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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
6月に観たい―文学座アトリエ公演
文学座創立70周年記念として、「別役実のいる宇宙」という大きなテーマのもと、新旧書き下ろし作品が連続上演されます。

◎6月15-7月5日、文学座アトリエ。

数字で書かれた物語』(1974年アトリエで初演された作品)
犬が西むきゃ尾は東』(「にしむくさむらい」の後日譚)
以上の2本が、交互上演されます。

4月に『別役実ワールドと文学座アトリエ』というシンポジウムが文学座アトリエで行われました。
シアターガイド6月号にもその様子が掲載されていました。

別役実作品の、旧作の再演と新作の上演、そして旧作(名作)のリーディング上演もあり、別役作品のファンから、これを機に別役ワールドを体験したいと思う方まで、存分に作品を堪能できそうです。

・リーディング(入場料1000円、要予約、お問い合わせは文学座まで)
天才バカボンのパパなのだ』  6/18(月)19時
AとBと一人の女』         6/25(月)19時
にしむくさむらい』          7/2(月)19時

先日、文学座の公式サイトをのぞいたら、「文学座ぶろぐ」なるものがありました。
公演準備中、そして舞台裏の様子がうかがえて面白いです。
今日からブックマークの注目のページに掲示しておきます。

☆著者・別役実
にしむくさむらい』『数字で書かれた物語』『ハイキング』『天才バカボンのパパなのだ』三一書房

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えびす組劇場見聞録第25号
えびす組劇場見聞録第25号が出来上がりました。
メンバー4人がそれぞれ選んだ作品と評をお楽しみください。

こちらをクリックすると、「えびす組」のホームページに跳んで、お読みいただくことができます。
また、「えびす組劇場見聞録」第25号は、下記の劇場に設置されています。
劇場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。

◆THEATER/TOPS◆タイニイ・アリス◆シアターサンモール◆駅前劇場
◆世田谷パブリックシアター◆シアタートラム◆こまばアゴラ劇場
◆テアトルフォンテ◆相鉄本多劇場◆ベニサン・ピット◆シアターX
◆銀座小劇場◆STスポット◆カメリアホール◆みどり会館
◆シンフォニア岩国◆山口情報芸術センター◆北九州芸術劇場
◆七ツ寺演劇情報センター◆文学座アトリエ◆サイスタジオ
◆山手ゲーテ座◆シアターZOO◆にしすがも創造舎◆横浜赤レンガ倉庫1号館
◆急な坂スタジオ
◆まつもと市民芸術館new!!
(順不同)

info.1
さて、今年はえびす組のメンバーが出会ってから10年目。
世田谷パブリックシアターとともに歩み始めた私たちの想いを「あとがき」に掲載しています。

info.2
「えびす組劇場見聞録」ホームページ掲載演劇作品一覧も、演劇に興味がありましたらご覧ください。過去に取り上げた作品を掲載しています。

info.3
えびす組劇場見聞録第24号
の告知をしませんでしたが、今年1月に発行されました。
第24号はこちらからお読みいただけます。

劇場に置かせていただいているのは、B5サイズ縦書きの瓦版。
見かけたら、手に取ってみてください。
『解ってたまるか!』(5/22-6/21)
劇団四季。2005年、主演に加藤敬二を据えての再演を見逃していたので、今回の公演を心待ちにしていました。
しかし、そんな気持ちで臨んだのは甘かった!

物語は、飲酒運転をしたトラックの運転手を、このまま放っておいたら何人の命を奪うかわからないからという理由で殺害し、盗難車で逃走した犯人が高級ホテルでライフル銃を手に人質をとって立て籠もるというもの。
チラシ紹介文によると、ある実話を元に1968年に福田恆存が劇団四季のために書き下ろした作品だと言うことです。
戯曲の中で起こる出来事は、今の時代から見てナンセンスに映るものもある中、今のこの時代だからその訴えがリアルに感じられるものもあり、戯曲そのものに関心を持ちました。

この作品は風刺喜劇なのだそうです。
残念ながら、自分にとっては舞台の上で繰り広げられるその状況を笑い飛ばすことができませんでした。
整然と美しい形で配された登場人物、そして主義主張を朗々と訴える彼らをただ傍観することしかできなかったのです。
説得に来た文化人が「(その気持ち)解ります。」と言うのに対して、主人公の犯人が、「解ってたまるか!」と怒りを込めて叫んでいたように、ただ客席に座っていただけの自分には、その言葉通り、作品から意図を感じ取らせてもらえないまま終わってしまいました。

作品自体に理解を拒絶されたような寂しい気持ちを抱きながら劇場を後にしましたが、そういう時は周囲の観客の反応が妙に気になるものです。
そこで聞かれた意見とは・・・その考えも甘かった。夜の部終演後、観客はこれからのディナーの話をしながら足早に劇場を去って行ったのでした。

作・福田恆存、演出・浅利慶太、装置・土屋茂昭、照明・吉井澄雄、衣裳・小林巨和

(劇団四季自由劇場にて)
『魔法の万年筆』(5/12-6/12)
書き下ろしのコメディ作品の面白さを、久しぶりに堪能しました。
設定は1920年代のニューヨーク。
人物のネーミングは万年筆を巡る物語にちなんで、パーカーやらセーラーやらパイロットやら。
ここでちょっと遊び心をくすぐられた感じです。

主人公は、いつか世に出る作品が自分には書ける!と自分の才能を信じている青年パーカー(稲垣吾郎)。
ある日、素敵な万年筆さえあれば書けるのに、と思い、親友のウォーターマン(阿南健治)からやっとの思いで投資してもらった5ドルで、デパートのペン売り場へ行きます。
試しても、結局は5ドルの品を見せてもらうしかありません。
ところが店員から薦められた5ドルの万年筆を手にすると、彼の想いがすらすらと書けてしまいます。ついでに店員のデルタ(西牟田恵)にも自信たっぷりにお付き合いのアビールを。
瞬く間にベストセラー作家になったパーカーに、ウォーターマンが有名作家モンブラン(山崎一)の娘セーラー(久世星佳)との縁談を持ってきたことから、パーカーの運命は、良くも悪くも大きく動き始めるのです・・・。

作家が万年筆で原稿を書いていた時代のロマンチックな要素を取り入れたお話です。
たった一度の野望と裏切りに翻弄されるパーカー。
翻弄されていることにさえ気付かなくなった彼の不幸な物語を、彼の周囲でマイペースに生きる世間知らずの人々にベテラン俳優が配され、本物のロマンチックコメディに仕上げました。
そしてただ一人パーカーが心から愛した女性の存在を、西牟田恵が丁寧に演じていた姿が忘れられません。
いつの間にか、有り得ない場面の展開に自分自身が引き込まれていることに気付いた時、そのことが可笑しくなるような洒落た作品です。
その分、想像もしなかった物語の最後が観客を待ち構えていたのです。

なぜパーカーが、そして次にその万年筆を手にしたパイロット(河原雅彦)が、読者の心を捉えるような小説が書けたのか。その想いにも気付いてみたい作品です。

作・演出・鈴木聡、音楽・本多俊之、美術・二村周作、照明・高見和義、衣裳・黒須はな子、アクション・渥美博

(パルコ劇場にて)
studio salt『7』(5/16-24)
「僕らの7日目は、毎日やってくる」
チラシの文面ですが、これはSF作品ではありません。

男ばかりの小さな事務所が舞台です。
昼休みの会話は昨日の合コンの話題だったりしますが、それぞれ仕事が終わった後に様々な事情を抱えていました。
そこに大学卒の新人が、転任した事務職員の後任として配属されます。
彼らの仕事場は、野良犬など、通報により捕獲したり、時には犬や猫など持ち込まれたペットを収容し、処分をするところ。
この日は産まれたばかりの子犬の捕獲依頼がありました・・・1日目。

まるで命のカウントダウンのよう。
捕獲の場合は7日目に、持ち込まれた場合は即日に処分されるのだと言います。
里親の希望者も、テレビで話題の救出された犬ぐらい有名でなければ、なかなかいないのが現実です。

しかしこの作品は、人間の無責任さ、命の尊さだけを訴えたものではありません。
そこで働く人々の心情。
7日目のオリの担当者は、仕事としてそれをしなければならないのです。

舞台となる事務所は、外で働く彼らにとって、休憩室であり、公私を切り替えて別の自分になる場所です。
そこでは彼らは仕事の内容を口にしません。
劇場で配布されるプログラムで、作・演出の椎名泉水が「ごあいさつ」として述べていることには、設定こそ違いますが、これは彼女が以前勤めていた時に感じたキツい業務を元に書かれたのだと言います。そこで働く誰もが決してその内容をリアルに語ることはなく、’同僚と雑談を交す時、親友と話すよりも心が癒されたりする事があった’のだそうです。

彼らは同士。
新任の青年が、そして先輩が、互いを認め合えた時に、語らずとも瞳の奥にわかり合える姿が映し出されているのを感じました。
そして7日目がやってきます。

知恵遅れの職員、彼だけがやってくる動物たち一匹一匹に名前をつけています。彼だけがこの現実を直視しているのかもしれません。自分たちと同じ命あるものではないかと。
見えない動物たちと、そこで働く彼らの心の叫びが聞こえてくるようです。

その7日目は、毎日やってくる。私たちもにもきっとやってきている。
果たして自分はその7日目に向き合っているのでしょうか?
登場人物の一人が言います。
「また1日目に戻るんだよな」
これは、彼らが毎朝やっている筋肉トレーニング7日間プログラムのDVDの話。それを聞いてほっとしていいものやら。7日目だってまた来ます。

時には作者の叱咤する姿を感じ、優しい視線に救われながら、見えない心の叫びに耳を傾けていました。

作・演出・椎名泉水、舞台美術・小林奈月、照明・阿部康子(あかり組)

(相鉄本多劇場にて)

※写真手前は、この作品のチケット。
 写真入りで、こだわりと言うより作品への温かい眼差しを感じました。

横濱・リーディングコレクションで、初めて演出家・椎名泉水を知り、作品をよく掘り下げて、独自の視点で描いた演出に共感を覚えました。
 リーディング公演「飢餓陣営」の動画の一部が見られます。

sutudio saltの公式サイトは、こちら
『何日君再来(イツノヒカキミカエル)』(5/4-22)
物語は1980年代、台湾である事件に巻き込まれた日本人の音楽プロデューサー日向英一郎 (筧利夫)が、台湾の歌姫を日本へ連れ帰り、彼女の歌声を日本中に広めようと力を尽くす姿を中心に、サスペンス仕立てで描かれています。
歌姫の名はテレサ(en-Ray)。
日向は、この世には、歌ってはいけない歌があり、その歌の一つが『何日君再来』だとして、様々な想いを胸に、仲間とともにテレサとその歌を守ろうとするのです・・・。

それぞれの国が抱える問題についての劇中の直接的なセリフに、この作品の真意は何だろうと、身構えてしまいました。
劇場隅々まで響き渡るテレサに扮するen-Rayの歌声は、聞く者の胸のつかえを取るような透明感があり、聞き入ってしまいます。
それだけに、セリフとアクション満載の芝居の展開に、最後まで戸惑いを隠せませんでした。

ほぼ出ずっぱり、しゃべりっぱなしの筧の奮闘ぶり、そしてen-Rayの歌うその歌に中高年の観客が懐かしそうにしていたのが印象的でした。

脚本・羽原大介、演出・岡村俊一、舞台美術・加藤ちか、照明・松林克明、衣裳・宮本宣子、振付・広崎うらん

(日生劇場にて)

※5/25-28に大阪公演(梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ)があります。
『血の婚礼』(5/3-20)
ちょうど昨年の今頃、T.P.Tで上演された同作品の舞台を観ました。
花嫁と昔付き合っていたレオナルドが、婚礼の最中に花嫁と逃げ出してしまう、その二人が炎のように見えたことが印象深く残っています。
登場人物が語る、舞台から見えない二人の様子に、観客の想像力にも火がつきました。

さて、今回の演出は、白井晃。
レオナルドに森山未来、花嫁にソニン、花嫁を奪われた息子の母に江波杏子が配されています。
戯曲に登場する、土と汗のにおいがする人々とは異質の「月」と「老婆」の存在が、この舞台ではどう表現されるのか、そんなことが気になっていました。

台本にも手が加えられた白井の演出では、少女が「月」へと変化を遂げますが、詩的な世界はほんの束の間、再び元の人間の情欲の世界に引き戻されます。
戯曲でも物語とはガラリと趣向の異なる「月」の存在。物語とのあまりの違いに集中していた意識が途切れがちな場面でもありますが、ここでこの月の登場は、観客を引き付け続けました。

舞台には何も存在せず、時折椅子と机が場面に応じて持ち込まれています。
演奏はアコースティックギターの生演奏だけ(ギター演奏・渡辺香津美)。
シンプルな舞台作りですが、戯曲の上ではその場に登場していないはずの人物の存在に、時にはそれが説明過多に感じられ、観客の想像力が削がれそうな気がしました。

夫と息子の一人を殺された母親の心境、期待をかけた最後の息子を育て上げた女のプライドと自信と希望。
エゴにも思えますが、江波の扮する母親に、荒野の中で生きるとはどういうことか、それを受け継ぐ血の存在とはどういうものなのかを思い知らされました。
この芝居で一番生命力がみなぎる存在は彼女かもしれません。
一方、レオナルドと花嫁に、もう少し激しさが加われば・・・という欲求が残りました。

そして、心に響く見事な演奏、森山の、そして黒い男(新納慎也)の情熱的な踊りに、舞踏劇に徹した角度からも観てみたいという思いもあります。

著者・フェデリコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出・白井晃、音楽・渡辺香津美、美術・二村周作、照明・高見和義、衣装・太田雅公

(東京グローブ座にて)

※5/23-6/12まで全国公演があります。詳細はこちら

☆作・フェデリコ・ガルシア・ロルカ「血の婚礼」岩波書店

『犬は鎖につなぐべからず』(5/10-6/3)
と、芝居のタイトルはついていますが、
実は岸田國士の一幕ものの戯曲が7本上演されるのです。
サブタイトルは、「岸田國士一幕劇コレクション」。
ナイロン100℃の第30回目の公演です。
場所は青山円形劇場。中央の舞台を、正面を除いて客席が囲むような感じです。

その作品は、7本の戯曲の登場人物が、まるでご近所に住んでいるかのような設定で、物語が場面ごとに入れ替わりながら展開していくのです。
時には物語が交錯する場面もあり、ハラハラドキドキ。
同時進行する話が、終盤に向けて次々と終了していきますが、登場人物たちは、他の物語にもちゃっかり顔を出していたりもします。

この発想自体に、ワクワクしませんか?
岸田戯曲の、どこか含みのあるセリフに、こっちのこの人たちのことかしら?などと観客として想像力を働かせて観る楽しさもあり、その実、演出家の卓越した構成力に驚きを隠せませんでした。
その昔、うっとうしいほどの近所付き合いや、大きなお世話など、人と人が係わりあえた頃のお話を堪能しました。

作・岸田國士、潤色・構成・演出・ケラリーノ・サンドロヴィッチ、和装監修・豆千代、振付・井手茂太

(青山円形劇場)

※写真は立派なプログラム。一番右の犬は栞につながれています。
新橋演舞場『五月大歌舞伎』昼の部(5/1-25)
今月は、新橋演舞場歌舞伎座の二ヶ所で歌舞伎が上演されています。
新橋演舞場の昼の部の演目は、『鳴神』『鬼平犯科帳』『釣女』。

『鳴神』は、朝廷に恨みを持つ鳴神上人が、雨を降らせる竜神を魔力で滝壺に閉じ込めました。そこで朝廷は美しい雲の絶間姫を遣わせて、上人を堕落させて竜神を放ち、雨を降らせようとします。
この作品は、雲の絶間姫を何度も演じてきた芝雀に対して、染五郎が初役で鳴神上人に挑みます。
穏やかだった上人が、騙され、堕落させられたと知って変貌するその様は、舞台の上で形相が変わる(化粧が変わる)いかにも歌舞伎らしい演出で、興味深いものでした。

そして池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』。
テレビのシリーズを未見なので、長谷川平蔵=鬼平とはどういう人物なのか、そして登場人物との関係など、以下に紹介する「鬼平犯科帳」お愉しみ読本(とくほん)を読んでおいてよかったと思いました。
それはさておき、物語は江戸の人情溢れる痛快なもの。
平蔵(吉右衛門)が風邪で寝込んでいたところに盗みに入ったのが、今は渡し舟の船頭をしている友五郎(歌六)。高齢ながら、盗みが上手くいって喜んでいました。
ある日、お客が平蔵と知らずに乗せたその目の前で、その時盗んだ銀のキセルを使ったことから、平蔵に気づかれてしまいます。
盗賊から足を洗い、今は自分の手足となって働く小房の粂八(歌昇)に、平蔵は友五郎の調査を依頼します。しかし、粂八にとって友五郎はその昔、盗みを教え、面倒をみてくれた恩人だったので、今回は見逃してくれと平蔵に頼み込むのですが・・・。

平蔵の奥方・久栄を福助が演じ、舞台に華やかさを添えています。
友五郎の歌六は、江戸の時代から抜け出てきたような気っ風のいい親父さんで、物語最後の人情溢れる場面が、忘れられない心温まるものになりました。

作・池波正太郎、脚本・岡本さとる、演出・齋藤雅文

『釣女』は、大名(錦之助)と家来の太郎冠者(歌昇)が、願いを込めて結婚相手を釣竿で釣る話。
大名は美しい姫を釣り、仲睦まじくしています。
それを見た太郎冠者も、頑張って釣竿を投げますが・・・醜女がかかり、追い回される始末。せっかく見つけた結婚相手を放してはならないと、愛嬌たっぷりのその醜女を、吉右衛門が演じています。

昼の部のこの華やかなラインナップに、場内は満席でした。
夜の部は「法界坊」の物語もあり、こちらも興味をそそります。
※演舞場で上演される詳細はこちら

(新橋演舞場にて)

文春文庫「鬼平犯科帳」お愉しみ読本(とくほん)
様々な人が、『鬼平犯科帳』という作品について解説を寄せています。
『ぬけがら』(5/8-17)
2005年に文学座のアトリエ公演として上演されました。
人間が脱皮を繰り返し若くなる、という信じ難い話を、最後は目頭が熱くなるくらいに父と息子、そして父と母の関係を感じさせた、初演で好評を博した作品の再演です。

松本祐子の演出には、いつも説得力があると感じています。
異国の地のテロリストの話から、あのJ・M・バリの『ピーターパン』に至るまで、舞台の上の行為を「あり得ること」と納得させてしまう力があります。

この「ぬけがら」とは、自分の80才を過ぎた父親が脱皮した、その身体のぬけがらのことです。
それも一回や二回の脱皮ではなく、とうとう10代になるまで何度となく脱皮を繰り返すごとに若くなる、正確にはその時代の記憶を持ったその人になるのです。
息子の卓也(若松泰弘)は、飲酒運転から起こした事故で会社を解雇され、そのショックが原因で母親が亡くなったと責められ、妻に浮気がばれて、離婚届を突き付けられているどん底の状態。
80を越える父親には、この状況がわかってもらえませんでした。
しかし、脱皮した父親たちに翻弄されつつも叱咤激励されていくうちに、いつしか自分の知らない父親の20代、10代の姿を見て、父親というよりも一人の男の生き方を知ることになります。

荒唐無稽な状況設定ですが、脱皮した父親の数だけその時代の情緒を盛り込んで描かれたこの舞台は、広い世代に受け入れられることでしょう。
初演を観たのは、ちょうど勘九郎が勘三郎を襲名した頃でした。脱皮した時代時代の父親の姿に、その名前での功績が存在する歌舞伎の襲名が似ているなと思ったものです。
再演を観て、もっと深いところで一人の男の生き様と、父親と本音でぶつかり合えなかった息子の想いを感じ、胸が熱くなりました。
作は佃典彦。作者と父親の関係がベースになっているのだと、初演の時に耳にしました。

作・佃 典彦、演出・松本祐子、装置・石井強司、照明・金 英秀、衣裳・出川淳子

(紀伊國屋サザンシアターにて)

☆著者・佃典彦「ぬけがら」白水社