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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
『オツベルと象』横濱リーディングコレクションより
「宮沢賢治を読む」
横濱リーディングコレクションで3作品が上演される中(前回は『飢餓陣営』を観劇)、今回は『オツベルと象』を観ました。
構成・演出は鳴海康平(第七劇場)。

『飢餓陣営』が戯曲であったのに対し、この作品は全くの小説です。
牛飼いがその内容を語る形式ですが、この舞台では主に宮沢賢治が病床に臥す妹のトシに、この作品を語って聞かせています。

トシが数ある本の中から一冊を拾い上げ、賢治に差し出します。互いの視線がなんと愛おしく感じられることでしょう。
その本を賢治(寺尾恵仁)が優しく、そして力強く読み上げます。
途中、トシが、小説の本来の語り部である牛飼いが、登場する象が、時折彼らのセリフの一端を担って言葉を発するのですが、賢治はきちんとその部分も読み進めていくのです。

背後にはヴァイオリンの調べが流れ、そして白い象の仲間を具現化した純白の衣装をまとった4人の女性が緩やかに踊る姿も見られます。
舞台の上の彼らの発する言葉は、時には合唱のように、輪唱のように、観客の耳には聞こえてきます。

トシを演じる可憐な少女(佐直由佳子)が、オツベルの「象」の言葉を発する声は、そして牛飼いの青年(小寺悠介)の語る声は、なんと心地良い響きを持つのでしょう。
それぞれが手に本を持ち読み進める様は、次元を超越した感さえありました。

トシの小さな咳ひとつにもピクリと反応する賢治。
象の咳払いとも絡めて、儚さのある作品作りだと見受けられます。
様々なものの見方をされる作品ですが、ここでは賢治の美しくも儚い妹への愛情を感じました。

この『オツベルと象』は大正15年・昭和元年に発表されました。
妹のトシはその4年前の大正11年に亡くなっています。(以下に紹介する新潮文庫の年譜より)

リーディングという形式のもと、作品の伝え方として、それぞれの演出家のアレンジした作品を楽しませてもらいました。
横濱リーディングコレクション、もう一作品の『セロ弾きのゴーシュ』を観る機会を逸しましたが、次回のテーマが今から楽しみでなりません。
150編ほどもあるという賢治の作品を読んでみようというきっかけにもなったのですから。

横濱リーディングコレクションの公演は、25日に終了しました。

(横浜相鉄本多劇場にて)

☆新潮文庫『新編 銀河鉄道の夜』
今回上演の3作品「飢餓陣営」「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ」他を収録

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『初雷』(2/22-3/5)
ある都内の家庭が舞台。
二浪の末、この春に大学生活を始める潤一(桑原良太)は、大学生になってからもお弁当を持っていきたいと理子(みちこ、と読みます)にねだっています。社会人一年ちょっとの潤一の姉の智子(上田桃子)、そして潤一と智子の父の篤志(清水邦彦)。理子(倉野章子)は篤志の妹です。これが津田家の家族。
理子は兄の妻が亡くなったのを機に、仕事を辞めて津田家に戻り、15年間子育てから家事一切を引き受けてきました。まるで子供たちの母親のように。
しかし、潤一の大学合格で自分の役目が終わったと悟る理子は、仕事を始めようと考え始めます。そして15年ぶりに訪ねてきた父の教え子、山岡からの仕事の誘いに、その想いが現実のものになろうとするのですが、なぜかいい返事をしない兄の篤志。

今までこの生活が当たり前だった彼らですが、いざとなると理子は、自分は家族の一員ではないと思うのです。そして他人はこの関係を異形家族だと言います。
「異形家族?」
理子は言われてはっとします。
騒動が次々に持ちあがり、彼らの関係が少しずつ変わってくるのです・・・。

この作品の舞台の上に日常が存在しているのに気付くことでしょう。
初雷・・・彼らの上に初めて鳴り響く変化の音なのでしょうか?彼らの関係の変化、と言うよりも、津田家の人々が家族であったが故に口に出して伝えていなかったそれぞれの想いが、ひとつのことをきっかけに明確になってくるのを感じました。
私たち自身、家族の誰かが自分をどのように思い、また自分が家族をどんな気持ちで見つめているのか、過ぎ行く生活の中で立ち止まって考えてみることはあるでしょうか?
理子が主人公ではありますが、津田家の人々それぞれの想いを知るごとに、どこか自分の想いと重ね合わせて観ている、そう思った時知らず知らずのうちに目に涙が溢れていました。

様々な騒動が持ち上がります。しかし観終わって感じたことは、理子や親の立場からは「育てる」ことへの想い。そして「育てる」ということから生じる互いの「思いやり」。

心を温かくして劇場を後にしました。

川崎照代が文学座に書き下ろした作品です。(注・崎の字の「大」の部分は本来は「立」です)

作・川崎照代、演出・藤原新平、装置・石井強司、照明・古川幸夫、音響・斉藤美佐男、衣裳・伊藤早苗、

公演情報の詳細はこちら

(紀伊國屋ホールにて)

※文学座にチラシ画像掲載の許可を得ておりますので、画像の転載はしないでください。
『ヒステリア』(2/13-3/3)
昨年、世田谷パブリックシアターで『アンデルセン・プロジェクト』(作・演出・ロベール・ルパージュ)という視覚的には映像と実態の錯覚の中で芝居を観ているような作品に出会いました。
(白井晃が演じるバージョンを観劇)

この『ヒステリア』の演出は、白井晃。
前述の作品以上に、観る側は錯覚を覚え、いえ、錯覚を体験したような気がしました。

登場人物は、フロイト(串田和美)、彼の主治医ヤフダ(あさひ7オユキ)とサルバドール・ダリ(白井晃)、そしてジェシカ(荻野目慶子)。
場所はロンドンのフロイトの書斎であり、時は彼の亡くなる一年前の1938年です。
実際、この年に、ダリは妻とともにロンドンにいるフロイトを訪問しています。(プログラムより)
サブタイトルの‘あるいは、ある脅迫神経症の分析の断片’が、キーワードとなり、セリフの応酬のもと、私たちはフロイト自身の混乱した精神の世界へと誘われて行くのです・・・。

それは、観る側の知識と記憶があって成立する作品にも思えます。
フロイトは精神分析の創始者であり、ダリはシュールレアリズムの画家で時間と空間を超越した思考回路の持ち主であることは周知のこと。
フロイトやダリの人と為りが観る者の潜在意識にあり、そこでフロイトの目を通して見えるもの、感じることを、私たちの意識の中で正当化してしまっているようにも思うのです。

物語の展開を追うのもよし、登場人物のあるがままの姿を追うのもよし、どんな方法で臨んでも、結局、全員が最後に同じ思いをするようになっているのかもしれません。
この空間にいなければ味わえない不思議な体感とも言える体験。
ある意味、遊園地にいるような感覚を、劇場という空間で味わいました。
縦長の舞台空間に意味あり、です。

さて、ジェシカ役の荻野目慶子。
彼女を『奇跡の人』の舞台で観てから、一体どれぐらいの時を経たのか・・・彼女が彼女であり続けるギリギリの演技が、現実と幻想の境目に存在するジェシカ、その他彼女の演じる人物像を、それぞれしっかりと表していました。

作・テリー・ジョンソン、翻訳・小宮山智津子、演出・上演台本・白井晃、美術・松井るみ、照明・齋藤茂男、音響・市来邦比古、映像・栗山聡之、衣裳・太田雅公

公演の詳細は、こちら

(シアタートラムにて)

※この作品は、まつもと市民芸術館共同製作作品です。
 この後、まつもと市民芸術館で上演されます。(3月9日~12日)

『飢餓陣営』横濱リーディングコレクションより
第3回目となる横濱・リーディング。
今回は宮沢賢治の3作品が上演されます。
アフタートークでプロデューサーが語っていたこのリーディングのルールとは、「読む」こと。後は演出家の腕次第。

さて、トップを飾る初日の作品は、『飢餓陣営』。
大正11年、賢治が26才の時の作品です。
都内から横浜は少し遠く、入場した時には既に開演していました。
扉の外まで足を踏み鳴らす音が響いていました。リーディングなのに?
真っ暗な中舞台を見渡すと、衣裳を身につけた5人の役者が手に戯曲の書かれた紙を持ち、それぞれ等間隔に座り、顔は正面=客席を向いています。
明らかに観客を意識したリーディングの形式を見て、意識が舞台に集中しました。

ストーリーは、全滅を免れた兵士たちが、陣営に大将が戻るのを空腹で待っている中、大将がつけている勲章が菓子などでできているのを思い出し、たぶらかしてその勲章を食べてしまおうというもの。
食べた後にはそれを恥じて、自害しようとする彼ら。それを止める大将が彼らに提案したこととは・・・。
一筋縄ではいかない、奇想天外な作品です。

12人もの兵士の発言を5人の役者で演じることで、小気味良いテンポが生じています。
反対に、彼等の上司の存在は一人なのですが、パントマイムと声で役割分担されることにより、その人物の軍での役職と彼本人の素質のちぐはぐさが上手く表現されていたように思いました。
ただ読むだけでは難解だった賢治の戯曲が活きています。
構成・演出は椎名泉水(studio salt)。
賢治が‘農学校教師時代・・・(中略)・・・生徒のために書き下ろした一幕の戯曲’(チラシより)であるように、食料本来の目的、果ては自分たちの手で収穫する喜びの本質を、音楽、小道具の効果を用いて丁寧な演出で描かれているのが魅力です。

劇中歌の作曲・パーカッション演奏は栗木健。
様々な楽器を並べ、舞台上手前方に位置しています。
ト書きで指定されている「銅鑼(どら)」以外は栗木の手作りの楽器です。それらの楽器から奏でられる音により、リーディングという手段ではありましたが、音とその仕組みを楽しみながら大きなイメージで作品を捉えることができました。

22日、23日にもアフタートークがあります。
詳細はこちら

最近、小劇場を中心に観ているえびす組ビアトリスの「このリーディングは面白い」の一言に推されて観に来ました。その通り!

横浜相鉄本多劇場にて)2/25(日)まで

☆新潮文庫『新編 銀河鉄道の夜』
今回上演の3作品「飢餓陣営」「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ」他を収録

3月に観たい―ロック★オペラTHE WHO'S『TOMMY』
☆ブロードウェイ・キャスト盤『TOMMY』CD

ミュージカル『TOMMY』の来日公演(ツアー版)を、昨年3月に東京厚生年金会館で観ました。

客席には、中川晃教の姿もありました。

上演中、ちらりと彼を見たら、真剣な眼差しでステージを見つめていたのが印象的でした。
舞台に立つ者として、彼は何を感じながら観ていたのでしょう?

☆映画『TOMMY』DVD    オリジナル・サウンドトラック
コレクターズ・エディション
         
1975年公開の映画『TOMMY』(音楽はThe Who)。
サイケデリックで近未来的な映像は、「See me Feel me」などの楽曲とともに一度観たら忘れられません。
ロックを聴いて育った世代なら、‘The Who’のバンド名、そしてこのメロディが懐かしく感じられることでしょう。
耳から入り頭を打つような衝撃、体全体にじわじわと染み渡るような旋律。それらがこの後何十年も音楽の記憶として無意識の下、体に残るのです。

☆The Who『TOMMY』CD
ロック・オペラ「トミー」+17(デラックス・エディション)

さて、いのうえひでのり演出ロック★オペラ『TOMMY』。
様々な媒体でのインタビューを読むと、いのうえ自身、学生時代に観た映画の『TOMMY』に衝撃を受け、これを日本で演出するなら自分が、という想いを抱き続けていたそうです。

その舞台がいよいよ3月に開幕します。

主演のトミーを演じるのは、中川晃教

いのうえひでのり版は、映画をベースにするそうです。
視覚的な衝撃はもちろんのこと、新しい音楽の記憶が中川晃教によってどう伝わってくるのか、期待が高まります。

演出・いのうえひでのり、訳詞・湯川れい子/右近健一、翻訳・薛珠麗

(東京・日生劇場 3/12~30、大阪・シアター・ドラマシティ 4/20~26)

こちらのe-plus Movieサイトで、中川晃教が歌う『TOMMY』のデモ音源が試聴できます。

★そして『TOMMY』のオフィシャルブログはこちら
 しばらくブックマークの「注目のページ」に掲載します。
『二月大歌舞伎』夜の部(2/1-25)
通し狂言・仮名手本忠臣蔵。夜の部は五段目から始まります。
この五段目と六段目は、『新春浅草歌舞伎』、そして10月に歌舞伎座で観たことがある程有名な場面です。

ちょっと話がそれます。
今年の干支は猪。新年の歌舞伎座の売店では、たしか「五段目の猪」と注釈のある、猪の描かれた手ぬぐいが売られていました。
この五段目は、強盗に襲われたり、鉄砲の流れ玉に当たったり、そして思い違いにより自害をしたりと登場人物が次々に亡くなる中、狩の標的となった猪は無傷のまま舞台を通り過ぎて行きます。
この‘五段目の猪’については「運のいいのは猪ばかり」の言葉もあるくらい幸運の象徴でもあるようです。

さて、昼の部で主君・塩冶判官の大事に駆けつけられなかったことを恥じて、腰元のお軽と鎌倉を離れた勘平。
六段目は、お軽(玉三郎)の郷里で狩をしながら生活する勘平(菊五郎)を主君の仇討ちに参加させたい一心で、勘平に内緒でお軽の身を売って徒党に加わるための御用金を作ろうというものです。

今まで五段目と六段目だけ観ていて、主君への忠誠心のためにここまでするのか、とその時代の考え方が現代に生きる私には腑に落ちませんでした。
しかし顔世御前の手紙を、すぐでなくてもよかったのですが、お軽が急いで師直に届けに来た際に、勘平はお軽と逢い引きをしていました。その時に三段目の事件が起きたのです。そして勘平は主君の大事の場所に居合わせませんでした。
それをお軽はもとよりお軽の両親も申し訳なく思い、娘を遊女にしてまで御用金を作ろうということになったのです。
悲しい話ですが、話の展開に納得がいきました。

七段目。
遊女となったお軽、仇討ちの疑いを消すために祇園の遊郭で豪遊する由良之助(吉右衛門)と出会う場面。
そして身分の低い足軽の平右衛門(仁左衛門)実はお軽の兄が由良之助に認められるまでのところは、華やかな場面の中に、腹の探りあいや、嘘の陰に真実が見え隠れする、感情的にも複雑な場面です。
しかしそれらが観ている観客の心を揺さぶる、大変興味深いものでした。

玉三郎の女形には独特の雰囲気があります。
この段での立ち姿は、まるで浮世絵から出てきたような神々しいまでの美しさがありましたが、兄の平右衛門との場面では無防備な無邪気さがのぞく、その役の見せ方に魅力を感じました。
えびす組のコンスタンツェの弁。「仁吉玉で大満足」の七段目でした。

十一段目。
塩冶判官が師直を殿中で斬りつけてから10ヶ月後の12月。
雪の中、既に亡くなった勘平を含めて四十七士がついに迎える討ち入りの場面です。

歌舞伎では斬り合いの場面で直接組み合うことはあまりないのですが、小林平八郎(歌昇)と磯貝十郎左衛門(種太郎)は、刀を交えての斬り合い、取っ組み合い、雪合戦で応戦したり、張り手で闘ったりと、殺陣の場面を存分に魅せてくれました。

そして、やはりこの場面を観ないと終わる気がしない炭部屋の場面。
じっくりと塩冶浪士の雄姿をご覧ください。

来月は、義経千本桜。これも通し狂言なので、1月に『新春浅草歌舞伎』で観た「すし屋」の場面、昨年11月の『花形歌舞伎』で観た源九郎狐の序幕からの登場に、今から興味津々です。

(歌舞伎座にて)
『GENERATIONS』(2/15-18)
舞台壁面に年代が浮かび上がります。
今夜歌われるミュージカルが開幕した年代なのでしょうか?
1970年代から2007年のこの日まで、時間を軸にしたミュージカルのコンサート。
出演者も、歌うそのナンバーの郷愁にひたる人あり、その作品に出演していた人あり、客席から観ていた人あり。このコンサートとのつながりを語るトークも面白かったです。

その次には一人一人の歌唱の力強さに驚かされ、一曲の中に込められた彼らの想いを感じました。
世代は違っても、「歌」を通して集ったメンバー。彼らによるミュージカル・ナンバーの披露宴のようでした。

第一部は「70’s Rock&Soul Musical CHOICE」と題して『HAIR』『FAME』『LITTLE SHOP OF HORRORS』『RENT』『JESUS CHRIST SUPERSTAR』などから、思わず口ずさみたくなる名曲の数々が披露されました。

そして第二部は『GODSPELL』GALAと題して、11曲に及ぶナンバーの応酬です。
『GODSPELL』日本版は、今までに3度も上演されている人気の作品です。
(私にとって今回が『GODSPELL』デビューです)
ジーザスがいて、ユダがいる。
『JESUS CHRIST・・・』とほぼ同時期に幕を開けた作品だそうです。
本日歌われたナンバーがどんな状況で歌われるのか、観てみたいですね・・・。

構成・石原慎一、訳詞・佐藤万里、編曲・寺田鉄生、演出・高野克己、照明・柏倉純一

最初から気になっていたのが、ジーパンを各々個性的におしゃれに着こなした出演者たちです。
そういえば、スタッフに衣裳担当の名前がありません。
トークでは「今回の衣裳は、新納さんと真織さんによる・・・」コーディネートか手作りか、という話がありました。本当かもしれません。
歌うメンバーの組み合わせも考慮した、とっても素敵なコーディネートです。
目で、耳で楽しんだ、ちょっぴり大人のガラ・コンサートでした。

(天王洲 銀河劇場にて)

※以下、イープラスのサイトです。
「GENERATIONS」~GOD SPELLより舞台映像到着!
[ミュージカル・音楽劇]
 
演奏予定曲目の掲載もあります。

☆2000年オフ・ブロードウェイ・キャストによる輸入盤CD
Godspell [Cast Recording] [Soundtrack] [from US] [Import] Amazon.co.jpより

『ヴェッセリーナ・カサロヴァ メゾ・ソプラノリサイタル』(2/11)
メゾ・ソプラノ歌手のヴェッセリーナ・カサロヴァの来日リサイタルです。
彼女の歌声を知ったのは、昨年観たオペラ『皇帝ティートの慈悲』の再演です(演出・Martin Kusej)。セスト役で出演していました。
男性の役ですが、メゾソプラノという声質からでしょうか、その前にも別の演出家による同作品でセスト役に配され、また、昨年末にパリのバスティーユオペラ座で上演された『ばらの騎士』でも若い男性の役である‘ばらの騎士’に配されていました。(が、急病で降板。代役が立ちました。)

彼女は、歌い方に激しさはありませんが、その歌声に感情が突き動かされるものがあります。
今回はアリオダンテのアリア“まだ生きているのか”“不実な女め、戯れるがよい、情人の胸に”(歌劇『アリオダンテ』より)で、技術的にも優れているところを聴かせてくれました。

その他、ロッシーニ作曲の歌劇も伸び伸びと歌い上げていました。
プログラムの説明文によると、カサロヴァはロッシーニ作品を得意のレパートリーにしているようです。

そしてなによりもプログラム最後の演目、グノー作曲の歌劇『サフォー』からの叙事歌“私はどこにいるの?”“不滅のリラよ”で、サフォーは想いを語った後に身投げしてしまうのですが、この世で抱く最後の情感を振り絞るような体の奥底から響く声に、聴衆は魅了されました。

アンコールの2曲目は歌劇カルメンのハバネラ“いつになったら好きになるのか?・・・恋は野の鳥”。
感情に流されずにしっかりと聴かせる歌声が印象に残ります。

9月にチューリッヒ歌劇場の来日公演がオーチャードホールで行われます。
『ばらの騎士』に、カサロヴァが‘ばらの騎士’役で出演します。
必見!と言いたいところですが、手の届くチケットが取れるかどうか・・・。既にE、F席は完売の模様です。

※開いたサイトから左上の「チューリッヒ歌劇場」をクリックすると、音楽が流れます。

(サントリーホールにて)

☆モーツァルト:歌劇『皇帝ティートの慈悲』(全曲)
録音:2006年2月26日、ミュンヘン放送管弦楽団、演奏会形式上演のライヴ・レコーディング


☆ロッシーニ:歌劇『チェネレントラ』(全曲)来日記念・最新盤
録音:2005年11月27日、ミュンヘン放送管弦楽団、演奏会形式上演のライヴ・レコーディング


☆マジック・オブ・カサロヴァ『オペラ・アリア・ベスト』

『二月大歌舞伎』昼の部(2/1-25)
朝からつながらないチケット発売の電話と格闘していたら、10分も開演に遅れてしまいました。
劇場の案内係の「始まったばかりですから」という言葉をよそに、はやる気持ちで舞台を見ると、まだ幕がゆっくり引かれている最中です。それもいつもの5倍は遅い速度で!
いったい何が起こっているのかと思い筋書きを読むと、この2月は通し狂言・仮名手本忠臣蔵です。「大序」ではまず口上人形による配役の紹介があり(見逃してしまいました)、‘天王立下り羽(てんのうだちさがりは)という鳴物に合わせて、徐々に幕を開けて’いくのだそうです。「とぉ~ざぁ~~い」の掛け声の中、既に舞台に勢揃いしていた登場人物が幕から徐々に姿を現わす様は、これから始まる長い作品への期待と意気込みを観客に抱かせてくれました。

さて、一般的に知られている、ある人物がかの人物の屈辱に堪えかねて殿中で斬りかかり、無念のうちに切腹を言い渡され、その家臣が主人の敵を討とうと決意する、というところまでが昼の部です。
江戸時代は実名を出しての上演がはばかられ、もじった呼び名となります。
舞台も、八幡宮のある鎌倉です。

まず三段目。
最初は若狭之助(吉右衛門)が師直(富十郎)の態度に腹を立てて「軌ってやろう」とい勇んでいました。しかし家臣の気配りで賄賂を贈ったところ、師直の機嫌が良くなったのでその場は収まりました(主人に問題を起こして欲しくありませんから)。

師直は塩冶判官(菊五郎)の奥方の顔世御前(魁春)に想いを寄せています。ある日、師直が塩冶判官と一緒にいる時に、タイミング悪く先日彼女に内緒で送った恋文の断りの手紙が届いたのです。不機嫌の矛先は一気に塩冶判官へ。
しまいに塩冶判官は屈辱に耐え兼ねて、師直を斬りつけてしまうのです。

運命のいたずらでしょうか。
その断りの手紙は、本来ならもっと遅く届けられてもいいものでした。それがよりによって・・・。
この手紙を顔世御前の遣いで届けたのは、‘お軽’です。

四段目は切腹の場面となり、この後に浄瑠璃の「道行旅路の花聟」があります。
「お軽と勘平」逃亡の場面です。勘平(梅玉)はお軽(時蔵)と逢い引きしていて、主君・塩冶判官の大事に駆けつけられませんでした。
そして屋敷に戻る事なく二人で鎌倉を去ったのです。その道行きの物語。この先、五段目で、お軽の実家に落ち着いた彼らの物語があります。

五段目は大変有名な場面で、この場だけの上演を昨年『新春浅草歌舞伎』、そして10月に歌舞伎座で観ました。

ようやくその全体像が見えてきました。
続きは、後日、夜の部観劇で。

(歌舞伎座にて)

※写真の垂れ幕、今月は珍しく作品名が書かれています。
『私はだれでしょう』(1/14→20→22-2/25)
こまつ座第八十一回公演。
時は昭和21年。場所は、内幸町の日本放送協会。昔はこの日比谷にありました。
元花形アナウンサーの川北京子(浅野ゆう子)の提案で始めたラジオの‘尋ね人’番組。アナウンサーが読むその原稿を作る部屋が舞台です。
正面には左右に郵便の入れられた棚が置かれています。右側が読まれた手紙がきちんと入っている棚。左側がひもで束ねられ、まだ手をつけていない郵便物の束が収められています。

さて、この‘尋ね人’の番組は、戦争の混乱で生き別れた家族や知り合いを探すのに、日本国民がラジオにかじりついて耳を澄ませて聴いていたのだと言います。
ある日、放送を監督する主任にフランク馬場(佐々木蔵之介)が新任で、そして人目を盗んで一人の青年(川平慈英)が「探して欲しい」と、この部屋にやってきました。
青年に尋ねても、いっこうに本人の詳細がわかりません。どうやら戦地で記憶を失ってしまったようです。
そこで京子たちは新しいコーナーを‘尋ね人’に作りました。

「私はだれでしょう」

当時はそういう人が多かったという、悲しい事実もあるそうです。

自分探し=家族を見つけること。
そう簡単にはいきませんが、川平のフットワークの軽さを持ち味にした人物設定に、私たちはいつも励まされていたような気がします。
挫けずに、常に前を見つめるその根性。
考えてみれば、彼には失うものは何も無かったのです。

戦後、そうやってゼロから出発した人、それを応援する人、今を生きていることに喜びを見出した人々がたくさんいたことでしょう。
その陰にある家族や家を失った人々の想いも、この作品は忘れていません。

作者も然ることながら、演出の栗山民也が、戦争によって様々な状況に置かれた登場人物一人一人を丁寧に描いています。
敗戦後、日本放送協会(NHK)はGHQの監督下にありました。
「探して欲しい」の声は、広島から、そして長崎からも届きます。しかしそれはこの頃‘ラジオコード’にかかる禁句でした。

※書き忘れていました。左側の棚の手をつけられていない郵便物は、広島や長崎からのものだったのです。

聴衆の声を聞き届けようと、京子とフランクのその結果がわかっていながらとった行動に、胸が痛みます。

ぎりぎりまで練られた作品のようです。
この空間と登場人物をフルに活用した内容には‘さすが’の一言です。

作・井上ひさし、演出・栗山民也、音楽・宇野誠一郎、美術・石井強司、照明・服部基、衣裳・前田文子

(紀伊国屋サザンシアターにて)

※写真は公演中ロビーで販売されている「the座」。
プログラムのようなものですが、キャストの紹介、作品の時代背景から関連する事柄まで情報満載で読み応えがあります。(¥980)