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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
文学座『湖のまるい星』(1/26-2/5)
作・鈴江俊郎の作品です。
鈴江作品は、かれこれ10年前に、『髪をかきあげる』(演出・高瀬久男)を文学座アトリエで観て以来、気になる作家でした。そして同じく文学座アトリエで『王様は白く思想する』(演出・鵜澤秀行)、研究所卒業公演『みどりの星の落ちる先』(演出・藤原新平)を観ることにつながりましたが、一見日常でいて、深く心をえぐられ、そしてまた何かで埋められていくような感覚をいつも覚えるのです。

今回の作品の舞台は、閑静な村にある湖の近くのペンション。
脱サラしたオーナー夫婦と、その部下だった青年、その家の娘が切り盛りしています。
お盆の頃、真夏の宿泊客は、合宿している剣道部員、結婚を控えた娘と母、作品作りにこもっている時代物作家と彼を担当している出版社の編集部員、中年の兄妹。
あまりにも話題の無い村なので、オーナー夫婦は村興しになりそうな伝説はないか、ないならいっそ作ろうか、などと思案を巡らす中、自殺の名所にでもなったら客足が遠のくだの、いやそれを目玉にしようなど、悩みの種は尽きません。

人はなぜ、何をきっかけに死のうと思うのか、友達同志なぜ一緒に死ねるのか、という心理もチラリと見せる状況に、また深く心をえぐられてしまいました。
一番気になったのは、日常では気のない素振りの母娘の関係。娘が一番愛されたかったのは母親だとすがりついても、母としては今さらどう接すればいいのかさらりとしたもの。本当に人情に流されないシビアな作家だなぁと感じます。

いつも人との関わりを、自然にそして丁寧に描いていると感じさせる藤原新平の演出が、鈴江俊郎の描く世界を身近に見せてくれます。
そして、湖と夜空の星と山々を背景とした美しい舞台美術に、劇場へ入ってすぐに目を奪われることでしょう。

作・鈴江俊郎、演出・藤原新平、美術・奥村泰彦、照明・古川幸夫、音楽・上田 亨

(紀伊国屋サザンシアターにて)

☆『髪をかきあげる』の台本は、公演中ロビーで購入できます。
(八時半通信別冊LEAF vol.1に収録)

※文学座にチラシ画像掲載の許可を得ておりますので、画像の転載はしないでください。
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初春大歌舞伎 夜の部(1/2-26)
新年早々歌舞伎を観て、三ケ所目は歌舞伎座です。
231年ぶりに坂田藤十郎が復活する、京都南座から引き続いての襲名披露公演となりました。
夜の部の演目は、『藤十郎の恋』『坂田藤十郎襲名披露 口上』『伽羅先代萩』『上 島の千歳/下 関三奴』です。

『藤十郎の恋』で藤十郎に扮するのは、初役の中村扇雀。きりりとした人気役者を色気たっぷりに演じていました。
扇雀は昨年の『桜姫』での口うるさい女方の局が弥十郎との掛け合いで印象深く、その後『京人形』での美しい娘の人形など、女方ばかり観てきました。それなので、私が初めて目にした扇雀の立ち役はとても新鮮でした。男を演じていて色気が漂う様に、歌舞伎役者が女方と立ち役、両方を演じる意図を垣間見たような気がします。役を演じること、すなわち経験=修行のひとつであることを痛感しました。

『伽羅先代萩』では、足利鶴千代(鶴松)という跡継ぎを守る乳人の政岡(藤十郎)、ご学友にあたる政岡の息子の千松(虎之助)三人の微笑ましい場面から始まります。
しかし厳しい状況。鶴千代の食事には毒が盛られているかもしれず、政岡の作ったものしか食してはいけないと、彼らは教えられています。そして政岡が子供たちのために自ら舞台でご飯を炊く場面は、「政岡の飯炊き(ままだき)」と言われる有名な場面だそうです。
実は千松は、毒味役なので、政岡も「毒がはいっているかもしれないから、食べるなと言う一方で、いざという場合は若君鶴千代の身代わりに食べなくてはいけない」言いつけている、侍の家に生まれた宿命を嘆く心情。
子役の二人が立派に凛々しく役を勤め上げるので、その後にやってくる政岡の懸念していた展開は、涙を誘います。
鶴松と虎之助は、まだ小学生。これから先もずっと、歌舞伎役者として舞台で芸に励むことでしょう。観客として、彼らの役者としての成長を見守る機会を得られたことを、とても嬉しく思います。

(歌舞伎座にて)
文学座アトリエ公演公開シンポジウム(1/23)
今年度、文学座はアトリエ全公演を、新作書き下ろしの作品で上演します。
<現代演劇、その地平に見えるもの・・・現代演劇、その可能性、その手法について>と題した、作品を書き下ろす作家と文学座演出家との、対談形式のシンポジウムが、文学座アトリエで行われました。
壇上には、3月上演『エスペラント~教師たちの修学旅行の夜~』の作家・青木豪&演出・坂口芳貞、6月上演『オトコとおとこ』(仮題)の作家・川村毅&演出・高橋正徳、12月上演(題未定)の作家・松田正隆&演出・高瀬久男の3組が、高瀬氏の進行で、作品の概要や意図についてそれぞれ語ってくれました。

それぞれ作家が題材にするのは、興味のあることであったり、自身の親をモデルにしていたり、故郷を舞台にするものであったり、思い入れたっぷりの作品となるようです。
6月上演のコンビは、40代の作家と20代の演出家。異なる世代の視点で描かれる世界に、今から興味を覚えました。

一日限りの無料のイベントは、大盛況。
出版社関係、翻訳家、評論家、一般の観客、もちろん文学座の俳優まで集い、アトリエ公演に対する期待と注目度は計り知れません。
えびす組のビアトリスと、次にバトンを渡したベルさんの姿も、会場にありました。

(文学座アトリエにて)

『And so there Were None』(1/20-22)
知人に誘われて、南阿佐ケ谷に近いビルの地下の劇場THE THEATER かもめ座へ行きました。
会場内は、5、60席ほどの客席、その向こうには赤いテーブルクロスがかけられた長テーブル、その上には円形に並べられた木彫りの人形が10個置かれ、そこだけ照明が当てられていました。
劇団ダイヤモンド第一回公演は、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を原案として、脚本・演出を石川満が手掛けた芝居です。
配布された案内でキャストを見ると、日本人の役名と職業が書かれていました。

開演して、例の招かれた10名の罪状を読み上げるテープが流れます。そしてすぐに第一の死人が。
この作品の面白いところは、次々と死人が幽霊となり、生存者たちとは別な角度で真犯人を探そうとするところ。
幽霊ならお見通し、となりそうでならない物語の運びには感心しました。
生存者が、そして誰もいなくなった、その時、逆にまた集結した10人の幽霊たちの世界で何かが起こりそうな予感を暗示しての最後に、観客も拍手喝采です。

登場人物で印象に残るのは、自分が妹の自殺の原因を作ってしまったと苦悩し、恐怖から身を守るべく相手を刺してしまう複雑な感情を持った女性の教師・名波(小林千佳)、緊迫した彼女の視線から最後まで目を離せませんでした。

全体的に、登場人物の立ち位置、配置の構成は、そこだけ見ても興味深い。
小さな劇場から発せられた想いのこもったエネルギーをキャッチした、という満足感が観客にもあります。そんな後味の良い作品でした。

(ART THEATERかもめ座にて)
イメージバトン
えびす組の同僚(?)「因幡屋ぶろぐ」のビアトリスこと因幡屋さんから、イメージバトンが渡されました。
早速ですが、バトンの内容です。

Q1生まれ変われるなら?
 ↑
(この質問、演劇とどういう関係があるのかわかりませんが)
現在の記憶を持ったままなら、もう一度自分自身。小さい頃からやっていたことを、ずっと続けていたいです。

Q2-1自分のブログにキャッチコピーを付けてください

「こんな舞台もありますよ!」

作り手が一生懸命に生み出した作品、多くの方に知って欲しくて書き始めました。

Q2-2自分のブログのセールスポイントは?

「作品紹介」ということに努めています。
ライブ(生)の空気が好きなので、演劇だけでなく、いろいろ紹介していきたいです。
それぞれみなさんが自分で観て、空気を感じて欲しいです。

Q3バトンをくれた人のイメージ

お互いにえびす組のメンバーですが、同じ作品を観ても、感じ方が違います。だから共に発信する意味があると感じさせてくれる、頼もしい人物です。

Q4次にバトンを回す人

文学座大好き」のベルさん。
文学座以外の作品もたくさんご覧になっているので、楽しみにしてください。

本当はもうお一人紹介したいのですが、また機会がありましたら・・・

『スタッフ・ハプンズ』(1/14-25)
燐光群によるデイヴィッド・ヘアー新作連続上演のvol.2。
vol.1は、11月に上演された『パーマネント・ウェイ』です。

今回は「イラク戦争は、なぜ起きたか」をテーマとして「大義なき開戦の裏面を明らかにするポリティカル・フィクション」(チラシより)です。
チラシをご覧になりましたか?ブッシュ大統領、ライス国務長官、パウエル前国務長官、ブレア首相・・・などなど、有名な政治家の似顔絵が印象的です。
作家のデイヴィッド・ヘアーはイギリス人。「イギリスの視点」で書かれた作品は、例えばブッシュとブレアの登場では、会見後に自国でアメリカの発言の真意に悩むブレアの独白が多く描かれています。
そして、アメリカ国内では国務長官の置かれる立場の微妙な関係など、「9.11」後、各国が動向を見守る中、ニュースとして見て、聞いた彼らの発言が物語を紡いでいきます。

とにかく、ザ・スズナリという空間で、怒涛のように2時間半を休憩なしで語り続ける登場人物たちに接して欲しいものです。現役の各国の政治家たちの言動は、あまりに有名なので、おかしなことに身近にさえ感じられてきます。

上演前に、主に事実を記載した解説書を手渡してくれるので、どんな人がいつ何を言って世の中に波紋が広がったのか、自分なりに考えることができます。
最後にラムズフェルド米国務長官のイラク戦争に関するコメント、「スタッフ・ハプンズ"STUFF HAPPENS"」(ろくでもないことは、起きるものだ)が発せられます。
私たちはその延長にいるのです。

この後、名古屋(七ツ寺共同スタジオ 1/27-30)、大阪(ウィングフィールド 2/2-6)へ場所を移して上演されます。

作・デイヴィッド・ヘアー、訳・常田景子、演出・坂手洋二

(下北沢ザ・スズナリにて)
『鹿鳴館』(1/14-4/23)
三島由紀夫作の『鹿鳴館』の舞台を観るのは二度目です。
前回は、影山伯爵を平幹二郎、影山夫人の朝子を佐久間良子、清原永之輔を近藤正臣で観て、表面には出さない秘めた感情を持った大人の会話を、存分に堪能した作品です。

新潮文庫の『鹿鳴館』を開くと、そこには「悲劇四幕」と書かれています。
シェイクスピアの悲劇のように、最初から悲劇的な事件が起きるのではなく、人々の感情が伏線となり、それが最終幕で一気に爆発する、そんなドラマチックな魅力ある作品です。
今回は劇団四季による上演。
まず、目に留まるのが、日本庭園の舞台美術。人物がそこに登場すると、絵画のような完成度を感じます。時折、人物が飲み込まれてその存在が薄れて見えると感じることもある、不思議な空間です。

休憩後に幕が開くと、そこには鹿鳴館の舞踊場へとつづく階段と廊下が横長に作られています。中央に向かって少しVの字に角度をつけて、階下へと続く階段とともに奥行きをとったその舞台は、初めて目にする舞台装置でもありました。
そこに人物が登場すると、ものすごい遠近感があります。この舞台美術は圧巻です。
そこで人間模様を繰り広げるキャストは、影山伯爵を日下武史、朝子を野村玲子、清原は広瀬明雄。
三島作品を手がける演出家・浅利慶太の想いでしょうか、カーテンコールで三島の写真を見上げる出演者たち。それは観客としては、不思議な光景を目にした、という印象でした。

作・三島由紀夫、演出・浅利慶太、装置・土屋茂明、照明・吉井澄雄、衣裳・森英恵、音楽・林 光

(劇団四季自由劇場にて)

☆新潮文庫『鹿鳴館
『サムワン』(1/12-22)
ウーマンズ・ビューシリーズ~ディレクターズ アイ~最終の三作目は、松本祐子の演出です。
レバノンで拉致された三人の民間人。アメリカ人の医師、アダム(高橋和也)、アイルランド人のジャーナリスト、エドワード(千葉哲也)、イギリス人の古典英語の教師、マイケル(大石継太)。
彼等は鎖につながれ、トイレは監視付き、食べ物と水は毎日与えられるものの、外の様子を知る手段はありません。しかし、いつまでここにいるのか、命の保証はあるのか、彼等三人の間では、そういうことはあまり話題になりません。そういう極限の状態で、彼等がどういう行動をとるのか、私たちは息を殺して見守ります。
この作品は、1980年代レバノンの過激派によって引き起こされた史実をもとに描かれたそうです。(チラシ紹介文より)
ある日、そのうちの一人が殺されたら、また、二人のうち一人が解放され、自分は残された方だったとしたら・・・
同様の事件はニュースで耳にしていても、目の前で、芝居とはいえ、このような状況を見せつけられて、観客はそれぞれ何を思うのでしょうか。

以前、文学座で松本祐子演出の『ホームバディ/カブール』を観ました。タリバン政権下のカブールで、あるイギリス人女性が行方不明になり、その夫と娘が彼女の人生ごと足跡をたどっていくのです。
その時は、えびす組劇場見聞録で、遠い国での出来事に無関心であったことに対して、「無関心という罪悪」というサブタイトルで観劇録を書きました。
しかし、この数年の間に、日本人にとって海外で『サムワン』のような事件でさえ無関係ではなくなっています。
この作品は、上演時間2時間あまり。シンプルな台詞、ストーリー展開ですが、私たち観客がその状況を想像して考えることが大切だと思いました。

入場時に配布される『サムワン』用語解説。劇中に出てくる用語が解説してあるので、芝居を観る前に目を通しておくことをお勧めします。

作・フランク・マクギネス 訳・常田景子 演出・松本祐子

(俳優座劇場にて)
『ベガーズ・オペラ』(1/8-31)
東宝ミュージカル『マリー・アントワネット』の製作発表会で聴いた笹本玲奈の、貧困の中でしたたかに必死に生きようとするマルグリット・アルノー役の歌声が印象的でした。
その彼女が、『ベガーズ・オペラ』(乞食オペラ)で、浮気者キャプテン・マクヒース(内野聖陽)の妻だと思っている活発な娘ポリーを、これもまた、ある意味したたかな少女として好演しています。
この『ベガーズ・オペラ』は、乞食のトム(橋本さとし)が一夜だけ劇場で仲間の乞食たちとオペラを上演する機会を得たという設定です。だから、ポリーを演じるのは乞食の少女マーガレットだったり、マクヒースを演じるのも乞食のマッコリだったり・・・幕が終わるごとに、登場人物が観客の喝采に応えようと、満面の笑みで客席に挨拶しています。
衛生状態も悪く、ろくな食べ物もないところでは、生き抜くために人々は必死だったでしょう。ポリーの母を演じるモリー役の森公美子が、18世紀のイギリスで生きる下層の人々について、プログラムにこう書いていました。「ただ必死に生きるだけ。だから、希望が打ち砕かれて自ら死を選ぶこともない。」と。
そんな乞食たちのオペラは、生命力が溢れています。

さて、オペラの物語ですが、マクヒースの子供を宿している牢番の娘ルーシー(島田歌穂)とポリーがライバル意識を剥き出しにした掛け合いで歌う場面は、楽しく、二人とも表現力豊かに歌い上げるので、個人的には一番好きな場面です。
マクヒース役の内野は、朗々と歌い上げる場面よりも、独特の色気と演技の光る彼のこと、物語の進行上でセリフのように歌う場面は、彼の持ち味が良く出ていて痛快です。二枚目よりも、情けない男を演じる内野の方が、役者として面白味がありますね。

演出のジョン・ケアードの希望で、舞台は三方から観客が取り囲むように作られています。乞食一座の出し物としてのステージの大きさには、ちょうど良いのでしょう。
ただ、ステージのサイドの観客に登場人物が絡んだりする様子は、まだまだお互いにぎこちない部分もあり、観ていてこちらが恥ずかしくなることも。逆に近くに観客がいながら、登場人物だけで盛り上がる様子にも、慣れない演出に気が散ってしまいました。
こういう作られたドキドキ、ハラハラ感を味わっていることが、実はまんまと演出に乗せられてしまっているのかもしれません。
そういう意味では、イギリスの作品をその国の演出家が演出するというのも新鮮です。
そして劇場に行ったら、是非プログラムを覗いてみてください。作品の時代は18世紀のイギリス。各俳優が、その時代の婚姻やら食べ物やら風俗やら、作品の背景を知るために独自の視点で調べ上げた事柄が簡潔に書かれています。読んでから観ても面白いと思います。

演出・脚色 ジョン・ケアード、原作 ジョン・ゲイ、音楽 イローナ・セカッチ

(日生劇場にて)
新春浅草歌舞伎 第二部(1/2-26)
初めての、浅草歌舞伎です。
場所は、雷門から店のある通りの中ほど左側にある浅草公会堂。
新年なので、少し早めに浅草に着いて、浅草寺をお参りしてから行きました。焼きたての人形焼きも持参して。
最近は、劇場入りする前の心構えというか、作品を観る前の雰囲気作りを大切に思うようになりました。

さて、新春浅草歌舞伎ですが、新年は「お年玉」と称して、出演する役者が日替わりで一人新年の挨拶をしてくれます。この日は市川男女蔵でした。
その他にも面白い趣向があります。同一演目をWキャストで、というのが恒例だそうですが、今回は少々趣が異なり、第一部(11時開演)と第二部(15時半開演)で、『仮名手本忠臣蔵』の勘平とその妻おかるを、中村勘太郎と七之助の兄弟が、部ごとに役替わりで演じています。つまり、一部では勘平を七之助、おかるを勘太郎が、二部では勘平を勘太郎、おかるを七之助というように。
千崎弥五郎(亀治郎/亀鶴)、山賊の斧定九郎(亀鶴/獅童)も同様です。

勘平を勘太郎で観ました。勘平は、以前仕えていた主人の仇討ちに参加したいという願いを持っています。そんな折、誤って猟の最中に撃ち殺してしまった人から、偶然に見つけた財布を天の恵みと抜き取り、その金を仇討ちの資金集めをしている弥五郎に届けるのでした。
それにしても、この時代の侍の家族は、想像を越えています。義父は勘平のためのお金を工面するのに、娘のおかるを廓に売ってしまいます。もちろん本人も母も承知の上。
そうこうするうちに、勘平が撃った人物が誰だったか、その真相が悲劇へと展開して行くのですが、勘平の心情の変化を、時には情けなく、そして不気味に、置かれた状況の中で翻弄されて行く様を、勘太郎は観ていて鳥肌が立つほどの気迫で演じていました。
昨年三月に、勘三郎の襲名披露公演で勘太郎の芝居を観てからというもの、彼は作品ごとに目覚ましい成長を遂げています。

そして、イヤホンガイドで「究極の悪役」と言われていた定九郎役の獅童、少しの出番ですが、悪の色気を観客に印象づける芝居を見せてくれました。
登場人物は多くないのですが、どの役者も舞台の上の演技が光ります。

『蜘蛛絲梓弦』(くものいとあずさのゆみはり)では、踊りに定評のある亀治郎が、六変化の早替わりを見せてくれますが、瞬時に老若男女を演じ分ける素晴らしさを堪能しました。

この日は入り口で、えびす組のビアトリスに遭遇。偶然にも席が近く、新年に劇場での出会いを喜びました。えびす組には歌舞伎好きが多いです。
ここ浅草公会堂は、観劇後も周囲の店で食事や甘味をいただきながら、舞台の話をして余韻を楽しめるところです。

(浅草公会堂にて)