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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
5月に観たい―五月大歌舞伎
◎5月1日-25日、新橋演舞場。

5月は、歌舞伎座では「團菊祭五月大歌舞伎」が行われるため、新橋演舞場にて「五月大歌舞伎」が上演されます。

注目すべきは、昼の部。
中村吉右衛門が長谷川平蔵を演じる「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」も歌舞伎の演目の一つとして上演されます。
テレビドラマの時代劇として有名だそうですが、残念ながらまだ観たことはありません。

そこで、この本を読んでから観に行こうと思います。
文春文庫「鬼平犯科帳」お愉しみ読本(とくほん)」
様々な人が、『鬼平犯科帳』という作品について解説を寄せています。
・「平蔵」はなぜ鬼と呼ばれたのか
なんていう項目もあります。
ちなみに、長谷川平蔵は実在の人物だそうです。
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ウィーン・オリジナル版『エリザベート』(3/28-4/30)
梅田芸術劇場メインホールで上演されているウィーン・ミュージカルの『エリザベート』。
3/28からこの劇場で公演中なので、その評判については知っている方も多いかもしれません。
今年1月に行われた記念コンサートで、出演者の歌声の魅力を存分に感じていました。
今回の舞台は、引っ越し公演と銘打つものです。
セットと照明に、日本版とは異なる斬新な作りが見られました。
ルキーニがエリザベートを暗殺するのに使う武器をイメージした、上下する橋のようなセットがあります。
この上をトートが駆け登ったりするので、かなりの衝撃に耐えられるような構造としてこの劇場に手が加えられたそうです。
カフェでの人々の思惑が行き交う場面の躍動感、政治的な策略をチェスのゲームに見立てた演出など、言葉が理解できなくても(字幕が舞台両側にあります)視覚的に混沌とした状況が感じられる作りに引き込まれました。

舞台版のDVDを先に観ていましたが、実際は受ける印象がかなり違いました。
黒を基調とした背景に、電飾が浮かび上がり、セットが美しく映える描写なのですが、DVDの映像では画面全体が暗くなるため、登場人物のアップが多くなるようです。暗闇の中に作品が浮かび上がる美しさを堪能するためには、やはり劇場へ足を運ばねばなりません。

長期に渡る公演のため、主要キャストに複数が配されています。
劇場では主要キャストが発表されるのは開演一時間前。
<本日のキャスト>は、写真のとおりです。
そして、下の方に注釈があるとおり、この回でエリザベート役マヤ・ハクフォートが、コンサート形式などを除いた『エリザベート』でそのタイトルロールに扮して999回目だったそうです。これは22日昼の部のことでした。
夜の部で、めでたく1000回目を迎えたことになります。

彼女の軽やかな響きの伸びのある豊かな声、そして皇太子妃のプライドを感じさせる表現力が、多くの観客を魅了してきたのだと確信します。
そしてトート役のマテ・カマラスの魅惑的な瞳と力強い声の存在が、作品に陰影をくっきりと残しているようでした。
もっと彼らの歌を聴いていたい・・・。

5月には舞台のセットこそ持ってこられないそうですが、本番の衣裳を着た公演に準じたコンサートが新宿コマ劇場で行われます

脚本・歌詞・ミヒャエル・クンツェ、音楽・シルヴェスター・リーヴァイ、演出・ハリー・クプファー

(梅田芸術劇場メインホールにて)

☆ウィーン・キャストによる『エリザベート』輸入DVD
「ELISABETH」 Live aus dem Theater an der Wien エリザベートウィーン・キャスト 実況ライブ「ELISABETH」 Live aus dem Theater an der Wien エリザベートウィーン・キャスト 実況ライブ



『回転する夜』(4/18-30)
「恥ずかしながら」と思うほど、この作・演出の蓬莱竜太の作品を今まで知らずにいたことが残念でならないと思いました。
この1時間30分に凝縮された作品に、すっかり興味を引かれました。
客演に文学座の古川悦史と劇団☆新感線の高田聖子を招いての、劇団モダンスイマーズの新作です。

貿易商を営む家のノボル(津村知与支)の視点で、兄のサダオ(古川悦史)と兄の妻・千穂(高田聖子)、そして兄の友人たちに対するコンプレックスとその変化が軸となって描かれています。
展開を述べるとネタばれになってしまうようで・・・全てはこのタイトルにあります。

登場人物に女性の存在は千穂一人だけ。
男同士のありそうな会話から、プライド、夢と現実の狭間のもがき、果ては想いを全て語らないカッコよさを見せる一方、一人で想いが空回りする自己嫌悪、挫折、失望まで、容赦なく弱い部分も露呈しています。
一度起きてしまったことは、取り返しのつかないのが現実。
しかしノボルには、そのコンプレックスの数だけ夜が回転してやってくるのです。チャンスなのか、悪夢なのか。

終盤に向かうにつれ、その描写の巧みさに観客の感情が鷲掴みにされるようでした。
物事の運び方、人への接し方ひとつで周りも変わる。みんなが敵にまわることはない。そんな力強いメッセージも感じながら、31歳の劇作家兼演出家の蓬莱(ほうらい)の構成と表現力に次回作が大いに気になるところです。

美術・伊達一成、音響・藤平美保子、照明・松本由美

※公演詳細はモダンスイマーズのサイトへ。

(THEATER / TOPSにて)

☆蓬莱竜太が脚本を手がけた「世界の中心で、愛をさけぶ(舞台版)」舞台のDVD

『CLEANSKINS/きれいな肌』(4/18-28)
作者のシャン・カーンが終演後に舞台に上がり、この翻訳版が世界初演で上演されたことを、満面の笑みを浮かべながら光栄だと述べていました。
その作者は、パキスタン系イギリス人。
プログラム冒頭で、この作品は彼の私戯曲だと演出家は記しています。

物語は、イギリスの小さな町で母ドッティ(銀粉蝶)と息子のサニー(北村有起哉)二人が暮らすアパートに、家出をしていた娘のヘザー(中嶋朋子)が、突然、イスラーム教徒の姿で帰ってきたことから始まります。
イスラーム教徒の礼拝所であるモスク建設の反対運動をするサニーは、そんな姉の行動を疎ましく考えます。
父親の顔も覚えていない彼ら。姉の発言をきっかけに、自身のアイデンティティーに関心を持ち、母親に自分たちの父親について詰め寄るサニー。そこには母親から聞かされていた父親像とは異なる意外な真実がありました・・・。

宗教、移民、貧困、ドラッグ、差別、などなど、抱え切れないほどの社会問題が、この一家を取り巻いています。
端的な物の観方で言うならば、そこに描かれているのは、家族の絆。いえ、家族の絆が根底にあって、彼らのアイデンティティーが描かれているのかもしれません。

誰もが持つ小さな期待と幸せ、家族への愛情が、厳しい状況の中でも随所にちりばめられていて、それがかえって観るものにリアリティと絆の強さを感じさせています。
演出はミュージカル『マリー・アントワネット』と同じ栗山民也が務めます。

さて、『CLEANSKINS』、この題名から何を連想するでしょうか。
プログラムの解説中には、多様語だとあり、以下の意味が掲載されていました。
1.きれいな肌 2.焼き印のない家畜 3.群れからはぐれた者 4.前科のない者 5.白人のイスラーム教への改宗者
「7/7(Seven, seven)」(2005年7月7日のロンドン同時多発テロを指す)では、容疑者が4.の意味で「cleanskin」と報道されたことから、この意味でよく使われるようになったということです。
言葉の意味も、時事とともにあるのですね・・・。

作・シャン・カーン、翻訳・小田島恒志、演出・栗山民也、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、音響・秦大介、衣裳・宇野善子

(新国立劇場 小劇場 THE PITにて)

二代目中村錦之助襲名披露 昼の部(4/2-26)
先日観た夜の部にも記しましたが、今月は中村信二郎改め中村錦之助の襲名披露が昼夜とも、趣向を凝らして行われています。

昼の部演目は、『當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)』『頼朝の死』『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』『菊畑』。

中でも『男女道成寺』は、片岡仁左衛門と中村勘三郎が白拍子の桜子、花子の娘姿となっての登場に、場内が賑わいます。
仁左衛門の女方を初めて観たと驚いていたら・・・実は狂言師の男性が白拍子の扮装をしていた、という設定だったそうで、坊主たちにも見破られ、改めて男の扮装で花子との踊りを見せてくれました。
この道成寺にはいくつもバリエーションがあります。
私が観たものだけでも、花子だけのもの「京鹿子娘道成寺」、二人の花子が登場するもの「京鹿子娘二人道成寺」、そして今回のように男女としてのもの「男女道成寺」。
早変わりの美しさを堪能するだけでなく、男女二人で見せる踊りが見所であり、その姿に客席から「ご両人!」の声がかかっていました。

そして、今月は中村錦之助襲名披露にちなんで、『菊畑』に‘劇中にて襲名口上申し上げ候’とあるとおり、劇中で一旦芝居を止めて口上が行われます。
この『菊畑』は、初代錦之助が歌舞伎の舞台を最後に務めた時の作品で、もう一度同作品で錦之助を歌舞伎の世界に呼び戻したいという想いがあっての上演となったそうです。

作品が時を経ても名前とともに生きている、伝統芸能の一面を見たような気がしました。

昼の部終演時刻は16時とされていますが、どうしても時間を上回ってしまうようです。
それでも夜の部はきちんと16時30分から開演するのですから、スタッフも役者も大変です。

(歌舞伎座にて)

※上演時間詳細はこちら

※写真の幕には、中村錦之助の名前が記されています。
ミュージカル『マリー・アントワネット』3rd(4/6-5/30)
昨年11月に東京で初演の幕を開け、その後福岡、大阪と公演を続けてきたこの作品が、凱旋公演と銘打って再び帝国劇場に帰ってきました。
初演を観ているものの(Wキャストの新妻聖子と笹本玲奈のバージョン・11/511/19)、演出が変わったとの専らの評判なので、もう一度足を運んでみました。
どこが変わっていたのかわかりませんでしたが、感覚は正直です。何かが違う・・・。

この作品の出だしには、いつも特別な感情を抱いてしまいます。
貧しい市民マルグリット・アルノー(新妻聖子)が「犬のほうが、まだまし」というほどに薄汚れて飢えています。
これが10代の少女に与えられた環境なのです。おしゃれよりも、その日を生きるのに必死な少女の言葉と歌声に、溢れる涙を止めることはできませんでした。
その後も彼女の生きる姿、出会う人々、別れ、意志を持って立ち上がるその姿一つ一つが観る者の心に響いてくるのを感じていました。

二幕では、同じイニシャルを持つマリー・アントワネット(涼風真世)の、舞台の上で私たちの目の前に存在する彼女の女性としての生き方が見えてきます。

二人の違いは、諭し、支える者が傍らにいたかどうか、ということだけかもしれないという想いが募ってきました。マルグリットにはアニエス(土居裕子)の存在があったように。

何よりもこの再演で、初演時に疑問を抱いた錬金術師カリオストロ(山口祐一郎)の存在価値が明確になりました。
巧みに人々の心理を利用し、操るカリオストロ。
つけこむのに必要な人間の欲について歌い上げる場面があります。7つの欲。
もしかすると、このカリオストロは、人間の欲が作り出した幻なのでしょうか?
王座を欲する、王妃の寵愛を欲する、騙し私腹を肥やす・・・現状に我慢できない時に生じる「欲」。それらの人物に知恵をつけ、人々を操る術を知っているにすぎないカリオストロ。
この再演では、カリオストロのための新曲が一つ加えられています。
陰から怪しく見え隠れするその存在。彼の手を離れてしまった出来事が、大きく歴史を動かし始めました。

改めて見回すと、市民が彼らの意志よりも目先のお金に魂を抜かれたように引かれていく場面が、初演以上に彼らの置かれている立場を簡潔に描いているように見えます。
各場面が洗練されて作品が生まれ変わったことを感じました。
操られる市民の向こうに側に、時代を見据えたロベス・ピエール(福井貴一)の射貫くように真っすぐな視線が見えます。もうすぐ彼の目的が達成される時を告げるような視線が。

そしてこの4月から、キャストが一部入れ替わりました。
今拓哉のフェルセンは包容力で王妃を包み込み、鈴木綜馬のオルレアン公は、カリオストロに操られる存在の象徴として映ります。

さて、ダブルキャストでマルグリットを演じている新妻聖子。本能で演じていると思わせるその歌声。今後の彼女の動向から目が離せなくなりそうです。

原作・遠藤周作、脚本・歌詞・ミヒャエル・クンツェ、音楽・シルヴェスター・リーヴァイ、演出・栗山民也、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、衣裳・有村淳

(帝国劇場にて)

※公演詳細は東宝のサイトで。

☆東宝ミュージカル「マリー・アントワネット」ピアノ弾き語り


☆遠藤周作・原作『王妃マリー・アントワネット』新潮社
王妃マリー・アントワネット(上巻)  王妃マリー・アントワネット(下巻)
続き『AOI/KOMACHI』(4/11-15)
『KOMACHI』は、『AOI』に引き続いて上演されました。2本立てというわけです。

詩人に該当する役は、もう8年も映画を撮っていない中年の映画監督という設定で、小町は戦時中の誰もが憧れるような美人女優となっています。
その映画監督の男が初めて降りた駅で見つけた名画座風の映画館。そこに着くまでの道程が、スクリーンに古き良き昭和の町並みのように男の目線で写し出されます。
映画監督に扮する手塚とおるの語り口の上手さが、どんどん客席を引き込んでいきます。
終演後のトークショーで語られた、手塚が第一声を発するまでの間について。
手塚曰く、アメリカの公演でも『AOI』の場内の反応を受けて、こう出る、という気持ちが作り出す間であり、語る口調だということです。

『AOI』とは全く異なる雰囲気の芝居です。
小町に扮する笠井叡のダンスが、メイクが、衣裳が、男と一緒に私たちも異次元の世界に連れて行かれてしまうようでした。
その男と同様に、少々滑稽な様子に安心して身を置いていると・・・忘れてはいけません。やはり「卒塔婆小町」です。いつ命を落とすのかわかったものではありません。

作・演出・川村毅、美術・堀尾幸男、映像・伊藤高志、照明・大野道乃、音響・島猛、衣裳・半田悦子

(世田谷パブリックシアターにて)

※公演の詳細はこちら
『AOI/KOMACHI』(4/11-15)
2003年にシアタートラムでの同作品を観たことがありました。
今回は、その再演。
しかし、ただの再演ではなさそうです。ここ東京の世田谷パブリックシアターで幕を開ける前に、ニューヨークを含むアメリカ東海岸の4都市で上演されたというのですから。

ようやく11日、世田谷パブリックシアターで始まりました。
作品は「現代能楽集」シリーズとして、作・演出・川村毅の『AOI/KOMACHI』です。(作・三島由紀夫「近代能楽集」では『葵上』と『卒塔婆小町』の物語です)

最初は『AOI』から上演されます。
何事をも恐れないように見えるカリスマ美容師、光(長谷川博己)。彼を訪ねて恋人の葵(剱持たまき)がやってきます。緑の黒髪を持つ美少女の葵。発作的に何かに取り憑かれたように振る舞う彼女が突然、光の目の前から姿を消し、代わりに現れたのが彼のパトロンであった六条夫人(麻見れい)でした。
葵を返せと詰め寄るうちに、光はすっかり六条夫人のペースで夢か現か愛欲の世界へ導かれて行きます。
六条夫人に葵への想いを語る光ですが、彼女の意外な一言で彼の自信は崩れ始めるのです・・・。

初演と筋は変わりませんが、この再演では、終盤に向かうにつれて光の動揺が感じられました。
登場時には冷淡、横暴、傲慢で、彼の視線一つとっても身の凍る思いをしたのですが、その分、この動揺が観客の心をも揺さぶります。光の心の動きが作品を支えていることがわかりました。

人物の影をスクリーンに投写して相互の力の強弱を表すという、視覚的な効果も見られました。鍵となる「黒髪」を表すダンスも。
個人的には、登場人物の語りと動きでも充分伝わると思うので、時にはその効果をうっとうしいと感じることもありましたが、これが海外で上演するということなのでしょうか。
字幕をつけて上演する作品に、観客に見てわかる演出をサービスしたのかもしれません。
そして休憩をはさみ、『KOMACHI』へと続きます。

さて、光を演じる長谷川博己。初演時はまだ劇団の研修生という立場でしたが、舞台に立つその振る舞いは堂々たるものでした。
彼もまた、先日『エンジェルス・イン・アメリカ』(T.P.T.'07、観劇録はこちら)で述べたアッカーマン演出の『BENT』(T.P.T.'02)で、観客の心を捉えて離さなかった役者の一人です。
その後、『皆に伝えよ!ソイレントグリーンは人肉だと』(T.P.T.'06、観劇録はこちら)出演以降、何かが吹っ切れたように思い切りのいい芝居を見せてくれています。

作・演出・川村毅、美術・堀尾幸男、映像・伊藤高志、照明・大野道乃、音響・島猛、衣裳・半田悦子

(世田谷パブリックシアターにて)


☆著者・川村毅「AOI KOMACHI」論創社
AOI KOMACHIAOI KOMACHI
(2003/11)
川村 毅



『桂春団治』(4/3-27)
実在した上方落語家、初代桂春団治の物語。
そして、春団治を陰で支えた女たちの生き様の物語です。

大正時代の中頃、大阪で春団治は観客をあっと言わせるような落語で人気を博していました。
しかし、人気の割りに、後輩に真打を先越され、あまりいい気分ではありません。
京都の宿泊先の旅館の娘、おときの「あんなのはお客をおちょくっているだけ。古典をしっかりやってこそ新しいものができるのではないですか」という言葉に一念発起し、名実ともに人気の咄家になります。
母親のような彼女の包容力に惚れた春団治。嫁にしようという言葉を信じ、数カ月後「お腹に子供がいるので家を出てきた」と言って春団治を訪ねたおとき。家から出てきたのは春団治の妻おたまでした。
しかしおたまは子供のためだと自分が家を出て、おときは春団治の妻となりました。
春団治の破天荒な行動は変わる事なく、借金、そして新しい女性の出現と、おときは悩み、今度は彼女が家を出て行く決心をします・・・。

桂春団治を沢田研二、おときに藤山直美が扮します。
どこまでが実話に基づいたものかわかりませんが、当時の上方芸人とはこういうものだったのかとロマンを感じさせるスケールの大きなエピソードあり、痛快、かつ脇を固める俳優陣により、春団治とおとき、おたまの関係がより絆の強いものに感じられました。
そして、おときが一人で育てる子供に「父親はここにいる」と言って春団治のレコードを子守代わりに聴かせているくだりなど、春団治を心の中で尊敬してはいるものの、決意の固さ、女のプライドを感じさせるところでありました。

人気と実力を兼ね備えた春団治を、沢田が自身の行き方そのもののカリスマ性を持って、さっぱりとした色気で演じています。
対するおときは、この春まで朝ドラのヒロインを演じていた藤山直美です。奥深い演技に加え、存在自体に華やかさを感じました。

春団治を藤山寛美が演じたこともあるようです。人気の作品は長年上演されるうちに様々な関係を生むものだと、感慨深く思いました。

原作・長谷川幸延、脚本・演出・宮永雄平、美術・古賀宏一、中嶋正留、照明・室伏生大、音楽・甲斐正人

(新橋演舞場にて)

☆初代春団治が残したSP音源のアルバム「コロムビア至宝シリーズ 初代桂春団治」


☆藤山寛美が春団治を演じた舞台のDVD「笑艶 桂春団治(第一部~第三部)」
  
『別役実ワールドと文学座アトリエ』
『別役実ワールドと文学座アトリエ』というシンポジウムが、文学座アトリエで行われました。
二部構成で、一部は別役実と演劇評論家の扇田昭彦を迎え、第一線でありつづける作家とその作品の世界について作家本人からも真相が伺える興味深いものでした。
別役作品に馴染みの深い俳優の田村勝彦、富沢亜子が司会進行を務めます。

別役作品が、このアトリエという稽古場の空間で上演されることに大きな意味があったようです。現在の客席は150あまりですが、当時は観客を詰め込んで200人以上入ったようです。その200人という観客の数が、舞台の出来事を共有できる限界の数だと、作家は述べていました。
人物が動くと観客の目線が動く「音」を感じたと言っていた作家の言葉が印象に残ります。

そして、別役作品に欠かせない「電信柱」の存在について。
どうしてなのか尋ねられると、作家は「まず作品を手で描いてみる」のだそうで、最初に描くのが電信柱。その下にゴザを敷いて・・・するとそこから自然に関係が生まれてくるのだと。

第二部は、1965年に文学座で別役作品が上演されてからの話を、初演以来、作品のほとんどを演出している藤原新平、そして別役作品の出演者(小林勝也、角野卓造、吉野佳子、倉野章子)も加わり、出演時のエピソードが語られました。
演出家の、最初の作品で試行錯誤した話などは、それがかえって作家との深い信頼関係を築いたのだと思いました。
1977年に『にしむくさむらい』という作品が文学座アトリエで上演されました。当時の出演者が30年という時を経て、新作の『犬が西むきゃ尾は東』に出演します。面白いことに、この作品は『にしむくさむらい』の後日譚であるそうです。
(6/15-7/5 文学座アトリエにて)

別役実作品と文学座と言えば、イス席が満席となった客席の最前列で膝を抱えて芝居を観た思い出があります。
1984年に上演された『ハイキング』が、自分にとって別役作品との出会いであり、アトリエに初めて足を踏み入れた時でした。
電信柱の存在を今でも覚えています。

(文学座アトリエにて)

別役実作品リーディング集が文学座アトリエで行われます。
(入場料1000円、お問い合わせは文学座まで)
『天才バカボンのパパなのだ』6/18(月)19時
『AとBと一人の女』6/25(月)19時
『にしむくさむらい』7/2(月)19時

☆著者・別役実『にしむくさむらい』、『数字で書かれた物語』、『ハイキング
天才バカボンのパパなのだ』三一書房