇場内は、テレビ中継のカメラや音響スタッフがスタンバイしていて、観客もそわそわしながら最後の公演の幕が開くのを待ちます。
そして開幕。楽と言えども、テレビの録画が行われているので、過度なアドリブもなく、作品を堪能することができました。
そのせいでしょうか、3時間半の公演後のカーテンコールは、因果を巡る悲劇の物語をじっくり見届けた観客は、ただただ拍手を送り続けました。

演出の串田和美が挨拶で、最初は歌舞伎の舞台での音の演出に、風の音を流すだけでもこんなことをしていいのかと思ったのだと述べていました。
今回は「進化」ということで音楽に椎名林檎を迎え、コクーンの劇場の空間に、エレキギターの音色と椎名の歌が、もの悲しく響きました。
一面雪に覆われた舞台に、音楽で色を沿えていた美しい光景です。

WOWOWで放送予定なので、「コクーン歌舞伎」というジャンルが確立された作品を、一度ご覧になってみてください。

(シアターコクーンにて)

☆著者・小林恭二「悪への招待状」-幕末・黙阿弥歌舞伎の楽しみー集英社新書
 楽日観劇前に読みました。お嬢吉三はじめ、登場人物の性格描写について、そして何よりも読者を江戸時代に誘いながら作品を解説しているところが面白い本です。
 

『マイ・フェア・レディ』2007全国ツアー
2001年、ロンドンのナショナル・シアターへ、『マイ・フェア・レディ』を観に行きました。
コヴェント・ガーデンの花売り娘が、社交界で通用するような見事な英語を話せるようになるその変化を、この舞台となったロンドンで観たい、英語で聴いてみたいという想いからです。
大変人気の舞台で、朝早くから当日券に並び、限りなく天井に近い席で観ることになりました。
その時のヒギンズ教授は、ジョナサン・プライス(『ミス・サイゴン』のエンジニア役オリジナル・キャスト)。
ロングランのその舞台には、映画さながらの豪華なセットが用いられ、まさに映画そのままの感動を得たのでした。

さて、今回観た作品は、2005年秋に新演出として帝国劇場で上演された公演の全国公演版です。
大地真央のイライザはそのまま、ヒギンズ教授に石井一孝を迎えて上演されました。
かつて('90)同じく主演を大地真央で観た舞台の印象とは大きく違いました。
シンプルな舞台装置、そしてミュージカルだからといって華美な動きをしない様に、登場人物が歌い出すまで、これがミュージカル作品だということを本当に忘れてしまうほど、セリフに聞き入っていました。

演出は文学座の西川信廣。

特にヒギンズ教授とピッカリング大佐(羽場裕一)のコンビが、その会話にそれぞれの性格が出ていて面白い舞台になりました。
観ている方は、その狭間で成長するイライザを見守っている心境です。

正直言って、石井一孝のヒギンズは若すぎるのではないかと懸念を抱いていたのですが、言語の研究に情熱を傾ける世間知らずの紳士、そのちょっと横暴で強引な男の不器用さまでも軽快に演じられているのが魅力でした。
歌い出すと、まさにヒギンズ!
言語への情熱がイライザの出現によって、紆余曲折しながらも目論見どおりに行くものの、彼女が研究材料以外の存在だと感じる時の素直さは、微笑ましくさえあります。

そんな中で、有名な楽曲を聴く喜びを感じながら観ていました。
イライザの父親ドゥーリトル(上條恒彦)の傍若無人ぶり、手を差し伸べたくなるようなイライザに夢中のフレディ(浦井健治)など、要所に登場人物の歌と魅力がちりばめられています。
初演でフレディを演じた藤木孝が、ここではゾルタン・カーパシーという嫌味な言語学者をコミカルに演じるという興味深いキャスティングもあります。

全国公演中、この日一日だけ、横浜の神奈川県民ホール大ホールで上演されました。
写真はロビーから見た横浜港の眺めです。
都内で観るのとは一味違った気分になれる、贅沢な一日を過ごしました。

4月に幕を明けた全国公演も、7月7日の厚木市文化会館でラストとなります。

原作・バーナード・ショウ、脚本・作詞・アラン・ジェイ・ラーナー、音楽・フレデリッィ・ロウ
訳・倉橋健、訳詞・滝弘太郎・若谷和子、演出・西川信廣、振付・上島雪夫、装置・堀尾幸男、衣裳・宮里あんこ、照明・塚本悟

※全国公演詳細は、東宝のこちらのサイトで。

(神奈川県民ホール 大ホールにて)

☆DVD「マイ・フェア・レディ」スペシャル・エディション
 


『数字で書かれた物語』(6/15-7/5)
文学座アトリエ公演、別役実作品の再演です。
再演と言っても、初演は1974年。演出もキャストも一新しての上演です。

4月のシンポジウムで、自身の戯曲と事件の関係について別役氏が述べていましたが、私自身、過去にこの戯曲に登場する「死のう団」の事件があったことを知りませんでした。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「1933年7月2日に、集団で「死のう」と叫びながら行進して逮捕されたことに端を発し、当初は「死のう団事件」といえば、この事件のことを指していた。」という記述があります。)
しかし、時代の流れの中で、その「事件」は、形を変えて現代に蔓延ってしまったように思えてなりません。

舞台の上の彼らは、ある信仰のもとに集い、自決することを目指して様々な方法を考案しました。しかし、その行為とは無縁の時間を過ごす彼らは、彼らの日常は、明るくはつらつとしています。何事にも真剣に取り組む姿勢には、活力さえ感じるのです。
趣旨も志しも全く違うのは承知の上ですが、「死のう団」の顛末記を観て、ネットで自殺する仲間を集う人々の姿を連想してしまいました。
日常から不意に死の世界へと旅立つ決意。
本人しかその決意のほどを知る由もありませんが、そんな悲惨な「事件」が、今の時代にはニュースとしてあちらこちらで聞かれることに、改めて驚きます。

過去から戯曲が、「だから事件なんだよ。その事実を見直せよ」と語りにやってきたような印象を受けました。
こんなに大きな決意をする彼らは、反面、とても些細な事にこだわります。その自己主張には彼らの存在した証を、セリフが渦巻いて繰り返される様に彼らの世界観を感じずにはいられませんでした。

高瀬久男の別役初演出作品からは、リアルで等身大の若者が口にする言葉と仕草が、直球で客席に飛んでくる、そんな鋭さを感じました。

※7月1日の『数字で書かれた物語』終演後に、シンポジウムが行われます。
 整理券が必要なので、詳細は文学座のサイトでご確認ください。

これから観たい・・・でご紹介したように、6月25日、7月2日に別役作品のリーディングの上演があります。

作・別役実、演出・高瀬久男、美術・石井強司、照明・金英秀

(文学座アトリエにて)

☆著者・別役実
にしむくさむらい』『数字で書かれた物語』『ハイキング』『天才バカボンのパパなのだ』三一書房

『ウィキッド』(6/17-)
この作品は2003年にブロードウェイで開幕した後、トニー賞の複数部門での受賞をはじめ、様々な賞を獲得したということです。(プログラムより)
厳しい言い方をすると、その大人気の作品が、セットも演出も、そっくりそのまま日本に上陸したのですから、美しい魔法の世界が既に洗練されたものとして舞台の上に出来上がっているのは、当然のことなのです。

しかしここで特筆したいのは、扮する俳優が表情豊かに歌い上げ、登場人物の境遇と感情をよく伝えていたことです。
物語と、音楽と、そして翻訳の歌詞が、大きな期待に応えながら自然に耳から入ってきました。

オズの国にあるシズ大学。
生まれながらグリーンの皮膚をした少女エルファバの学生生活を中心に、そこで芽生える友情、恋心、そして正義感などが、おざなりではなく、きちんと育まれていく様子に、観客は徐々に感情を傾けていきます。
コンプレックスの塊として生きてきた少女エルファバ。対するブロンドの髪の少女グリンダは、人々から愛されることを生き甲斐に、いつも自信に満ちています。
その彼女たちが出会い、あまりに互いが違うことで反発するものの、次第に惹かれ合っていく様子が、コミカルにそして納得がいくように描かれています。

2人が同じ男性を愛することも、その彼が誰に惹かれていくかということも、そして我が身を犠牲にしてもいいという愛があることも、感情の揺れ動く様とその心の変化に、観客の胸もときめきます。
子供に媚びない、大人のためのミュージカル。
物語の展開だけでなく、その3人を演じた俳優たちの表現の豊かさが、作品を何倍も味わいのあるものにしていたと言えます。

劇団四季では、スターシステムを取らず、劇団内のオーディションでキャストを選ぶのだそうです。
新作の初演時しか四季の作品を観る機会のない自分にとっては、メインキャストをはじめ、初めて見る俳優がほとんどでした。
とても新鮮な気持ちです。
エルファバの濱田めぐみ、グリンダの沼尾みゆき、2人から愛されるフィエロの李涛(Li Tao)
演技、歌唱、存在の全てにおいて、魅力ある歌声を持つ俳優との出会いは嬉しいものです。
このキャストは24日までの確定キャスト。その後はまた新しい出会いがあるかもしれません。

作・ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を覚えていますか?
グリンダという魔女に導かれてカンザスへ帰るドロシー。その物語を知る大人にとっては、より贅沢な気分に浸れることでしょう。
伏線として、話題の中でドロシーが登場し、その旅に加わるブリキの男、ライオン、かかし、彼らがなぜその姿になったのかという話を、作品のサプライズとして受け取ることができます。

余談ですが、思いがけず最前列での観劇で、3人の恋と人生の行方を見守りつつ、魔法の舞台裏(舞台袖?)の奥まで見えてしまっていたことに、喜んでいいものやら・・・。
今度は遠くからエルファバの魔法の世界を見てみたい、と思っていても、7月末までチケットは完売です。

※公演詳細は劇団四季のサイトで。

★オリジナル・プロダクション クリエイティヴチーム★
作詞・作曲・スティーヴン・シュワルツ、脚本・ウィニー・ホルツマン、原作・グレゴリー・マグワイア、演出・ジョー・マンテロ、装置デザイン・ユージン・リー、衣裳デザイン・スーザン・ヒルファティ、照明デザイン・ケネス・ポズナー、音響デザイン・トニー・メオラ

(電通四季劇場 海にて)

☆「ウィキッド」オリジナル・ブロードウェイ・キャストCD
 

☆ミュージカル「ウィキッド」スコア・ ピアノ&ボーカルセレクション


☆「【予約】 劇団四季ミュージカルBOOK「ウィキッド」のすべて

☆「ウィキッド」原作ペーパーバック
 

☆著者・ ライマン・フランク・ボーム /幾島幸子「オズの魔法使い」 岩波書店
 


『氷屋来たる』(6/18-7/8)
作・ユージン・オニール。
晩年の超大作と言われている作品です。
(本公演の上演時間も、15分の休憩を含めて3時間45分に及ぶものです。)

一年に一度、酒場のオーナーの誕生日にふらりとやってくる男がもたらす物語。
1912年、ニューヨーク。娼婦の出入りする宿つき安酒場が舞台です。
そこで一晩中安酒を飲んだくれている人々。自身の境遇を、うわ言のように嘆きながら、彼らが待つのは、通称ヒッキー(市村正親)という男。彼が来たらもっと酒が飲める、彼さえ戻ってくれば・・・と、「ゴドーを待ちながら」よろしく、人々は彼が来るのを首を長くして待っているのです。

今の自分の悲惨な状況を紛らわすかのように、そこにいる人々は、酒びたりになり、酒の力で、明日はこうする、本当の自分はこうだと豪語するのを、観客はただじっと聞いています。
警察の目を逃れるために転がり込んでくる青年パリット(岡本健一)にしても、自身の身の振り方が決められずに、かつての活動の同志であったラリー(木場勝己)を頼りにやってきますが、今の彼にとっては自分のことさえも見つめる気力も無いので、相手にしません。
そんな人々が集う中、開演してから50分あまりで、ついにヒッキーがやってきました!

どうやら、私たちが目にしているヒッキーは、仲間からすると変わってしまった姿らしいのです。
彼はまるで聖人のように、酒びたりの人々に、自分の望む生き方ができるよう手を差し伸べます。
それがもたらす人々への影響は?そして何がヒッキーにそんな行いをさせているのでしょうか?

その真意を探る前に、酒場の人々は豪語してきた「できる」ことへの一歩を自ら踏み出すことになります。しかし、それを見るにつけ、我が身が虚しくなるのを感じました。
そして実際にそれを成し遂げられないことを、彼らは思い知ることになるのです。
最初のあの50分があるからこそ、登場する人々の行動を見届けようとする気持ちになりました。
ここでの彼らの一歩は、私たち誰もが持っている、「本当なら自分は・・・」「いつかきっと・・・」というものを具現化したもののように思えて、身につまされる思いがします。
希望と目標と幻想と、ましてやそれに立ち向かうことへの難しさ。成し遂げるためには、何が必要なのか、ずしんと胸に響いてきました。

演出の栗山民也が、7年間務めた芸術監督の最後の仕事に、この作品を選んだ理由とは。

最後にヒッキーが語る自身の胸の内と決心。
皮肉にも、今の日本では、結果だけを見るとヒッキーの起こしたような事件が蔓延しています。信じ難い事実として。
その動機と後悔の念の深さを測り知ることはできませんが、それらが戯曲の事件として成立しなくなりつつある時代の悲哀を痛感しました。

作品からメッセージが沸き上がってくるような栗山演出作品への関心は、これからも尽きることはありません。

作・ユージン・オニール、翻訳・沼澤洽治、演出・栗山民也、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、音響・上田好生、衣裳・前田文子

※公演詳細は新国立劇場のサイトで。

(新国立劇場 小劇場にて)
7月に観たい―歌舞伎鑑賞教室
「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」

◎7月13、19日、国立劇場大劇場。

19時開演。
以前('05.12月)、えびす組のコンスタンツェからの誘いで、「社会人のための歌舞伎入門」を観に行ったことがあります。
歌舞伎の名場面を、上演前に出演俳優の解説を聞いてから観る、という贅沢なものでした。

今回の演目は、「新版歌祭文」
出演は、中村福助、中村松江、中村芝のぶ など、魅力ある俳優陣です。

通常の歌舞伎鑑賞教室は、7月3日-24日まで、一日2回上演されます。

詳細は、国立劇場のサイトで。


8月になりますが、こちらも興味深い公演です。
第13回稚魚の会・歌舞伎会合同公演

◎8月22日-26日、国立劇場小劇場

国立劇場歌舞伎俳優研修修了生・既成者研修発表会というもので、卒業生には、二代目市川笑也、二代目市川春猿、初代市川段治郎・・・など、今の歌舞伎の舞台で観客を魅了し続けている俳優がいます。

研修修了生からのメッセージとして、市川笑也のメッセージが国立劇場の養成事業サイトに掲載されています。

世襲制度の色濃い歌舞伎の世界の門を叩くには、それなりの覚悟はもちろんのこと、その後は「這い上がるしかない」の一言に、知らず知らず彼らの芸に魅力を感じていた理由が見えてきました。

『ばらの騎士』(6/6,9,12,15,17,20)
このオペラは1911年にドレスデンで初演されました。
今回の演出家ジョナサン・ミラーは、時代設定を原作の18世のウィーンから1912年に移しています。

物語は、元師夫人が若い愛人のオクタヴィアンと朝一緒にいるところを、ふいの来客であるオックス男爵に知られぬよう、オクタヴィアンにメイドの格好をさせたところ、かえってそのメイドが男爵の好みで色目を使われることになって・・・という混乱が発端の恋愛コメディです。
プログラムによると、作曲家のR・シュトラウスが、このオペラは「お客さんに笑ってもらうんだ。にこにこ、にやにやじゃ駄目なんだ」と言うほどに作家に注文をつけながら完成させた作品なのだそうです。
その目論見は、まさに大成功を収めました。

しかしながら、以前、同作品を初めて海外で観た時、あらすじを知っていただけでは本日のような楽しみ方はできなかったことが思い出されます。
字幕スーパーの有り難みを感じながら、今回はその言葉の意味を大いに楽しみました。
字幕のセリフが歌い手のタイミング、そして役柄と違和感がなかったところに功績があると思います。

前置きが長くなりました。
この4時間にも及ぶ大作のオペラは、異なる身分と世代の恋愛を織り込むことにより、そこに登場する人物の悲哀を感じることができました。
特に印象的だったのは、登場人物の「時間」に対する観念です。

若い愛人と無邪気に愛を語らっていた元帥夫人は、鏡に映った自分を見て、娘の自分はどこへ行ったのか?「去年の雪を探すようなものだ」と、知らずに過ぎ去っていった時間の流れを嘆きます。夫人の何げないこの言葉を、女性なら誰しも胸が締め付けられるような想いで聞いていたことでしょう。そして夫人は今後の二人の関係を憂えて、若い愛人に別れを告げることを決心したのです。

対する若いオクタヴィアンにとっては、自分の目で見て愛するだけでは充分ではないかと夫人に問います。こういうところに夫人との関係における彼の純粋で真っ直ぐな性格がうかがえるのです。彼は自分への愛情が薄れたからだと、悲嘆にくれてしまいました。

この一幕は、幸せ一杯の二人の朝の目覚めから、一瞬のうちに別れがきてしまう様を、R・シュトラウスの現代的な旋律が不確かな人間の感情をより的確に表しているようでした。
さらに、歌い手によって情緒豊かに演じられる芝居は、演劇的に見ても興味深いものでした。

そして二幕では、「ばらの騎士」として花婿であるオックス男爵からの贈り物の銀のばらを、花嫁となる娘に届ける使者となったオクタヴィアンの登場で事態が変わるドラマチックな展開が続きます。
貴族の身分の花婿にとっては、平民の娘の持参金だけが目当てであり、娘(とその家族)にとっては、貴族としての立場が憧れの婚姻関係となるのです。
その状況を巧みに利用し、ドラマチックな展開をみせるロマンチックな作品に、観客は魅了されました。
オクタヴィアンは、身分と立場を侮辱される娘を気の毒に想い、それが恋心へ発展する速さは、やはり元帥夫人の懸念したとおりでもあるのですが、娘もその凛々しい青年に惹かれ相思相愛となります。そして二人の恋は永遠に続くと信じているところに、若者の目前に存在する「時間」というものの観念を知ることとなりました。

それにしても、この後の娘を侮辱した花婿への滑稽な復讐劇まで、作と音楽にこんなにも共感を覚えるオペラ作品は、そうはないでしょう。美しい旋律と舞台美術、そして登場人物の置かれる状況全てにリアリティが感じられることがもたらす作品への共感です。

憎まれ役の花婿のオックス男爵を演じたペーター・ローゼの存在、そして若い青年の気高く純粋な心を表情と歌で魅力的に演じていたオクタビィアン役のエレナ・ツィトコーワの魅力が、舞台に活力を与えています。
カーテンコールで、観客の想いが止まらなかったのは言うまでもありません。心からのブラボーに、歌い手も精一杯応えてくれました。

新国立劇場で観るオペラ作品は、料金的にも他の劇場よりも随分抑えてあります。初めてオペラを観る観客、そしてオペラファンのために、これからも、作品に興味を持ちたくなるような、そして質の高い舞台を期待しています。

作曲・リヒャルト・シュトラウス、台本・フーゴー・フォン・ホフマンスタール、
指揮・ペーター・シュナイダー、演奏・東京フィルハーモニー交響楽団、
演出・ジョナサン・ミラー、美術・衣裳・イザベラ・バイウィーター、照明・磯野睦、

(新国立劇場 オペラ劇場にて)

※公演詳細はこちら

※今年は「ばら戦争」と呼ばれるほど、日本で『ばらの騎士』のオペラが相次いで上演されます。
 (チケットに手が届けば)是非、見比べてみたい・・・手始めに新国立劇場へ赴いたら、大きな収穫を得ることができました。

☆R・シュトラウス 楽劇『ばらの騎士』全曲DVD
 指揮・カルロス・クライバー、バイエルン国立管弦楽団
 舞台はジャケット写真のように古典的ですが、音楽、歌が素晴らしい作品です。
 

ウィーン版『エリザベート』BLOG
ウィーン版『エリザベート』公演プログラムの出演者をよく見ると・・・先日ルカスとともに歌声を披露したマジャーン・シャキ(MARJAN SHAKI)が、アンサンブルにいたことがわかります。
引っ越し公演(大阪)とコンサート版(東京)の両方を観劇しましたが、彼女の存在を先に知っていたら、また違う見方ができたかもしれません。

マジャーンは『ダンス・オブ・ヴァンパイア』でヒロインのサラ役を、彼女の最初の舞台で演じた実力の持ち主です。
『エリザベート』キャストの層の厚さを、改めて知ることになりました。

さて、ブックマークに掲示していた以下の公式ブログは、彼らの出演するコンサートも終了したので、はずすことにします。

- ☆<ウィーン版>ミュージカル『エリザベート』BLOG

- ☆<ウィーン版>『エリザベート』コンサートバージョン東京公演

また新たな作品との出会いを、楽しみにしています。

『三人吉三』(6/7-28)
歌舞伎では、河竹黙阿弥の作品が多く観られます。
人の罪や恨み、後悔の念を置き去りにすることなく、とことん突き詰めたような話には、自責の念というものを感じます。

さて、自分にとってはコクーン歌舞伎4度目の作品となります。
演目の『三人吉三』は、平成13年の再演だそうで、プログラムに初演の写真が掲載されています。
しかし今回は、木屋の手代十三郎と伝吉娘おとせが初演と入れ違う形でキャスティングされ、十三郎を勘太郎が、そしておとせを七之助が演じていました。この兄弟はまさしく「競演」で、どんどん役者として芸が豊かになっていくのを感じます。

配役や、音楽を椎名林檎が担当する斬新さを堪能する楽しみもありますが、宝刀と引き換えに手にした百両を、使いの十三郎が失う話、そして後に兄弟の契りを交わす「三人吉三」の和尚吉三(勘三郎)、お坊吉三(橋之助)、お嬢吉三(福助)それぞれの活動まで、登場人物の背景と話の流れがよくわかる展開でした。

コクーン歌舞伎には、イヤホンガイドによる解説は存在していません。
その分、串田和美による演出が、見掛けは歌舞伎ですが、役者の感情表現の面で一般の観客に理解できるリアリティあるものにしているように思います。
この芝居の結末は、今の時代の歌舞伎ならではのものかもしれません。
演出、そして美術も串田和美。物語のリアリティを踏まえた美しい情景が見られました。
この作品では、大きな笑いを取る場面やアドリブはそんなに多くありません。
その静かな流れの中、人々の関係と感情の糸が幾重にも絡み合い、もつれ合い、最後にほどけていくのを見守る快感がありました。

ここで初めて歌舞伎をご覧になる方も多いと思います。
ばっちり古典の歌舞伎座にも、是非一度足を運んでみてください。
そうは言っても、7月は七月大歌舞伎として演出・蜷川幸雄演、原作・シェイクスピアの『NINAGAWA 十二夜』、8月は3部制の『八月納涼大歌舞伎』と、初めてご覧になる方から馴染みの観客まで、興味深いラインナップが続いています。

作・河竹黙阿弥、演出・美術・串田和美、補綴・竹柴徳太朗、技術監督・堀内真人、照明・齋藤茂男、衣裳・ひびのこづえ、音楽・椎名林檎

(シアター・コクーンにて)

☆「三人吉三廓初買」新潮日本古典集成 新潮社版
※原文横に注釈がつき、せりふやト書きの人名が役者名で記されているなど、作品への理解が深まります。