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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『天保十ニ年のシェイクスピア』(9/29-10/1)
文学座附属演劇研究所研修科による発表会公演です。
井上ひさし原作の、昨年9月にシアターコクーンで蜷川幸雄の演出で上演された作品は、記憶に新しいと思います。

今回の演出は、松本祐子。音楽にピアノ(大森暢子)と筝(松本英明)の生演奏を入れての、研修生総出演の舞台となりました。
場所は、文学座アトリエです。

原作にほぼ忠実で、上演時間も3時間半!(途中10分の休憩あり)
俳優に先入観なく観たこの作品、まるで戯曲を読むがごとく物語が進行していきました。
普段は有名な俳優の演じる役に「あの人らしい」とか「意外にも」なんて思いながら、俳優に注目して観ていることに気づきます。
しかしこの研修科の公演は、まだ世に出る前の修行中の若手ばかり。セリフの持つ意味を改めて考えさせられたり、戯曲を存分に楽しんだように思います。
そしてこの作品、注目すべきは”お光”と”おさち”を演じる一人の俳優が同じ場面で交互に登場する早変わり。
その面白さは、この舞台にもちゃんとあります。乞うご期待!
佐渡の三世次もよかったな・・・。

勢いのある、はつらつとした舞台です。

作・井上ひさし、演出・松本祐子、美術・乗峯雅寛
文学座

(文学座アトリエにて)
※この発表会は無料です。

☆『天保十二年のシェイクスピア』を収録
井上ひさし全芝居(その2)」新潮社
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『ゆれる車の音』(9/14-24)
ここにも一つ、昭和という時代がありました。
テキ屋、という商売をご存じでしょうか?
古代中国の農業の神様・神農(しんのう)を祀り、仁義という挨拶をして、口上をもって露店で商売する職業です。

舞台は宮崎県日南市油津、時は昭和40年頃。車で旅をしながらテキ屋を稼業としている金丸一家と名乗る三人の家族(角野卓造、塩田朋子、栗田桃子)が、乙姫神社のお祭りに20年ぶりに故郷で商売しようと帰ってきたことから始まります。
実は20年前に所場(しょば)を追われたテキ屋が、その所場を取り戻そうという意気込みで帰ってきたのです。
その時の敵や同業たちとすぐにも顔を合わせることになります。終戦直後は彼らも若く血気盛んだったようですが、今は互いの「変わり果てた」商売と姿に、時が解決したとでも言うのでしょうか、いい幼なじみとなっての再会となりました。
ただ、物語はこれでは終わりません。金丸の娘かもしれないとう20歳の娘の出現、その母親と妻の確執・・・など、時が生んだ問題もあり、明日の祭りを前に胸中穏やかでない人々も一同に介します。

さて、作は中島淳彦。そして演じるのは文学座の面々。
知っていそうで知らないテキ屋という商売。フーテンの寅さんのあの商売、と言われても、なかなかピンと来ない時代となってしまいました。制作側はかなりテキ屋について勉強をしたということで、プログラムには「よゐこのためのテキ屋用語辞典」が掲載されています。
俳優も、自由に生きるからには生き方に筋の通った人物を、しっかりと演じています。特に『湖のまるい星』では都会的な有閑マダムを颯爽と演じていた塩田朋子が、極道の妻とも渡り合えそうな血気溢れるテキ屋のカミさんとなって舞台で睨みをきかせているのですが、これはまた凄い迫力です。

「情」というものが、まだそこら中にあった昭和の時代。・・・そんなことを平成の時代から懐かしく思い出しました。

作・中島淳彦、演出・鵜山 仁、美術・石井強司

(紀伊國屋サザンシアターにて)
秀山祭九月大歌舞伎・夜の部一幕見
歌舞伎通のえびす組のコンスタンツェから、仕事帰りでも観られる時間帯だという耳寄り情報をもらっていたこともあり、夜の部一幕見で『鬼揃紅葉狩』を観ました。
平日の夜7時半頃歌舞伎座に到着すると、既に30人位が並んでいました。外国人の観光客が多いのも、一幕見の特徴だと言えるでしょう。
今月の夜の部最終幕のチケットは、夜8時頃から発売して8時11分には開演という慌ただしいものでした。歌舞伎座の最上階まで階段を登ったところが幕見席です。どうにか席を取ることができました。
(作品ごとの入れ替え制ではないので、前の作品から通しでチケットを買っている人が多いと、自由席のため途中の幕からでは立ち見となることがあります。)

さて、この作品の観劇の動機は、今まで染五郎は立ち役(男性の役)でしか観たことのなかったので、女方(女性の役)を観てみたいと思ったからです。
その舞台は、歌舞伎でありながら能舞台の様式を取り入れたという新しい演出のものでした。
花道から侍女を従えての姫(染五郎)の登場は、正統派の美女というのでしょうか、黒髪に鼻筋の通った美しい姿に、客席からため息のような歓声が聞こえてきます。
物語は、更科と名乗る姫(染五郎)、実は鬼女が、紅葉を楽しみに山中にやってきた平維茂(信二郎)らを喰らおうと、姫に化けて怪しい踊りで眠らせてしまうというものです。
平維茂らが眠りについたのを見届けると、姫(実は鬼女)の一行は一旦姿を消してしまいます。
そして次に染五郎が登場する時には鬼女の姿となり、襲い掛かる舞踏の場面へと展開します。
隣に座っていた外国人の観客は、最初はストーリーの把握に困惑していましたが、姫の踊りやセリを使ったメリハリのある場面転換、迫力ある鐘の音に乗っての舞踏劇に、次は何が出てくるのかと身を乗り出して観ていました。
ついついイヤホンガイドで解説を聞きながら観てしまいますが、逆に言葉を超えた舞台が歌舞伎にはあるのだと改めて感じ入りました。

幕見の時間詳細はこちら。九月の公演は26日まで。

(歌舞伎座にて)
『コンフェッションズ・ツアー』(9/20-21)
マドンナの、実に13年ぶりの来日公演だそうです。
(多分)初来日公演から観てきて思うのは、その時その時彼女は表現したいこと=見せたいことを、きっちり聴衆に伝えてきたということです。
これまでは音楽とダンスと、彼女の妖艶さが前面に出たステージでした。
マドンナを取り巻く環境も13年前とは大きく変わった今、どんなステージを見せてくれるのでしょう。

今回は、左の写真のようにステージ左右に大きく「馬」が描かれているように、彼女の登場も乗馬服をイメージしたシックな衣裳、そして馬に見立てたダンサーを従えての演出に妖艶さは健在!でしたが、背後に映し出される馬が駆け巡る映像などで、「自然」を大いに感じさせてくれました。
そして装いも新たに、シルバーの十字架に自らが架かって歌う場面では、アフリカの貧困の中で生きる子供たちの映像とともに、彼らがどんな状況にあるのか等、いくつもの短いメッセージが映し出されます。新曲が披露される中、懐かしく美しい『Live to tell』の曲とともに、しっとりと聴かせてくれました。
映像の演出がステージ全体を通して美しいので、彼女の歌とメッセージが脳裏に焼きついて離れません。
若さ溢れるダンサーとの群舞も見所の一つです。
ステージで様々な顔を見せながら、そのうち意外なことに、聴衆と触れ合いたいと言って、彼女がステージから降りてきました。聴衆の反応を楽しみながら、そして距離を縮めながらステージを作っているようにも思えます。

巨大な東京ドーム、ステージ両側に大きなスクリーンも設置され、こちらにはステージ上でのアップが映し出されていました。
美しい映像が彼女の背後に映り、そのアップだけ切り取ってみても、ミュージックビデオのように魅力的で迫力ある映像となっています。
全てがトータルして計算されたステージ。2時間もの間、彼女がステージを離れていたのは、ほぼ衣裳替えの時間だけ。
聴衆を魅了し、たっぷりとステージを楽しませてくれたライブに、早くも次の来日公演を心待ちにしています。
聴衆も、彼女とともに成長していきたいという願いをこめて。

※場内はカメラ撮影可とのこと(動画での撮影は不可)。マドンナのステージに対する自信の表れと受けとめました。

(東京ドームにて)

☆「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア ~ジャパン・ツアー・スペシャル・エディション / マドンナ 」(CD+DVD)
マドンナ/コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア~ジャパン・ツアー・スペシャル・エディ
秀山祭九月大歌舞伎・昼の部(9/2-26)
11時開演の『車引』から、3階の一幕見席は立ち見の観客でいっぱいです。
初代中村吉右衛門生誕百二十年を記念しての「秀山祭」、今月は2階ロビーでゆかりの品々の展示があり、舞台では現在の二代目吉右衛門の品と温かみのある芝居が披露されています。

『車引』は、松王丸(染五郎)、梅王丸(松緑)、桜丸(亀治郎)の主人の違う三つ子の兄弟の争いにより御所車を壊して引き合う場面から、このタイトルがついたようです。
さて、ここで客席からの掛け声について。
今まで女性の声を聞いたことがありません。確かに男性の、しかも齢を重ねた方々の声は、舞台と客席の一体感を感じさせるばかりでなく、舞台に、俳優に活力を与えているような気がします。
大きな傘をかぶって登場した梅王丸と桜丸が、いざそれを取って顔を見せる時には、「待ってましたぁ!!」の声が方々からかかります。

ある日のこと。3階席から発せられる掛け声に交ざって、幼児が叫ぶような声が聞こえてきました。気のせいかと思いましたが、掛け声が一通りかかったところで「こーらいやぁぁ」のかわいい一声。もちろん、染五郎の登場シーンです。
その(対象の役者に対して)的確な幼い声に、3階席の観客から笑みがこぼれました。
次の演目からその声を聞くことはなかったので、一幕見で連れて来られた歌舞伎初観劇の子どもだったのかもしれません。こうやって老若男女の観客を虜にするのが歌舞伎の魅力でしょうか。

次は『引窓』と題名にあるように、月明かりを取り入れる引き窓が鍵となる作品です。お尋ね者の濡髪長五郎(富十郎)と、捕らえる側の与兵衛(吉右衛門)の、母から見れば実の息子と義理の息子。人情溢れる吉右衛門の芝居が見所です。
そして踊りの『六歌仙容彩』から「業平小町」「文屋」と続きます。(「業平小町」で小町を演じるのは、86歳の女方、雀右衛門とイヤホンガイドで紹介されていました。人間国宝。十二単を着ての舞です。)

そして言うまでもありません。『寺小屋』では、幸四郎と吉右衛門の十二年ぶりの共演が大きな話題となっています。喜怒哀楽、全てが盛り込まれており、笑いがその後の悲しみをより深いものとしているそうです。
先日の明石家さんまの『小鹿物語』も、そういう効果を生じていたのかもしれませんね。
昼の部、5時間余り、たっぷり作品を堪能したという充実感がありました。

(歌舞伎座にて)
『敦』(9/1-18)
舞台の息遣いが感じられる作品です。
それは登場人物の間合いであったり、舞台の進行に合わせて演奏される大鼓や尺八の音色であったり。
実際に登場人物の息遣いで幕を閉じる、それがこの作品を象徴しているようでした。

さて、このタイトルは昭和17年に33歳で生涯を閉じた作家・中島敦のことです。
2005年に好評を博した舞台の再演となりますが、その内容は彼の残した作品『山月記・名人伝』を敦が語るという形式で行われます。

そしてこの舞台は「呼吸」しています。
少しおどろおどろしいですか?
敦の位牌と写真だけが置かれ、お焼香の匂いが微かに漂う場内。ここから始まります。
敦が亡くなった直後から、この舞台は呼吸を始めるのです。
そして、始終、「生」について観客に問い続けます。
繰り返される敦の言葉「人生は何事をも為さぬには余りに短いが、何事かを為すには余りに短い」33年しか生きられなかった作家の心からの叫びに聞こえてきます。
そして、敦の『狼疾記』から「俺達は、俺達の意志でない或る何か訳のわからぬもののために生まれてくる。俺達は其の同じ不可知なもののために死んでいく」という哲学的な言葉に、舞台の空間が宇宙のように大きく見えてきます。その空間に存在する敦の言葉、言葉、ことば・・・。

さて、その舞台で奏でられる生の音楽は、大鼓(演奏・亀井広忠)と尺八(演奏・藤原道山)のみ。それらがBGMとして、場面転換として、馬や鶏などの擬音までも表現します。
ポストトークで語られていたのですが、大鼓は2つ、尺八に至っては6本を使い分けて演奏されているのだそうです。その巧みな、舞台とのタイミングも、この作品の見所、聞き所です。
そして月曜は休演日。いつも休み明けの野村萬斎の指示、変更が恐いのだと奏者の二人が語っていました。より完成度を高めるため、休みの日に萬斎がじっくり構想を練り続けているというのです。

最近出会う作品からも、現代演劇において、作品は日々進化し、成長を続けることを常としているように思います。舞台は生きている、ということを舞台自体が主張しているようでもあります。

原作・中島 敦、構成・演出・野村萬斎、美術・松井るみ、照明・小笠原純、衣裳・半田悦子

(世田谷パブリックシアターにて)
文中の舞台で使われている言葉は、すべてプログラムから引用しました。

☆「山月記」教育出版 「山月記・名人伝」を収録
山月記

『プライベート・ライヴズ』(9/4-24)
ノエル・カワード作の舞台です。
ん?カワード・・・以前、文学座のSANYO HALLスペシャルシアター(当時の観劇録はこちら)公演で観た『陽気な幽霊』の作者でしたね。あの時も、作品の設定、そして登場人物の会話を楽しんだことが思い出されます。

この作品の設定も興味深いものでした。
ハネムーンの二組のカップル。ホテルで部屋が隣り合わせになるのですが、テラスに一方の部屋から女性が、もう一方から男性が出てきて何げなく顔を見ると・・・それは5年前に離婚した妻と夫でした。お互い幸せのために再婚したのですから、当然、顔を合わせないようにチェックアウトしようと思うのですが、到着早々、なかなか思うようにいきません。
そのうち、焼け木杭に火がついた、とでも言うのでしょうか、別れた彼らは、どうしてあんな相手と再婚したのか、という話になる始末。互いに情熱的で楽天的そうな二人の選ぶ道は、手を取り合って逃亡です。
この先のことは?そして残された二人はどうなるのでしょう?

一気に導入部分を語ってしまいましたが、1940年代初頭の、豊かな身分のイギリスの人々の話です。現代の私たちのような悩みとは無縁の、彼らの罪の無い罪な話。登場人物の天真爛漫さが、この作品の鍵でしょう。
純粋に本能の赴くまま誰と一緒にいるのが自分にとって楽しいのか、というのが課題のような人生の送り方。そういう視点で観る”ラブ・コメディ”だと思います。

ノエル・カワードはその昔、自らもこの作品の登場人物となって舞台に立ち、大変評判を呼んだそうです。プログラムの受け売りですが、この作品への異なるアプローチとして、当時、実際に元夫婦だった役者が登場し、観客が興味を抱くという舞台もあったそうです。
演出の山田和也は、今回はゴシップ的の興味抜きのキャスティング(元夫婦を葛山信吾と久世星佳、彼らの新しい結婚相手に、ともさと衣と西川浩幸)で、作品自体の面白さを狙ったというだけあります。
劇場も(青山)円形劇場という四方八方から登場人物を観察できる環境での舞台となりました。
そして、お金や働く心配のない人々の私生活(プライベート・ライブズ)は、着る物、持ち物、部屋の装飾もセンスある美しいものばかり。
衣裳に黒須はな子、美術に松井るみ、作(台本・飯島早苗)、キャスト、劇場の空間に至るまで、トータルしてそのラブ・コメディが演出されたという、演劇ならではの贅沢がありました。

(青山円形劇場にて)

『オレステス』(9/6-10/1)
この物語は、個人的にはベニサン・ピットで、チチェスターの演劇祭で、オペラで、そしてシアターコクーンで観た『エレクトラ』(作・ソフォクレス)の、その後の話です。
『エレクトラ』では、死んだと思っていた弟オレステスの出現に、姉のエレクトラが自分たちの父親を殺害した実の母親に復讐すべく彼に殺害を依頼し、オレステスがそれを果たすというものでした。

さて、ここからが今回の舞台です。
姉弟は復讐とはいえ、実の母親を殺したという罪状で裁きの結果を待つ身となりました。
病床からの目覚めで舞台に初めてその姿を現すオレステスの藤原竜也。まるで長い年月の眠りから目覚めたようなオレステスの憔悴仕切った形相に、彼らの置かれている悲惨な立場が見て取れます。
その芝居を観て、藤原の舞台人としての計り知れない引き出しの多さに感嘆しました。
そして、いつも華奢な身体のどこに役の情熱がこめられているのかと思う中嶋朋子。ここでもエレクトラの気性の激しさ、弟を慈しむ姿、そして新たなる復讐に希望を見いだすその瞳の輝きが、観客の心を捉えて放しません。

その後の彼らの登場する作品の結末は、その物語を知らない者にとって想像を絶するものでした。ネタバレしては面白くないので、演出についてもこれ以上は語りません。シンプルな中に作品の持つ神秘性が強調されているようでした。だからこそ役者の個性が物を言う(引き立つ)舞台なのかもしれません。
そして今の時代にこの作品を上演する演出家の想いも凝縮されているように思います。

タイトルロールのオレステスを演じる藤原竜也は24歳。しかしながらカーテンコールでの彼は座長のような風格があり、彼の目指した舞台が出来たことを感じました。

演出・蜷川幸雄、作・エウリピデス、翻訳・山形治江、美術・中越 司、照明・原田 保、衣裳・小峰リリー

(シアターコクーンにて)

☆劇場ロビーで販売していた作・エウリピデス、翻訳・山形治江の「オレステス」れんが書房新社

LIVE『HONESTY』
ミュージカル俳優・小西のりゆき一夜限りのソロライブです。
タイトルからわかるように、ビリー・ジョエルの楽曲を中心に行われました。
ビリー・ジョエルと言えば、曲はたいていどこかで耳にしているものですね。そして「歌詞がいいんだよ」とは、彼の作品をよく理解している方々の弁です。

さて、本日のライブでは、ミュージカル俳優以前は英語の教師をしていたという本人から、歌の内容、そしてどうして自分がこの曲を選んだのか、など心のこもった楽しいMCとともに紹介がありました。
全曲英語でしたが、理解して取り込んでから発せられるその言葉は、優しく私たちに語りかけるように届けられます。
ハスキーな歌声からは、人生の先輩としての説得力が感じられ、しみじみと聴きました。

ミュージカル『RENT』のメドレーで始まった第二部。仲間を求め、限られた時間を精一杯生きようとする若者の悲哀を、心地よく聞かせてくれます。
そしてゲストに入絵加奈子を迎えてのデュエット。歌う二人もミュージカルの舞台デビュー作だったという『ミス・サイゴン』からキムとクリスのナンバーです。
その初演の舞台を観た私にとっても感慨深いものがありました。
その後、二人の漫才のようなデュエットに思い切り笑わされました。

ある作品がきっかけで知った一人のミュージカル俳優の音楽活動に、観客として、聴衆として、自分の世界も広がったように思います。

(新宿ミノトール2にて)
『魔界転生』(9/2-26)
映画にもなった、山田風太郎の有名な作品です。
その主人公は、キリシタン3万7千人とともに死に、その恨みを背負って魔界の支配者となってこの世に蘇った天草四郎(成宮寛貴)、そして四郎に見込まれながら魔界人になることを拒み、戦う柳生十兵衛(中村橋之助)。
天草四郎の、その存在がカリスマである姿から、ただの少年となって滅びる、その様がとても印象的でした。
ここでつべこべ語るより、その世界を劇場で存分に感じてください。
映画や原作を知らなくても、映像さながらの場面数、演舞場の舞台を隅から隅まで使った迫力、そして登場人物が花道をかけめぐっての躍動感!映像でお馴染みの俳優の幅の広い役作りまで楽しめる作品です。

余談ですが、今まで歌舞伎や舞台作品で観てきた歴史の話が、結構この作品に集約されているので、人物の関係がつながる、という面白さがありました。
例えば八月納涼歌舞伎の『慶安太平記 【丸橋忠弥】』など、あちらでは丸橋忠弥の口から語られる由井正雪の存在、そしてこちらは由井から語られる忠弥の名がありました。それから松平伊豆守の登場、四郎が恨みを抱く徳川との関係など、「あの作品のこの!」と思われた方もいることでしょう。
実際に四郎の洗礼名はジェロニモです。(プログラムより)

原作・山田風太郎、脚本・演出・G2、美術・金井勇一郎、音楽・田中傳次郎、衣裳・松居エリ

(新橋演舞場にて)

☆著者・山田風太郎『魔界転生』<上><下>角川書店
魔界転生(上) 魔界転生(下)

☆『魔界転生』DVD 天草四郎は沢田研二、柳生十兵衛は千葉真一
魔界転生 【DSTD-2097】=>20%OFF!魔界転生

☆『魔界転生』DVD 天草四郎は窪塚洋介、柳生十兵衛は佐藤浩市
【DVD】 魔界転生



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