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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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遊戯空間公演・詩×劇(4/28-5/1)
詩人、和合亮一の詩を、7人の俳優が表現する。と、言っても朗読ではありません。
一人称で語られる詩。これが複数の俳優の肉体を通して発せられる、という表現の方が適しているでしょうか。
それにより、詩に込められた言葉の意味が活きてくる発見をしました。

最初の作品「葉書」。一人で巡らす複数の想いが、複数の俳優を通して語られます。自分の中で行ったり来たりする想い。その最後の、裏のない葉書、という一言が切なく耳に残ります。

この空間は、詩と表現を味わう場。

作品の題材と言葉は聞き知っているものの、「詩」という表現の場により、言葉のリズム、組み合わせで、より新鮮な響きを生じています。
作品数12余り。言葉を浴びるというよりも、個々の俳優の肉体を通して語られるその言葉。俳優が何をするかということより、どう聞こえてくるか、肩の力を抜いて聴いていたい。観客の感性で詩を楽しめる作品です。

1時間20分、言葉をリズムで感じられます。一人称の詩、しかし語る先には、いつも相手がいる安心感がありました。
劇中に流れる音楽も、ライブで演奏されています。

作・和合亮一「RANBOW」「AFTER」「地球頭脳詩篇」より、構成・演出・篠本賢一、音楽・田中佐知子

遊戯空間
(四谷・コア石響にて)

☆「Rainbow」「After」「地球頭脳詩篇」思潮社

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『マンドラゴラの降る沼』(4/11-23)
友人に誘われるままに来た公演。
出演は、大竹まこと、きたろう、斉木しげる(以上、シティボーイズ)、中村有志、いとうせいこう、銀粉蝶。
知る人ぞ知る有名な毎年行われている公演だそうです。自分にとっては不勉強で、名前を聞いても彼らが何をやるのかわからないまま当日に。
池上駅から徒歩15分。名物なのか、駅周辺には葛餅屋が多く、余裕を持ってお茶した後に会場へ。場所は池上本門寺境内 特設テント。人影がまばらだった客席も、開演時間には満席となっていました。
さすがにお寺の境内です。「僧侶ノ説法、五分アリ」と、チラシにもあるとおり、本門寺の僧侶のお話を聞かせていただき、その後すぐに幕が開きました。

内容は、オムニバスで上演されるコント(のような芝居?)です。場面転換ではスクリーンが降りてきて、関連した映像が流れ、それを観てまた笑える楽しい趣向。シティボーイズのみなさんの芝居を初めて生で観ましたが、きちんとテーマがあって構成されているので、どれを観ても心から楽しめました。
本当に、舞台を観て、考えて、こんなに笑ったことってあったかな。今回仲間同士で行ったから、観劇後の感想も男女それぞれの意見が聞けて、語れて、とても興味深い作品との出会いだと実感しました。

終演後に出演者からのコメントがあり、彼らの素顔が垣間見られます。シティボーイズのみなさんは、隠れたところで観客へのサービス精神が旺盛だと感じる中、ゲストのいとうせいこうは、流石に作家です。冷静なコメントでした。
女優・銀粉蝶の思い切りよい演技が印象的。若手の芸人が人気を博している中、息の長いチームワークで見せてくれる舞台は、世代を超えて共感を呼んでいると思います。

この後、地方公演があるそうです。

(池上本門寺境内特設テントにて)
テント周辺には、出演者へのノボリがたくさん。

☆会場でも盛んに宣伝していた、彼らの舞台3本組DVD。
(2006年4/12発売)
PETROSPECTIVE-CITYBOYS LIVE![BOX(3)]

『ライフ・イン・ザ・シアター』(4/12-30)
世田谷パブリックシアターで上演されるということに、どれだけの人が懐かしい想いを寄せるのでしょうか。
この作品は、世田谷パブリックシアターと同時にオープンした、隣接するシアタートラムの開場記念公演(1997年)として上演されました。
そのキャストは、年配の俳優ロバートに石橋蓮司、若手俳優ジョンに堤真一、演出は当時の世田谷パブリックシアター・ディレクターだった佐藤信。
石橋蓮司の嫌みのない老俳優ぶりが、若手俳優の冷静さといつしか立場が交差する時に、深い哀愁を感じた記憶に残る舞台でした。
作は、ディヴィッド・マメット。(その他の作品として、昨年末にT.P.T.で上演された『アメリカン・バッファロー』が記憶に新しい)

さて今回は、シアタートラムのおよそ2倍の客席を持つ世田谷パブリックシアターで、しかも立ち見まで出る集客となりました。
ロバートに市村正親、ジョンに藤原竜也、演出はポール・ミラー(昨年、市村出演の『デモクラシー』を演出)です。

総括した印象として、ジョンの役者として、そしてなによりも精神的な成長を描いた作品なのだと感じました。
経験豊かな俳優と同じ舞台に立てる喜び、自身も経験を積み、老俳優の忠告を疎んじる時期、そして老俳優がついに自分の時代は過ぎ去ったと自ら認めた時の彼に対する思いやりのある接し方・・・など、藤原竜也はその時その時を、しっかり自分の対象となるものを見つめて、素直に演じていました。
藤原とポール・ミラーは初めての組み合わせ。演出家が藤原に対する先入観が無かったことが、終盤に新たな彼の大人としての魅力を引き出したように思います。

この舞台には匂いがあります。彼らがタバコを吸うシーン、葉巻を吹かすシーン、ヘアスプレーをたっぷりとかけるシーン。前方の席では段差が少なく見辛いのですが、その分芝居の空気を匂いで感じることができます。

感慨深かったのは、老俳優を演じる市村の経歴で、『エレファントマン』のジョン・メリック、『ロミオとジュリエット』のロミオ(ともに劇団四季時代)、『ハムレット』のハムレットを、若手の俳優を演じる藤原が実際ににその役を得ていること。芝居の世界とは別の次元で印象的でした。
そう言えば冒頭でロバートが語る、「今日の観客は別の次元で舞台を観ている」というような台詞がありました。こういう視点のことを言うのでしょうか。
東京公演後、5月31日まで各地を巡り上演されます。

(世田谷パブリックシアターにて)
☆『現代演劇(NO.13)』特集:テ゛イウ゛ィット゛・マメット 出版社・英潮社
「ライフ・・・」はありませんが、「アメリカン・バッファロー」他の作品を収録。
四月大歌舞伎(4/1-25)
六世中村歌右衛門五年祭ということで、歌右衛門にちなんだ作品の上演と、口上では六代目中村松江襲名披露、五代目玉太郎(松江の長男)初舞台など、夜の部は盛りだくさんで楽しませてもらいました。
夜の部の演目は『井伊大老』『六世中村歌右衛門五年祭追善 口上』『時雨西行』『伊勢音頭恋寝刃』(油屋、奥庭)です。
『伊勢音頭・・・』は、昨年八月の納涼歌舞伎の第二部で上演されたばかりです。(八月の公演の様子はこちら

昨年、油屋の遊女・お紺を演じた福助が、今回は腹黒い仲居の万野を演じます。前回は同役を勘三郎が演じていたので、この配役から万野という役は、憎々しいけれど面白おかしいキャラクターであることが伺えるでしょう。
そして前回、三津五郎が演じた福岡貢を、上方の仁左衛門が演じます。この芝居の冒頭で、上方歌舞伎によくいる、頼りないけれど二枚目の「つっころばし」と呼ばれるキャラクターの万次郎(松江)が登場するのですが、貢はつっころばしよりも芯のあるキャラクターで、これを「ぴんとこな」というのだそうです。(イヤホンガイドの解説より)
お家の重宝の青江下坂の名刀を手にした貢は、刀に導かれるように次々と人を斬っていきます。その様も、仁左衛門のような繊細な二枚目の役者が、虚ろな眼で返り血を浴びながら歩く様子は、哀しさとともに背筋をぞっとさせるものがあります。

『井伊大老』は、安政七年三月二日、井伊直弼(吉右衛門)の側室・お静の方(魁春)の居室が舞台です。
重責のある役職につくと、命を狙われることもあり、直弼の安否を気遣うお静の方に生まれ変わっても夫婦だと語りかけ、来世では大老になるまいと呟きながら抱き合うエンディング。この翌日三月三日に桜田門外で直弼が暗殺されることを知って観ると、二人のやり取りが切なく聞こえてくるのです。

二階のロビーでは、「六世中村歌右衛門を偲んで」という、歌右衛門が舞台で使用した扇子など踊りの小道具や写真、ちなんだ貴重な品々の展示が行われています。
下の写真の英文レターは、昭和35年のアメリカ公演で、女優のグレタ・ガルボが歌右衛門の「道成寺」に感銘を受けて送った電報です。

(歌舞伎座にて)

『東海道四谷怪談・南番、北番』(3/18-4/24)
コクーン歌舞伎で、第一回目に上演されたのがこの南番。
『東海道四谷怪談』でも、南番に盛り込まれていない「三角屋敷・小仏小平内」の話を織り込んだのが北番です。

まず南番から観ました。
新たに串田和美が演出。勘三郎が、直助、お岩など、その場面ごとに主要な人物を演じるので、早変わりも見所の一つとなっています。
怪談話なので、お岩が騙されているとも知らずに形相の変わる薬を飲み、櫛ですく髪がごっそりと抜け落ちる場面は見た目には恐ろしいのです。
しかし、勘三郎のお岩は美人でもなく、普段から夫の伊右衛門から子供を産んだことを疎んじられ、それでも自由のきかない体で子供を思いやる姿は、一層その様を哀れに映し、お岩の心中を察すると胸が痛みます。
自分の利益しか考えない夫・伊右衛門を橋之助が憎々しげに演じており、その非情さがかえって哀しさと怖さを倍増させるのです。
いつしか観客もお岩と一緒に、彼女を陥れた人物を呪っているようでした。

ただ、南番には救いがあります。大掛かりな川のセットは、水しぶきが観客に飛ぶことを前提としたダイナミックな演出で、演じ手も観客もスカッとした感じがあります。まるでお払いを受けたような気分でした。

そして北番。本邦初公開の作品。
休憩前まで(お岩が騙され、死に追いやられ、伊右衛門の周囲の人々を呪い殺し始めたところ)は、南番と同じ話です。しかし、お岩と伊右衛門以外は演じる役者が違います。南と北を両方観る観客へのサービスでしょうか。
歌舞伎の役者のレパートリーの広さ、演じる役の多さには頭が下がります。
その北番は、一味違います。
本当に寂しく、哀しく終わるので、この気持ちをどこにぶつけようか・・・。
これこそ怪談。最後は地獄を見る思いでした。

シアターコクーン前には出演役者のノボリが出て、情緒をかもし出していました。

作・四世鶴屋南北、演出・美術・串田和美
(シアターコクーンにて)
『エスペラント』(3/25-4/9)
エスペラントとは、ポーランドのザメンホフが考案し、1887年に発表された人工の国際語だそうです。劇中で宮沢賢治がエスペラント語だけで書かれた詩を紹介しているように、日本では1906年にエスペラント協会が設立されるほど、昔は関心を集めたようです。

作品の舞台は、高校の修学旅行の宿泊先、東北のとある旅館。一晩の出来事です。作品と舞台の時間の経過が同じなのが面白い。
生徒の就寝時間に、先生たちはミーティングを開くところです。その時間まで暇をつぶそうと将棋を差す先生、部屋に見当たらない生徒を探す先生など、ありそうな話に観客は懐かしい想いで舞台の進行を見守っていました。

生徒や先生、それぞれに起きる出来事。
それが、ただの「ありそうな話」で終わらない。
冒頭で紹介したエスペラント語、この言語が一本すーっと真ん中にあります。
今や国際語と言われる英語でもなく、どこの国の言語でもない「国際語」。懐かしい旅館も、このエスペラント語で書かれた詩によって、宇宙に存在しているかのような時空を越えた場所のように思えてきます。
これが本当の中立ということなのかしら、と、舞台で繰り広げられる日常の出来事を観ながら、頭の片隅ではそんなことを考えていました。

作は、グリングを主宰する青木豪。彼が文学座のアトリエ公演のために書き下ろした作品です。
演出は、文学座の坂口芳貞。
4/13に、桜美林大学プルヌスホールで公演があります。(詳細は文学座のホームページから)

舞台上の壁にかけられた宮沢憲治の詩。彼がエスペラント語でしか書かなかったので、人によってこの詩に様々な解釈があるそうです。
まるでこの作品を象徴しているようでした。

(文学座 アトリエにて)
チラシ画像について、文学座に掲載の許可をいただいております。無断で転載はなさらないでください。

『夜桜能』(4/4-6)
靖国神社の境内にある能楽堂は、東京で戦後に残った能楽堂としては一番古いものだそうです。
屋外に客席を作った場内は、千駄ケ谷にある国立能楽堂の3倍の客席を設け、一部自由席になっています。
舞台を正面にして座ると、ちょうど能楽堂の屋根を縁取るように桜が覆いかぶさり、気温とは裏腹にそこだけ春を感じさせてくれました。
場内の照明が消され、厳かに火入れ式が行われ、いよいよ開演です。
最終日第三夜の演目は、舞囃子『忠度(ただのり)』、狂言『二人大名』、そして最後は能の『船弁慶』。

能は狂言よりも抽象的で、やや敬遠していたのですが、会場でイヤホンガイドの解説を聞いていると、目からウロコが落ちました。
能の知識を知ってて観ると、パズルを解くように面白い。形式の芝居なので、ポイントを押さえるとよく理解できます。
この日の解説は、三浦裕子さん(武蔵野大講師)。「能はミュージカルです」と言っていました。そして謡いは、声楽だと。昔はマイクがなかったので、大きくはっきりと言葉(歌詞)を伝えなければならなかったのだと。
能は面をつけるものと思っていたのですが、つけない人がいるのは何故だかわかりませんでした。すると解説によると、「生身の人間を演じる時は素顔、だから亡霊の役は面をつける。女性を演じる場合は必ず面をつける」のだそうです。

歌舞伎でも観た『船弁慶』では、歌舞伎同様、静と平知盛の亡霊を同じ人物が演じます。静は女性だから面を、そして知盛の亡霊も面をつけ、義経、弁慶は素顔で登場します。
ここでもう一つ、能では美男や高貴な役柄は、子方(こかた)という声変わり前の(解説ではさらにボーイソプラノと言っていました)子役が演じるのだそうです。だから義経も子役が演じるのですが、この静と義経の関係を生々しく見せない効果もあるそうです。
そして間狂言という、能を狂言師が手伝う役があり、船頭の役を狂言師の野村萬斎がコミカルに演じていました。

こうやって知って観ると、能や狂言の作品はシンプルなだけに、想像力を働かせて観る楽しみが伴ってきます。

イヤホンガイドの解説でもう一つ。最初の作品『忠度』の時に、「昔はキセル(電車の運賃をごまかして乗ること)のことを、薩摩守(さつまのかみ)と言っていたそうです。薩摩守とは忠度のことです。つまり、ただのり(タダ乗り)」すごい雑学!

屋外での上演は、自然の美しさを堪能している実感がありました。この日見た美しい光景は、忘れられないでしょう。
帰り道、靖国神社周辺は、桜の名残を惜しむように集った人々でいっぱいでした。

(靖国神社 能楽堂にて)



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