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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
『民衆の敵』(5/26-6/4)
芝居の冒頭とエンディングに、『民衆の敵』(1882)の作者ヘンリック・イプセンが、ある人物に語りかけた言葉のナレーションが入ります。(声・渡辺美佐子)
その言葉を聞いて、イプセンの人となりを知りたくなりました。
今年はイプセン没後100年にあたります。

ノルウェー出身。イプセンの作品というと、誰もが「人形の家」をあげるでしょう。それから?「海の夫人」「ヘッダー・ガブラー」・・・
不勉強な自分としては、作品名を言われると、どこかで上演されていたあの作品もイプセンの・・・と思い出すのですが、その程度。
実は多くの戯曲を残し、この「民衆の敵」は、”彼の唯一の社会問題を扱った戯曲であるばかりか、後にアーサー・ミラーの潤色によってブロードウェイでも上演され”(燐光群【公演のご案内】より)映画化もされているというのです。

さて本題です。この『民衆の敵』は、原作はイプセンのものですが、場所の設定も日本の地と、坂手洋二が脚本と演出を手がけた作品です。
地方の土地で、結果的に失業率低下につながる温泉事業を提案した医師(原作では男性。この作品では女性の設定・大浦みずき)が、オープンを目前に水質調査をした結果、温泉水が汚染されていることに気付きます。
多くの被害者を出す前に、町長(同様にこの作品では女性の設定・中山マリ)や新聞社に知らせようと行動を起こします。
ここで民衆の敵となるのは、汚染の原因となる企業か、金銭的な理由で改善を拒む有力者か、もしくは・・・

多くの人望を得ていた人物が、個人の利益のために裏切られる過程、集団の意見が正しいとされる見解など、人の心の変化の流れが目で見える演出に目を見張ります。
「本当はこんなことはしたくないのだが」「自分は弱い人間だから」「勇気がなくて申し訳ない」というのは、反対を唱えた人物が立退きや解雇を言い渡す前につける言葉。
人々は一体何に賛成し、反対しているのか。信念とは何なのか。
対称的に民衆の敵とされた人物が最後に「本当に強いのは一人で立っていけること」と語る言葉が眩しかった。

大浦みずきはカリスマ性のある俳優だと、その存在を実感しました。その反面、この作品ではこれまでに観た彼女のどの役より、等身大の女性を演じているように見えました。

坂手の脚本による登場人物の性別の変更。
それぞれの見解が女性の口から発せられることにより、ステレオタイプの登場人物の発言としてではなく、作品の本質がはっきり見えてくるのが面白い。
エンディングに語られたイプセンの言葉とは、(正確に記述できなくて申し訳ありませんが)「人々が私が今いるところに着いた時、もうそこに私はいない。その時私はもっと先を行っているだろう。」という意味の言葉でした。
燐光群の上演する作品について、いつも現実が後からついて来るような気がするのは、こういうことなのかもしれません。

原作・ヘンリック・イプセン、脚本・演出・坂手洋二、美術・島次郎、照明・竹林功、音響・島猛

(俳優座劇場にて)この後、6/8足利市民プラザ、6/13-15まつもと市民芸術館にて上演されます。

チラシのイラストは、石坂啓。
チラシ画像について、燐光群に掲載の許可をいただいております。無断で転載はなさらないでください。

☆配布された資料に掲載されてた、イプセンの戯曲集。

翻訳・毛利三弥「イプセン戯曲選集」東海大学出版会

翻訳・原千代海「イプセン戯曲全集(第4巻)」未来社
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えびす組劇場見聞録第22号
えびす組劇場見聞録第22号が出来上がりました。
メンバー4人がそれぞれ選んだ作品と評をお楽しみください。

こちらをクリックすると、「えびす組」のホームページに跳んで、お読みいただくことができます。
また、「えびす組劇場見聞録」(新聞版)第22号は、下記の劇場に設置されています。
劇場への直接のお問い合わせはご遠慮下さい。

◆THEATER/TOPS◆タイニイ・アリス◆シアターサンモール◆駅前劇場
◆世田谷パブリックシアター◆シアタートラム◆こまばアゴラ劇場
◆テアトルフォンテ◆相鉄本多劇場◆ベニサン・ピット◆シアターX
◆銀座小劇場◆ジェルスホール◆STスポット◆カメリアホール◆みどり会館
◆シンフォニア岩国◆山口情報芸術センター◆北九州芸術劇場
◆七ツ寺演劇情報センター◆文学座アトリエ◆サイスタジオ
◆山手ゲーテ座◆シアターZOO◆にしすがも創造舎(順不同)

「えびす組劇場見聞録」ホームページ掲載演劇作品一覧も、演劇に興味がありましたらご覧ください。過去に取り上げた作品を掲載しています。

映画『RENT』
ブロードウェイ発のミュージカルの映画化。
今までに何回となく来日公演や日本人キャストによる公演が行われていましたが、何故か観る機会に恵まれませんでした。
それが、今年は観よう!と、既に11月の来日公演のチケットを入手したので、映画で予習を。一番の理由は、1996年のブロードウェイ初演のメンバーがこの映画に出ているからです。

最初の場面は舞台の上に数人のキャストが横並びになって歌っています。『コーラスライン』のように。舞台から生まれた作品であることを主張しているかのようです。そこで歌われるのは、「Seasons of Love」52万5600分という歌詞が繰り返されています。これは一年を分で表した数字です。

さて、ミュージカルの映画版。日常の場面で登場人物の胸の内が歌で語られ、楽しい時も歌、悲しい時も歌なのですが、それを承知で観ているのに、歌の場面を超えて彼らの心情が伝わってきます。
ストレートに言うならば、会話が歌であることが気にならない。それくらい主題が伝わってくるということです。

観客の心に届いたメッセージとは。
登場人物のほとんどが、ある病気により自分の人生が限られたものだと認識しています。
そんな彼らにとって、限りある時間をどう使うかと言えば、「自分の望む人生を送ること」だと映ります。愛すること、一つのことをやり遂げること・・・など、人により様々ですが、彼らはつまずきながらも限られた時間を思いっきり生きています。そこに支える真の友人の力も加わって。
その中の一人の命の火が消えても、その人物が彼らの心の中で強く生き続けているのだと気付いた時、人生の尊さは命の長短ではなく、生き方なのだと改めて思いました。

繰り返し歌われる「Seasons of Love」、ここにミュージカルのあるべき姿を観たように思います。限られた時間の大切さが観客の心にしっかりと刻まれるのですから。
「RENT」という言葉も、様々な意味を含んでいます。
観て、聴いて、彼らのメッセージを受け止めて欲しいと願う作品です。

監督・クリス・コロンバス、台本・作詞・作曲・ジョナサン・ラーソン、脚本・スティーヴン・チョボスキー

☆10月4日発売!『RENT』DVD
〔送料無料キャンペーン中〕RENT/レント デラックス・コレクターズ・エディション-DVD-

☆この映画のサウンドトラックCD
●送料無料!サントラ/「レント」 オリジナル・サウンドトラック

☆ジャパニーズ・キャストCD
レント オリジナル・ジャパニーズ・キャスト・レコーディング


『少女仮面』(5/26-28)
文学座附属演劇研究所研修科による発表会公演。
作・唐十郎、演出・小林勝也。

戯曲は第15回岸田戯曲賞を受賞、登場人物のネーミングも魅力的な『少女仮面』。戯曲を読んでみたものの、白い紙の上に時には過激な言葉があるだけに思えて、もどかしかったのです。それが演劇としてどう成立するのでしょうか。

つくづく演劇とは、戯曲の理解者がいて、形になるのだと思いました。
幕が上がると、言葉が空間を埋めていきます。
戯曲には台詞を発する登場人物の設定はあるものの、舞台の上で作品に躍動感を持たせるのは、役名の無い登場人物たちでした。

公演のチラシから紹介を。
”宝塚歌劇の大スター「春日野八千代」を自称する女が経営する地下の喫茶店「肉体」。老いて朽ちていく俳優の肉体を巡って、物語は展開する。”

腹話術師とその人形が登場する場面があります。人間と老いることの無い体の対照だけでなく、そのどんでん返しは背筋がぞっとするぐらいの展開を見せています。そして人形役の俳優も衝撃的。(この回はAキャスト、小石川祐子)
世俗的な見解ですが、美内すずえの「ガラスの仮面」の主人公が人形を演じる場面を思い出してしまうほど、彼女の全身で人形らしさを表す姿から目が離せませんでした。

最初から最後まで出ずっぱりの少女・貝(荘田由紀)の、ヅカ・ガールを目指す眼差しに強い信憑性を感じ、そして物語の全てが、春日野八千代を自称する女(吉野美紗)の肉体への執着と憂いへと導かれる展開に、小説とは異なる戯曲としての面白さを見出しました。
唐作品の中で、何が若さ、美しさをシンボルとして表現するのか、老いをこんなにも人間が意識しているのか、婉曲でいてストレートな(対極の表現ですが、こんな印象)作品です。
本当に若い彼らの発するエネルギーで作られた舞台でした。
研修中の彼ら。このように頭だけで表現できない芝居もどんどん経験していって欲しいと思います。

入場無料。

(文学座アトリエにて)

☆著者・唐十郎『少女仮面』白水社
少女仮面

☆戯曲の中で指定されている音楽、メリー・ホプキンの「悲しき天使」を収録。
ベスト・オブ・メリー・ホプキン
ベスト・オブ・メリー・ホプキン
『メタルマクベス』(5/16-6/18)
シェイクスピアの「マクベス」(松岡和子翻訳)をベースとして、脚色・宮藤官九郎の作品。
そして劇団新感線で主演を文学座の内野聖陽が務めると聞いたら、一度は観たいと思うでしょう。
さて、宮藤官九郎の「マクベス」やいかに。

時は2206年、繰り返される戦争で荒野となった日本の地。そこでは3人の女性が大きな鍋をかきまぜながら、この世を憂いています。
よく聞いていると、かきまぜる「マクベス」の魔女の呪文に、誰の翻訳の作品がいいのか論じている。
有名な作品ですから、シェイクスピアの「ハムレット」にも多くの訳があるのを「天保十二年のシェイクスピア」をご覧になった方ならおわかりでしょう。
そこで、皆のお気に入りの本を鍋に入れ、最後まで溶けなかった本で上演しようということになりました。
でも一人だけとんでもない本を入れています。しかも彼女たちの鍋の中は、あろうことにカレーです。そこから出た「マクベス」は、ヘビメタにならざるを得ない・・・?
(以下、少々ネタばれがありますが、有名な作品ですから。)

そんなこんなで、時は1981年。日本ではヘビメタが流行っています。
その時代のヘビメタバンドと「マクベス」の話が、あっという間にところどころ切り替わり、物語は進行していきます。
(ここは「マクベス」のストーリーを知っていた方が、より作品を楽しめるでしょう。)
登場人物は、ベビメタバンドのメンバーと、「マクベス」上の役の二役を演じているのですが、その世界が交錯していると認識しているのは、実は(マクベスに匹敵する)ランダムスター(内野)だけ。
だからどちらの世界でも、(ダンカン王に匹敵する)レスポール王(上條恒彦)を殺害してからの彼は、気が触れたように周囲の目には映るのです。この辺の作りは巧い運びです。

さて、本来は小心者のマクベス。内野の(マクベスに匹敵する)ランダムスターは、最初の勢いはどこへ、これでもか!というくらい情けない男になっていきます。
反面、(マクベス夫人に匹敵する)ランダムスター夫人(松たか子)は凛として、歌声も力強く、この夫婦は夫人の策あっての夫という図式が見事に成立していました。
(ダンカン王に匹敵する)レスポール王の忠臣で、正義感のある(マクダフに匹敵する)グレコ。北村有起哉の説得力ある芝居に、存在の大きさを感じます。
そして、(マルカムに匹敵する)森山未來がタップも踊りも要所で見せてくれた後、マクダフと共に戦うために立ち上がる際の澄んだ力強い歌声に、観客は釘付けになりました。きっと誰もが、マクベスの時代は終わった!と、彼の歌声を聞いて思ったことでしょう。(例えて言えば「SHIROH」でシローに群衆がついていったような)

この作品、文学作品と捉えるか、パロディなのか・・・
現代社会への風刺も盛り込まれ、飽きることはありませんが、4時間余り(途中25分の休憩)の上演時間にしなくてもいいと思われる芝居の展開。その割には、長時間客席に座っていた「達成感」が得られなかったのが残念。

原作・W・シェイクスピア、脚色・宮藤官九郎、演出・いのうえひでのり、美術・堀尾幸男、照明・原田 保、音楽・岡崎 司、衣裳・有村 淳

(青山劇場にて)

☆劇中、争論の種となった「マクベス」の翻訳本。
訳・松岡和子「シェイクスピア全集(3)」ちくま文庫 に収録

訳・小田島雄志「マクベス」白水社

『やわらかい服を着て』(5/22-6/11)
シリーズ「われわれはどこへいくのか」の第三弾。作・演出・永井 愛。
永井の選んだテーマはNGO。辞書で調べた言葉の意味が、作品のキーワードのようによく登場します。“平和・人権問題”“非営利”“非政府”。

時はさかのぼり、2003年イラク戦争開戦前夜。
その戦争に反対するデモが世界各地で行われていました。渋谷でデモを行ったNGOの中心メンバー8人と、その行動に賛同してついてきた新入りの少年1人。彼らの活動の拠点である事務所を舞台に、3年という月日の流れの中で、活動の目的、内容も変化を強いられてきます。
架空のNGOの団体ですが、政府の援助なく彼らが行ってきた活動の一端を垣間見たと言っていいのでしょうか。

9人のメンバーに、閉鎖した工場を彼らの事務所として貸している「社長」が加わり10人10色、様々な立場での見解を聞かせてくれます。
大手商社勤務の者、学生、フリーターなど、観客は、時には活動する9人の誰かに同意しながら、時には世論の代表者的な役割をしている「社長」の意見に自分の置かれている立場を確認しながら、活動の行方を見守ります。

作者がこのテーマを選んだ意図とは?
『やわらかい服を着て』面白いタイトルだと思いました。劇中で直接触れられるフレーズはありませんが、作品を観て、自分なりの解釈が得られるでしょう。

信念を貫く彼の背中を見て皆がついてくる、その青年役に吉田栄作。チラシに「満を持して初舞台」とあるとおり、彼の経験がこの青年像をよりリアルなものにしていました。

作・演出・永井 愛、美術・大田 創
主催・新国立劇場

(新国立劇場 小劇場にて)

☆劇中に名前が登場する「ラナちゃん」はじめ、イラクの子どもたちの描いた絵や、インタビューが掲載されているそうです。会場で販売しています。
「子どもたちのイラク」岩波書店刊
子どもたちのイラク

團菊祭・夜の部(5/1-25)
この部は、初役に挑む役者が多いので、観客としても新鮮な心持ちで臨みます。
夜の部の演目は、『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』『保名/藤娘』『黒手組曲輪達引』。

『傾城反魂香』作・近松門左衛門。
絵から飛び出した虎を、山科に隠棲している絵の名手・土佐将監光信(彦三郎)の弟子の修理之助(梅枝)が、筆で描かれたものならば、と、自らの筆の力で文字通り「かき消す」のです。その功績のもと、修理之助は師匠から「土佐」の名字を名乗ることを許されます。
そのことを知った兄弟子の又平(三津五郎)が、自分にも苗字をと、女房のおとく(時蔵)とともにやってくるのですが・・・
又平が吃音のため、おとくに代弁を頼む様は、おかしくもあり悲しくもあります。でもそこに、ささやかながら夫婦愛が感じられる二人の呼吸は、見事としか言いようがありません。
師匠の怒りを買い、又平が自害を決意する展開、しかし絵にかける情熱から奇跡を起こすまで、地味ながら心情の変化を見事に三津五郎が見せてくれました。

『保名』は、許婚が死んだ恋しさから発狂した保名(やすな)という青年を、菊之助が初役で挑む舞踏です。
右の片袖をはだける着方は「物狂い」を表すなど、一目で役の状況を表す形があります。恋人の形見の小袖を肩にかけて一緒にいる気持ちになっている様は、哀れでなりません。
ここには出てきませんが、その後、保名が恋人と瓜二つの妹と出会い、正気を取り戻す後日談に救われる思いがします。

『藤娘』=藤の精を初役の海老蔵が演じ踊ります。
以前、テレビで菊之助の藤娘を観たので、配役を目にした時、保名とキャストが逆かと思いました。
個人的に初めて女方を演じる海老蔵を観ましたが、目鼻立ちのはっきりした美しい娘の姿に、「演じる」という技を感じました。
この踊りは、衣裳の早替により、艶やかにいろいろな娘の顔を楽しめる作品です。

最後は『黒手組曲輪達引』。
一転して、美しい遊女の白玉を菊之助が、そして遊女に貢がせる悪役牛若伝次を海老蔵が演じます。
そして人情ある喧嘩早い黒手組の頭の助六を菊五郎が演じ、最後は屋根の上での喧嘩の立ち回り、と、芝居を盛り上げ見栄も鮮やかに幕となる、賑やかな芝居です。

昼と夜の部、團菊祭を堪能しました。来年も是非勢揃いしたキャストで観たいものです。

(歌舞伎座にて)

写真の絵画は、長谷川 昇「藤娘」七世 尾上梅幸(二階ロビーに展示)
雪組『ベルサイユのばら』(4/7-5/21)
初演からどれぐらい経つのでしょうか。
ようやく観られる、という気持ちで観に行きました。『ベルサイユのばら』(以下、ベルばらと表記)の「オスカル編」。
人気で話題の作品なので、気付いた時にはチケットは売り切れでした。
しかし『ベルばら』観劇チケット付き元月組男役・涼風真世トークショーというイベントがあるではありませんか。早速申し込みました。

同作品でオスカル役を演じていた彼女が、当時の思い出や見所など交えて作品の紹介をしてくれました。
オスカルを演じるにあたり、とにかく原作のオスカル像を壊さないことにこだわったのだそうです。「ブロンドの髪翻し・・・」の文字通りのイメージで。
今回のオスカル役は朝海ひかる。さわやかで華奢ながら目に力のある俳優でした。
そして、涼風が宝塚を退団した今でも、あのきらびやかな中に入りたい!と言っていた、その舞台とは・・・

開演と同時に緞帳が上がると、天井にミラーボールがあるのが見えました。そして劇画の背景のようなバラの書かれた衝立が両端にあり、舞台を縁取っています。
物語に入る前に、プロローグ(その数4場!)で、一通りメインキャストの紹介があるところなど、歌舞伎の演出のようだと思いました。
メインキャストの登場が華やかなこと!そして見せ場でポーズを取るところなど、歌舞伎の見栄に通じる様式美があります。
この構成が『ベルばら』特有のものなのかはわかりませんが、私が歌舞伎の舞台に毎回わくわくするような期待を、宝塚ファンも同様に宝塚歌劇の舞台に抱いているのかもしれません。
歌舞伎で言う「宙乗り」に相当する見せ場も、この作品にはあります。幻想の場面でオスカルがペガサスに乗って登場する場面。クレーンで上下左右に動き、客席に最大限に近づく時は、各方面から拍手が沸き起こります。
作品について、ちょっと歌舞伎と結び付け過ぎましたか。
きらびやかな舞台の極めつけ、20分以上にも及ぶカーテンコールを華やかに見せる電飾は、大階段を除いても一万あるそうです。

宝塚歌劇団では、男役トップの人気は絶大だと聞きました。舞台を観て、キャスト全員で朝海オスカルを盛り立てていると感じます。それによりついてくる観客がいて、それが集客につながっていることも。

不思議なことに、初めて観る『ベルばら』なのに、ミュージカルナンバーをなんとなく知っていました。この作品が時を重ねて、世間に浸透していったことの現れだと思います。
日本国内では、社会現象であるといっても過言ではないでしょう。

同日、『團菊祭五月大歌舞伎』夜の部の観劇とハシゴをしました。
女性の俳優だけの舞台と男性の俳優だけの舞台。仕組みこそ異なりますが、日本の演劇界は、実はとても奥が深そうです。

※プログラムによると、『ベルばら』初演は1974年8月29日(宝塚大劇場)です。

原作・池田理代子、脚本・演出・植田紳爾、演出・谷 正純
(東京宝塚劇場にて)

☆「ベルサイユのばら」完全版(コミックス)集英社 全6巻
ベルサイユのばら(第1巻)完全版 ベルサイユのばら(第2巻)完全版
『スラブ・ボーイズ』(5/18-6/4)
スコットランドの画家、ジョン・バートンの自伝的作品です。
主人公は、スコットランドのグラスゴー近郊の絨毯製造会社で、低賃金で働く少年たち。

舞台にはスラブルーム一部屋のみ。舞台前方が廊下という設定で、部屋を出入りする人々が、右へ行くか左へ行くかで、観客は部屋を出た彼らがこれから何をするかを想像することができます。
デザイナーのための絵の具を作るスラブルーム(顔料から絵の具をつくる作業部屋)で働く3人の少年たち、スラブ・ボーイズ。
朝から晩まで金属のヘラのようなものを使って顔料と水とガムをこねて、発注された絵の具を作るのが彼らの仕事です。
彼らの上司もかつてはスラブルームにいました。いわば、誰でも一度は通る修行の場、というところでしょうか。
当の彼ら3人は、どう観ていても仕事の成果物より、おしゃべり、喫煙、そして席をはずす用事の方が多いのです。

昨日は母親がまた自殺未遂騒動で警察まで来て大変だったよと語るフィル(山崎雄介)、フィルといつも戯れているスパンキー(進藤健太郎)、2人の会話から取り残されているヘクター(倉本朋幸)。
ある日、どこから見てもエリートの好青年アラン(河合龍之介)が、この会社の新入りとしてやってきます。案内人の都合で、しばらくスラブルームに置き去りにされた彼。そこでスラブ・ボーイズの面々から、仕事、だけでなく彼らにとって今何が一番の重要な問題であるのか、何が大切なのかを思い知らされることになります。

彼らはなんて不器用で、屈折した友情の表現しかできないのでしょう!

面白いのは、アランが彼らの仕事に関心を示し、彼らの境遇をアランなりに理解しようとする姿勢の人間であること。
そして、スラブ・ボーイズが各々部屋に一人になったとき、彼らのちらりと見せる人物像が、実はストーリーの展開に大きく影響しているということです。
彼らの若いエネルギーが作り出し、積み重ねて来た過去があって存在する、今日一日の出来事。
彼らと一緒に人生のターニングポイントに立って、自分自身の生き方を見つめ直してしまいます。
帰り道、そんなことを考えていました。

13年前にパルコ劇場で、ロバート・アラン・アッカーマンの演出により男闘呼組の主演で上演された作品でもあります。
ジャニーズにも明るいえびす組のコンスタンツェは、さすが。ちゃんと観ていました。
この日、当時スパンキーを演じた高橋和也も、客席から見守っていました。(今回のメンバーと彼の交流の模様が、台本付きプログラムに掲載されています)
この作品には、舞台経験のある俳優から、映像で人気の俳優まで、オーディションで選ばれた若手の俳優が挑んでいます。
若手のエネルギーと行き場のない寂しさが、ここベニサンピットに、ぎゅっと詰まっています。

作・ジョン・バーン、演出・千葉哲也(初演出)、訳・薛 珠麗、美術・萩野 緑、照明・深瀬元喜、音響・木暮拓矢、衣裳・原まさみ
※舞台写真はTPTのサイトで。
(ベニサンピットにて)


『白夜の女騎士』(5/7-30)
舞台作品は観る位置によって作品の楽しみ方が異なる、ということを痛感しました。
先日『タイタス・アンドロニカス』のアフタートークで、翻訳家の松岡和子さんが「翻訳にも携わり、稽古からずっと観てきて、今日初めて後方の端の席から観たら、ものすごく客観的に観られました」と語っていました。
シアターコクーンでは、真ん中の通路すぐの席でも近いと感じるのですが、今回は最前列。常に見上げる態勢で、舞台ギリギリに立つ俳優の汗やツバを避け、落ちてくる小道具をよけ、転がる俳優の視線をかわしながら、この席で客観的に観る難しさを実感しました。

野田秀樹原作のこの作品で、状況に応じて選択される巧みな言葉遊びのような台詞を堪能しつつ、不思議なことに、いつもと異なる次元に自分がいるかのような感覚を味わっていました。これは前列の観客向けの意図された演出なのかもしれません。
そして、舞台と、巻き込まれた観客の様子を観る観客のための、トータルとしての演出も存在しています。視覚的に舞台の上の大道具に駆け登って俳優が作る構図は、間近で観ても美しく、だがしかしあと20メートル後方から見たら、さぞかし大きな絵画のように見えるのだろうな、と思いました。

時間が経って、だんだんと作品の沿革が蘇ってきます。
この作品は1985年に劇団夢の遊民社で上演されています。その時代には携帯電話もインターネットも一般には普及していませんでした。主人公のサスケは、アマチュア無線で見えない誰かと交信するうちに仲間を得るのですが、そもそもサスケはどこから来たのか、そして彼がそれを思い出した時に何が起こるのか、その背景にある戦いとは・・・。
「アマチュア無線」という設定に男のロマンを感じつつ、見守る女性がいて、常に戦っている男性がいる。何のための戦いなのかが、じわーっと感じられてきます。

さて、蜷川演出の中で遺憾なく俳優としての魅力を発揮する人物との出会いがありました。
松本潤。
彼の演技を初めて観ました。柔軟な体は、舞台上の俳優を奇麗に見せます。そして懸命に役に没頭する一途な視線が、サスケ役と重なり魅力的でした。
『タイタス・アンドロニカス』で観た小栗旬、そして松本潤、次は『エレンディラ』の中川晃教と、現在22、23歳の吸収力と未知数の力を持った世代から、これからも蜷川幸雄は彼らの新たな魅力を存分に観客に見せてくれることでしょう。新しい世界で、きっと本人も気づいていないような新たな顔を。

作・野田秀樹、演出・蜷川幸雄、音楽・朝比奈尚行、美術・中越 司、照明・原田 保、衣裳・黒須はな子

(シアターコクーンにて)

☆プログラムでも紹介されている、楽劇「ワルキューレ」全曲
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」(全曲) ◆20%OFF!