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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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『セゾン・ド・メゾン~メゾン・ド・セゾン』(2/16-3/5)
この作品は、阿藤智恵を世に送り出した作品だというので、観てみたいという衝動に駆られました。

白い衣装を着た4人の女性たち。彼女たちは何かを一生懸命に作っています。作っては気に入らないと壊し、また作り直す女、構想を固めてから作るつもりでまだ着手できない女。飽きて眠りだす女・・・一見、同じように見えていた女たちが、たったこれだけのことで、それぞれの個性がはっきりしてきます。
やがてある女が長女になり、次女がいて、三女が存在する。その時にだけ身につける色が、それぞれの個性を主張しているようで印象的です。
行きつ戻りつする彼女たちの記憶の断片とともに、自分自身の記憶の引き出しを開けられているような微かな快感。そこにいる者だけが味わえる懐かしさが、この作品にはあります。

オムニバス形式で進行するのですが、どこかつながっていると感じさせる不条理の世界。役者の個性も存分に楽しめる作品です。

『死んだ女』が書き下ろしの新作だとすれば、こちらは阿藤智恵の処女作です。
男性の登場人物だけの『死んだ女』は、コントの繰り返しに見えてしまい、共感できる部分が希薄に感じられたのが残念でした。

2作品とも、演じるのはHappy Hunting Ground(略してH.H.G)、文学座若手有志によるユニットです。
交互に上演されるので、日程はこちらの公式ページでご確認ください。

2作品を観る方は、通し券料金や半券の提示で割引があります。

(サイスタジオコモネBスタジオにて)

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『ガラスの動物園』(2/9-26)
今まで出会った作品の中で、こんなにも優しい視点でローラを描いた作品を初めて観ました。
ローラ(中嶋朋子)の弟の中年になったトム(木場勝巳)が語る回想として、この舞台は始まります。母(木内みどり)と3人で住む、この小さなアパートが、ローラにとってはガラスの動物園という彼女の幻想の世界のようでした。
ローラはびっこであることを気にして、内に閉じこもっています。
これまでに観た作品では、身体的な特徴を強調していたため、最初からローラを同情の目で見つめていました。
しかしこの作品では、セリフには書かれていても、家の中ではローラはその歩き方を強調していません。

そして、かつてハイスクールでローラが憧れていたジム(石母田史朗)。彼はローラの憧れるそのままの姿で颯爽と登場し、人と違う恥じらいという美しさを持ったローラを褒めたたえ、理解し、彼女に必要な自信をどうやってつけさせようかと慈しみながらローラに接していきます。
ジムにしても、過去の栄光を引きずった自信のある野心家の青年というだけではなく、成功へ進むための自身の人生の歩き方を、ローラにもこうすればいいんだと、手を差し伸べている。自分の身内のように親身になって語る姿に思いやる説得力がありました。

この演出の素晴らしいところは、みんなが言うローラの美しい内面が、目に見える形で表現されているところです。中嶋朋子の演じるローラが、自分の世界に入り込んだ時に見せる表情は、スクリーンに映し出されるガラスの動物たち同様に優しく美しいのです。そこにローラの閉じこもった心が解放されていく様を見て取ることができます。
同時に、それはとても壊れやすいもの。ローラを気遣うジムの告白に我に返ったローラの想いが、音を立てて割れていくようでした。

いつもはジムのしたことに男の身勝手さを感じるのですが、この作品では、外の世界へ彼が開かせたローラの心の扉が、簡単には閉じられないように感じました。

中年のトムの回想。彼が私達の目の前に存在しているように、ローラもどこかで中年の女性として昔より少しは力強く生きているのではないか、私はそう思いたいです。

作・テネシー・ウィリアムズ、翻訳・小田島雄志、演出・イリーナ・ブルック、美術・ノエル・ジネフリ、照明・服部 基、衣裳・黒須はな子

(新国立劇場 小劇場にて)

☆翻訳・小田島雄志「ガラスの動物園」新潮社

『屋根の上のヴァイオリン弾き』(2/4-28)
食わず嫌いの作品であったことを認めざるを得ません。
だから、森繁久弥、上条恒彦、西田敏行と語り続けられたこの作品のロングランの理由を知る由もありませんでした。
最近では、ブロードウェイでデイヴィッド・ルヴォーもこの作品を演出しています。
前述の彼らに続くテヴィエを、2004年からは市村正親が演じています。
11月末まで『モーツァルト!』でヴォルフガングの父親を演じていた彼が、今年1月に幕を開けたこの作品に主演すると聞き、それが観るきっかけになったのですから、同じ俳優が続けて出演する宣伝効果は絶大なものです。

前置きが長くなりました。
20世紀初め、ロシアに住むユダヤ人の貧しい牛乳屋テヴィエ。彼と妻は5人の娘と平穏な日々を送っていました。
敬虔なユダヤの教えに基づいて生活する人々。冒頭のミュージカルナンバーで、「それが~しきたり、しきたりっ!」と、一見何の疑いもなく古くからのしきたりを重んじて老若男女が歌う場面があります。
テヴィエも妻も、しきたり通り仲人の仲介によって親の決めた相手と結婚式の当日に初めて対面したと言います。
しかし、長女のツァイテル(匠ひびき)に縁談がきたことから、この家族にも少しずつ変化が訪れます。ツァイテルには、相思相愛の貧しいけど誠実な意中の男性がいます。そして次女ホーデル(剱持たまき)にいたっては、革命運動で投獄された恋人パーチック(吉野圭吾)に会いに、旅立つ決意をします。三女のチャヴァ(安倍麻美)は、水と油のような関係のロシア人の青年と恋におちてしまい・・・親として、子として、どうすれば幸せな結論を出せるのでしょうか。

この作品が日本人に受け入れられる理由がわかるような気がしませんか?
日本人が古くは礼儀と伝統を重んじる生活をしていましたが、世代による考え方のギャップがあるところなど、この作品には現代の日本の社会において共感の得られる場面が多くあります。
テヴィエの決断は、新旧の世代が注目するところです。

テヴィエが危なっかしいことの例えとして「屋根の上でヴァイオリン弾くこと」を挙げるのですが、その屋根の上でヴァイオリンを弾く人物が、テヴィエの周囲に幻のごとく登場します。
テヴィエの心情を映す影ように存在する「ヴァイオリン弾き」。彼は一言も話さず、物語にからむことなく、テヴィエの目前で、時には屋根の上から見下ろしながら、事の成り行きを見守っています。
彼らが住むのはロシアの地。ユダヤ人迫害という危機が迫っている厳しい現実があります。

市村正親演じるテヴィエの独白の多い作品ですが、そこで観客を引き付けるのが彼の妙技です。
登場人物が浮かび上がるようなシンプルな舞台美術が美しかったです。

台本・ジョセフ・スタイン、演出・寺崎秀臣、装置・田中直樹
(日生劇場にて)

☆ロンドンやブロードウェイ公演の作品も掲載。「ミュージカル作品ガイド100選」成美堂出版
一冊でわかるミュージカル作品ガイド100選

『間違いの喜劇』(2/3-2/19)
ゆったり過ごした一日でした。
開演一時間に与野本町駅に到着。そのまま、彩の国さいたま芸術劇場へ向かうと、開演の30分前から『間違いの喜劇』プレコンサートと銘打って、地下の吹き抜け広場でバロックヴァイオリン、オーボエ、パイプオルガンの音色のピアノによる演奏が行われていました。
中世の音楽を聞きながら、オープンカフェで軽く食事をしていると、開演15分前になりました。劇場内のロビーでも太鼓と笛の演奏が始まったようです。
客席へ向かうと・・・舞台いっぱいに鏡のように場内の光を反射する壁が目に入ります。開演すると照明によって、壁にはいくつもの大理石を模した像が浮かび上がってきます。そしていよいよ役者の登場。男性が女性の役も演じると聞いていました。女性を演じる役者はドレスを着ての登場です。輝くばかりの美しさ。役者のお披露目がひととおり済んだところで、芝居が始まりました。

言わずと知れたシェイクスピアの作品です。
幼い頃に船が難破して、それぞれの親と別れてしまった双子の兄弟、そしてその家臣、彼らもそれぞれ兄、弟と別れてしまいますが、兄が成長して生き別れた弟を探しに度に出たのが「間違い」の始まりです。
アンティフィラス(弟)と家臣のドローミオ(弟)がたどり着いたのは、彼らの兄の住む街だったのです。だから彼らにとっては知らない土地でも、周囲が彼らを知っている。妖精の国に迷い込んだのではないかと彼らが不思議に思うその設定も面白いのですが、その双子を同じ役者が演じているところに、また想像を絶する楽しさがあります。アンティフィラスの小栗旬とドローミオの高橋洋は舞台に出ずっぱりでいて、アンティフィラス兄とドローミオ弟の組み合わせで登場したりし、またその逆の組み合わせがあっても、その違いが観客にわかるところが芝居のマジックとも言えるでしょう。
男性が女性を演じる演出も大変興味深いものです。女性が客観的にみて女性だと思える特徴をよく捕らえているのです。美しさにおいても同様に、こうありたいという願望を見事に表現されているのですから・・・
(姉妹役、エイドリアーナの内田滋と、その妹ルシアーナの月川悠貴。二人ともこの作品に欠かせない役者ではないでしょうか。その存在と美貌に説得力があります。)
歌舞伎で役者の視線や指先の仕草に女性の美しさを見たりするような、観客の信じる力も舞台と一体となってこの瞬間に存在しています。

兄弟同時の登場に、またまた演出の仕掛けが。
高橋洋が役者としての引き出しをこんなに持っていたことに驚きました。そして、申し訳ないことに期待していなかった小栗旬に、どれだけ観客が心を奪われたことでしょう。帰りにしっかり次回出演作品『タイタス・アンドロニカス』のチケットを握りしめていました。期待の役者が一人増えた喜びと一緒に。
この後、大阪、福岡、名古屋で上演されます。

作・W・シェイクスピア、翻訳・松岡和子、美術・中越 司、照明・原田 保

(彩の国さいたま芸術劇場 大ホールにて)

☆白水社『間違いの喜劇』著者・ウィリアム・シェークスピア、訳・小田島雄志

『おたふく』(2/17-26)
演劇倶楽部「座」の詠み芝居11作目が、山本周五郎原作の『おたふく』です。
チラシには、~文学を 見る、聴く、感じる 「詠み芝居」~とあります。
詠み芝居とは、舞台に朗読の読み手と、演じ手が存在し、概ね芝居の形式で上演されるのですが、事の詳細が読まれ、台詞の部分を役者が話す、というような形式で円滑に進行していきます。
詠み手も衣装をつけて舞台に存在しますが、決して演じ手と絡むことはありません。

『おたふく』は、’おしず’と’おたか’という姉妹の物語。この舞台は、山本周五郎の作品「おたふく物語」(「妹の縁談」「湯治」「おたふく」から構成)三部全ての上演です。
年老いた両親を顧みない兄のため、姉妹は両親の面倒をみているうちに、結婚を諦めるようになっていました。しかし器量良しで気立ての良い二人を世間は放っておきません。姉のおしずとしては、まず妹を嫁がせたいという想いがあります。しっかり者の妹のおたかは、共に苦労をしてきた姉を心から気にかけています。いよいよ妹の婚礼の日が近くなったという頃、家を出てはお金を無心しにふらりとやってくる兄が帰ってきました。おしずは、いい加減に自分勝手な兄と縁を切ろうと覚悟を決め、短刀を片手に兄にそれを告げるのですが・・・。

山本周五郎の原作を読みましたが、読みながら思い描いた情景が、舞台の上にありました。
詠むのは、壌晴彦。艶のあるはっきりした声で観客を魅了します。
自分のことは、のろまでおたふくだと卑下しても、他人のことは褒めるように話す、邪気のない‘おしず’に上原まりが扮し、好演しています。妹‘おたか’(金子あい)が、終盤に姉の想いを彫金師の貞二郎に告げる場面は、原作を読んでいても目頭が熱くなりましたが、おたかの姉への想いが丁寧に描かれていたので、見ごたえのある場面となりました。

場面転換ごとに横笛が奏でられます。特にメロディがあるわけではありませんが、張りのある音色が心に染みます。演奏は鳳声喜三雄。この「座」の公演ではいつも一流の日本の伝統芸能を耳にすることができます。

構成・演出・壌 晴彦、音楽・演奏・鳳声喜三雄

(シアターVアカサカにて)

☆「山本周五郎中短篇秀作選集(2)」おたふく/妹の縁談/湯治 を収録(小学館)
山本周五郎中短篇秀作選集(2)

『死んだ女』(2/16-3/5)
文学座アトリエ公演で、30代の等身大の男女の微妙な関係を描いた『中二階な人々』(2004年4月)の作家・阿藤智恵の新作書き下ろし作品。
演じるのはHappy Hunting Ground(略してH.H.G)。今では知る人ぞ知る文学座若手有志によるユニットです。
最近は準座員の演出家による演出もありますが、大体が演出家をつけず、役者たちが作り上げていくそうです。
この作品も、チラシのどこを探しても、演出家の名前は見当たりません。
それなりに彼らの工夫が見られる、アトリエ公演よりも、もっと芝居を身近に感じられる、客席数が80にも満たない贅沢な空間での上演です。

本日はプレビュー公演。彼らの緊張と模索している感じが客席にも伝わってくるようでした。ストーリーをお伝えすると、ネタバレになってしまいますので・・・。

男性の登場人物だけの『死んだ女』とは対照的に、『セゾン・ド・メゾン~メゾン・ド・セゾン』は、女性だけの登場となります。
交互に上演されるので、日程はこちらのサイスタジオのページでご確認ください。

2作品を観る方は、通し券料金や半券の提示で割引がありますよ。

(サイスタジオコモネBスタジオにて)

二月大歌舞伎 夜の部(2/2-26)
夜の部の演目は『梶原平三誉石切』『京鹿子娘二人道成寺』『人情噺小判一両』。

『京鹿子娘二人道成寺』-道行より鐘入りまで-は、玉三郎と菊之助が白拍子となって舞を踊ります。有名なこの物語。蛇体となって道成寺の鐘に巻きついたまま焼き殺された清姫の亡魂が白拍子の花子の姿となって、再興された道成寺の鐘を目当てに姿を現すのです。
踊りながらの衣装の早替わりも見せ場ですが、胸に鼓を携えて叩きながら舞う姿、そして何より二人ともが清姫一人の怨念の姿なので、ぴったりと息の合った踊りであるところが美しいのです。
平成16年1月に玉三郎と菊之助によって上演され、大変評判が良かったため再演となりました。
筋書きの解説によると、二人の花子は陰と陽の関係を表すのだそうです。玉三郎は清姫の妖艶な美しさをその佇まいだけで感じさせ、一方菊之助は初々しい娘らしさを表現して、一人の女性が持つ二面性をそれぞれの特徴を持って見せてくれます。
玉三郎は、花子がだんだん正体を現していくにつれ、目に力を帯びてきます。その物言わぬ演技は観客を魅了します。
菊之助の女方としての演技の力量に魅力を感じているので、玉三郎という大先輩のもとで、時間をかけて大きく花開いて欲しいと思います。

『人情噺小判一両』(作・演出・宇野信夫)は、菊五郎の芝居をじっくりと見せてくれる話です。
「侍同士、情けをかけぬのがかえって情け」の言葉の意味を説いた物語。
いたいけな小市を演じる子役の芝居が感動を呼びます。小市役は市川男女蔵の長男、市川男寅。市川左團次の孫だそうです。

(歌舞伎座にて)
『労働者M』(2/5-28)
イラストの入ったチラシを見て、共産圏の労働者の印象がありました。
舞台のスクリーンに映し出される文字から、それをねらっていたことがわかります。
シアターコクーンでケラリーノ・サンドロヴィッチの演出作品は、『カメレオンズ・リップ』を観たことがありましたが、今回は作風がかなり違います。時代も場所も特定されていない今回の作品のほうが、どんどん引き込まれる感じがありました。上演時間は休憩を入れて3時間半と、また長いのですが・・・長さを感じさせませんでした。

取り上げられているテーマは、「生」「死」が根底にあります。志しのあった頃の自分が「生」だと感じることもあるでしょう。
時折、時代が特定されない管理、階級のある収容所の世界と、現代の日本のある日常の職場とが交錯します。
前者の人々を見て、制圧された中では生きることが当たり前に尊いことだと皆が自覚していることを知り、そして後者、現代の世界では、怠惰な自由、蒸発、簡単に人を追い詰め、追い詰められた側は死を選択・・・自由であればあるほど、人は自分をコントロールできなくなっているように見えます。
目まぐるしく場面は変わりますが、その中で観る人それぞれのテーマがきっと見つかることでしょう。

女優陣が秀逸。久しぶりに舞台で小泉今日子を観ました。『紙のドレスを燃やす夜─香港大夜総会─』(1997年・地球ゴージャス主催)以来でしたが、深みのある女優に成長しました。秋山奈津子の間が最高!明星真由美の登場も嬉しいです。
彼女たちを相手に堤真一の受けの芝居に、彼のセンスを感じます。

場内は立ち見席まで満員。観た人の評判が観客を呼んでいるのかもしれません。視覚的にも新たな試みが面白い作品です。
それにしても、あの○○人は何だろう・・・?

作・演出・ケラリーノ・サンドロヴィッチ、美術・中越 司

(シアターコクーンにて)
『フクロウの賭け』(2/9-19)
昨年の世田谷パブリックシアター★ドラマリーディング25で、同作品の中盤までが、出演俳優によって語られました。
その時にも書いたのですが、「現実に起きたのか起こらなかったのか判らない殺人事件」を通して、現在東京に生きる人々の心の闇、痛みを描く<神なき国の夜>シリーズ三部作の第ニ弾が、この『フクロウの賭け』なのです。
殺人事件・・・被害者の家族、加害者にも家族がいます。描かれているのは、その両者の苦悩だけではなく、直面して初めてわかる法律による矛盾、残された側の心の傷、償い、そして「赦し」とは・・・。

登場する8mmフィルムの存在が、過去の「時」を明確にする一方、フクロウを扱う鳥屋の存在、そこだけ時が留まっているようにみえます。

本日はプレビュー公演のため多くは語りませんが、怪しいけれど憎めない男を手塚とおるが好演(怪演!?)。そして日常の世界を感じさせてくれるのは、愛すべき(と、私は感じます)鳥の餌屋の飯尾和樹。彼らの存在が、対照的です。

ドラマリーディングと本公演。これは作家にとって、大きな挑戦ではないでしょうか。
リーディングは途中までで、盛り上がり謎を残して終わりです。本公演の結末で「な~んだ」ということでは観客がついて来ないのですから。
シリーズ最終話も期待しています。

作・演出・川村 毅、美術・島 次郎、照明・キムヨンス

(シアタートラムにて)
『ホテル・ルワンダ』
ルワンダ・・・中央アフリカの小さな国。
1994年、民族間の対立で、大量虐殺が行われた年。

史実に基づいた話ということですが、最初に知人からこの映画のことを聞いた時は、その事実が信じられませんでした。
ルワンダの、ある四つ星ホテル。
このホテルの支配人が、虐殺を逃れてきた民族の人々をホテルに1200人も匿ったというのです。

なぜこんなことが起きたのか。その疑問を象徴するようなエピソードがあります。
ホテルに居合わせた海外のジャーナリストが、二つの民族の違いを外見から探そうとします。しかし、同じ言語を話し、同じ土地に住んできた彼らは、並んでいる二人を見比べても民族的な区別がつかずに、首をかしげます。
何をもって差別し、されるのでしょうか。
そして、助けを求めているこの国に、世界は何をしたのでしょう。

映像で悲惨さを伝えていますが、多くの観客に見せることを目的としたのか、直接的にショックな場面は控えられています。
観る者の想像力で、その悲惨な状況について考えざるを得ないのです。
しかし、この映画はどちらか一方の側の視点で描かれているということも忘れてはなりません。

上映される劇場はこちら

☆フィリップ・ゴーレイヴィッチ著「ジェノサイドの丘」
『ホテル・ルワンダ』のポールの話は上巻。
ジェノサイドの丘(上)

ジェノサイドの丘(下)




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