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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
『愛しのメディア』(12/19-30)
ひた走る青年・草太。つまずき、転んで、見せるのは、無念の表情。
その後を追う青年・ロク。掌にあるのはイオルコスの街。いえ、そうだったら、という話。
突然現れた、草太が目指す街まで行けるよう応援するという、海からやってきたという乙女が4人。
青年らは乙女たちを「メディア」と名づけました。

メディアというと、エウリピデス作の、英雄イアソンと恋仲になった王女メディアが、彼に裏切られたために復讐をする・・という悲劇の物語がありますが、ここではギリシャ神話の名前だけが存在し、登場人物はそれぞれ目標に向かって生きていきます。

乙女のメディアたちが望むのは、彼女たちが各々持ってきたトランクをハードルのように草太が跳び越え、イオルコスの街へ到達すること。
しかし今の彼には、どうしても最後の一つを越えることができません。
トレーニングを積む草太、激励しタイムを計るロク、金銭的に草太を支援しようと働くメディアたち・・・

抽象的に舞台で表現される物事に、観客自身が常にその先にあるものを模索しながら観ることになります。
越えられない最後のトランク。なぜ草太は越えられないのか?
海からやってきた乙女メディアたち。、どうしてこの国で働くのが困難なのか?
いつしか草太は、イオルコスの街へ行くのに、誰よりも早いタイムでなければならない状況になります。ベストタイムの先にあるものとは?
そしてメディアたちとの出会いと別れの意味するものは・・・?

サイスタジオ コモネBスタジオという空間で繰り広げられる『王女メディア』の名を借りた物語。
ひたむきに声援、いえ、期待に応えようとする青年・草太(細貝弘二)の姿は、挫折を乗り越えようとする精神力を感じさせてくれました。
走る人、走れない人。自分は走れない種類の人間だからと、現実的に環境をサポートしようとするロク(上川路啓志)の献身的な気持ち、わかるような気がします・・・。
メディアたちに扮するのは、山谷典子、頼経明子、太刀川亞希、藤崎あかね。

自分にできることを一生懸命やっている登場人物の姿を観て、精一杯生きること、そして無償の愛の尊さに感じ入りました。

作・鄭 義信、演出・高橋正徳

おなじみ、文学座座員有志によるユニットH.H.G(Happy Hunting Ground)による9回目の公演作品です。
H.H.G公式ブログはこちら

LOVEというテーマの中、『冬のサボテン』との交互上演となります。
公演詳細はこちら

(サイスタジオ コモネBスタジオにて)

※宣伝美術の「SOEDA S」さんにチラシ画像掲載の許可を得ておりますので、画像の転載はしないでください。

☆著者・鄭 義信「冬のサボテン」新水社 交互に上演されている『冬のサボテン』を収録
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十二月大歌舞伎・夜の部一幕見
9月夜の部(『鬼揃紅葉狩』(作・萩原雪夫)を観劇)同様に、仕事帰りでも観られる時間帯に一幕見席で観ました。

今月、初役に挑んでいるのは菊之助だけではありません。
この新歌舞伎十八番の内『紅葉狩(もみじがり)』(作・河竹黙阿弥)では、松緑、海老蔵ともに初役となります。

侍女を従えて上手から更科姫(海老蔵)が登場。大きな瞳の目鼻立ちがはっきりとした美女です。
従える侍女も美しい。侍女の野菊は、團十郎のご令嬢とイヤホンガイドで紹介されていました。市川ぼたん。海老蔵の妹です。
子役以外に女性が歌舞伎の舞台に立つのを初めて観ました。

さて物語は、更科と名乗る姫、実は鬼女が、紅葉を楽しみに山中にやってきた平維茂(松緑)らを喰らおうと、姫に化けて怪しい踊りで眠らせてしまうというものです。
平維茂らが眠りについたのを見届けると、姫の一行は姿を消してしまいます。
そこへ山神(尾上右近)があの姫の一行は鬼なのだと警告しにやってきますが、平維茂の従者らは起きる気配がありません。
ついに更科姫らは鬼女の姿で登場。平維茂との闘いの場面となります。

若々しい舞台に見所満載です。
中でも山神は少年の役者がやるのが一般的なのだそうです。今回扮したのは尾上右近、14歳。柔軟な体でメリハリのある山神の舞に、観客は釘付けでした。
大きな拍手を受けた右近、これからも多くの芸を身につけていって欲しいです。

そして鬼女となった更科姫と平維茂の一騎打ち。
平維茂の方が優勢ですが、こちらも闘いの最中に勇壮な見栄で幕となりました。

この一年、歌舞伎をじっくり観ていても、継がれてきた舞台の趣向など、まだまだ知って驚くことがたくさんありました。
古典に興味のない方もいるでしょうが、どの分野でも古典を知って現代ものの作品を観ると、新たな面白さに出会えることを最後に述べておきます。
そして自分自身は、固定観念に囚われないものの見方をしたいと思っています。
今年の歌舞伎、見納めの作品でした。

(歌舞伎座にて)
※「十二月大歌舞伎」公演期間は12/2-26。
 幕見情報はこちら
『十二月大歌舞伎』昼の部
ここ最近、映画出演の機会も多い尾上菊之助。
歌舞伎では古典の芸を確実に披露して、観客を魅了しています。
午後の部『心霊矢口渡』もそうですが、昼の部最初の演目『八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)』も菊之助にとって初役です。
毎月、月のほとんどを昼も夜も舞台に立っている歌舞伎役者が新作に挑む姿を、いつも頭の下がる思いで観ています。

『八重桐廓噺』は、昔は名の知れた遊女だった荻野屋八重桐(菊之助)が、ある屋敷の前を通りかかり、そこで別れた夫と作った替え歌が聞こえてきたというのが発端の、実は多岐に話が及ぶ作品です。
案の定、中には煙草商人に身をやつした夫の煙草屋源七 実は 坂田蔵人時行(團蔵)がいました。
親の仇を討つためでしたが、既に妹の白菊(萬次郎) が仇討ちを果たしたと聞き、情けなさに自害してしまいます。
しかし、ただでは死ねません。自分の魂が八重桐の胎内に入り神通力を授けるから、勇者を産み育てるようにと語り息絶えます。
そして沢瀉姫(松也)を連れ出そうとする太田十郎(亀蔵)と八重桐が切り結ぶ場面へと展開します。

なんとも奇想天外な作品ですが、見所は、八重桐が夫と再会してその屋敷にいる沢瀉姫に愚痴をこぼす、別名「しゃべり」の場面です。
何かをしゃべるわけではないのですが、長唄の調子に合わせて、話すその内容を躍りの仕草で表現していました。
ここでは演じる菊之助の芸の細やかさ、表現力の豊かさに魅せられました。

そして夫から神通力、男の力を与えられた以降の立ち回りでは、男の声と勇ましい言葉で敵を迎え撃ちます。
張りと艶のあるその声は、女が男の力を身につけるという不思議な場面を正当化してしまうようでした。
立ち回るその時既に、八重桐には遊女の頃の面影はありません。

後日談ですが、後に八重桐は山姥となるそうです。
そして夫の魂を宿した八重桐が産み落とすのは、坂田金時(金太郎のこと)。八重桐は金太郎の母となります。
近松門左衛門によって書かれたこの作品。本名題を『嫗山姥(こもちやまんば)』と言います。(筋書きより)

イヤホンガイドの解説で、興味深い話を耳にしました。
この舞台の終幕でも、八重桐と悪役の太田十郎が闘う中、見事な見栄で幕が引かれました。
このように、悪役を最後まで倒すことを江戸時代の芝居において行わないのがしきたりだった、というのです。
それは観る側が「役者が演っている」のを知っているから、主要な役者がやられる姿を描かないのだそうです。
現代劇には無い面白い理屈ですね。

他にも『忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)~将門~』『芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)』『勢獅子(きおいじし)』と、昼の部も見応えたっぷりです。

入り口には写真のように、'大入'の札が貼られていました。

(歌舞伎座にて)

※「十二月大歌舞伎」公演期間は12/2-26

『ガールフレンズ』2nd
前回は郷愁の中で観ていました。
主人公の真理子はWキャスト(12/17は堀内敬子)。
裕子(池田有希子)との新たな関係を楽しみに劇場へ向かいました。

真理子の個性が変わり、相対する裕子の生き方が浮かび上がって見えてきました。これは面白い。どんどん彼女たちの生き方に引き込まれて行きます。

目の前で起こっているドラマを身近に感じていました。
最初は引っ込み思案の真理子。裕子の視線が「自分に自信を持て」とエールを贈っています。
その先にある彼女たちの人生。心の痛みが直に伝わります。
真理子が誰をどういう風に好きになって行くのか。
裕子が大胆であるほど、傷つきやすいということも。

歌う内容が同じでも、シンプルな作品だけに、キャストによる想いの変化が客席にも感じられました。
歌詞が彼女たちのドラマを語り、綴る世界を受け止めながら。
(心なしか、彼氏役の男っぷりが上がったように思いました。)

堀内敬子の艶と丸みのある声、それに現実を見据えるようにしっかり歌う池田有希子の声が、交互に、時には交ざりあう歌声のドラマ。
彼女たちが必死に生きる姿に、ユーミンを知らない世代も共感することでしょう。
本日、曲間の拍手は一切ありませんでした。その分、最後に堰(せき)を切ったような大きな拍手が、観客の想いを映していました。

作詞・作曲・松任谷由実、企画・原案・ホイチョイ・プロダクション、作・演出・馬場康夫、美術・二村周作

(博品館劇場にて)

公演は12月26日まで。
公演詳細はこちら

☆「VOYAGER」’ガールフレンズ’を収録




『AWAKE AND SING!』(12/2-17)
1935年11月14日、場所はアメリカのブロンクスのアパートの一室。
ここにユダヤ人の一家が住んでいます。正確には祖父ジェイコブ、父マイロン、母ベッシー、姉ヘニー、弟ラルフ、そして父の幼馴染のモーが居候してます。
この時代はアメリカの大恐慌の後。ユダヤ人の一家がこの地で生活することが困難である様子が、彼らの発する言葉に描かれています。

作・クリフォード・オデッツ。作品については「2006年トニー賞最優秀リバイバル作品賞受賞」(チラシより)。
時代というよりも、この作品の人物のあり方に、時代を超えたものがあると思いました。
働きづめの母ベッシーは、彼女の夫、そして自分の父親さえも差し置いて、この家の規律であるかのように自分の考えを家族に押し付け、家を仕切ってきました。
ここでの夫は、子供たちから見ても「大人になりきれていない存在」であり、ベッシーにとって自分の父親は「過去の人」という扱いです。
時を経て、娘のヘニーは気づくのです。自分が不幸に思うからって、相手まで不幸にする権利は自分には無いのだということを。
これは彼女が愛情と思いやりをかけてやれない夫への気持ちです。

この家族に残された希望は、自分の思うとおりの生き方をすること。
若い者は自分の足で人生を切り開く可能性があることを見せてくれました。
祖父の希望はどのようにして叶えられるのでしょう?

結果は、気持ちでしか描かれていませんが、冒頭からずっと、ヘニーとラルフが家族に問題が起こると向けていた視線の先に祖父がいたことを思い出しました。
できなくて発言を控えていたのではなく、祖父は家族の行方を見守っていたのだと子供たちは知っていたのかもしれません。
題名の『AWAKE AND SING!』は、「目覚めて歌え!」と訳すそうです。(文学座通信より)
いつ目覚めるのか、何を謳歌するのか?
ベッシーだって、目覚めなかったわけではありません。そういう生き方をしなければ家族を養えないと彼女自身に言い聞かせていたのです。

観ている人は、その家族の誰かに感情を投影して観ることになるかもしれません。

演出の上村聡史は20代。希望と力強さがみなぎる演出でした。

作・クリフォード・オデッツ、訳・黒田絵美子、演出・上村聡史、美術・石井強司、照明・金英秀

公演情報の詳細はこちら

(文学座アトリエにて)

※文学座にチラシ画像掲載の許可を得ておりますので、画像の転載はしないでください。
『みんな昔はリーだった』(12/13-30)
チラシやポスターを見て、リーって香港のスター、○○ー○・リーのことかなとは思いましたが、芝居の内容までは推測できませんでした・・・

郷愁の物語です。
中年の男が、甥っ子に昔話をはじめます。
かれこれ30年くらい前、自分が中学生だった頃、誰もがリーになりたがっていたのだと。
舞台は当時の少年たちへと続きます。そこへ海外から帰国して転校してきた少年が登場。
単純な話ではありませんが、彼はリーを知らず、うまくリーができなくて、からかわれ、いじめられ、でもくじけない・・・。

最初から最後まで、リーは少年たちに様々な影響を与えていたことがわかります。その要所要所のリーの出方がキーとなり、良いも悪いもリーの及ぼす影響の大きさを知りました。
いじめられる原因もリーなら、友人同士の絆を固める精神もリー、大人になって集うきっかけもリーなのです。

とにかく出演者がバラエティに富んでいました。
堀内健、後藤ひろひと、そして池田成志(某作品での16歳にも驚きましたが、今度は14歳で登場)などなど・・・笑いの頂点あり、そこからジェットコースターに乗って郷愁に突入!心揺さぶられ、現代の日本の少年たちと照らし合わせてみたり。行方を見守る大人になった私たちは、苦い思いをするのでしょうか。

多くの少年少女、そして大人になった少年たちにこの作品を薦めます。
自分の姿を舞台の上に見つけるかもしれません。
ハンカチを、タオルをしっかり握りしめて客席に座ってください。
郷愁の中で、笑って、泣いて。なんかすっきりした気分です。

(注)大きなどんでん返し、アリ。

作・演出・出演・後藤ひろひと、美術・二村周作、音楽・石田雄一、照明・吉川ひろ子、音響・井上正弘

(パルコ劇場にて)
公演の詳細はこちら
『十二月大歌舞伎』一幕見
一幕見席は、歌舞伎座の4階にあります。
夜の部最初の幕見席は、だいたい開演30分前に販売開始。
ちょうど昼夜入れ替えの時間帯なので、席を確保しやすく、通しで全幕切符を購入するお客もいるようです。
3階席は目前。何が違うかと言えば、歌舞伎座内の売店が利用できないことでしょうか。入り口が一般の席とは別になっています。
幕見席の舞台下手側から見渡すと、写真のように見えます。
歌舞伎座の天井がすぐそこに。花道こそ見切れますが、舞台はよく見えます。屋根のあるセットだと、奥や上の方が見えないのは3階席も同じこと。

幕見席の場内では筋書きの販売もあれば、イヤホンガイドも借りられます。一幕だけでも通しで借りても400円(一般には650円)。
オペラグラスは販売のみ。

それはさておき、夜の部一幕目は『心霊矢口渡』(一幕)。
イヤホンガイドの解説にもありましたが、「人気実力ともに急上昇中」の菊之助が初役で'お舟'に臨んでいます。対する父親の頓兵衛は、36年ぶりに富十郎が演じます。
物語は、お舟(菊之助)が一人留守番をしている六郷川の矢口の渡し守の家を、見知らぬ男女が不意に訪ねてくるところから始まります。
男の方は、実は新田義興の弟・義峯(友右衛門)。彼に一目ぼれしてしまう娘・お舟の可愛らしいこと。
想いを伝える積極的な態度から、果ては金目当てにつけ狙うお舟の父・頓兵衛から義峯を命がけで匿おうとする女の一途さまで、喜怒哀楽、少女から女の情念までの変化の富んだ役を、菊之助が表情豊かに娘のいじらしさを中心に情緒たっぷりと見せてくれました。
役者は表現者であることを、「初役」に挑む彼の姿を通して痛感しました。

この作品の作者は福内鬼外(ふくうちきがい)、男女の惹かれあう様を科学的に表現した文もあり・・・実はこの名前は蘭学者・平賀源内のペンネームです。(チラシを参照)
言葉だけではない役者の見せ場もたくさんあります。
江戸時代のシャレの中に、人物の悲哀の浮き出た作品でした。

(歌舞伎座にて)
※「十二月大歌舞伎」公演期間は12/2-26。
 幕見情報はこちら
『ロープ』(12/5-1/31)
青年プロレスラー、ヘラクレス・ノブナガ(藤原竜也)。
ある日、なんでも実況する少女タマシイ(宮沢りえ)と出会います。
彼女は父親から、自分はコロボックルだから他人に見つかってはいけないと育てられました。

舞台にはプロレスのリング。そのロープの内側では、男たちの戦いが繰り広げられます。
半死の状態に相手を追い詰めても「ここはリングの上だから」と、勝者は勇者となり、相手が傷付くほど報道する側は「観るものが喜ぶ」という錯覚に陥り、撮るものもエスカレートしていきます。
指示を出してやらせる者あり。
筋書きどおりに事を運ぼうとする者がいる一方、リングの上で戦う者はガチンコ(プロレスの本気勝負のこと~プログラムより~)なのだと叫び声をあげています。

いつしかリングを戦場に置き換えて行方を見守る観客。そこには実況するタマシイの姿がありました。
タマシイの口から語られる、やる側とやられる側の惨状は、おそらく戦争において事実であったことでしょう。
それに気付いた観客は息を殺してタマシイの声を聴きながらその惨劇を頭に描き、胸に刻み込んでいました。その悲惨さに涙を拭うことも忘れて耳を傾け続けた観客も少なくないでしょう。

そのうちに、タマシイがどんな境遇にあったのか事実を知ることになります。
しかしその前に、まず登場人物が名乗れば、そのとおりに見えてしまうのが演劇です。
演劇の持つ大きな力を、作者の野田秀樹は巧みに取り入れ、そして宮沢りえが持ち前の透明感のあるイメージと表現力で、観客の想像力を誘導していきます。
それとは対照的に観客の目を現実の世界へ向けるのに、テレビ局の制作者を演じる渡辺えり子の存在と発言は説得力のあるものでした。

ヘラクレス・ノブナガは言っていました。「戦争を殺人とは呼びません」と。
満席で立ち見もあった劇場内、多くの観客がこの作品を観ていました。観てしまった観客の責任は大きいと感じました。
過去から学べ、と作品が訴えているようでなりません。
リングの、ロープの中の出来事を知ってしまった私たち。
その結果を考え、求められていない答えを出すのは私たち自身です。

当然のように終演後誰も席を離れずに、4回ものアンコールがありました。

作・演出・野田秀樹、美術・堀尾幸男、照明・小川幾雄、衣裳・ひびのこづえ
野田地図第12回公演

(シアターコクーンにて)
※『ロープ』劇中に登場する戦争、その他諸々についての参考文献が、プログラムに掲載されています。
『黒蜥蜴』(11/24-12/20)
劇場に足を踏み入れると、まるで神殿を支えるような美しい柱が目に飛び込んできました。
この作品が三島由紀夫によって書かれた昭和30年代、その時代のクラッシックなホテルのスイートルームが舞台として存在しています。
拍子木の音で開演。
そこには緑川夫人実は黒蜥蜴(麻実れい)、そして裕福な宝石商の一人娘、岩瀬早苗(宮光真理子)が佇んでいます。

黒蜥蜴の美しさはもちろんのこと、彼女がその美しさを標的にした早苗は、まるでビスクドールのような完璧な愛らしさで、観客の眼前にある三島の世界を現実味のあるものにしていました。

こちらが‘美’の象徴だとすると、岩瀬家の台所の場面は一転して‘俗’。そこで交わされる話題も、行為も、人々の表情さえも醜悪に思える場面です。
しかし不思議なことに、黒蜥蜴の手下が正体を現した途端にその人物に美が差すのですから、最初の黒蜥蜴登場の美しさがどんなに強烈なものだったかお分かりになるでしょう。

次に黒蜥蜴の妖艶なアジトへの場面転換。天井から床まで届く緋色の幕を背景に、カーペットに流れるように横たわる彼女。
ホテルのスイートルームから台所、そして黒蜥蜴のアジトへと、その舞台の変化する様を観客は目の当たりにします。
包み隠さずに転換される美と醜の世界、その交錯。
明智小五郎(千葉哲也)へ寄せる黒蜥蜴の歪んだ愛そのものにも似て、切ない展開です。
ここでは人々が何らかの形で愛を産み、その愛の軌跡が物語を目論みどおりに行かない別世界へと導いていくようです。

現実は俗だと私たちは知っています。俗(醜)が美と混在した時、美は手の届かないところで輝きを増し、儚く、現実とは遠いところに存在してこそ美だということを思い知るのです。
この閉塞感のある空間で、プライドを保ち気高く想いを貫く黒蜥蜴。
私たちは静かに彼女の美しい最期を見守りました。

「黒蜥蜴」原作・江戸川乱歩、作・三島由紀夫。
この二人の名前が並ぶのは、‘三島由紀夫君は子供のころ、この小説を愛読された由で、その記憶から、これを基いた劇を書く気になり、・・・’(光文社文庫 江戸川乱歩全集(第9巻)「黒蜥蜴」の自作解説<桃源社版『江戸川乱歩全集』の「あとがき」より>)ということがあったのだそうです。

物語は乱歩の痛快さをそのままに、舞台では美しい文体のセリフが登場人物の言葉として発せられています。

共同演出・デヴィッド・ルヴォー・門井 均、美術・朝倉 摂、照明・小林芳祐、衣裳・原まさみ
公演詳細はこちら

(ベニサン・ピットにて)

☆「三島由紀夫全集(23)決定版 」に収録 新潮社


☆「江戸川乱歩全集(第9巻)」に「黒蜥蜴」を収録 光文社文庫


・ウィーンの街のモーツァルト! 2
様々な文献を参考に推察すると、モーツァルトがウィーンを初めて訪れたのは6歳頃のようです。
既に「神童」と呼ばれていた彼が、マリア・テレジアの前で演奏したことも有名な話です。
そして、この話がいかに有名だったのか、この目で確かめることができます。

ウィーンの自然史博物館と美術史博物館の間にマリア・テレジア広場があり、台座に偉人を従えたマリア・テレジアの堂々たる像があります。
そこに子供時代のモーツァルトも大人たちにまざって立っています。(右から2番目)
利発そうな顔をしていますね。ちょっと不機嫌に見えるのは、大人たちの中で緊張しているからなのでしょうか。
いったいこの音楽の「天才」でいて「神童」の彼は、何を考えていたのでしょう。

今年、2006年は、モーツァルト生誕250年(1756年1月27日生)を記念したモーツァルト・イヤーと呼ばれていました。
12月5日はモーツァルトの命日です。(1791年没)
世界各地でモーツァルトに関する音楽祭や大きなイベントが行われていましたが、本日、静かに幕を下ろします。

☆今年(2006年)のザルツブルク音楽祭で上演されたオペラ『魔笛』DVD
モーツァルト:歌劇《魔笛》【UCBD-1047】=>21%OFF!モーツァルト:歌劇《魔笛》
 指揮・リッカルド・ムーティ、演奏・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団