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kangekinocafe

Author:kangekinocafe
観劇の記録と紹介です。

えびす組劇場見聞録メンバーです。
しばらくblogはお休みしていましたが、【演劇、観劇のカフェ】blogからこちらに引っ越して来ました。
どうぞよろしく。

観劇のカフェ
出会った作品について語ります。関連書籍や音楽も、できる限りご紹介します。
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10月に観たいもの
これからの作品紹介。
相変わらず9月も劇場通いが続きました。
さて、10月は・・・

◎9月9日-10月22日、蜷川演出『天保十二年のシェイクスピア』
開幕早々に観ましたが、今度はシェイクスピア作品のおさらいということで。
個人的に『オセロー』など読んだことがないので、予習してから臨みます。
作・井上ひさし、演出・蜷川幸雄、音楽・宇崎竜童

(シアターコクーンにて)
問い合せ先:Bunkamura

☆『天保十二年のシェイクスピア』を収録「井上ひさし全芝居(その2)」新潮社

◎10月6日-16日、『恋愛ホテル』
3組の世代の違うカップルが織り成す物語り。
終演後のトークショー、音楽を担当する中川晃教によるミニイベントなど(名古屋で『モーツァルト!』に出演中なのに!)、特別な日もあります。
脚本・寺田敏雄、演出・松本 健、音楽・テーマソング:“愛したあなた”中川晃教

(アートスフィアにて)
問い合せ先:ポイント東京

◎江守徹『羅生門』鎌倉薪能で聞く言の葉コンサート
屋外の舞台。前日まで、ここでは鎌倉薪能が行われています。
周囲の厳かさとどう融合するのか楽しみです。

(鎌倉宮にて)
問い合せ先:鎌倉観光協会

◎10月13-14日、日比谷シティ『夜能』
毎年恒例の、日比谷シティでの屋外能舞台で行われる狂言、能。
野村萬斎も出演するなど、見ごたえのある舞台。
場所がら、外国人のビジネスマンの観客も多いです。
狂言と能をまだ観たことがないのなら、ここから始めてはいかがでしょう。
雨天の場合は、日比谷公会堂で行われます。

(日比谷シティにて)
主催:(株)日比谷シティ 産経新聞社

◎10月14-16日、文学座有志『ヴォイツェック』
文学座有志による自主企画公演。チラシには、「23歳で夭折したゲオルグ・ビュヒナー(1813-1837)の未完の戯曲『ヴォイツェック』(中略)“悪魔の寓話”。」
未完の・・・とは?気になる作品。

原作・ケオルグ・ビュヒナー、翻訳・岩淵達治、演出・中野志朗
(サイスタジオコモネAスタジオにて)
問い合せ先:文学座企画事業部

◎10月6日-27日、歌舞伎『夢の仲蔵千本桜』
こちらも宣伝文句に惹かれた作品。
「演劇としての歌舞伎、劇的なる歌舞伎」
劇中に『義経千本桜』の名場面が登場するそうです。
松本幸四郎、市川染五郎 他。
日生劇場で歌舞伎を観るのは初めてです。
昨年の新感線のアオドクロでは、同劇場に花道ができていましたが、この作品ではどうなるのでしょう。

(日生劇場にて)
主催:松竹株式会社

◎10月12日-23日、『リバーダンス』
以前、国際フォーラムで観て、音楽の虜になりました。上演CDを買って、翌年にアイルランドを訪問するほどケルトの文化に惹かれました。
音楽や演出、そしてダンスが、今回も楽しみです。

(Bunkamuraオーチャードホールにて)
問い合せ先:H.I.P

芸術の秋、真っ盛りです。

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tpt『カルテット』(9/17-30)
ハイナー・ミュラーの作品です。
演劇の世界に足を踏み入れると、何故か周囲は、ハイナー・ミュラーについて当然のように語ることのできる人々ばかりなのに驚かされました。ブレヒトについても、同様のことが言えるようです。
tptでは、ハイナー・ミュラーのことをこう表現しています。「世紀末のブレヒトの後継者。現代演劇最大の変革者。破壊者。「演劇」と「現代」を根源から問い直した作家、演出家。」

さて、劇場内に入ると、まず、セットの壮大さに目を奪われます。神殿なのか、地の底なのか、真っ黒な岩で囲まれた様は、後者の方がふさわしいのかも知れません。
作品にはラクロの『危険な関係』の人物が登場します。舞台にはメルトイユ公爵夫人(大浦みずき)とヴァルモン子爵(千葉哲也)の二人だけ。他の登場人物は貴族の衣装をまとったマネキンで事足りてしまいます。
二人の会話は、時にはセリフが入れ替わり、女性がヴァルモンの言葉を語ることもありますが、これが同じ舞台において場面転換をしたような効果があり、その時その時の主題についての混乱を避けているように思いました。
互いにそれぞれの心情を告げることが、理解を深めているようでもあり、また、平行線をたどっているようにも感じられます。
ラクロの作品同様に、破滅へと物事が向かって行きます。私たちの世の中との関わりも「危険な関係」ということなのでしょうか。
二人の俳優の口調が、悲観的な内容に抑揚をつけて、作品を受け入れ易くしています。

作・ハイナー・ミュラー、演出・木内宏昌、台本・広田敦郎、美術・礒沼陽子

tpt『道成寺 一幕』をご覧になった方、半券でこの作品のチケットが割り引かれるそうです。「日本におけるドイツ年2005/2006」にちなんだ作品の上演は、来年も続きます。

(ベニサン・ピットにて)

☆著者・ハイナー・ミュラー「カルテット ミュラー・コンテンポラリー ハイナー・ミュラー・テクスト集」翻訳・岩淵達治、未来社

☆ご参考までに、作・ラクロ「危険な関係」角川文庫
危険な関係
『九月大歌舞伎』夜の部(9/2-26)
さて、この部の出し物は、『平家蟹』『勧進帳』『忠臣連理の鉢植』です。

『平家蟹』、白石加代子のナレーションで始まる壇の浦合戦後の様。平家蟹とは、壇の浦での平家滅亡の時以来、赤い蟹が出没するようになったことから、その蟹のことを人々はそう呼んでにいました。よく見ると甲羅が怒った顔のように見えるそうです。その後壇の浦では、生き残った官女たちが、若い者は遊女に、年老いた者はその日の暮らしに困るような生活で、源氏への恨みは募るばかり。
平家蟹に武将たちの名前をつけて話かけるほどの玉蟲(芝翫)が、妹の玉琴(魁春)が源氏方の那須与市の弟与五郎(橋之助)と恋仲であることを知り、二人の仲を反対し続けていたところ、ある日急に許すと言って二人を呼びだします。そしてついには、二人に呪いをかけた酒を飲ませて殺してしまいます。
その後、平家蟹が導く海へとついて行き、そのまま波に飲まれてしまいます。
歌舞伎というと、よくイヤホンガイドで「ここはお客様の想像力で・・・」と言われるように、背景も簡潔で二次元の世界というものが多いのですが、ここでは蟹の足がリアルに動く様、終わりの波の場面では、立体的に裁たれた布の海、そして波しぶきまで上がり、これがおどろおどろしい呪の場面をより現実的なものにしていました。たいてい客席は明るいのですが、手元の文字が見えないほどの暗い場内に、舞台だけが浮かび上がっている様は、一番恐いのは、おばけではなく生きている人間の怨念なのだと感じた作品です。
作・岡本綺堂、補綴・今井豊茂、演出・福田 逸、美術・高根宏浩、照明・池田智哉

『歌舞伎十八番の内 勧進帳』は、壇の浦での勝利の後、兄の頼朝に見放された義経が弁慶一行とともに都落ちをする途中の関所の、あの有名な場面です。
義経と見破られないよう、家来の弁慶の機転で、無事関所を通過したのだと思っていました。
ところがこの作品では、関守の富樫左衛門は二人の関係を見抜いた上で弁慶の心情をに心打たれて許可をしたのです。その後も情に厚い左衛門の行動に驚かされました。
有名な作品だけに、様々な角度から見た物語りがあると思います。長唄囃子の中での吉右衛門と福助の弁慶と義経、しっとりとした情感溢れる舞台となりました。

忠臣蔵外伝『忠臣連理の鉢植』、四十七士の一人のために、命を犠牲にして協力した女性の物語りです。この物語りの後、討ち入りが行われたという、忠臣蔵の外伝です。こういう「世話物」の方が、歌舞伎に馴染みやすいので、全幕はちょっと・・・という方は、一幕見席でご覧になってはいかがでしょう。

(歌舞伎座にて)
文学座『焼けた花園』(9/7-21)
最近、登場人物(=役者)に注意を引かれる作品が多い中、珍しく作品として捕らえられる舞台でした。

国境沿いの山岳地帯の花園の中にある一軒家、昔は税関があった建物を、ところどころセメントを塗って修繕した石造りの壁の家。近くで見ても、本当にリアルなセットが、アトリエの空間に存在します。
ところが、時代、場所は抽象的に表現されており、ここで一つ演出のトリックにはまってしまいました。
さて、物語りは、かつての国の指導者が、今は国境近くの僻地でひっそりと暮らしているのですが、敵対している丘の向こう側にある国と、和平交渉をして欲しいと、突然昔の政治家仲間が訪ねてきます。何故、いまさら自分なのか。そう懸念する彼を必死に説得するかつての仲間。それを冷ややかに見つめる彼の妻。

これは、観る者の考えや置かれている今の状況を映す、鏡のような作品です。
観ている時は結構冷静でしたが、観劇後に人と語る時、普段は自分でも気づかない物の見方にハッとしました。
世代によっても、感じ方が違うと思うので、是非、語れる誰かと一緒に観て欲しいと思います。

演出は、この作品でデビューの上村聡史。役者の舞台上の配置など、練りに練られた演出が伺えます。
演出家のデビュー作に出会うというのも、歴史の一ページ目に立ち会ったような、不思議な気持ちがします。

作・ウーゴ・ベッティ、訳・ 溝口廸夫、演出・上村聡史、美術・乗峯雅寛
(文学座アトリエにて)

蜷川演出『天保十二年のシェイクスピア』(9/9-10/22)
英文学に、そしてシェイクスピア作品に興味のある人にとっては、謎解きのような作品ではないでしょうか。
セリフにもありますが、全三十何作品かのハイライトシーン、またはセリフの一部が、この4時間に渡る大作にちりばめられているのです。
オープニングの歌だって面白い。(戯曲にちゃんと書いてあるのですが)もしもシェイクスピアがいなかったら、出版社は全集を出せなくて儲け損ない困っただろう♪トゥナーイト、トゥナーイト♪というヒット曲も生まれなかっただろう・・・と、いうように、文学、芸能、経済的にも多大な影響が及ぼされているというのです。
だから、これは作者(井上ひさし)が、シェイクスピアに敬意を払った作品に思えてなりません。

登場人物のネーミングにも注目してください。ああそうか、という名前もあるし、どうして?と思う名前まで(そう思うのは勉強不足なのでしょうか)、天保十二年の風物を背景に、様々な人物・事件が駆け抜けていきます。

同作品を劇団新感線で観たことがありますが、観る側も演る側も息をつく暇もないくらいテンポの早い舞台だったことが思い出されます。
見所は、顔も声もそっくりのお光とお幸が、互いを知る人物の前に、交互に登場するところ。(この場面は『間違いの喜劇』がベースでしょう)前回は沢口靖子、今回は篠原涼子が衣装も態度も早変わりするシーン、一糸乱れぬ変身に、演出の意気込みが感じられます。

昨日は青山、今日はコクーン、近くにはパルコ劇場もあるし、さながら有楽町に続けとばかりウェストエンドのような渋谷の賑わい。井上ひさしは、戯曲界のアンドリュー・ロイド・ウェバーというところでしょうか。日本の演劇も面白いです。

作・井上ひさし、演出・蜷川幸雄
(シアター・コクーンにて)

☆『天保十二年のシェイクスピア』を収録「井上ひさし全芝居(その2)」新潮社

☆井上ひさしの演劇エッセイ集「演劇ノート」白水Uブックス
演劇ノート
『吉原御免状』(9/7-10/5)
役者、堤真一の集大成のような舞台だと思いました。
始まって5分で、もう、彼の殺陣を見ることができ、その後は人物を演じ分ける器用さに興味を引かれました。
演じ分けと言えば、2月に狂気と正気の「将門」を演っていましたが、その比ではありません。

松永誠一郎(堤真一)、彼は宮本武蔵に拾われ、育てられ、その命により、吉原を訪ねます。山育ちの彼は、二人の太夫、勝山太夫(松雪泰子)と高尾太夫(京野ことみ)の美の魅力には見向きもしません。人々の心に触れて交流するその姿は、たちまち土地の者を魅了します。太夫たちも、純朴で正直な誠一郎の虜となります。
ある日、吉原を潰そうとする裏柳生の柳生義仙(古田新太)が、「神君御免状」を探して誠一郎に戦いを挑んで来ます。その共謀者は意外な人物であり、誠一郎は自分の出生の秘密を知ることになるのです。

さて、ここまでがストーリーの前半となります。
その後、吉原の里の歴史を知るために、誠一郎は八百比丘尼(高田聖子)の持つ力により、夢の中で他人の人生を生きます。この時のキャラクターは、男気のある、挑発的だけど里の者からは頼られる存在。誠一郎とは微妙に異なるキャラクターを、人物像をよく理解して演じているのがわかります。
そしてこの夢の中の2役が、誠一郎という人物を、よりわかりやすくしたように思います。

堤真一は、舞台の立ち姿の美しい役者です。初めて彼を舞台で見たのは、『横澤版ヴェニスの商人・おちも堕ちたり』(‘91)のアントーニオ役で。凜として舞台に立つ姿を見て、すっかり注目すべき存在となりました。
以来、舞台に立つ度に、観たいと思う役者です。
今回は大劇場ながら、物静かな中に、小さな感情の変化を感じさせる芝居を見せてくれました。
これからも、舞台の上で役に応えてくれることを、大いに期待しています。

原作・隆 慶一郎、脚色・中島かずき、演出・いのうえひでのり
(青山劇場にて)

☆原作本、作・隆 慶一郎『吉原御免状』新潮文庫
『ウィンズロウ・ボーイ』(9/7-18)
自転車キンクリートSTORE「ラティガンまつり」3作品連続公演のうちの1作目。
演出・坂手洋二、に惹かれて観た作品です。
燐光群での、事実と真っ向から向き合う作と演出は知っていたものの、翻訳劇の演出はどんなものになるのだろう。これが正直な動機です。

作・テレンス・ラティガン、訳・常田景子。
第一次大戦前のロンドン。信頼する息子の無実を証明するために、資財を投げ打って戦う、父親と家族の物語です。窃盗の容疑を晴らす、というより、やっていないという息子の主張を信じ、それを証明しようとする人々。彼らは、思わぬ大きな力と戦うことになります。
私はその行方を、見守るように観ていました。
だから、気持ちの高まりは、劇場内の空気を共有する者として、登場人物と一緒に感じていました。
舞台上には、玄関から続く客間のみ。そこで外部の様子が語られ、世間がどうなっているのか、私たちは知ることができます。
また、人物が登場する前に、たいていがその人物について特徴を話題にしてから出てくるので、個々の人物がとても覚え易く、また彼らの既成概念と、実際の人物の見解の相違など、心理的にもふくらみのある戯曲でした。

中でも、大鷹明良が演じる、少年を弁護するサー・ロバート・モートンは、あらゆる角度から人々に印象付けられる人物でした。力強い正義感溢れる役柄です。その誠実な役柄を理由づける芝居に感銘をうけました。
一幕最後の、無実を主張するロニー(渋谷圭祐)に、弁護を引き受けるかどうか決めるため、本人を追い詰めんばかりの質問をします。観客も含めて周囲の人々がロニーの返答に、無実か判断のつきかねる状況におかれたその時に発する一言。このサー・ロバートの「一言」が観客を引き付けます。

この作品は、事件で運命を左右されるロニーの姉キャサリン(馬渕英里何)の信念を貫く芯の強さ、信頼で結ばれる家族を支える父親(中島しゅう)、全てを受け入れる母親(中田喜子)、反抗心旺盛だったけど長男らしさを見せるディッキー(佐藤銀平)、明るくこの家族をサポートするメイド(田岡美也子)、そしてその家族とキャサリンを温かく見守るデズモンド(大石継太)、彼らの存在が魅力です。
そして、ロニー役の渋谷圭祐は、オーディションでこの役を得たということですが、素直で、当事者の方が周囲ほど事件を大事と思っていなかったりする普通の13~15歳の少年を役そのままに演じる姿に、笑わせられたり、胸を打たれたり・・・適役です。ロニー・ウィンズロウ、『ウィンズロウ・ボーイ』とは彼のこと。タイトル・ロールです。

俳優座劇場にて)
ミュージカル『エリザベート』2nd
知人に誘われて前方の席での観劇。
この日のトートは内野聖陽、フランツは鈴木綜馬、ルドルフに浦井健治。
アンサンブルの表情がよく見えたので、全体を興味深く見せてもらいました。

この舞台は、上演ごとに新しい発見を与えてくれます。
初演では、井上芳雄(ルドルフ)の登場。観劇仲間の間で、あれは誰だ、どういう経歴か、と評判だったことが思い出されます。

翌年は、オーストリア皇帝のハンガリー進出を拒む者の一員としての藤本隆宏。2001年の観劇録でも述べましたが、経歴を読み(彼がオリンピックに二度も出場していたことを知り、その目を引く演技力に驚きました)、異なる分野で晴れの舞台に何度も立つことのできる才能に目が離せない役者だと感じました。

昨年の公演では、歌唱力を格段に魅力あるものとして身につけた内野聖陽の登場に目を見張り、

今年は、藤本隆宏と同志を演じる野沢聡の活躍が印象に残ります。
野沢聡の舞台を、エリザベート前に観たことがあります。彼の経歴にあるように、文学座附属演劇研究所で学んでいた時代に、文学座の本公演『翔べない金糸雀の唄』に研究生ながら出演していました。今よりも線の細い印象でした。今年は『モーツァルト!』でも目を引く存在となっています。プログラムによると、来年はついにタイトルロールを演じる舞台があるということです。

さて、知人は、あのルドルフは誰だ!と言っています。昨年、山口トートの時にも同じ配役で観たのに、気付かなかった様子。今回の舞台では歌で魅了し、もの言う眼差しまで備えたルドルフ=浦井健治。パルコ劇場でのR&Jの舞台も印象に残ります。

これで、7月から楽しんだ私のオーストリアミュ一ジカルの夏が終わりました。

脚本・作詞・ミヒャエル・クンツェ、音楽・シルヴェスター・リーヴァイ
演出・訳詞・小池修一郎
(帝国劇場にて)

☆『エリザベート』ウィーン版CD
エリザベート2003年ウィーン公演(新品CD)

『夜の来訪者』(8/27-9/3)
作・J・B・プリーストリィ。原作では1912年春の指定があるそうですが、それを八木柊一郎が昭和15年頃の日本の春として脚本を書いたと、上演プログラムで知りました。作者の「身ぶりやロ調の様式が重要性を持つ」ことを追求し、作者のメッセージを熟慮した結果の設定ということでしょうか。
その時代の町の有力者の生活を、一部屋のセットだけで(美術・石井強司)伺い知ることができます。

ある晩、一人の警部が、警察にも力を持つ有力者の倉持家を訪れます。権力に屈しない様子のその警部は、ある女性が消毒剤を飲んで自殺した、その聞き込みのために来たのだと言います。折しも長女の婚約を祝っていた最中。外には満開の勝ち誇ったように咲いている桜。家族と婚約者は上機嫌でした。誰にも心当たりのない、その女性の自殺について、警部の影山は全員に関係があるといいます。
まずは父親から。被害者は、2年前に倉持の会社を解雇された社員だったことがわかりますが、そんな前のことと今日の自殺とどんな関係があるのか。家族全員が取り調べられる理由とは。

この作品の宣伝文句に、「人間の心理を深く突き」「社会派ミステリー」という文言がありました。まさにその通り。
個々の立場により加害者意識の異なる様、そして、影山のセリフに観客である我々も心理的に揺さぶられていることに気が付きました。
「人間は他の人間に責任がある」という影山の言葉どおり、他人のことに対して自分の都合だけで結論を出したり、無関心でいてはならないことを思い知らされます。

次第に誰が彼女にどんな影響を及ぼしたかがわかってきます。しかし、それだけが問題ではありませんでした。この芝居の結末が、再び人々に思い知らせてくれます。
一晩の出来事。満開の桜も、今となっては散り行くのをただ待っているだけのように見えます。
この作品は、9/5から地方公演へと場所を移します。

訳・内村直也、脚本・ハ木柊一郎、演出・西川信廣
(俳優座劇場にて)
ミュージカル『エリザベート』(9/1-30)
初日。抽選予約で当たらなければ、この人気の舞台の初日を観られるなんてことはなかったでしょう。
この日のトートは内野聖陽、フランツは石川禅、ルドルフに浦井健治。
終演後の一路真輝(エリザベート)の挨拶で、2000年の初演からのキャストは、500回を越す舞台をこの作品で踏んでいる、という話がありました。
今回から参加したキャストは、わずか2名のみ。そのうちの寿ひずるは、急遽ゾフィー役として加わったそうですが、堂々とした迫力、しっかりした歌唱で、作品を引き締めていました。

あまりにも有名で人気の作品です。初演から観劇していますが、ほとんど変わらぬ出演者、彼らの成長も毎回楽しみのひとつです。
初演は文学座の内野のトートのキャスティングに、芝居の舞台は結構観て来ましたが、踊れるのか、歌えるのか、など余計な気を揉みました。
偉そうに聞こえるかもしれませんが、内野トートがエリザベートの舞台にあって嬉しく思ったのは、その翌年2001年の舞台。東京公演を観ず、たまたま滞在していた大阪でチケットを購入し、梅田コマ劇場で観劇。驚かされました。
初演ではおそらく慣れない歌と踊りに囚われていたのか、今一つ役者としての彼らしさとの距離を感じていたのですが、さすがに俳優。再演では、歌と踊りを得意とするの共演者を相手に、堂々と感情と色気のこもった演技を見せてくれました。
その時私は2階席でしたが、内野トートと対する相手役の目の輝きまで違って見えた気がしたものです。
(その時の観劇録を、えびす組劇場見聞録、「再演、演劇としてのエリザベート」に掲載していますので、よろしかったらご覧ください)

2004年の再々演を経て、今年の内野トートは、ついに歌唱力を手に入れ、彼の技のひとつとして余裕を持って舞台に登場しています。そんな彼には表現力が増して、指先から目の動きまで感情にのっとって、彼自身が支配しているかのようです。「黄泉の帝王」とはどんなものか知りませんが、こんな風に自信溢れているかもね。こう解釈するのも、観る者の自由。
今回初めて理解したのが、トートは生きているエリザベートに愛されることを欲し、彼女が心から自分に拠を求めた時こそ受け入れよう、という想いであったこと。
時期を見て暗殺者ルキーニを操り、永遠に彼女を黄泉の国へ送り出す。
トートのほっとしたような表情を見逃しませんでした。

観客としての自分も、5年前とは成長していることを願いつつ。

(帝国劇場にて)


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