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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『小鹿物語』(8/18-31)
最初に笑いで芝居に惹き付けられた観客に、この舞台は大きな提言をしました。それも観客個々が自分自身で考えられるように。

芝居の設定は、第二次世界大戦中の日本。路上で喜劇を行っている小鹿座長(明石家さんま)が、警察から目をつけられながらも、大衆向けに「笑劇」をやるのに金銭的にも日々四苦八苦しています。そんな彼の口から語られる、悲劇と喜劇は表裏一体だという言葉。この舞台ではとても耳に残る言葉でした。
そして、真顔で面白いですねと言った人に対しては「笑いたいなら声を出して笑え!」と一喝する小鹿。いつも何かに遠慮して、笑う自由さえ奪われた人々に向けて発せられたものなのかと、心に響きました。

そう、笑いって何だろう、笑いを奪われた時代って他に何があったんだろう、戦争中人々はどうやって互いを慰め励まし合っていたのだろう・・・?
映像から受ける印象とは別に、明石家さんまが笑いにも作品に対しても信念があるからこそできる舞台だと感じました。

休憩なしの2時間35分と発表されていた上演時間、どこまでが筋書きどおりで、どれがアドリブなのか・・・始終客席を沸かせてくれる出演者たち。
最後は涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら、芝居の行く末を見守っていました。

カーテンコールの挨拶で、生瀬勝久から「チラシと関係の無い芝居でスミマセン・・・」との言葉がありました。
いえ、大いに関係があります。ちなみに左上の画像の扮装、これはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」だと思います。

作・輿水泰弘、演出・水田伸生、美術・堀尾幸男

(シアターコクーンにて)
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八月納涼歌舞伎・千穐楽
26日に千穐楽を迎えた歌舞伎座で、八月納涼歌舞伎の、第一部と第二部を続けて観ました。
三部通して戌年にちなんだ犬にまつわる作品、ということで、どこに出て来るのか探してみると・・・

『慶安太平記』(作・河竹黙阿弥)では、由井正雪らと陰謀を企む丸橋忠弥(橋之助)が、まとわりつく犬に石を投げて追い払うふりをして、実は後ろの濠に投げ込み、その音で深さを測ろうというものです。
ただの大酒飲みだと思っていた忠弥が何か企んでいるとわかる重要な場面です。大きな着ぐるみの犬が出てきました。
しかしこの作品の見所は、三場の見事な捕物の場面です。忠弥が追っ手に追われ、何本も縄をかけられ、それをすり抜け、そして戸板を足掛かりに屋根まで駆け上がり、その場で組まれた縄に飛び降り、棒を振り回し・・・その流れが見事な大立ち回り。
橋之助も然ることながら、殺陣師の面々の息の合った動きは素晴らしかったです。

第一部の注目の作品に、わかぎゑふが脚本を担当した、新作舞踏劇『たのきゅう』がありました。
舞台の演出も新しく、廻り舞台にそれぞれの場面のミニチュアを並べて、観客は今は芝居小屋の場面だとか、山中にいるのだとか想像を楽しみながら観る趣向です。
この作品に犬は出ませんが、初舞台の小吉、名代昇進の三津右衛門の披露が劇中にあり、ますます舞台が盛り上がります。
染五郎のおろちの化身の老人役は、声色、その立ち姿、そしておとぼけの様などに、芸達者な悪役ぶりを堪能しました。

第二部に入り、福助の粋な女っぷりが楽しめる『吉原狐』。第一部の踊りで演じられた福助の『近江のお兼』の十代の無垢で力持ちの少女・お兼の時とはがらりと変わり、早呑み込みの、弱い男に惚れっぽい江戸っ子の芸者を、艶と愛嬌で見せてくれました。

そして、『団子売』『玉屋』『駕屋(かごや)』三本続けて踊りの上演です。
『駕屋(かごや)』に犬が出てきました。
『たのきゅう』で初舞台披露をした小吉が子犬に扮し、駕屋三太(三津五郎)との絡みでかわいい仕草を見せてくれました。
小吉は故坂東吉弥の孫と紹介されていました。また将来が楽しみな歌舞伎役者の登場です。
こうして歌舞伎座の夏が終わりました。

(歌舞伎座にて)
ウィーンの街のモーツァルト!
オーストリアのウィーン、街の中心を歩く観光客は、必ずと言っていいほどモーツァルトの時代の格好をした人物から声をかけられることでしょう。
彼らが売っているのが『ウィーン・モーツァルト・オーケストラ』のコンサートのチケットだったら、一度耳を傾けてみるのもいいかもしれません。
モーツァルト時代の演奏家の格好(白いかつら、豪華な衣装)をした楽団員が演奏するのは、全曲モーツァルト作曲の音楽。
いくつかの会場で演奏されるようですが、8月、9月はほとんどを、あのニューイヤーコンサートの会場で名高いウィーン楽友協会で行っています。

"黄金のホール"と呼ばれる楽友協会のきらびやかな内部が観たくて行ったこのコンサート。失礼ながら演奏の腕前にさほど期待をしていませんでした。
しかし、ここはウィーン。音楽を志す者が世界中から勉強に来る土地での演奏者の層の厚さを実感しました。
統率の取れた演奏、そしてオペラの楽曲を歌うバリトン歌手の見事な発声に、聴衆が魅了されていくのがわかります。
この日はテクニックも鮮やかなヴァイオリン協奏曲も聞かせてくれました。

演目も洒落ています。
モーツァルトの楽曲の有名どころの楽章をピックアップして、演奏が終わるごとに観客は迷う事なく拍手。
アンコールでは、ニューイヤーコンサートさながらに『美しく青きドナウ』(ヨハン・シュトラウス2世)に会場が沸き、『ラデンツキー行進曲』(ヨハン・シュトラウス1世)では、聴衆は指揮に従って手拍子を楽しみました。

写真撮影の制限はされていないようなので、演奏の合間に思い出の場面をパチリ。
音楽を楽しむ要素溢れるコンサートは、子供連れの家族が一緒に楽しめるクラッシック・コンサートだと思います。

(ウィーン楽友協会にて)
※ウィーンモーツァルト・オーケストラの詳細はこちら

ぼんぼり祭(8/7-9)
鎌倉鶴岡八幡宮境内にぼんぼりが飾られる「ぼんぼり祭」がありました。

この写真のようなぼんぼり(画・竹中直人)が400点余り飾られて、風情があります。
どちらかと言うと、これは「迫力」でしょうか・・・。
『八月納涼歌舞伎』第三部(8/8-26)
今月は三部通して戌年にちなんだ犬にまつわる作品だそうです。
第三部は『南総里見八犬伝』。
私は歌舞伎で観るのは初めてですが、三幕目で『南総里見八犬伝』と言えばこの「芳流閣の場」というくらい・・・とイヤホンガイドで言っていましたから、よく上演されている名作のようです。
古典の歌舞伎の持つ見せ場、見所満載で、観ている者を唸らせてくれました。

「八犬伝」は、子供の頃にテレビの人形劇で観た伏姫ゆかりの八犬士の物語が、微かに記憶にあります。なので、舞台の上で八つの玉が暗闇に飛び散る場面を懐かしい想いで観ていました。
そして最後に、八人が勢揃いして順に名乗り、見栄をきって幕。
ヒーローものに夢中になる、あの感覚と同じような気がしてきま・・・。

さて、この日が初日の歌舞伎座です。
先ほど述べた芳流閣の場は屋根の上での殺陣となるのですが、様式美を活かした立ち振る舞いは本当に美しい。傾斜がある場所での犬塚信乃(染五郎)と犬飼現八(信二郎)らの殺陣は、難易度の高いものです。そして以前大変感動した「がんどう返し」の場面転換へと続きます。

さらに登場人物のほとんどが一人二役で演じられるところに、俳優の芸の広さを感じます。(扇雀は女方の伏姫と、立役の大物悪役・山下定包と二役!)
そして、三津五郎の左母二郎から犬山道節への早変わり。
第三部は18時開演ですが、五幕十一場という大作、見応えたっぷりの舞台です。

犬塚信乃役の染五郎のみずみずしい演技に好感を持ちました。おまけに第一部から出ずっぱりで、歌舞伎役者魂を見せてもらったような気がします。
歌舞伎座の「熱い」夏が始まりました。

原作・曲亭馬琴、脚色・渥美清太郎、補綴・今井豊茂、美術・前田 剛、照明・池田智哉

八月納涼歌舞伎の公演情報はこちら

(歌舞伎座にて)
H.H.G「3KNOCKS #2」(7/27-8/6)
文学座有志によるH.H.G(Happy Hunting Ground)というユニットによる上演です。「3KNOCKS」第二弾は『許せない行為』『蝶のやうな私の郷愁』『パ・ド・ドゥ』の3作品。

『許せない行為』作・森本 薫
昭和初期の設定でしょうか。若い二人の俳優が、現代の私たちからすれば、まどろっこしいと感じるそのセリフをすらすら語ります。
弟の書斎が舞台のようです。
弟(細貝弘二)に説教する姉(添田園子)。
彼女の友人の婚約目前の妹を弟が誘惑したと、姉はガミガミ責め立て、それは実はこんな話だったよと弟が面白おかしくしながらもキチンと語ります。語られる彼らの文学的な口調がいいのです。その口調に心地良ささえ感じます。

そうするうちに弟は、運動は横から無理に力を加えなければそのまま進むものだ、というようなことを例に出し、想いを寄せる女性ではあるが、自分が無理をしなければ、自然に今の決まった相手と彼女は結婚するだろう、それを祝福しようと胸のうちを姉に語ります。
そんなセリフもピタッとはまってしまう細貝の持ち味に感心しながら観ていました。青年のとまどいと潔さ、弟の意地っ張りなところを、彼はほろ苦い青春の一ページとはこういうものだと観客に知らしめてくれます。
そんな意地らしい弟に姉は同情して、どんなに愛しても愛されないことへの悔しさを、堰を切ったように涙しながら口にしてしまう。きっと子供の頃から姉は弟の面倒をよく見ていたのだろうな、と、40分程の短編でしたが、姉弟の育ってきた環境までも思い起こさせる二人の芝居に満足しました。
この時代の持つロマンを、若い二人がしみじみ感じさせてくれたのです。

『蝶のやうな私の郷愁』作・松田正隆
先日、燐光群による舞台を観ました。そこには「改訂版 東京初演」とあったので、もう一方のこの舞台が気になっていました。
夫婦二人暮らしという設定、ある台風の夜ということに変わりはなく、セリフも同じでした。ある場面を除いては。
からっとした芝居に驚きつつ、この作品の意図するところを探りながら観ていました。ここでの郷愁とは何を無味するのかと。

H.H.Gの公演は終わりましたが、燐光群の作品紹介の方でネタバレをしてしまった感があり・・・
結末へ導かれる過程が大きく異なるので、H.H.Gの同作品をご覧になった方は、こちらを読まずに燐光群の上演中(『蝶のような・・・』は8/10まで)の劇場まで足を運んでみてください。
同時期に同作品を近郊で観られる観劇の喜びがあります。

若手の俳優が演じるが故の作品の新鮮さを、H.H.Gはいつも感じさせてくれます。
古川悦史と佐古真弓による『パ・ド・ドゥ』(作・飯島早苗)を観る機会を逸して残念なことをしました。

「3KNOCKS #2」
3作品とも美術・乗峯雅寛、照明・坂口美和、音響・高橋正徳

(サイスタジオコモネBにて)
※チラシデザインは、『許されない行為』に出演した添田園子によるものです。
掲載の許可を得ていますので、転載はなさらないでください。
『血の婚礼』(8/5-20)
1898年南スペイン グラナダ近郊生まれのフェデリコ・ガルシア・ロルカ作、1933年に初演された作品です。(プログラムの年表より抜粋)

裕福な農民の母(板垣桃子)と息子(斉藤直樹)の二人きりの家族。その息子は結婚を目前にしていますが、息子の彼女(宮菜穂子)の従姉妹が、実は夫と長男を殺した男の息子・レオナルド(パク・ソヒ)と結婚していると聞いて、母親の胸中は穏やかではありません。さらに息子の彼女と以前交際していたというのですから、心配は募る一方です。しかし母親は、覚悟を決めて婚礼の準備に取り掛かります。
いよいよ婚礼当日、パーティの最中に控え室に戻ったきり花嫁の姿が見えません。人々の頭にある心配が過ぎります・・・

TPTはいつも、俳優の今まで観たことのない面を彼らの魅力とともに見せてくれます。
母親役の板垣は、凜としたその姿から発せられる潔いセリフのどれもが説得力に溢れていて、複雑な母の胸中と、とらなければならない行動の必要性を観客に説いて、舞台の世界へと導いていきます。

対する、母親に品定めをされる娘の宮菜穂子の声の調子と瞳の魅力的なこと。まるで彼女の存在を初めて知ったような驚きが自分自身にもあり、その登場の様子から観客の心が一瞬にして奪われるのを感じました。

そしてその存在が脅威にも感じられるレオナルド。彼は押さえ切れない感情を舞台上で大きく爆発させることはありませんが、それがかえって彼の沸々と煮えたぎる情念を感じさせました。パク・ソヒは、こういう内面が燃えている人物を、穏やかなセリフの下に炎のように全身で表現するところに魅力を感じます。

レオナルドと婚礼中の花嫁が一緒にいる様は、二人とも炎に包まれているように見え、作品の持つ情念の激しさを感じました。

人間の奥底に潜む感情により、神秘的な場面の象徴としての「月」と「死」の化身は霞んだ存在となってしまいました。それほどまでに世間に背を向ける人間の情念とは、その結果生じる結末とは・・・。
コの字型に作られたシンプルな舞台に登場人物が行き交う様に、人間の様々な感情が渦巻いているのが見えるようでした。演出はニューヨーク生まれのアリ・エデルソン。(2003年にTPT『ヴァージニアウルフなんかこわくない?』で日本初演出)

作・フェデリコ・ガルシア・ロルカ、台本・広田敦郎、演出・アリ・エデルソン、美術・二村周作、音楽・後藤浩明

TPT
(ベニサン・ピットにて)

※プログラム冒頭には、「松本きょうじさんへ」と記されています。
 TPTで観た彼の数々の出演作が思い出されます。ご冥福をお祈りいたします。

☆「ロルカ戯曲全集(第2巻)」沖積社 「血の婚礼」を収録
『SOMEBODY WAITS FOR YOU, SOMEBODY WAITS FOR ME』(8/4-6)
「劇」をする「集団」で劇団ダイヤモンド、第2回目の公演です。
前回はアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」をベースにした作品でしたが、脚本・石川 満の想像力豊かなアレンジと演出の巧みさに、いたく感銘を受けました。

今回も脚本・演出は石川 満。構成のしっかりした推理劇です。
新しいメンバーと数人入れ替わっての上演となりました。総勢10名の登場人物が、小さく奥行きのあるスペースを有効に活用した演出で、また魅せてくれます。

あるオフィスで起きた殺人事件。被害者はその会社の社長です。容疑者は社員と来客者、そして居合わせた荷物の配達員。
登場人物が大勢いるようでも、個々のその役割が明確で、彼らの係わり方にどれだけ心の奥底から笑わされたことでしょう。
探偵ではなく刑事が捜査をするところにリアリティがあります。
さて、残された社員たちが(気持ちばかりは)一致団結して、(自分が犯人だと疑う)ある人物を必死でかばう証言をするのですから、観ているこちらも密室での犯人を推測するのに苦労しました。
・・・と、こんな形で参加しながら楽しめる作品です。

俳優の立ち位置が、いちいちシャレています。その心理が視覚的に理解できるような、そんな楽しさもあって、1時間50分があっという間でした。
最後の最後に、しっかりブラックユーモアで落としてくれたのも嬉しかったです。

(阿佐ケ谷アルシェにて)

右上の写真は、阿佐ケ谷の商店街あげての七夕の飾りもの。懐かしい雰囲気のある店が活気に包まれて立ち並んでいる、そんな通りに隣接して劇場があります。
燐光群『蝶のやうな私の郷愁』改訂版(8/1-10)
燐光群による組曲二十世紀の孤独シリーズ三部作の「第一楽章」と位置付けられた作品です。
二十世紀の孤独とは・・・?

木造のアパートの一室。台所と6畳の和室一間が舞台です。
ある台風の晩。時代は、風が強いから外ではケロヨンの頭に気をつけて、っていうことは昭和40年代なのでしょうか?
テレビは置かず、6畳一間に卓袱台(ちゃぶだい)の生活は、とてもシンプルに見えます。停電にはロウソク、引き出しを探せば必ず出てくる必需品。

さて、夫(坂手洋二)は会社勤めで、妻(占部房子)は家で掃除洗濯をして夫の帰りを楽しみに待っています。まるで近所に友達などいないような話しぶり。そしてまだ海を見たことのない妻は、夫に連れて行ってとせがんでいる・・・行きたければ自分一人で行く、なんていうことは夢にも考えていないようです。

夫が帰宅すると、早速、新聞はどこだ、もうご飯よ、なんて会話が始まり、50代位でしょうか、男性の観客は身を乗り出して、自分にも覚えがありそうなその様子をクスクス嬉しそうに笑いながら観ていました。
この時代は、人々に過度な情報は入ってこなかったのだな、と、しみじみ思います。携帯電話なし、インターネットなし、そしてテレビも家に無ければ、二人暮らしでは相手の帰りをただひたすら待つことが楽しみになるのでしょう。
だからこそ、ささいな相手の欠点には目をつむり、笑顔で接することができたのだな・・・ということを、何度も言うようですがしみじみ感じながら二人の関係を見守っていました。

しかしこれは、ほんの序章でしかありません。
どちらかが席を外した時に見せる本心。観客に臆する事なくさらけ出した表情も、相手が来ると彼らは元の顔を作ってみせます。
そして、ある台風の夜、停電という状況に、二人の平常心はかき乱されていきます。そして彼らが胸中に押さえていたものがついに浮かび上がりました。それは意外にも妻の姉の存在。
二人の郷愁の中にある彼女の存在。

外では嵐が激しさを増していきます。
互いの胸のうちを初めて知ったその夜、二人はある覚悟をします。
その舞台の様は大変美しく、観客の心に郷愁となって残されていくように思いました。

視覚的にも聴覚的にも舞台作品の魅力を、この小さな空間(SPACE雑遊)で、観客が肩を寄せ合って共有したという思いをしました。
二十世紀にとっぷりとつかった昭和という時代は、それを生きた人々の宝の箱になりつつあります。

作・松田正隆、演出・鈴木裕美、美術・奥村泰彦、照明・中川隆一

(SPACE雑遊にて)
このシリーズは、SPACE雑遊のオープニング企画です

※同じ作品を、小竹向原にあるサイスタジオコモネBでも上演しています。こちらは文学座有志によるHHG(Happy Hunting Ground)というユニットです。せっかくなので、こちらも観劇予定にいれました。
『パ・ド・ドゥ』との交互上演なので、詳細はこちらで。

七月大歌舞伎・昼の部(7/7-31)
夜の部に続いて、七月は昼の部も泉鏡花作品『夜叉ヶ池』『海神別荘』の上演でした。

『夜叉ヶ池』は、伝説の物語のその地を一目見ようと山に入った青年・萩原晃(段治郎)が、臨終の老人との約束から鐘をつくことを引き継ぎ、その土地の美しい娘・百合(春猿)を妻として一日三度毎日鐘をつくために村に留まったことから始まる物語です。

玉三郎が演じてきた百合と夜叉ヶ池の主・白雪姫という大役を、今回は市川春猿が演じています。歌舞伎座で春猿を観るのは『天守物語』が初めてでしたが、堂々とした立ち姿、そしてどこか落ち着き払った面持ち、その醸し出す雰囲気が、今後も大役、難役を見せて欲しいと願うような存在です。
知った作品でしたが、恋のために取り乱した白雪姫が、いよいよ約束にしばられている鐘を壊そうというその時、百合の子守歌に聞きいって思わず口から出る「美しいお百合さん・・・」というセリフ。春猿はその一言に、嫉妬や羨望などを超越した女の情念よりも同姓に対する思いやりを感じさせ、心の緊張が緩む場面となりました。

作・泉鏡花、監修・坂東玉三郎、演出・石川耕士

『海神別荘』は、『天守物語』では魔界の妖艶な人物を玉三郎が、人間を海老蔵が扮していましたが、こちらはその逆です。
海底を治める公私(海老蔵)が玉三郎扮する美しい女性の父とした約束の代価として、海の世界に彼女を妻として迎えることになる物語。
その美女(「美女」という役名です)が、人間の持つ煩悩とどう決別するかを巡り、物語は展開します。
海老蔵の伸び伸びとした語り口が、人間の料簡を越えた海神としての率直で大きな懐を感じさせてくれました。
そして玉三郎が海底に向かう際の物腰の優美さには、うっとりとしました。それでいて、人間は見栄に生きがいを感じているのかと思わせる美女の言動に説得力があります。しかし、この世界では許されないこと。海老蔵との問答では、ただの女性の存在として、そして潔く覚悟を決めてからの美女の表情には超越した者の迫力を感じさせ興味深く観ました。
音楽は、歌舞伎には珍しくハープの生演奏のみ。
鏡花の世界のどこか張りつめた言葉と関係そのままに、その繊細な音色が響き渡っていました。

作・泉鏡花、演出・戌井市郎、演出・坂東玉三郎

おどろおどろしい・・・と思っていた泉鏡花の文学の世界。玉三郎によって、それは人間の醜い部分であり、それを際立たせる、もしくは浄化するために美の世界と共存しているのではないかと思った昼夜四本の舞台でした。

(歌舞伎座にて)

坂東玉三郎(歌舞伎俳優名鑑より)
市川春猿(歌舞伎俳優名鑑より)

※8/8から「八月納涼歌舞伎」が始まります。



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